第108話:隔絶(1/2)
翌朝。
親父殿の言葉に、自分の耳を疑う。
「……は? あの、今のは聞き違いでなく……?」
「馬鹿野郎、聞き違いもクソもあるか。おめぇが望んだことだろうが。飯を食ったらとっとと街に戻れ」
いや、確かにリトリィにもノコギリの製法を仕込んでほしいとは言った。言ったが、その代わりに俺一人で街に戻れとは。
リトリィもそれは初耳だったらしい。親父殿と俺の顔を忙しく見比べながら、早くも目が潤んできている。
「リトリィの方は責任持って仕込んでやる。おめぇは自分の仕事をしろ」
「い、いや、でもですね……」
「技を身に着けさせるってのは、こっちも覚悟ってもんがいるんだよ」
親父殿はパンをむしりながら、さも当たり前のことのように続ける。
「おめぇがいると、確かにソイツにとっては居心地がよくなるかもしれねぇ。だがそれじゃダメなんだ。そんな甘っちょろい環境じゃ、まともに身にならねえ。おめぇは、邪魔になるんだよ」
アイネが「ざまあみろ!」と言い――かけて、親父殿のゲンコツとフラフィーの裏拳のコンボを食らって椅子から転げ落ちていた。
「別に、おめぇらを別れさせようとしてるわけじゃねぇ。そこは心配すんな。どうせそんな事をしようとしても、ソイツは勝手におめぇを追いかけて、ウチを飛び出して行くに決まっとるからな」
「でしたら――」
「ただ、やるべきときには全てを投げうってでも、やらなきゃならねぇ事ってもんがあるんだよ」
やるべきとき――
俺がこの世界で生きていく、その足がかりとして今回の仕事を捉えているように、リトリィにとっても、このノコギリ作りが、今後、職人として生きる彼女の、一つの節目になるということだろうか。
「――ちょうどいい機会だ、弟子の大好きなおもちゃを取り上げて一心不乱にさせる、てぇのも悪くない」
親父殿の容赦のない言葉にリトリィが取り乱し、ちゃんとけじめをつけるからと訴えたが、そこは親父殿も、譲る気が全く無いようだ。
「いいかリトリィ。これはムラタからの注文だ。客から仕様を明らかにされたものを作れねぇってのは、鍛冶職人失格だ。これはムラタから与えられた試験だと思え」
――試験。そうきたか。
「ムラタ。ノコギリは完成次第、リトリィに持たせる。早くできるか、時間がかかるか、それはコイツ次第だ。それまでは、不自由を我慢しろ」
――なるほど。さすが親方だ。課題設定がうまい。
つまり、リトリィが親父殿のお眼鏡に叶う鋸を早く仕上げれば、それだけ俺にも早く逢えるし、俺もより早くノコギリを手に入れることができる。
反対に、リトリィが時間をかければかけるほど、俺に逢えない期間が長くなり、俺自身も仕事で余計な苦労を背負うことになる。
ノコギリ自体は、刃の目出しとか横引き刃のやすり掛けとかが面倒くさそうなだけで、そう難しいものでないように思うのだが……どうせ親方のことだ、これ幸いにと、身に着けさせたい技能を一気に叩き込むに違いない。
……ノコギリを作るのはリトリィだが、俺と彼女はある意味、離れていても一蓮托生というわけだ。彼女の性格からして、俺に逢うためという理由に加えて、俺に迷惑をかけたくないという意味でも、死に物狂いになるに違いない。
時間をかければ、誰だって技術を磨くことができる。だが、それを彼女自身の意志によって、できる限り短縮したくなるようにするわけだ。これは、確かに俺がいない方が効果的だろう。
なんとも意地悪な状況を作り出すものだ。
「そんなわけでムラタ。おめぇは飯を食ったら、早々に街に戻ってもらう。異論は許さん」
「そんな! せめてもう少し、ムラタさんの身支度のお時間を――!」
リトリィが抗議するが、親父殿は即、却下した。
「親方、私一人で道中の荷物すべてを持っていくのはちょっと、体力的に自信がありません。せめてフラフィーをつけてくれませんか?」
