第140話:怒声

「……なんであんたが、ウチで朝飯を食うんだ」


 ぼそっとつぶやいたハマーの脳天に、トレイが振り下ろされる。


「ッ……!! 何するんだ!」

「お兄ちゃん。ムラタさんに失礼なこと言わないの。これから、いっぱいお世話になるんだよ?」


 たくさんのフリルで縁取られた可愛らしいエプロン姿で、忙しく給仕に立ち回るマイセルだが、ハマーの失言には即座に対応。なるほど、この家でも妹が強いのか。この世界、ひょっとして女性のほうが立場が強いのだろうか。


「ならない! なるわけがない! 僕は父さんと仕事をするんだからな!」

「そんなこと言ってると、お仕事、回してもらえなくなっちゃうかもしれないよーだ」

「どういう意味だよ!」

「だって……ね、ムラタさん?」


 いたずらっぽく微笑みながら、マイセルがこちらを向く。

 なぜそこで俺に話を振る?


 マイセルは上機嫌でキッチンに引っ込んだ。「ネイお母さん! もう、これ出していいよね?」と、オーブンのふたを開け、ネイジェルさんに焼け具合を見てもらっている。


 ネイジェルさんのことを、マイセルは「母」と呼んだ。二人で楽しそうに準備を続けている。


 マイセルの実母は、まだ見たことのないクラムさんという女性らしいが、マイセルにとってはなのだろう。ハマーがクラムさんをどう思っているのかは気になるが、そこまで俺が立ち入っていい問題でもないだろう。


「……ハマー。ムラタさんは、今回の仕事の総責任者だ。気に入らんというなら、今日からマイセルも入るし、お前は来なくてもいいぞ」


 机の中央をにらみつけるようにして、マレットさんが言う。


「そ、そりゃないよ父さん! 途中から外すなんてあんまりだ! 第一、マイセルが入るってどういうことだよ!」

「そのまんまだ」

「ワケが分からないよ! ついこの間まで、マイセルが道具に触るのも怒ってたのに、どうしてだよ!」


 ハマーが立ち上がって抗議するが、マレットさんは「事情が変わっただけだ」と、全く意に介さずパンをむしる。そこへマイセルがキッチンからやってきて、スープの器を配ってゆく。


「ふふーんだ。ムラタさんが認めてくださったんだから」

「は? こんなヤツが認めたからって……おい、ふざけんなよマイセル! お前ひとりが現場に入ったって――」

「口に気をつけろマイセル。マイセルはもう、

「……え?」

 マイセルに対して挑発的に指を指し示したその姿のまま――ぎぎぎ、と音がしそうなぎこちない動きで、首だけがマレットさんに向けられる。


「父さん……それは」

「……。――その前にまず、一人前として認められる大工になることが先か?」


 がちゃん。


 俺の前に置かれるはずだった皿が、派手な音を立てて短い墜落をする。幸い、敷き皿も器も割れたりしなかったし、スープも数滴飛び散っただけで、大きく零れるようなことはなかった。


 それまでにこにこしていたマイセルの表情が笑顔のまま凍り付き、全身が固まったまま、首筋まで真っ赤に染まってゆく。

 対して、ハマーの顔色はどんどん悪くなってゆくようだ。顔色というより、口がどんどん縦に――間抜けに広がってゆき、眉はハの字にゆがんでいく。


 ……ああ、そういう意味の会話か。マイセルが、もう身を固める――つまり、「ハマーの妹」ではなく、「誰かしらの妻」になるということ。

 しかしマレットさん、早すぎやしないか? せめてマイセルが相手を家に連れてくるまでは、そっとしておこうよ。


「う、……嘘だッ! こんな金床かなどこ女、誰が欲しがるんだよ!」

 金床――、と言いたいわけだな。……なにが、は、言わずもがなだ。


 ハマーよ。貴様は、かの偉大な占いの歌を知らないな? でかけりゃいいってもんじゃないことを、肝に銘じておけ、女性の敵だぞ。


 マイセルだって無いわけじゃない。例えば――うん、リトリィが偉大なる山脈だとしたら、そこらの人はまあ、そこらの山で、マイセルは……丘、かな?

 大草原の小さな家、みたいな惨状ではない、はずだ。それは昨日、確かめた。

 偶然だ。改めて、いつ、どうやってとは言わんが。


 だが、ハマーの叫び声は、フリーズしていたマイセルを再起動させるだけのインパクトはあったようだ。左腕で両胸を押さえるようにして、涙をにじませながら頬を膨らませ、手にしたトレイで十六連打。しまいには「お兄ちゃんなんか嫌い!」と横殴りにして、足音荒くキッチンに引っ込んでしまった。


 ――まあ、アレだ。女は、強い。

 というか、本人が気にしていることを公の場で言うとこういうことになるってことだな。合掌。




 今日も現場には釘打ちの音が響き渡る。

 いわゆるツーバイフォーは、床(プラットフォーム)をまず作り、そこに壁を立てる。

 壁と言っても、コンクリートとかレンガとかではない。基本はほぼすべて二インチ×四インチツーバイフォーの細長い材木を使って枠を作り、そこに構造用こうぞうよう合板ごうはんを釘で打ち付けて作るのだ。


