第99話:「美しい」はつくれる

『トイレの立て付けの悪いドアを蹴破ったら小屋全体が崩壊しました』


 そんな、頭の悪い寝言みたいなことを信じてくれるとは思えなかったが、実にあっさり認められた。

 持ち主のナリクァンさんの笑顔の一言で。


「あらあら、持ち主の言うことを信じないなんて。あなたの上司はどなた? いますぐこちらに呼んでくださる?」


 これで一発でした。恐ろしいものを見せつけられている気がする。


「トイレの扉を蹴破ったら、本当にこの一軒全部が壊れたんですか?」


 呆れた様子の調査官は、特に時間をかける様子もなく、「……がれきの撤去を要す、と……」と、あっさりサインをくれた。

 調査間の派遣までの準備と称した時間のほうが、よほど長かった。これぞまさしくお役所仕事と言えるのかもしれない。


「やはり木造は信用できませんな」


 という言葉には、まあ確かにそう言われても仕方がないとは思う。そりゃあ、石造りレンガ造りに比べれば、長持ちはしないかもしれない。

 しかし、石造りの家でも内装は木、という家も多かろう。なにせ今泊まっている宿がそうなっているしな。石の壁より、木のぬくもりのほうが落ち着くというものだ。


 それにしても、ざっと見た感じ、やはり大きな礎石を地面に等間隔に置き、その上に柱を立てる形で作られていたのが分かる。

 まさに軸組工法だ。床下もきっちりある。まるで日本家屋のようだが、日本家屋と違うところは、壁が家の中にまできちんとあったことだ。


 日本の伝統的な家屋は、実質、柱と外壁しかない。家の中には廊下もほとんどなく、部屋と部屋とをふすまで仕切っていただけだった。

 あんな気密性ゼロの家で、よく昔の人は凍え死ななかったものだ。いかに雨を凌ぐか、夏の暑さをやり過ごすかだけを重視していたことが分かる。


 それに対して、俺が今回の建て替えに使う技術は、ツーバイフォー、つまり木造枠組壁構法のアレンジだ。

 出来上がる建物の自由度を確保するのはやや難しいが、その代わり難しい技術はいらない。出来合いの材料を組み立てるだけ。

 製材屋も確認したし、あとは資材さえ交渉できれば、小屋の残骸を片付ければすぐにでも始められるはずだ。


 ……ところで、リトリィはどこに連れていかれたんだ?

 もう夕方になるが、後片付けどころかいったいどこに何をされに行ったのか、とんと見当がつかない。

 奥様方に引きずられていくときの話からすると、どうも美容室か何かに連れていかれるような感じだったが。


「ふふ……リトリィさんが気になりますの?」


 ペリシャさんが、何やら楽しげに聞いてくる。

 そりゃそうだ。大切な女性が、俺のあずかり知らぬところで、何をされているのかが分からないのだ。気にならない方がおかしい。


 ところが、俺の返答にペリシャさんは、つまらなそうな反応を示した。


「大切な女性、ね。リトリィさんが聞いたら、泣いて喜びそうな言葉ですわ」


 先ほどの楽しげな表情が、引っ込んでしまっている。


「あの、私、なにかおかしなことでも言いましたか?」

「別に? ただ、大切なだけなのかしら、と思っただけですわ」


 ……言われている意味が分からない。

 リトリィは俺にとって、大切な女性だ。日本に帰るのと彼女を取るのではどちらか、と今聞かれたら、……あれほど帰りたいと願っていた日本を選ぶことは、難しいと思うくらいには。


「大切、などという言葉よりも、もっとふさわしい言葉がおありでしょうに。女心というものを、もう少し考える必要がありますわね、ムラタさん?」


 なんか俺、叱られてるよ。もっとふさわしい言葉っていうと……?

 ええいくそ、ヤケクソだ!

 俺は彼女を選んだんだ、今さら恥ずかしがっていてどうする!

 自分の殻をぶち壊せ!


「ええと、その、……コホン。

 私の愛する彼女の姿が、いまだ見えないのです。心配してはおかしいでしょうか?」


 その俺の答えに多少満足してもらえたらしい。ペリシャさんは、「こちらへいらっしゃいな」と、俺の前に立って歩き始めた。




 看板に、髪の長い女性の絵が描かれている店の中に入る。おそらく美容室だろう。

 そう思って入ったら、そこにリトリィの後ろ姿――衣装合わせをしているところだった。


 ただ、一目見てリトリィだと分かったものの、その姿は俺の記憶にあるリトリィとまるで違っていた。


 あのふわふわに膨らむ、やや癖の強い金の髪は、ゆるくウェーブがかかる、ふわりとしたストレートヘアに近い状態になっていた。


 尻尾は逆に、いかな処置によるものか、いつもよりずっとボリュームが出て、空気を含んだ毛が広がっている。


 顔自体の毛は艶の増した、しっとりとした様子なのに、頬からあごにかけての毛はいつもよりふわりと広がり、喉から下の胸元の毛並みも、ボリュームが増している感じがする。


 全体的に毛艶もよくなっているような感じで、普段よりも柔らかそうなふわりとした金色の体毛は、どこか透明感すら感じられる。


 そして、麦刈り鎌のプレゼンターを務めたときのあの衣装に似た、白を基調としつつ、金糸、銀糸の刺繍で彩られた服を身にまとい、薄く透けた白いべールをかぶっていた。


 服の生地は絹だろうか。独特の光沢をもち、リトリィが縫う刺繍とはまた違った、華やかさを持つ花の刺繍が随所に施されている。花は桃色、金色、水色などの淡い色が基本だが、白が基調の布地のため、アクセントとしてよく映えている。


