第80話:連れ合い(2/2)

「あれと正式に結婚したのは――あれの成人まで、あと半年ほどだったころか。許可を取らねばならぬはずのご両親がすでに鬼籍だったのでな、いろいろ手続きは面倒だった。

 ……まあ、倫理的な問題もあってな。周りからはいろいろ言われたものだよ。わしらのことをよく知るごくわずかな人たち以外のすべての人間に、眉をひそめられたくらいだ。程度のほどが分かるだろう?」


 瀧井さんは、しばらく黙ってコップを傾けていた。

 いろいろ思い出すこともあるのかもしれない。

 成人まであと半年――日本は成人年齢と結婚年齢が食い違っているから同じ基準にはできないが、強いて言うなら、もう少しで十六歳になるというのに、誕生日を待たずに結婚式を挙げようとしたということだろうか。

 ――まあ、それはたしかに、眉をひそめられるかもしれないが。


 だが、瀧井さんは首を振った。


「そうじゃない。年齢なぞ、目安にすぎん。十五になっているかどうかなど、そんなことにいちいち目くじらを立てる奴などおらん。

 ――を嫁にする、という意味でだ」


 あ、そっち?

 というか、結婚してもいい年齢を迎えていなくても誰も気にしないって、そんな適当でいいのか?


「――まあ、当時は本当に、周りにいろいろ言われたものだった。だが、そのときにはすでにずいぶん腹も大きくなっていたし、生まれてくる我が子を父なし児にするわけにもいかんかったからな」


 なるほど、結婚を前倒しにしたのは、子供ができたからか。まあ、それなら納得だ。


 ただ、王都ではそもそも獣人――ペリシャさんとの結婚自体が「倫理的に(年齢的に、ではない!)」認められなかったので、身重な彼女をいたわりつつもこの街まで戻ってきて、ようやく結婚できたのだという。


 しかし、「倫理的」な問題をいろいろ言われた、か。

 やっぱり、、という扱いなのか。街で蔑むような目で見られていたのは、そういうわけか。


「いや、ここも門外街なら、そうでもない。城内街は、それだけ伝統ある街という意味で、気位の高い輩が多くてな」


 気位、ねえ……。腹の立つことだ。いわゆる意識高い系、というやつか。


「ふん……そうやっていちいち不快感をあらわにしておるのは若くてよいが、衝突も生む。

 異端なのは自身なのだという謙虚さを持たんと、いつか足を掬われるぞ」

「……親方みたいなことを言いますね?」

「ジルアン殿にも同じことを言われたか。では、ますますその意固地さは本物よな」


 からからと笑う瀧井さんだが、瀧井さん自身も異端の人間ということを自覚しているのだろうか。


「そうとも。自覚しているぞ? そもそも我らは日本人、この世界からしたら異端も異端、異端の最右翼だろう?」

「……ええ、そうですとも、千年前からケモノを嫁にする、我ら千年変態種族ですよ」

「――なんだそれは?」

「ええ、鶴に亀に蛇に狐、蛙にはまぐり、果ては天女に雪女。日本人って、よっぽど人外の嫁が好きだったみたいですね?」


 瀧井さん、目が点になっている。

 この人でもこんな表情をするのか、面白い。




 結論。

 獣人の嫁さんというのは、らしい。

 ヒトとの間では、子供ができにくいからだそうだ。

 特に新婚時には、毎晩干からびるのを覚悟せよとの仰せだった。


「あれがまさにそうなんだが、獣人ってのは情の深いやつが多くてな。多夫たふ多妻たさいめかけも一応認められているこの世界だが、しかしそれでも――いや、だからこそ、一番の愛を求めるのは、特に獣人に多いだろう。わしは一途にあれを愛したつもりだが、それでもいろいろ疑われて大喧嘩をしたこともあるくらいに、だ」


 ……多夫多妻とかいう強烈なパワーワードを聞いてしまったが、まあ、俺には一生縁のない言葉だろう。リトリィが傾けてくれる愛を受け止めるだけで、精いっぱいに違いない。


「はっはっは、そのほうがいいぞ。リトリィさんといったか、あの控えめなお嬢さんも、こと夫婦めおと関係のこととなったら、おそらく絶対に譲らぬだろうからな」


 からからと笑ったあと、瀧井さんは、急に真面目な顔に戻ると、俺の顔を覗き込むようにして言った。


「……情が深いゆえに寂しがりやで焼きもち焼きなのが、獣人の娘だ。愛ゆえに寂しさにもよく耐えるだろうが、ちゃんと話を聞いてやって解消してやらないと、ため込んだあげくにとんでもない時に爆発する。気をつけておくといい」


