第144話:気になる人(3/6)

 ゴブリンとはまた、懐かしい。

 ゲームのザコとしてよく見かけたものだ。

 しかし、、……か。


「ええと……ゴブリンが笑うと牛乳が酸っぱくなる、だっけ?」

「そうそう、それです!」


 ビンゴ!

 学生の頃、ゲームのキャラの神話的な元ネタが知りたくて履修した民俗学概論。その中の鬼――の扱いで出てきたな。


 ――ゴブリンが笑うと牛乳が酸っぱくなる、牛の乳の出が悪くなる、だっけ。取り換え子チェンジリングも、一部、ゴブリンの仕業とされたんだったか。


 ついでに言うと、ホブゴブリンはそれとは違って家に住み着く妖精で、いたずら好きではあるが、わずかな報酬を忘れなければいろいろと働いてくれる存在だったはず。


 基本的に悪さをする性悪な妖精がゴブリンで、付き合い方を知っていれば恩を返してくれる隣人としての妖精がホブゴブリンだったはずだ。

 ほかにも、家妖精ブラウニーとか靴妖精レプラコーンとか……いろいろいたな。


「寝る前に、台所に牛乳を一皿、置いておくといい――だったか?」

「はい! 小さい頃、おばあさまから聞かされました。だから、うちもやっていますよ? 特に職人の家なら、どこでもやっているんじゃないでしょうか」


 ――やっぱりこの世界、元いた世界と何らかのつながりがあるのかもしれない。

 月が三つもあったり、見慣れた星座が一つもないというのも訳が分からないが、それでも近くて遠い、並列世界という奴だろう。今河教授の世界構成原理に関する考察、ちゃんと読んどくべきだったかなあ。


「……そうだな、うん。そうも言われているが――聞いた事がないか? 湿ったところに置いてあるものは腐りやすい、乾燥させると腐らない、ということを」

「はい。肉とか魚とか果物とか、干物にします。冬越しの準備の基本ですよね?」


 さすが、家事には年齢相応に参加しているらしいマイセルだ。こういうことには反応が早い。


「そういうことだ。木も、濡れないようにする、もしくはすぐに乾くようにすれば、傷みにくいのは分かるね?」

「そう……ですね。そういえば、木のテラスは傷みやすいですけど、のきの下の部分は傷みにくいですし」


 マイセルの返事に、大きくうなずいてみせる。


「よく観察している。さすが大工を志すだけのことはある」


 えへへっ、と顔をほころばせ、頬に両手を当ててうつむくマイセル。


 思わず頭を撫で――ようとして、その頭上で右手を止める! 頭を撫でる――つまり髪を撫でる行為は、結婚のための儀式の一つ「櫛流し」、だった!

 あぶないあぶない、またやりかけた! この子の立ち位置、本当に姪っ子に近くてやりにくい!


 そこにガタッと音がして、そちらを見ると、目を皿のようにしてこちらを凝視するマレットさんが、腰を浮かせているのを発見。大事な娘に手を出す不逞の輩を排除せんとする獅子が目覚めようとしていることに気づく。


 必死に腕を回収し、何事もなかったかのようにさわやかスマイルを作り出して営業モードへ。


「そういうわけです、マレットさん。木は、乾燥状態を保てば何百年でも使える建材です」

「お……おう」


 中途半端に浮かせた腰はそのままに、こちらを凝視し続けるマレットさん。

 ――ステイ! ステイですよ! まだ触っていませんからね!


「――現に私の国には、……ええと、高さ約百尺 (約三十メートル)、約千三百年前に建てられた木造の塔が、今なお偉容を誇っています」


 マレットさんの浮きかけていた腰が、別の意味で浮く。


「ひゃ、百尺もの木造の塔が、せ……せん、さんびゃく……年も!?」


 見開かれた目がさらにでかくなり、彼が立ち上がった勢いで椅子はそのまま後ろに倒れ派手な音を立てるが、マイセルを驚かせるだけに終わる。

 話を逸らすことができて助かったぜサンキュー奈良県法隆寺五重塔!


