閑話⑥:義兄のつとめ(3/3)

 しばらく、リトリィは周りからジョッキをすすめられていた。

 主に男からだったが、じいさんやばあさんからもすすめられていた。アイツはそういった、いろんな人間からの好意ってやつに慣れていなかったんだろう。困った様子で囲まれていた。


 だから、そのジョッキを、オレは片っ端から奪って飲み干していった。

 妹は、酒が飲めないからと。


 いい気分で場を抜けて、二人でベンチに座って体のほてりを冷ますことにし、これで何曲目になるのか、あらたに始まったダンスを眺めていた。


 すると、隣にいるはずのリトリィが、なにかむにゃむにゃ言っていることに気づいた。

 楽しかったことを言っているのか、そう思ってアイツのほうを向いて、ぎょっとした。


 リトリィの手には、いつの間にかジョッキが握られていた。

 だらしない笑顔で、何かほにゃほにゃ言いながら、上半身をふらふらと揺らしている。


 慌ててジョッキを取り上げたが、ほぼ空の状態だった。リトリィは、いつもより強めの麦酒ビールを、すでに大ジョッキにて一杯分、飲み干していたのだ。


 ――やべぇ!

 オレは慌てて彼女を連れて広場から出ようとしたが、リトリィは口を半開きにした笑顔のまま、あっさりとオレの手を振りほどく。何が楽しいのかへらへらと笑いながら、そのまま人込みの向こうに消えちまった。


 オレは必死に人込みをかき分けるようにしてリトリィを追いかけたが、ごった返す人間が邪魔で、うまく進めない。リトリィは小柄な体のせいか、すいすいと、間を縫うように進んで行っちまう。

 オレはあっというまに、妹を見失った。


 ――クソッ! どこのどいつだ、リトリィに酒を飲ませた馬鹿野郎は!


 と言っても、誰もが無料で飲める酒を、道行く人にばらまくように皆で楽しむ、それが収穫祭だ。リトリィの酒癖の悪さを、通行人が知るはずもない。さっきのダンスを見ていた誰かが、好意で渡したのかもしれない。


 アイツは酒癖が悪いからオレが飲ませなかっただけで、酒が飲めないわけじゃない。だからジョッキを渡されたとき、そのまま飲んじまったに違いない。

 あの酒癖の悪さがこんな人ごみで出ちまったら、間違いなくマズい!


 しかし、せ物は探せば探すほど見つからない、という言葉の通り、アイツの姿は、どこを探しても見つからなかった。目立つ容貌の原初のプリム・犬属人ドーグリングだから、その気になりゃあ簡単に見つかると思ったのに!


「リトリィ! どこだ!?」

 怒鳴りながら妹を探す。普段ならこんな呼び方したら飯を減らされる勢いで怒るだろうが、そんなこと言ってられない。

 すでにあちこちではかがり火が焚かれ始めた。

 裏通りは、表通りに明かりがあるからこそ、かえって暗く、見通しが悪くなっていた。


 あの酒癖が出ていたら、リトリィは絶対にろくでもないことになる。

 オレは必死に走り回り、そして。


 とある薄暗い裏路地で、

 下半身を晒した男たちに囲まれ、

 恍惚としている、

 妹の姿を見つけてしまった。




 まだ酔っ払い状態だったのは幸運だったと思った。

 寝て酔いが醒めれば、多分、何も覚えていないんだろう、そう思ってもいた。


 引き裂かれ、汚された服は、全て処分した。とても妹に着せ続けるわけにはいかないモノになり果てていたからだ。


 寝付くまで、やたらと甘えてしなだれてくる妹の顔や胸に飛び散った汚れを、根気強く濡れ手ぬぐいで拭いていくのは、マジで大変だった。

 同時に、毛に絡んだソレは、拭き取ろうとするとダマになって嫌なヨレを作るってことも、その時初めて知った。


 あの時、ダンスに気を取られていなければ。

 自分のマヌケさに、腹が立って腹が立って仕方なかった。




 深夜、甲高い叫び声で目を覚ました。

 リトリィが自分の両肩を抱くようにして、震えている。


「どうした、リトリィ――」

「いやああああああああああああっっ!!!!」


 狂ったように泣き叫ぶ妹は、明らかにオレに怯えていた。

 ――いや、「男」におびえていたんだろう。

 オレは妹が落ち着くまで、待ち続けた。




 リトリィが落ち着いて話せるようになったのは、一刻ほど経ってからだった。

 オレは何があったかなんて聞く気もなかったが、リトリィは心配をかけたからと、話し始めた。


 聞いて、後悔した。

 リトリィは、酔っぱらっている時のことを、ちゃんと覚えていやがった。


 以前、酒を飲んだとき、やたらとオレたちに絡んできたことがあった。そのとき初めてリトリィの酒癖の悪さを知ったし、だからこそオレは、アイツには飲ませないように気を付けてきたのだ。