 しかしこの世界にはインチもセンチもない。ゆえに、サイズはすべて「寸」に置き換えだ。ただし厳密な定規があるわけでもないので、数字は大雑把だ。

 たとえば、「二インチ×四インチ」は、「一寸いっすん×三寸さんずん」、「十センチメートル間隔で釘を打つ」は「三寸間隔で……」、といった具合に。


「下枠に墨付け (柱を並べるための印)がしてあるだろうが! 間柱まばしらの中心をそこに合わせて並べろっつってんだろ!」


 マレットさんの厳しい指示が飛び、見習いとおぼしき青年が、慌てて間柱のずれを直す。

 今回、マレットさんは、どうやら熟練の大工ではなく、若手ばかりを選抜したらしい。複雑な工程がないことを見抜いて、どうやら経験を積ませることを考えたようだ。


 人数は全部で八人に減ったうえに、手元もおぼつかない若手ばかり。だが、それでも不思議と、不安を感じない。マレットさんが厳しく指導するため、緊張感はかなりのものがあるし、そもそも今回のプラットフォーム・フレーミング工法には、いわゆる熟練の大工の「」の技術が必要ないからだ。


 ただ――


「マイセル! もたもたするな! 間柱がずれている! 下枠はともかく上枠の墨付けをよく見ろ!」

「は、はい!」

「だから、片側だけを合わせようとするな! 反対側がまたずれるだろう、何度言ったら分かる! 端だけを合わせようとするな、中央からずらせ!」

「……はいっ……!」


 ああ、早くも涙目だ。道具の使い方などはさすがに慣れていたようだったが、実際に現場で作業をしたことのないマイセルは、やはりもたもたする。そのたびに、マレットさんの厳しい言葉が飛ぶ。


 だが、マイセルはこぼれ落ちそうになる涙を袖でぬぐい、決して弱音を吐かない。

 夢にまで見た現場作業に、入れてもらえたのだ。涙も、叱られたためではなく、うまくできない自分への苛立ちからだろう。

 頑張れ、マイセル。


 一方、マレットさんもマイセルの涙の意味は分かっているだろうし、身内だからといっても容赦はない。

 いや、身内だからこそ、だろう。他の見習いたちと全く同じ、いやむしろ厳しいかもしれない。はガンガン飛ぶ。


 しかし、例えば「馬鹿野郎!」のようなは一つもない。ダメな部分を指摘し、その解決方法を指示する。

 そしてそのたびに作業がやや停滞するが、誰も言わない。言ったら言った分、より厳しい基準でが飛んでくることになるからだ。




「女のくせに、現場なんかに来るからだ――」


 もたもたして怒声を浴びせられ続けたマイセルをあざ笑った見習いは、即、すさまじい罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせられて退場させられることになった。


「今、口からクソを垂れ流したうらりヒョウタンはどこの馬の骨だ!」


 作業中の突然の大音量の罵声に、全員が硬直した。だれも名乗り出なかったが、マレットさんはちゃんと分かっていたようで、金色の短髪の青年の前にやってくると、そいつの襟首をつかんで引き起こす。


「今、口からクソを垂れ流した末成うらなりヒョウタンはどこの馬の骨かと聞いたが、おいテメエ! テメエだよ!」


 すさまじい剣幕に、金髪青年は口をパクパク、言葉も出ない。


「垂れ流すクソももうなくなったかケツの穴の小せえ野郎め! 口からクソを垂れ流しておきながら出すモノがなくなったら餌を欲しがる鯉みてえに口をパクパクだと? そこらの毛長牛けながうしのクソでも食らわせてやろうかこのクソ虫が! こっちがどこの馬の骨かと親切に扱いしてやったにも関わらず、ケツ振って差し出すような真似もできねえ尺取り虫めが! 人サマの影に隠れてしかモノも言えねえ腰抜けはジンメルマンの現場にいらねえんだよ! おととい来やがれ腐れ豆の搾りカス野郎!」


 そのまま現場から放り投げると、彼の持っていた大工道具を丁寧に集め、綺麗に箱詰めして路上に置く。

 そして何事もなかったかのように、作業の指示を始める。ぽかんとしていて動けなかったマイセルに厳しい怒声が飛ぶが、あくまで動きが悪かったことをとがめる怒鳴り声だ。


 路上に放り出された金髪青年も、何が起こったか、最初はよく理解できていなかったようだ。のろのろと起き上がり、現場に戻ろうとして、もう一度罵声を浴びせられる。


「ジンメルマンの現場に近づくんじゃねえっつっただろうがこの蛆虫野郎! 今日一日、力を合わせて作業するはずの仲間をわらう奴に、家を作る資格なんざねえ!

 どうしてもやりたかったら、顔洗って己のクソを全部ぶちまけて人間に生まれ変わってからまた明日来い! 今日一日、俺の現場に近づくことは許さん!」


 ――かくして、八人で始まったはずの大工は、七人に相成あいなった。

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