第91話:さけび
「ほとんど手直しもなくて、良かったですね」
リトリィの言葉にうなずく。
やはり、あの建物は「公民館」のようなものを想定してよかった。
最初に見せたときには、誰もが首を傾げていたが、想定する使い方を説明すると、納得してもらえた。
跳ね上げ式のガレージドアは馴染みがない方式らしく、結局普通の両開きのドアになった。
しかし、キッチンが外と直接つながる方式は、炊き出しに便利だ、完成が楽しみだと、なかなかの好評ぶりだった。
昨夜の努力は報われた、それが実感できただけでもうれしい。
もう覚えた宿への道とは反対の方に曲がる。
リトリィは戸惑い、きょろきょろしたが、何も言わずについてくる。
今日、世話になった瀧井さんに、礼をしなくては。
一緒に飲んだあの店の、日本酒みたいな酒をひと瓶、買っていくのだ。
「お酒……ですか?」
リトリィの声に少し、棘を感じる。
う……違うんだリトリィ、誤解しないでくれ。
「俺が飲むんじゃない、瀧井さんに贈るんだ。今日、世話になったからな」
俺の言葉に、あからさまに安堵するのが可愛らしい。
瀧井さんの部屋のドアをノックすると、何やらどたんばたん、がちゃがちゃものが倒れる音がして、ややあってペリシャさんが荒い息で出てきた。
慌ててまとったかのようなローブに、少し、ドキッとする。
「あ、ああ、ムラタさん!?」
なにやら、月明かりでもわかるしっとりと濡れた様子に、湯浴み中だったかと申し訳なくなる。
手早く、昼間、瀧井さん夫妻に世話になったことの感謝を伝えると、瓶を渡した。
ただ、リトリィはペリシャさんが出てきたのを見て驚き、すぐにうつむいてしまったし、ペリシャさんはペリシャさんで、そんなリトリィを意味ありげに見つめて笑っていたのはなんだろう?
「がんばってね、って、どういう意味だったんだろうな?」
帰り際、ペリシャさんが投げかけてきた言葉の意味。あれだろうか、設計の手直しのことだろうか。
「……あの、お気づきに、なりませんでしたか?」
「ごめん、何に?」
「……その、あの……あのとき、たぶん、その……」
俺の腕に絡めた彼女の右腕に、力がこもる。
「……えっと、その……。ご夫婦で、
「ふぅん、ご夫婦でお楽しみに――」
言いかけて、「はあ!?」と叫んでしまった。いや、誰だって叫ぶだろ、あの年で!?
「だって、ペリシャさんについていた瀧井さんの匂いがすごく強かったですし、それに、その、あの匂いは……その、女の人の……だと……」
――ああ、リトリィはやっぱり鼻が利くんだな。
「は、はは、は……まあ、オトコは生涯現役だっていうし」
「……うらやましい、です……」
ずぐっ、胸に特大の投げ槍が突き刺さる。
ここ最近いろいろあって、二人っきりなのにまともに向き合って眠れていないことを思い返す。
「い、いや、リトリィ、俺たちもさ、結婚すれば……」
「いつ、ですか?」
リトリィが、真剣な目で、問いかけてきた。
――哀しいほどに、真剣な目で。
「いつって、それは……」
「いつですか?」
「そう、だな……とりあえず、この仕事が終わったら……」
「それは、いつですか!?」
「……リトリィ?」
「お昼の、
――絶叫だった。
あれからもう、リトリィの言葉は言葉にならず、ただひたすらに泣き叫び、連れて帰るのに大変な労力を要した。
あのクソガキ連中の言葉、頭からすっかり抜け落ちていた。
――二十歳をすぎると、妊娠しなくなる。
この表現は不正確だろう。
おそらくこうだ。
『二十歳を過ぎると、妊娠
リトリィが、あれほどまでに体の関係を切望していた理由。
……知らなかった、だから仕方ない。
確かにそう、言えるだろう。
だが、今日の昼、俺は知ったのだ。
リトリィの種族ゆえの、タイムリミットを。
そのうえで、何を頑張れと言われたか、分からない?
……分からないほうが馬鹿げている。
宿に帰ってきてからも、リトリィはずっと泣いている。俺が忘れていた、ということが、それだけショックだったのだろう。
何を話しかけても、ただ首を降るだけで、何も答えない。
今夜も湯浴み用の湯はもらったが、今はまだ、手付かずのままだ。
ただただ、ベッドに腰掛けたまま、静かに泣き続けている。
「……ムラタさんは、わたしと夜を過ごすことは、お嫌なんですね……」
「……え?」
確かに俺が無神経だったのかもしれないが、リトリィの言葉には心底唖然とした。
「あ……いや、なんでそうなるんだ?
リトリィ、君とはもう、何度も一緒に寝ただろ? ほら、嫌ってなんか――」
「でも……抱いてくださったことは、一度もありません」
ぐ……。
痛いところを突かれる。
いや、それは――
「やっぱり、わたしが
「それは関係ない!」
思わず立ち上がりかけ、咳払いをして、またベッドに腰を下ろす。
「俺は、リトリィがそうだから嫌だとか、一度でも言ったことがあるか? 俺がそんなことを理由にして、君を嫌ったことがあったか?」
「ない、です。……でも」
しゃくりあげながら、リトリィは泣き続ける。
「でも、不安、なんです。
だって、わたし、ムラタさんとは、違うから……獣人族だから……!」
「だからそんなこと、今まで一言だって――」
言いかけた俺に、リトリィが再び激昂した。
「じゃあ、どうして抱いてくださらないんですか! どうして、唇以上を許してくださらないんですか!!」
「それは……」
「わたしが獣人族だから、というのが理由ではないなら、何が理由なんですか!? やっぱり、わたしがあなたの赤ちゃんを産むなんて、許されない――そう言いたいんですか!」
こんなに感情を爆発させるリトリィを、俺は知らない。彼女にとって、もう時間が少ない。それはわかったが、そこまで思い詰めていたなんて。
「……リトリィ、ごめん。今まで、どうしてリトリィが積極的だったか、俺、知らなかった……。さっきも、無神経だった」
これ以上言い争っても無駄だ、まずはお互いに落ち着こう。
そう思って、努めて冷静に話をしようとした。
「俺は、リトリィと、もっとゆっくり、気持ちを育んでいけるって思ってたんだ。ゆっくり分かり合って、それで……」
――だが。
「……今までのことじゃ、足りないって言うんですか?」
「……リトリィ?」
「今までのことだけじゃ、足りないって言うんですか!? あんなにいろいろあって、分かりあえて……それで、わたしのこと、好きって言ってくれたんじゃなかったんですか!?」
「もちろん、リトリィ、君のことが好きだ、だから……」
「だったら、どうしてあんな……いつになるかわからないような事を、平気で言えるんですか!」
「リトリィ、俺は……!」
言いかけた俺の言葉を拒絶するようにリトリィは耳を押さえ、叫んだ。
「知らない!
聞きたくない!
ムラタさんなんてだいっきらい!
あなたは結局、ただ優しいふりをしてるだけ!
ひとの気持ちなんか考えようともしないで、ただその場をやり過ごしてるだけ!!
結局、なんにもしてくれない――」
目を閉じ、頭の上の耳を押さえ、首を振るように絶叫していたリトリィだったが、最後には、言葉に力がなくなる。
自分の言った言葉を、自分で聞いて、そして、何かに気づいたように。
うつむいたまま、ゆっくり目を開いて。
おそるおそる、俺の方に顔を向けながら。
「ちがう……ちがうの……。わたし、こんなこと、いいたかったんじゃ……」
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