「ええ。ですから、適切な管理をすれば、木造家屋も長持ちするかと。――適切な管理をすれば、ですが」

「……おいおい、いくらなんでも冗談が過ぎる。百尺だぞ? 木造の塔で、百尺? ありえない!」


 テーブルに両手をついて目を剥くマレットさん。

 顔が近い。

 こわい。


「あり得ないと言われても――実際に建っているので、すみません。高さだけなら、約五十五メートルだから、ええと……約百八十尺の塔も現存していますね。こちらは……確か四百年近く前、だったかな、に建てられています」


 思わず身を引きながら、それでも説明しきることができた自分を、内心褒める。


「ひゃく……はちじゅう……四百年も前の、木造の塔……?」


 やったぜ京都東寺とうじ五重塔、口をあんぐり開けたマレットさんなんて、なかなか見られないと思うぞマイセル。


 そう思って隣を見ると、ぽかんと口を開け、俺を見上げている。こちらは、何がすごいのか、いまいちよく分かっていないようだ。


「馬鹿な、ありえない――アンタの国は、そんなにも雨の降らない、過酷な国なのか?」

「いえ? むしろ一年を通して、よく雨が降る国だと思いますよ?」

「そんな馬鹿な! 雨が降るなら傷んでしまうに決まっている! 落雷だってあるだろうに!」


 大きく首を振りながら、どうにも信じられないようだ。面白いのでちょっと追い打ちする。


「そうですね。現存しませんが、三百六十尺 (約百九メートル)の塔も建てられたことがあるみたいです。おっしゃる通り、落雷で焼失したみたいですが」

「狂っている――アンタの国の職人は狂っている!」


 はい狂人認定されました相国寺しょうこくじ七重塔を建設した宮大工さんたち。確かに木造の塔で百メートル以上、というのは凄すぎる。しかも宮大工だから、どうせ金物なしだろう。同じ建築の現場に立つ人間として、気違いじみた偉業だと思う。


 マレットさんは頭を抱え、そしてすでにひっくり返ってそこに存在しない椅子に座ろうとし、そしてひっくり返る。再び上がるマイセルの悲鳴。

 起き上がりに手を貸すと、彼は首を振りながら立ち上がり、そして天井を仰いで右手で顔を覆った。


「……アンタ、とんでもない国から来たんだな。それだけの高さの塔を、どうしてわざわざ木で建てようとするんだ」

「雨が豊富で、大きく育った木が多かったから、でしょうね」

「それにしたって、木なんてすぐに腐ってしまうだろうに」

「ですから、適切な管理が大切なんですがね」


 たしかに石造りの文明のほうが、後世に残るものを作りやすいだろう。古代ローマの、石やコンクリートによる建築物は、今なお偉容を誇っている。ローマの水道橋しかり、コロッセオしかりだ。ローマ水道など、二千年経った今もなお、水を通しているものもあるくらいだ。


 この街の城壁も、おそらく十二、三メートルはあるだろうか。ところどころ傷んでいるのは、戦乱を耐えてきた証だろう。そういった過酷な環境にも耐えうるのが石の文明だ。ロンドンが現在、レンガや石積みの街になっているのも、十七世紀のロンドン大火の反省によるものだ。


 腐る。燃える。だから、木造建築は基本的に「弱い」というイメージが多いのは、しかたがない。日本の木造住宅の寿命が三十年と言われるのも、温暖で多湿な環境のもとで、木が、そして合板ごうはんの接着剤が傷んでしまうからだ。

 さらに毎年、冬には暖房器具に端を発する火災が起こる。


 B29の焼夷弾によって東京が焼き払われ、一夜にして世界史上最大の犠牲者を出したのも、木が火に弱いためだ。

 アメリカ軍が日本攻略のために、「木と紙で出来た日本家屋」を、効率よく焼き尽くすための焼夷弾を開発した結果である。


 このように、木造住宅は欠点も多い。マレットさんが気にするのも分かる。


 それでも、やはり木の温かみは、何にもまして魅力がある。触れればわかる。

 そして俺は担当した家族に、リビングや子供部屋を白木しらきの床にすることを、常に強力に推した。


 確かに、白木の床は汚れやすく、傷つきやすいうえに、すぐにシミになってしまうので、汚した時の復旧手段に乏しい。


 しかし、木の床――特に、塗装していない白木の床の、冬の温かみ。白木の床は、冬に素足で歩いても冷たくないのだ。

 凹み傷のつきやすい柔らかさは、子供が転んでも重大事故になりにくい利点にもなる。


 なにより、適切に磨かれた白木の床は、そのしっとりとした肌触りがいい。

 過度な汚れは紙やすりサンドペーパーで削ればいいし、究極的には、汚れもまた生活の中で生まれた味、家の歴史として残していくのも有りだ。


 木は、石と違って温かみがあり、そして変化していく味がある。

 だから俺は、木の家を推す。できれば、白木のぬくもりがある家を。

 俺自身、いずれは木にってる家に住みたい。

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