閑話⑥:義兄のつとめ(1/3)

*ムラタ達を送り出したフラフィー&アイネ兄弟のお話です。

*どうしてアイネは、リトリィが山で生活することを望んでいたのでしょうか。

その理由のお話です。






「……なあ、兄貴」

「……なんだ、アイネ」

リトリィアイツはその……嫁に行っちまうのかなぁ」

「何言ってんだお前は。むしろ嫁に行ってもらわなきゃダメだろ」


 星を見上げながら、オレはため息をついた。


 『アイネにぃ』


 そう言って、自分の後ろをついて回っていた彼女は、もういない。

 こんな、刀傷だらけの顔のオレを怖がったりせず、どこに行くにも後ろについてきた、あの可愛い妹は。


 もちろん、今も可愛い。いや、可愛いじゃないな、美しくなった。

 性格もいい。自分のことよりも人のことを優先して考えてくれる、賢く優しい、自慢の妹だ。


 なのに、最近はあのヒョロガリに夢中らしくて、特に俺に対する態度が雑すぎていけねぇ。

 なにが『アイネ兄さまもご自分でお代わりをしてください。みんな、自分でしています。お兄さまだけです、わたしに命令するのは』だ。あのヒョロガリのお代わりは、皿を奪ってでもリトリィおめぇがするのに。


「い、いや、オレは別に嫁に出すこと自体は問題にしてねぇんだよ。相手があのヒョロガリってのが……」

「いいじゃねぇか、オドオドしてるだけで、わりぃヤツじゃねぇだろ」


 相手があのムラタのクソ野郎ヒョロガリであるという事実を、しかし兄貴は特に気にする様子もない。

 いや、気にしてくれよ。可愛い妹の旦那になる男が、あんなヒョロガリだなんて。


 親父に拾われてこの山に来て、あんなにおびえて暮らしていた子が――やっと一人前になれそうだという、可愛い妹が。

 よりにもよって、どこからやってきたかも分からねえような、ふらりと現れたあんな野郎に奪われるんだぞ?


「いや、あのリトリィを任せるんだ、もっとこう、どんなヤツからも守ってやれるような、そんな強い男じゃねぇと――」

「そんなバカなことばっかり言ってるから、リトリィに嫌われるんだぞ」


 呆れたように言う兄貴に、俺は目を剥いた。

 そりゃねぇぜ。

 オレがこんなにもアイツのことを心配してんのに。


「き、嫌われてなんかねぇよ……!」

「あいつがムラタのことが好きなの、知ってんだろ?」

「そ、そりゃ……まあ」

「自分が好きな相手を、ボコボコにする兄貴。好かれると思うか?」


 ……アイツのためなんだよ!

 第一、理由があるんだ! 俺にも言いたいことがある!


「待てよ兄貴! あのクソ野郎がリトリィを泣かしてんだぞ!? 許せるか!?」

「あいつは――それでもムラタの奴が好きなんだよ。ムラタはムラタで、変に考えすぎて嫁に取れるかどうか悩んでるみたいだが、まぁ、今回の旅ん中で覚悟決めてくれんじゃねぇか?」

「兄貴……オレはリトリィが幸せになるならいいんだ。だけどよ、アイツはリトリィを何度も泣かせたんだぞ? そんなヤツ、信用できるか?」


 そう。ヤツは変な矜持みたいなものを持ってるのか、あの可愛い可愛いリトリィがどんなに誘ってもヘタレるらしい。

 それどころか、日本に帰るからリトリィはいらん、とかなんとか、とにかくそんなふざけたことを抜かしやがった。


 オレの――オレたちの可愛い妹がいらねぇだと? ざけんな、あれ以上イイ女が他にいるかってんだ。クソッタレ、嫁にするのに何が不満だ、あのヘタレインチキ野郎め。


「だから言ったじゃねぇか、ムラタは考えすぎるって。

 ――アイツの国はよ、獣人が一人もいねぇって悩んでたじゃねぇか」


 確かに言っていたが、それがどうしたと言いたい。

 そんなこと、リトリィを嫁にすることと何の関係もないだろうに。


 すると兄貴は、ため息をついた。


「……おめぇ、リトリィのことになると途端に考えなくなるな、リトリィを嫁がせたいのか嫁がせたくないのか、どっちなんだ。

 例えばよ。おめぇ、オレがイノシシに全力で惚れて、イノシシを嫁にするって言いだしたらどうする?」

「はぁ? イノシシ? いくら兄貴が馬鹿だからって、それはありえねぇ話で――」

「よし後で覚悟しとけアイネ。

 ――それだよ。ムラタはそれを恐れてんだよ。ヤツの国には、リトリィをってことを」


 ……つまり、アイツがリトリィを連れて帰るっていうのは、兄貴がイノシシを嫁にすると言い出すのと同じくらい――

 ……ああ、か。


「……リトリィを嫁に取るのはいい、だが国に帰った時、『リトリィを守る』、ただそれを貫けるかどうか、それを心配してんじゃねぇか? 無邪気に『できる』ってところに、オレはムラタなりの誠意を感じるぜ?」


 ……いや、それでもそこは、『守る』って言わなきゃダメだろ?

