第120話:壁

 釘鍛冶での話もかろうじてまとまり、実際に作ってもらってみて、確かに一分いちぶはん(直径約四・五ミリメートル)の鉄線で三寸長さんずんちょうの釘ができることを確かめ、そいつを差し当たっては千本、準備してもらうことにする。


 消費量を見て追加発注をすると言ったら「殺す気か!」と怒鳴られたが。


 釘鍛冶を後にすると、たまたま街路に水屋の屋台が来ていたので、飲み水を買うことにする。よく聞くと、水に、果汁と水あめを若干溶いたフレーバー水が人気らしかったので、オレンジのような果物で味と香りづけをした水を買った。


 やたら薄い、「なんだかオレンジっぽい香りがする」程度の水なのだが、マイセルにとっては貴重な甘味だったらしく、ものすごくはしゃいでいた。




「壁、ですか?」


 屋台の近くのベンチで水を飲みながら、マイセルが首をかしげる。


「ああ。レンガでも漆喰でも何でもいいから、家の壁は不燃材だったら問題は無いんだよな?」

「ええと……、はい、確か……」


 それが確認できれば問題はない。

 問題なのは、外壁をどうするかだ。構造用こうぞうよう合板ごうはんが存在しない以上、代替手段として選ぶべきは何か。コストがかからず、かつ大量に手に入る資材。


「やっぱり、外壁にはレンガを使うんですか?」

「それもいいんだが、レンガ積みは時間がかかるからな……」


 ナリクァンさんからは、可能な限り早く建ててほしいと言われている。百年もつような丈夫な家でなくていいからと。


「――だから、外壁を木で作りたいと考えている」

「木で……?」


 目を丸くするマイセル。

 木造は確か、税金がめちゃくちゃ高くて、そうすることで基本的には建てられないように規制しているんだっけか。


 しかし漆喰を塗れば、基本的には不燃材になるから、とりあえずイケるはず。そう思ったら、マイセルは別のことを口にした。


「ムラタさんは、の家が好きなんですか?」

「田舎風……?」

「はい。だって、外壁を木造にしたいんでしょう? その、横にしましまな感じの……」


 ……横にしましま? どういうことだ?


「でも、木で外壁を作ったら、ものすごく高い税金を取られますよ?」


 俺が少し混乱しているところに、先の予想通りの答えをかぶせてくるマイセル。待て、そうじゃない!


「ちょっと待ってくれ、いまさっき、なんて言った? どんな感じの外壁だって?」

「え? ええと、……横に、しましまな感じ……?」

「横……? たてじゃなくて?」

「え? 縦に板なんて使うんですか?」


 ツーバイフォー用の構造用合板は、縦二四四〇ミリメートル、幅九一〇ミリメートルのものが一般的に使われている。つまり縦約八尺はっしゃく、横約三尺さんじゃくの板というわけだ。


「そ、そんなにも大きな板なんて、わたし、見たことがほとんどありません! そんなに大きな板なら、原木げんぼくはもっと太いですよね!? そんな大木たいぼくから切り出した貴重な板を、家の外壁に使うなんて、そんなぜいたく、とてもできませんよ!」


 マイセルは目を白黒させ、手をわたわた広げながら、俺が例に出した板の大きさがいかにおかしいかを訴えてくる。


 そりゃ当然だ、俺も無垢むく板でそんな巨大な板――木の直径が一メートル以上無いと実現できない板など、さすがに想定していない。


 そうではなく、無垢板では難しいそれを実現するのが合板ごうはんという技術なんだが、残念ながら接着剤がでは、耐候性能が低すぎて家の外壁になんて使えない。


 マイセルの話では、田舎風の家、というのは、板を横向きに並べて打ち付けるやり方で、さらに、下の板に上の板を少し重ねて浮き上がらせる、下見したみ板張いたばりという方法だった。


 日本でも昔ながらの家でよくみられる方式だ。アメリカのちょっと古い家でも、よく白ペンキ塗りの家なんかでよく見られたものだ。

 北海道のがっかり観光スポットとして有名な時計台の家なんかも、そうなっている。


 ――札幌の、時計台……?


 待てよ? 思い出せ、札幌時計台、建築時期は――


「そうか! なんだ、そういうことだったのか!」


 俺はあることを閃いて、おもわず立ち上がってしまった。小躍りしたい気分だった。


「え? あ、あの? ムラタさん?」


 くりくりした目を真ん丸にして、両手を胸元に持ち上げていたマイセルの手を思わず掴んでしまう。


「そうだよ、ツーバイフォーはもともとアメリカ開拓時代に発明された工法なんだ! そんな時代に構造用合板なんてあるわけがない、考え方を変えるだけだったんだよ」


 「ツーバイフォー工法」は、アメリカ開拓時代、誰でも簡単に家を建てられる「キット」として考えられた、「バルーン工法」が元になっている。


 まず床をこしらえ、二階までの四枚の外壁を「地面で」組み立てて、それを一気に立てて、二階分までの外壁をこしらえてしまうやり方だ。その後内壁ないへきを作り、その上に二階の床を張る。

