閑話⑥:義兄のつとめ(2/3)

「それで、さっきの質問だな。

 ――簡単だ、もうリトリィあいつには時間がねぇんだよ。

 そのうえであいつが選んだ男だ。好きにさせてやりてぇじゃねぇか」


 時間がない? 馬鹿言え、アイツはこれから鍛冶師として立派にやってくだろう。

 兄貴はなんで、リトリィを重病人みたいなことを。

 頭に疑問が浮かぶ。その疑問に答えるように、何度目かのため息をつきながら兄貴は続けた。


「リトリィは獣人族ベスティリングだ」

「それくらい分かってら。オレらより寿命だって長い! なんで時間がないだなんて、そんな!」

「……おいおい、マジで言っているのか? 獣人族は、二十歳を過ぎると、ほとんど子供ができなくなること、知らねえわけがねえだろう?」

「だからなんだ、それとムラタとくっつくことに何の関係があるって――」

「あいつはいま、いくつだ」


 ……そこでやっと、兄貴の言いたいことが分かった。

 なんでオレは気づかなかったんだろう。

 妹が、もう、赤ん坊を産めるぎりぎりの年齢だということに。


 ペリシャさんが四人目を産んだのは、確か二十四のときだったか?

 二十四歳という、子供を産めなくなったはずの獣人の女に、さらにまだ赤ん坊を産ませる。それは、タキイさんの伝説の一つだったはずだ、タキイさんの――神の摂理を捻じ曲げるほどの――絶倫ぶりという意味で。


 ムラタに、そんな甲斐性があるはずもない。

 だとすると、もう、アイツには時間がないという兄貴の言葉が、ずしりと重みをもってくる。


『もう十九になっちゃったの!』


 以前、そうやって泣いたときがあったか。あの時はなぜかムラタの部屋にリトリィがいて、つい喧嘩になっちまったが。


「親父がリトリィを焚きつけるのも、それがあってなんだぜ? おめぇももうちっと、そこらへん考えてやれよ」


 ……アイツが焦ってるのは分かった。

 分かったけどよ、なんでよりによって、その相手があのヒョロガリなんだ。

 頭がいいのは分かるが、それだけじゃねぇか。体は細っこい、力もない。おまけに職人としての矜持もない。ジルンディール工房が迎えていい婿じゃねぇ。


 そう訴えると、兄貴はわざとらしくでっかいため息をついた。


「婿じゃねぇよ。リトリィを嫁に出すんだ。何の問題もねぇだろ」

「おいふざけんな兄貴! リトリィは山にいるのが一番なんだ! 街なんかに住んだって、幸せになれるわけねぇだろ!」

「それは城内街だろ。門外街ならそれほど問題はねぇし、西の村なんかはペリシャさんの故郷だ。獣人も普通に暮らしている」

「それじゃ職人として、まともに生きていけねぇってことじゃねぇか!」

「どんな生き方を選ぶかは、リトリィ次第だ。おめぇも、もう少しオレ達の妹を信じてやれよ」


「……街の人間は、信用ならねえ。アイツへの仕打ちは、絶対に忘れねえ。だから、街に降りるなんて論外だ」

「街の人間は獣人族に冷てぇって話か。そりゃまあ、確かに城内街の連中は、獣人には冷てぇがな」

「――冷てぇだけならいいんだよ」




 ――リトリィの収穫祭衣装を誰よりも喜んだのは、おふくろだった。

 おふくろの胸に患い物ができて、もう長くないって分かった、あのとき。

 だから一昨年前の収穫祭、兄貴が収穫祭の衣装を買ってきて、リトリィに着せた。白を基調にした、紺の、落ち着いた感じのものだった。


 だが襟ぐりが大きく開いていて胸元が強調された衣装には、目のやり場に困った。

 いつもひらひらの一枚布の服だからあまり意識したことがなかったのに、こう、全身をすっぽり包む服を着ていて、それで胸元だけ強調されていると、変な気分になったものだった。


 おふくろは、リトリィのエプロンにつける花束リボンを、左に結わえた。


「女の子なんですからね」


 そう言って丁寧に場所と、その意味を教えた。

 リトリィは、「お母さまのご病気がよくなったら左につけますね」と、真ん中に括り付けちまったが。


 衣装を綺麗に畳み、背嚢はいのうにしまい込んで、オレはリトリィと共に街に出た。


 アイツ自身、街というものに対して、いい思い出がないようだった。だから、普段は街にあまり行きたがらなかった。

 親父のお供をして街に行っても、帰ってくると、決まってあまりいい顔をしていなかった。今にして思えば、獣人族ベスティリングの扱いの悪さに、居心地の悪さを感じていたんだろう。


 だが、おふくろのすすめもあったし、なによりオレが、収穫祭でにぎわう街を見せてやりたくて、オレは渋るリトリィを強引に納得させた。 

 なんで街を嫌がるのか、深く考えもしないで。

 王都というところじゃないなら、大丈夫。――そう考えていた。


 街についたときはすでに夕方、という時刻だったが、街は大いににぎわっていた。

 街じゅうにかがり火が焚かれて、誰もがジョッキを手に浮かれていた。

 街の連中は、まだ旅装をといていないというのに、オレたちに麦酒ビールを振る舞い、歓迎してくれた。


 リトリィは酒癖が少々悪いから、リトリィに回ってくるジョッキは、全てオレが片付けた。リトリィは残念がるそぶりも多少見せたが、酔わせてトラブルになるよりはマシだったから、オレは騎士が姫様を守っているつもりで飲んで回っていた。