「馬鹿野郎、人生は重荷を背負って遠い道を歩くようなもんだ。おめぇ、自分の旅路の荷物くらい、自分で担げ」
……俺の方も、どこかで聞いたような格言を以って即、却下された。
「あの、ムラタさん。わたし、がんばりますから……。できるだけ早く、ムラタさんのために作りますから!」
ぼろぼろと涙をこぼしながら離れようとしないリトリィの頭に、容赦なく親父殿がゲンコツを振り下ろす。
「きゃん!」
「いつまでもムラタに迷惑かけんじゃねぇ」
なんとも潔い男女平等主義。木炭庫で暴れたアイネの脳天に、薪割り台の切り株を容赦なく振り下ろしたリトリィを思い出す。
ああ、間違いなくリトリィは
俺は苦笑いしながら、リトリィの髪を撫でる。
「ああ、待ってるから」
もう一度しがみつこうとしたリトリィの脳天に再びゲンコツ。あまりぐずぐずしていると、リトリィがどんどん可哀想な目に遭いそうだ。
あえて笑顔で「楽しみにしてるよ」と右手を上げると、リトリィは左手を上げ、俺の右手にからめてきた。涙がまた、ぽろぽろとこぼれ落ちるが、しかし今度は泣き言を言わなかった。
まっすぐ俺を見上げて、「お体には十分に気をつけて下さいね……」などといい、そして背筋を伸ばして、唇を重ねてくる。
その姿にアイネは眉を吊り上げたが、しかしそこに割り込んで何かを言うような無粋な真似は、自粛したようである。
ただ、親父殿に尻を叩かれるまで、リトリィは結局、手を離そうとしなかったが。
一人で歩く道は、なかなかつらい。
昨日は荷物の大半をリトリィが持ってくれていたが、今回はすべて自分が持っている。
肩が痛くなり、何度も立ち止まっては背負い直す。
ずっしりと肩に食い込む荷物の大半は毛布。特に今回の道のりは、一回目と違ってリトリィというぬくもりがない。夜の寒さは十二分に理解できたので、毛布を二枚、持つことにしたのだ。
さらに、道中、雪が残っていた場合、靴の中に水が浸透してきても足が濡れないように、油紙を多めに準備してもらった。本当はポリ袋か何かがあればいいんだが、この世界にはそんなものはない。
水を手軽に遮断できる方法というと、これぐらいしか思いつかなかった。
食料については、基本的に調理を必要としないよう、リトリィが固めに焼いたパンを三日分、持たせてくれた。
こればかりは親方がゲンコツを振り下ろしても、リトリィは譲らなかった。ぽろぽろと涙をこぼしながら、それでも最後まで丁寧に焼き上げてくれた。
さらに、蜂蜜を固めた飴のようなものを一つかみ分ほど、こっそり渡してくれた。
「蜂蜜が大好きなフラフィー兄さまが知ったら、きっと怒りますけど」
そう言って、涙を浮かべながらもいたずらっぽく笑ってみせたのを思い出す。
パンに練り込んだ分とこの飴のために、家にあった蜂蜜の残りを、全て使ってしまったらしい。
いったいいつの間にこしらえたのかと驚くと、パン作りの合間に、とのことだった。
「道中、疲れたら、歩きながらで結構ですからなめてください。甘いものは疲れをとってくれます」
大事に食べるよ、と言うと、彼女は涙を拭きながら嬉しそうに笑った。
これから俺はしばらく一人で生活するが、それはリトリィにとっても、ある意味同じだ。家族はいても、俺がいない。うぬぼれるつもりはないが、彼女が俺を、とても大切に思ってくれていることぐらいは自覚している。
そう、寂しいのは俺だけじゃない。彼女もだ。だからこそ、お互い、努力するのだ。
「お体には十分に気をつけてくださいね」
あのあと、口づけを交わす前に彼女が続けた言葉。
「わたしも、早くあなたに届けられるようにがんばります。じょうずにできたら――」
ほんの一瞬、ためらって見せてから、泣き笑いの顔で続け、俺の口を塞いで有無を言わせなかった、あの、言葉。
「――いっぱい、かわいがってくださいね」
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