 あの時、アイツはひたすら陽気になって、べたべたと体を触ってきたり、やたら顔やら首筋やらを舐めてきたりした。

 一晩寝たら覚えていないという様子だったが、今から思えば、あれは家族に心配をかけないように、忘れたふりをしていたんだろう。


「少しだけなら、だいじょうぶかなって――」


 みんなが楽しそうにしているのを見て、つい、通りすがりの婦人に渡されたものを飲んでみたくなったのだという。


 一口を飲んでみて。

 もう一口飲んでみて。


 体がポカポカしてきて、なんだか楽しくなってきて。

 それで、ついもう一口、もう一口と飲んでいる間に、どんどん楽しくなってきて。


 どうやってオレとはぐれたかは覚えていなかったが、かなり浮かれていたらしい。しばらくして男たちに捕まり、裏路地に引きずり込まれたときも、怖いと思わなかったそうだ。


犬属人ドーグリングなら、舐めるの得意だろ」


 そう笑われても、実際に幼少期にその技を使って生きてきたリトリィは――酔っぱらってタガの外れた頭では、なんのためらいもなくその要求を受け入れてしまった。


 イヌオンナ、ケダモノ臭い、石女うまずめ娼婦と馬鹿にされ、服を引き裂かれ辱められ、殴られ蹴られ……それでも嬉々として男どもを口で、胸で受け止め続けたのだという。




 ああ、よかった。

 それ以上になる前に発見できて。


 ――心置きなく、一人も逃がさずにぶちのめしておいて!!


 しばらくは柔らかいモノしか食えねぇくらいには、リトリィをけがした連中は全員、ボコボコにしてやった。


「そ、そのメスが誘ったんだ! 本当なんだ! 嘘じゃねぇよ! そいつに聞いてみろよ!」


 ああ、分かってる。リトリィが酔っぱらうとそうなるのは、もう知ってる。

 だから飲ませたくなかったんだっつーの。




 こんなこと、先の長くねぇおふくろには絶対に知られたくなかった。

 二人で示し合わせて、楽しんできたことにした。

 ただ、服についてはごまかしようがない。

 酔っ払いに嘔吐物ゲロを喰らって捨てざるを得なかった、ということにしておいた。


 それでも、どうやってかおふくろは、気づいたらしい。

 いつだったか、泣きじゃくるリトリィを慰めているのを見たことがある。


 それでも、親父と兄貴には秘密だった。

 以後、基本的には街に出るときはリトリィは留守番だった。アイツがそう望んだし、オレもそう主張した。

 荷物が多く皆で街に行くときなどは仕方なかったが、そのときは絶対にオレがそばから離れなかった。


 街の人間なんざ、ロクなヤツらじゃねぇ。

 オレが守らなきゃ、誰がリトリィを守るってんだ。




 アイツは嫁になんか出さねぇ。婿を取るなら認める。

 そう思っていたのに。


「いい加減あきらめろ。あいつも子供じゃねぇんだ。好きな男の子供を産みたいって願う、普通の女だ」

「でもよ……あんな突然転がり込んできたヒョロガリを相手に選ぶしかねぇなんて、なんてアイツは可哀想なんだ! 兄貴はそう思わねぇのかよ!」

「……すこしでもよさげな奴がいたら全力で追い払ってたおめぇが言うかよ?」

「リトリィは大事な妹だ! その婿になりてぇなら、少々のことでへこたれるようなヤツじゃダメなんだよ!」

「でも、リトリィは、今度ばかりはおめぇに譲る気はねぇらしいぜ?」


 あそこまで一人の男に執着するのも初めて見た。

 よっぽど気に入ったんだろう。あんなヘタレ野郎のどこがいいんだか分からねぇ。


「リトリィも、男を知ってるようで初心うぶだからな。奥ゆかしいところがよかったんじゃねぇの?」

「だから、ただのヘタレじゃねぇか!」

「なに、どうせ帰ってくる頃にはオトコになってるだろ。もちろん相手はリトリィでな」

「いーやーだーっ!! 可愛い妹があんなヘタレのオンナになるなんて、ぜってぇに認めねぇぞ!!」

「じゃあ、あいつは一生子供を産めねぇぞ。その責任はとるんだろうな?」




 あーもう、クソッタレ!

 とっとと帰ってきやがれってんだ、リトリィを嫁に取る幸運をくれてやる代わりに、義兄あにきとしてボコボコに鍛え直してやる!!


「だから、そういうところがあいつに嫌われるって言ってんじゃねえか」


 そう言って笑う兄貴など知ったことか。オレはアイツのためなら、鬼人オーガにだってなんだってなってやる。


 リトリィはオレの可愛い妹だ。

 アイツのためなら、オレは――。


「ああ、あと、さっきオレを馬鹿って言ったな?」


 ――ちょ……ま、まて兄貴! 話せば分かる! 分か……

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