第100話:君の居場所は、俺がつくる
「……疲れた、本当に、疲れた」
宿に戻った俺は、もう何も言う気力もわかずにベッドに突っ伏す。
肉体的にというより、あの奥様集団に合わせるという、神経的に磨り減る一日だった。
特に、最後。
なんで俺まで衣装合わせをせねばならなかったんだ。
そんなもの、当日だっていいだろうに。
男の衣装なんて、着れりゃいいんだよ着れりゃ。
もう、覚悟は決めたのだ。それでいいじゃないか。
俺はオマケだ、華やかなのは花嫁だけでいい。
部屋に入った途端、崩れ落ちるようにしてベッドに突っ伏した俺の傍らに、リトリィが腰を下ろす。
「ご、ごめんなさい、ムラタさん」
申し訳なさそうなリトリィ。
いや、君のせいじゃない。
……まあ、どうせいずれは通る道だったんだろう。
なんといっても素晴らしいのは、あの奥様方が関わったせい――もとい! 奥様方のおかげで、ほとんどカネを使わずに、一足跳びに結婚の準備が進んでしまったことだ。
式を挙げるためにはどうせかなりカネを貯めなきゃいけなかっただろう。
たとえ、とりあえず夫婦となったことを宣誓するだけで披露宴を後日行うということにしたとしても、やはりカネは相応に必要だったはずだ。
家造りに関わると、様々な家庭の事情を知ることになるのだ。
親の土地を譲り受け、親の金でポンと三千万円ほどの支援を取り付け、実質ほぼなんの努力もなしに土地と家を手に入れるような奴もいる。
かと思えば、二人きりで長い年月、ローンを払う覚悟を背負わねばならぬ人たちもいる。
俺が日本で最後に仕事を請け負った若夫婦――
特に旦那さんの方は、両親を早くに亡くしたらしい。俺も母を思春期の頃に亡くしたから、その悲しみと苦労は想像できる。
苦労に苦労を重ねてきたからこそ、自分の家をはやく持ちたかったのだろう。誰にも邪魔されない、二人の愛をはぐくむ砦を。
――自分たちが生きていく、その居場所を。
予算、わずか一千四百万。たったそれだけしか彼らは
だからこそ俺も、全力を尽くした。
あの奥様方のお節介焼きは、本当に付き合うのが疲れた。
だが、他人の世話を焼きたがるということは、それだけ、心満たされる何かを欲しているということだ。心理学でいうところの防衛機制、この場合は愛他主義だろうか。あの方々も、実は寂しいのかもしれない。
ナリクァンさんも、夫を亡くされて今は独り身のはずだし、今日のことも炊き出しも、誰かに認められたいという思いの延長からなのかもしれない。
ペリシャさんが炊き出しに参加する理由はよく分からないが、しかしお子さんはもう全員巣立ってしまったようだし、似たような理由なのだろう。
ひとへのおせっかい――そうすることで、自らの居場所をつくっているのではないか。そんな分析、大きなお世話だと言われそうだが。
だが、あの若夫婦のために必死になっていた俺も、たぶん同じだ。
街中のバカップルなんかを見るとリア充死ねとか思ったりしていたが、自分たちの未来を築く「家」のために人生をチップにして大きな賭けに出る彼らには、できる限り支援したいと願った。
彼らの居場所は、俺がつくる――その思いで。
それは、俺自身が手にできない――そう思い込んでいた幸福の、代償としたかったからだろう。
俺には手に入らないと思っていた幸せを、ささやかながら手に入れようとする人たちの願いをかなえることで。
当時はそんなことカケラも思わず、家造りのプロの端くれとしてのプライド、というつもりで頑張っていたが、こうして現場を離れてみると、いろいろ、過去の自分が気づかなかったものがみえてくるものだな。
――ま、こうやってベッドにうつ伏せて、したり顔で考えているこの瞬間のことも、いずれはケツの青いことだと笑う日が来るのかもしれないが。
……それにしてもだ、あの花嫁衣裳に、結婚式をバックアップしてくれるという約束。
もし、本当にそれを得てしまったら、リトリィはともかく、俺は奥様方には一生、頭が上がらなくなるだろう。
だが、それでも金銭的バックアップが得られるメリットは計り知れない。あの花嫁衣裳、本当に綺麗で可愛らしかった。ところどころ、真珠っぽい宝石が縫い留められていたし、純白の生地は細かなレースとフリルがふんだんに施され、金糸、銀糸がアクセントとなって彩を添える。
あんな上等な花嫁衣裳、俺のこれからの稼ぎだけでは、到底与えてやれそうにないだろう。
あれに身を包んだリトリィと、結婚の誓いを交わす――実に楽しみだ、実に!
「あ、あの……ムラタさん? お疲れですか? もう、お休みになられますか?」
どこか寂しげなリトリィの声に、彼女に向けて体を転がすと、戯れにその膝に頭を載せて、そんなわけない、と、顔に向けて手を伸ばす。
彼女も心得たもので、俺の手を頬に当てて自分の手を重ね、微笑む。
そっと、首をもたげてきたリトリィに対して、こちらも少し口を開き、その舌を迎え入れる。
あんなに、関係を
俺はいったい、何を恐れていたのだろう。
彼女の体は、とても熱い。
人間よりも体温が高いのだろう。
唇を重ねる、その瞬間に交わす吐息も、熱を帯びている。
もしかしたら、彼女の体温は四十度近くあるのではなかろうか。
彼女の中にいる自分だけ、熱い風呂に入っているかのようだ。
「ムラタさん、ムラタさん……!」
切なげにすがりついてくる彼女を抱きしめる腕に、一層、力がこもる。
二度と離すまいとばかりに、俺も彼女の名を呼びながら。
このぬくもりを、どうしてもっと早く、味わおうとしなかったのか。
いつも彼女の方から、積極的に求めてきてくれていたというのに。
『どうして、唇以上を許してくださらないんですか!!』
なぜかといえば、ただ怖かっただけだ。リトリィに、他の男と、比較されるのが。
たったそれだけのことだった。ちいさな、つまらないプライドを守るためだった。
色々とくだらない言い訳ばかりを考えて、本当に大切なことを、見失っていた。
唇以上の関係を拒否してきた童貞の思考は、今更だが、本当に非合理的だった。
だからこそ、昨日まで取りこぼしてきた分を、取り戻すように今、抱いている。
――好きだ。愛している。
こんな簡単な言葉さえ、恐れていた。
今では何度言っても、言い足りない。
息継ぐ間も惜しみ、訴え続ける。
リトリィだって、それは変わらない。
それどころか、互いに愛を交わし合う。
ひたすらに、名前を呼び合って。
お互いに、相手への想いを訴え続ける。
好きだ、愛してると、言葉に全てを託し。
ああ、リトリィ、愛してる。
このぬくもりを、放すものか。
このぬくもりを、他に渡すものか。
手に入れたいと、思い描いてきた存在。
それがリトリィ、俺が愛してやまない女性。
どれ程抱いても、抱き足りない、俺だけの天使。
こうして、一つになる意味。
一回一回が、ずっと共に生きていく誓いだ。
――愛している、リトリィ。
だから、君に。
いつか必ず、俺の証を、刻んでやる。
もう、迷わない。
この世界の、君の居場所は、俺がつくる。
( 第一部 了 )
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