 聞いて、思わず苦笑する。

 怪訝そうな顔をした瀧井さんに、左腕を見せる。


「……なんだ、爆発も経験済みか。結婚もしておらんのに、いったい何をやっておるんだ」


 いまも残る――おそらく、一生残る――よじれた傷跡を見て、瀧井さんが顔をしかめる。

 この左腕に残る傷跡は、リトリィが爆発した、何よりの証拠。神経を損なわなくて、本当によかったと思う。

 もしそんなことになっていたら、お互いに苦しんだだろう。俺は使えなくなった左腕という苦しみを、リトリィはそうしてしまったという十字架を背負って。


 呆れた顔をしてみせた瀧井さんだったが、しかし苦笑いを浮かべると、前髪をかき上げて見せた。

 左の眼の上――細く長く伸びる、古傷のあと


「まあ、わしも人のことは言えんのだがな」


 大喧嘩した時に、ペリシャさんが叩きつけた皿が割れてパックリいった傷らしい。

 それまで瀧井さんを疑い、大泣きしながら襲い掛かっていたペリシャさんが、やってしまった事の重大さに驚いて、今度は大泣きしながら手当をしてくれた、その想い出の痕なのだとか。


「発情期のさなかで不安定だったんだろう。おそらくその夜に当たりを引いてな。二人目ができたのだ」


 ……ああもう、はいはいごちそうさまでした。ていうか、あるのかよ発情期。

 俺の言葉に、瀧井さんはにやりとする。


おとこが干からびる日だ。獣人の男に負けてはおれんぞ、覚悟しておけ」


 ――なるほど。干からびるほど頑張ったのか。

 だからなのだろうか、獣人との間ではできにくいとかいいながら、瀧井さんは四人の子宝に恵まれたそうな。娘を三人、息子を一人。

 本当にできにくかったのか、ペリシャさんの言う「できにくい」はどういう基準だったのか、それは分からない。


 四人のお子さんのうち、娘さんたちはペリシャさんそっくり、息子さんは瀧井さんそっくりで、まあ、実に分かりやすかったそうだ。

 ただ、四人の子宝に恵まれたが、ペリシャさんは二十四歳で四人目――待望の男の子を産んで以降、もう、子宝には恵まれなかったという。どれほど愛し合ってもだ。

 ペリシャさん自身、三人目を二十一歳で産んで以来、子供をあきらめていた様子だったらしい。

 発情期も穏やかになって、大して求められなったのだという。


 だからだろうか、四人目の懐妊が分かったときにはペリシャさん自身が本当に驚いていたそうで、子供をことに対して、涙を流して感謝してきたそうだ。


 瀧井さんとしてはもう一人、できれば男の子が欲しかったそうで、四人の子供に恵まれても相変わらずの熱愛ぶりだったそうだが、ペリシャさんはもう、欲しいとは言わなかったという。

 三人目までは自分からまたがり、まだ欲しいと言っていたにも関わらず、だ。


 いやあ、あのペリシャさんが、自分からねだる。

 ――全く想像がつか――ついちゃうな。うん。リトリィもそうだし。




 あまり長くなると、一人で宿で待っているリトリィが寂しい思いをする。

 そのため、一時間ほどのつもりだったが、実際には二時間ほど店に滞在してしまった。


 このじいさん、意外に話せた。というより、嫁に対する愛がすさまじく強い。まあ、その点は理解できる。

 それも含めて、親方の言う通りだった。

 元日本軍の軍人だから信用できない、人格的に問題があるはずだ、という俺の思い込み。

 ――俺の視野が狭すぎたのだ。


「獣人を連れ合いにすると、その重い愛と世間の世知辛さに苦しむときもあるだろうが、わしはあれを妻にしてよかったと、心から思っておる。

 ――お前さんも、あのお嬢さんに出会えたことを、きっと感謝する日々が来る。大事にしてやりなさい」


 言われるまでもない。

 女性に縁のなかった自分に価値を見出し、寄り添ってくれたリトリィ。彼女を粗雑に扱うなど、できるものか。


 そんな俺に、瀧井さんは満足そうにうなずくと、もう一杯を注文した。


「最後に、とっておきだ。これを飲んでいきなさい。ここ最近で、一番の出来だ」


 そう言って出された酒――それは。


「――日本酒!?」

「米に似た作物というだけで、米じゃないのが歯がゆいんだがな。それでもだいぶ、風味は、それに近いだろう?」


 にやりと笑う。


「やっと……やっと、ここまできた。いずれは、この街の特産にできればと思っている。お前さんは、運がいい」


 やや辛口、だがこれは――イケる。


「度数が高めだから気をつけろ。今日はもう十分に飲んだろう? こいつはこの一杯にしておけ。ただ――」


 そう言って、瀧井さんはどこか遠くを見るような、複雑な表情を浮かべた。


「どうしようもなくなって、を味わいたくなったら、そのときこそ、ここに味わいに来るといい」

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