 ただ、アイツ自身も、もしかしたら獣人の自分にも平等にジョッキを回してもらえた、ということに、喜びを感じていたのかもしれない。


 いつもの宿をとり、部屋で旅装を解くと、リトリィが尻尾を解放できることに嬉しそうにしていた。窓から下を眺め、その喧騒を楽しんでいるようだった。


 リトリィに、今からでも祭りに出るかと聞いてみたが、今日はもう遅いから、明日にするという。まあ、オレもその日は旅路で疲れていたし、次の日でいいか、と、その日はもう、寝ることにした。

 リトリィは、しかし祭の様子を見ているだけで楽しめるのか、オレが寝るまで、少なくともずっと窓から下を眺めていたようだった。


 翌朝、リトリィは例の衣装を着て、収穫祭に参加することにした。

 花束リボンは、やっぱり真ん中に着けていた。左につけないのか、と聞くと、おふくろの病気が治るまでは、そんなことできないと言っていた。いい人を見つける方がおふくろが喜ぶだろうに、と言ったが、リトリィは首を振った。


「お母さまが大変な時に、わたしだけそんな思いをするわけにはいかないから」


 リトリィは、最初はおっかなびっくりで、祭りに浮かれる連中の様子を眺めているだけの様子でいた。羽根飾り帽子も、耳が隠れるため取りたがっていたが、祭りの衣装の一部だからとかぶせておいた。

 これも、リトリィに祭の雰囲気を味わわせるのには役立った。




 秋の空はどこまでも澄んで青く、街はどこもかしこも酒の匂いにあふれ、誰もが祭りを楽しんでいた。

 麦酒はどこでも無料で振る舞われ、いつもより強く醸造された麦酒が、みんなを開放的にしていた。


 リトリィも、街に来る前はあまり乗り気でなかったのに、屋台を冷やかしたり、みなが歌い、踊る様子を小さく真似したりして、それなりに楽しんでいる様子だった。


 いつも鍛冶場で真剣に鉄を叩いている様子も頼もしくて魅力的だと思うが、一人の娘らしく祭りを楽しむ様子も、可愛らしくていい、連れてきてよかったと思った。


 時折、リトリィを咎めるような視線を感じることもあった。獣人がなんでここにいる、という感じの視線。

 だが、そういうヤツらはオレが睨み返してやると、さっさと逃げていく。こういうときは、自分の傷だらけの顔が役に立つようで、嬉しいような、悲しいような気持ちになった。




 一日もあっという間に過ぎ、日が傾いて暗くなり始めたころ、中央広場では若い連中によるダンスが始まった。


「踊ってこいよ、ここで見ててやる」


 オレの言葉に、アイツは首を振った。踊ったことなんてないから分からない、と。

 そうか、とオレも納得し、しばらく一緒に、ダンスの様子を眺めていた。


 たくさんの若い連中が、次々に踊る相手を変え、気が合ったらしいヤツらから、徐々に広場を抜けていく。抜けていくだけじゃなくて、途中から加わるヤツもいるから、人は減るどころか、むしろ増えていっているようだった。


 もちろん、ダンスに参加するのは若いヤツらだけじゃない。基本的には左リボンの若い男女だが、長年連れ添ったみたいな老夫婦もいたりして、みなが思い思いにダンスを楽しんでいた。


 流れてくる音楽のリズムに合わせるように、リトリィの腰の部分が膨れていた。

 スカートの下で、尻尾で拍子をとっているのだろう。よく見ると、体も小さく揺れていた。皆が踊る、その様子に合わせて。


 オレにダンスの心得は無かったが、アイツはどうも、踊りの様子を見て、それだけでステップを覚えたらしい。


「……踊ってくるか?」

 もう一度聞いてみたら、「アイネにぃも一緒に来てくれる?」とオレを誘う。

 踊り方なんてわからない、と断ったが、アイツはオレの手を取り、「だいじょうぶ、わたしが覚えたから」と、引っ張り込まれてしまった。


 一、二、三、ここで互いに横へステップ、

 一、二、三、ここで互いに位置を入れ替わり、

 一、二、三、ここでくるりと一回転。


 初めてのはずなのに、リトリィの踊りはそれなりにさまになっていた。オレがもたつくのを笑いながら、でもサポートをしてくれる。

 はじめのうちこそ小さめだった動きも、慣れてくるにつれて大きくなってくる。オレの周りでくるくると舞う様子は、しまいには旅芸人の踊り子もかくやと思わせる、大胆で艶のある動きになっていた。


 一曲終わったときには、まわりの視線がアイツに集まってきた。

 相変わらずイヤな目つきのヤツもいたが、大半は素直に称賛する感じで、オレは、自分の妹が周りに認められた気がして、うれしかった。

 ざまあみろ、いまさらリトリィの魅力に気が付いたかよ、と、有頂天になっていたのかもしれない。


 これが、オレの犯した最大の失敗だった。

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