 腰には――つまり、に、これまた繊細な花束を模したリボンが下がっている。


「やっぱりお嫁さんはこうでなくちゃ」

「ほら、旦那様がいらしたわよ」


 などと、奥様方に冷やかされながらブーケを持たされたリトリィが、困ったような顔でこちらを振り返る。


 これまた大きく胸元の開いた襟ぐりで、そのまわりは繊細なレースで縁取られ、ぎりぎりにこぼれそうな胸の先端を覆うようにしているのが実に挑発的だ。

 俺から見て体はちょうど真横に向いた形だったため、その先端の突起が隠れるぎりぎりなのが、本当によくわかる。

 誰だこんな限界を計算をして服をこしらえたやつは。グッジョブ過ぎる。


 リトリィはというと、俺と目が合うとたちまち真っ赤に顔を染め、うつむいてしまった。


 何と言えばいいんだろう。常日頃、彼女を魅力的だと考えてきた俺だけど、こうして磨き上げられた彼女を見ると、美しさというものは、努力によってつくり出されるものなんだと実感させられる。

 彼女のふわふわ、もふもふの体毛も、本当は、彼女の丹念なブラッシングによってつくられているのかもしれない。アイネは「何もしてない」なんて言ってたけど。


「あれですね……収穫祭で着る服に似ていて、とても可愛らしいですね?」


 思わずペリシャさんにそう言うと、ペリシャさんはどうだとばかりに胸を張る。


「そりゃあ、この国の誇る民族衣装ですから、“お嬢さんの晴れ着フラウディル”は。本来はこの通り、花嫁衣裳なんですよ?」


 ……花嫁衣裳?


「……え? ペリシャさん、これって――」

「とってもかわいらしいでしょう? リトリィさんのための、一点ものよ? いつもお世話になっているジルンディール工房から出すお嫁さんですもの、これくらいのお祝いはさせていただかなくてはね」


 俺たちが役所でイライラ待たされたり潰れた小屋の前で皮肉を言われたりしていた間、彼女はこんなになるまでに徹底的に磨き上げられていたというのか。


 呆けたようにリトリィに見入っていた俺は、ペリシャさんに肘でつつかれた。


「……ほら、何とか言っておあげなさいな。になる娘さんなんですよ?」


 ……お嫁さん?

 この美しい女性が、俺の――妻になる……?


 もちろんそのつもりでいたはずなのだが、これは何かの冗談か、夢ではなかろうか。

 そんなふうに、現実感がない言葉として、一瞬、自分の頭を素通りさせかけた。

 その気になってハイとでも言おうものなら、モニタリングでしたとか、そんなオチが炸裂するような。


 そんな頭だから、当然口を突いて出た言葉も実にありきたり、我ながら本当につまらないものだった。


「ああ、リトリィ……、綺麗、だよ。――とても」


 となりで、ペリシャさんがわざとらしいため息をつく。もっと気の利いたことを言えとでもいうように。


 そんなこと、せめて事前に教えてもらえていたら、少しは考えておくこともできただろうに。

 アドリブで瞬時に、女性にとって気の利いたことを言えなんていわれって言われも、つい最近まで年齢=童貞歴だった男に、そんなセリフなんて言えるわけがないだろう!


 だが、リトリィはなにか感じ入るものでもあったのか、口元を両手で覆ってそのままぼろぼろと、大粒の涙をこぼし始めた。

 ぐあ、またやらかした! だから事前準備が必要だったのに!


「うれ、しい、です……」


 リトリィの言葉に、さらに混乱する。

 ――嬉しい?

 じゃあ、どうしても涙を……。

 戸惑う俺を、リトリィは、嗚咽まじりに、だが、笑顔で見上げた。


「はじめて、あなたに……きれいって、言ってもらえた……!」

「まあ! いままで一度も言われたことがなかったの?」

「なんて鈍い旦那様なんでしょう! リトリィさん、いままでよく我慢していたわね」


 奥様方のわざとらしい悲鳴が上がる。

 ……いや、その……ごめんなさい。


「リトリィさん、せっかくの衣装が台無しになってしまうわ。泣くのは、結婚式までとっておきなさい?」


 フォロニアさん、だっけか。さっき、リトリィをずるずると引っ張っていった、パワフルな奥様。ハンカチで、リトリィの目元を拭く。


「私たちが、式もしっかり面倒を見て差し上げますからね。なにせあなたは、ペリシャさんのお気に入りなんですから」

「そうそう。ペリシャさんのお気に入りなら、私たちにとっても可愛い孫みたいなものよ? 結婚式までに、淑女としての立ち居振る舞いを、しっかり仕込んであげますからね?」

「ああ素敵、結婚式はいつ頃がよろしいかしら!」

「春先、シェクラの花が咲くころはいかが?」


 ……どうしてこうなった?

 目を白黒させているリトリィを囲み、奥様方は楽しそうにあれこれと世話を焼く。

 今度は装飾品を見繕いだしたようだ。あれこれとっかえひっかえ、身につけさせられている。


 今日は、小屋を建て替えるための交渉をしたりするための一日になるはずだったのに。

 どうしてその夕方、結婚式の日取りを決められているのだろう。


 ――でも。

 でも、これで。

 俺は、彼女を迎えるための覚悟を、固めるステップを踏むことができた――そんな気がした。

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