 風船を膨らませるように手軽にできるので、バルーン工法と呼ばれた。


 この工法は、その後、階層ごとに順番に作るように発展し、現在の「プラットフォーム・フレーミング工法」として確立した。アメリカやカナダで、木造の家造りと言ったら、「フレーミング工法」一択である。

 それを日本に輸入し、日本の建築現場に合うようにアレンジしたのが「木造枠組壁構法」である。


 基本に立ち返れば、厚み五分ごぶ(約一・五センチメートル)、幅はツーバイエイトの規格を参考にすると、六寸ろくすん(約十八センチメートル)あれば、枠組壁構法の規格通りに十センチメートル間隔で釘を打つことができる。

 九十センチメートルごとの間柱スタッドに釘を打ち、隙間なく板を打ち付ければ、大きくは一枚の板として考えることができるだろう。


 これまで、複雑な構造計算をアプリで済ませてしまっていたことが、今になって悔やまれる。資料も、こちらの世界に来るときに全て紛失してしまった。だが、無いものねだりをして嘆いていてもしかたがない。


 構造用合板がないのなら、使える資材で出来るだけのことをする。そして、そのヒントはマイセルがくれた。だったら、やるしかない。


「……よし、いける。いけるぞ!」

「な、ななななにがですか!?」


 頬を真っ赤にしたマイセルが、口元を奇妙にひきつらせた笑みを浮かべながら奇妙に甲高い声を上げる。


「昨日、外壁に使う板のことで悩んでいただろう? 合板が使えない、とか。だけどほら、さっきの話がヒントになってね。それで、何とかなりそうだということに気づいたんだ! ありがとうマイセルちゃん!」

「は、はは、はいぃっ?」


 やはり声が妙に跳ね上がっている。

 目はちらちら泳いでこちらをまっすぐ見ないし、どこか落ち着きなさげだ。


 そこでやっと気が付いた。

 俺、ずっと、ベンチに座っているマイセルの、その正面で、彼女の両の手を握っていたことに。

 耳まで真っ赤に染まった顔は、ひきつった笑顔のまま、固まっている。


 ――やばい!


 慌てて手を離すと背筋を伸ばし、視線をそらせて咳払いをしてみせる。我ながら、実にわざとらしい。


「……とにかく、おかげで話が進むってことだ。さっきの釘の親方もそうだけど、今日、一気に話が進むのはぜんぶマイセルちゃんのおかげだ! 本当にありがとう!」

「あ……いえ、あの、その……」


 マイセルはまだ、妙に焦った様子ではあったが、一度、胸に手を置いて深呼吸をすると、少し落ち着いた様子で、改めて緊張気味に、だが微笑んでみせた。


「私、ただ、ムラタさんが、田舎風の建築が好きなのかなって思って、言ってみただけで、何も……」


 確かに、彼女の意識ではそうなのかもしれない。だが、俺の「かくあるべし」という思い込みを打破してくれたというだけで、俺にとっては万金に勝る価値がある言葉だったのだ。


「でも、その言葉のおかげなんだ。ありがとう、マイセルちゃ……さん」


 ……最後の最後で、おもわず「ちゃん」と言いそうになってしまい、あわてて言い換える。ああもう、やっぱり俺は俺だ。締まらない。


 気恥ずかしさを隠すために視線をそらす。

 成人している淑女に「ちゃん」は失礼だろう。たとえ姪っ子のような、十六歳の少女であったとしても。

 ――だから、彼女の言葉を聞いたとき、おもわず固まってしまった。


「……で、いいですよ?」


 驚いて、ぎぎぎ、と音がしそうなくらいにぎこちなく首を動かし、彼女を見る。

 マイセルは、俺と目が合ったのに気づいたか、顔を赤らめたまま、うつむいてしまった。


「……で、いいですよ? べ、別に、私のことをわざと子供扱いして、そう言っているわけじゃないって、その……分かってますから」


 なんだろう、いつものような「変な人」呼ばわりではない。

 「変な人」だから、「ちゃん」と呼ばれてもあきらめておくことにする、とか、そういう反応ではなさそうだった。


 ――俺に対する壁が、ちょっと、低くなったとか、そういう感じ?


 だが、それを言葉にしようとしても猛烈に気恥ずかしさが襲ってきて、口から言葉が出ようとしてくれない。これでは、どちらが子供なのか分からない。


「それに……」


 マイセルは一瞬だけ顔を上げ、こちらを見て、そしてまたすぐにうつむいた。

 そっと、うつむいたまま、わずかにこちらに顔をむけるようにして、続ける。


「――私のこと、分かってくれてるムラタさんが、わ、私だけって呼んでくれるの、なんだか……」


 一度言葉を区切り、そして、頬を染めたまま、ちらりとこちらに目を合わせて、そしてまた、すこしうつむいて、でも、微笑んだ。


「――うれしいから」

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