 そう突っ込むと、兄貴はため息をつきながら続けた。


「そりゃそうだ。オレも言ってほしいさ。だけどよ、その慎重さも、ムラタのいいところなんじゃねぇか?」

「アイツは慎重なんじゃなくて、臆病なだけだろ」

「馬鹿おめぇ、そこは慎重ってことにしといてやれよ」


 初めて兄貴がゲラゲラと笑う。

 青い月に照らされた冷たい世界だが、兄貴が笑う声が響くと、そう冷たくも感じられないから不思議だ。


「……オレだって、奴にリトリィをくれてやるのはもったいねぇとは思うが、あいつが選んだ男だ。認めてやるのも兄貴の度量ってやつだぞ」

「正直に言うとオレはイヤだ」

「正直もクソもねぇよ。じゃあ、そうやって言って、帰ってきた二人に別れろっていうのか? いくらムラタがアレでも、二人きりで旅して宿に泊まってくるんだ。さすがに関係は進むだろ。そうなったらもう、リトリィは絶対に譲らねぇぞ?」


 いや、リトリィの頑固っぷりは俺も知ってる。

 だけどよ、それでも忠告する人間が、一人はいなきゃならねぇじゃねぇか。

 あんなヘタレだぞ? またリトリィを泣かせてるに決まってる。


 だいたいだ。もう六日目を過ぎちまった。にもかかわらず、まだ帰ってこねぇ。どうせ向こうでムラタがタキイさんとトラブルになったに違いねぇ。

 リトリィも、今頃愛想が尽きてるんじゃねぇか?


「……それでもアイツは、惚れてるんだよ。そこまで想ってくれる女が手に取れる場所にいるんだ、男がどこにいる」

「ムラタ」


 そこは何故か信頼が持てるヘタレ男だ、きっと俺の信頼を裏切らないに違いない。


「……まあ、今まではそうだったけどよ。そこらへんはリトリィも分かってるさ。おめぇがいねぇんだから、リトリィも、おめぇにアイツがぶん殴られる心配をする必要がねぇ。むしろアイツをかもな」


 やめてくれ、そんな事態は考えたくもない。

 だが、避妊具を渡しておいて、いまさらなんにもせずに帰ってこい、なんて通用するわけがないだろう。あとはあのヘタレが、ヘタレを守り通せばいいんだが、敵に敵の奮闘を望むっていうのは腹が立つじゃねぇか。


「なあ、兄貴。なんで親父も兄貴も、リトリィを焚きつけるんだ。アイツは原初プリムだぞ? ヒトと一緒になっても、幸せになれるかどうか分からねぇんだぞ?」

「幸せになれるかどうかはおめぇが判断することじゃねぇよ。ペリシャ夫人を知ってるだろうが」

「……そりゃあ、まあ」

「オレはよ、リトリィに、タキイさん夫婦……あんな風になってほしいんだよ」


 兄貴の言葉に耳を疑う。

 あの、タキイさんを尻に敷いてる、あの人みたいにか!?

 リトリィはもっと優しくて可憐でお人好しで、ペリシャさんとは全然違う性格だ。


「……そんなことはないぞ? 結構似た者同士じゃないか?」


 そう言って兄貴は真顔になると、顎に手を当てて何やら考えながら続ける。


「……ペリシャさんほど表立って男の尻を叩くような真似はしねぇけど、リトリィも、一歩下がって男のそばで従順に控えてるフリをして、上手に男を操作する感じ――だよな?」

「兄貴! それじゃリトリィが腹黒い女みたいじゃねえか!」


 思わず抗議する俺に、兄貴はまた、ゲラゲラと笑う。


「馬鹿、それくらい賢いってことだよ」

「いいや兄貴! 今の発言は取り消せ! リトリィは純真なんだ! あんまりにも純真だから、周りがほっとかずに世話を焼いて、それで操作されてるように見えるだけだ! そうに決まってる!」

「そうやって自分に言い聞かせなきゃ弁護できねぇあたり、おめぇも分かってるじゃねぇか」


 ゲラゲラ笑う兄貴。これで「自分は技、知恵はアイネ」と言ってのけるのだから、時々腹が立つ。

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