第71話:散策

 リトリィによって、文字通りベッドから放り出されはしたが、シーツにくるまって床への軟着陸を果たしたおかげで、衝撃こそあったものの特に痛かったわけではない。もちろん、リトリィの華麗なシーツさばきのおかげだ。どこでこんな技術を身に着けたのやら、多分アイネあたりを叩き起こすためだろう。


 筋肉痛やらなにやらで体の節々が痛むなか、よっこらせと起きる。

 今日は、例の軍人の家を訪ねるのだ。


 リトリィは、いつもの服ではなく、紺のロングドレス姿だ。昨日、毛布と引き換えに俺のリュックに入れた、あの服。

 しっぽはスカートの中にしまわれていて、外に出してはいない。さらに、修道女の被るベールのようなものを垂らした、紺のフェルトのベレー帽のようなものをかぶっており、耳も見せていない。


 全身を服で覆っているので、獣らしさは顔以外には見当たらない。うつむいていれば、遠くからなら獣人かどうかも判別がつきにくいだろう。

 彼女は、街にくる時にはいつもこの格好をするそうだ。尻尾を隠さなければならない服装に不満げな様子ではあっても、きちんと着こなしている。


 本来は髪を結い上げて帽子の中に入れておくそうだが、いつもの、背中で先端をリボンで結ぶスタイルである。


「以前、髪はそのままがいいとおっしゃったので」


 俺自身が言ったことを忘れているのに。リトリィは物覚えがいい。

 だからだろうか。俺の意見を取り入れましたよ、見てください、とばかりに、くるくる回ってふわりと浮かぶ髪を見せてきたので、素直に綺麗だ、というと、とても嬉しそうに笑い、――目を丸くし、次いで小さく咳払いをして、そしてまた、不機嫌な顔を作ってみせた。




 朝食を食べている最中も会話は最低限だった。起きた時よりは幾分マシになっているようだが、それでも機嫌の悪い様子に、何が悪かったのかを真剣に聞いてみるが、答えてくれなかった。


 ただ、バツが悪そうに顔をそむけたので、多分、俺のせいばかりじゃないとは思いたい。なんとか、軍人宅訪問までには機嫌を直してもらいたいのだが。


 宿を出ると、リトリィはなぜか後ろを付いて来るような歩き方をする。並んで歩こうと思って立ち止まっても、同じように立ち止まる。


「リトリィ、一緒に歩かないか?」


 そう言っても、固い表情のまま、首を振るだけだ。しかし、道はそっと教えてくれるから、機嫌が悪いから、というわけでもないらしい。教えてもらえるから迷わず歩けるのだが、なぜ隣を歩こうとしないのか。

 昨夜は俺が門番に付き人扱いされたが、この、数歩下がって歩く姿のおかげで、今日はリトリィが付き人に見える気がする。


 広場に出たので、リトリィの案内を聞き流してベンチに座った。しかし、リトリィは座ろうとせず、隣に控えている。


「……リトリィ、どうしたんだ?」


 さらに怒らせてしまったのだろうか、そう思って聞いてみると、自分が従者のように振る舞っていた方が、絡まれなくていいのだという。


「わたしたち獣人族ベスティリングは目立ちますし、特にわたしは原初のプリム・犬属人ドーグリングですから。いろいろな人が、いるんです」


 要は、自分が誰かのであることがはっきりしていれば、余計な声を掛けられなくて済む、ということらしい。単なる嫌がらせならまだいいが、中には嫌がらせでは済まないことをしてくる者もいるという。


 そのため、基本的には街に来ないリトリィだが、用があってくる場合は、親方や兄たちに、今のように従者然として付き従うことで、自衛してきたとのことである。そういえば、いわゆる「獣人」らしき存在を見ない気がする。みんな姿を隠して生きているということなのだろうか?


「ここは、城内街ですから。多分、獣人族の方はほとんどいらっしゃらないと思います。門外街のほうになら、結構いらっしゃいますよ。昨日来た時も、城門をくぐるまでに何度かすれ違っていますが、お気づきになりませんでしたか?」


 ――全く気付かなかった。疲れに疲れて、歩くだけで精いっぱいだったからだろう。覚えていない。


 しかし、そんなに差別がひどいのか。腹が立って聞いてみると、実はそれほどあからさまに差別をしてくるわけでもないのだという。ただ、やはり過激派というか、一部にはこれ見よがしに挑発してきたり、差別してきたりする者はいるらしい。残念なことに、それを止める者もいないそうだ。


「――だから、ほら。あのお店、分かりますか?」


 リトリィが小さく指さした店を見ると、ハンバーガー屋のドライブスルーのように、壁にカウンターのような窓を設けているのが見えた。なるほど、この世界にもあるのかと思ったら、設置されている理由が日本とは違った。


「獣人が出入りするお店に、嫌がらせをする人もいるんです。あれは、獣人をお店に入れずに物を売るための窓口です。お店の入れていませんよ、っていうことにして。お店の人も、困ってはいるんですよ」


 ……そういう話を聞くと、店側もそれなりの苦労があるのかもしれないという考えが浮かんできて、腹は立つが単純には怒れなくなってしまう。

 悪いのは、表立ってとがめられないことをいいことに、獣人や、獣人に便宜を図る人間に対して差別行動を堂々と行うクソ野郎どもだ。許しがたい。


「……あまり、そういうことを表立って言わないでください。警吏けいりのかたがたは、わたしたちを守ってはくれませんから」

「どういう意味だ?」

「そのままです」


 獣人は、法的には低級市民扱いらしいので、警吏に訴えることも一応できるが、まずまともにとりあってもらえないという。

 よほどひどいけがを負った時などはともかく、暴力や恐喝では、なかなか動いてもらえないらしい。

 まして山から下りてきた俺たちは、


「門外街……城門の外に広がる街なら、警吏よりも自警団の力が強くて、そちらなら頼りになるんですけど」


 どうも、門外街のほうは自警団の働きもあって、獣人への差別はあまりないようだ。というより、自警団をが、門外街にはある――ため息が出る。

 

 そう言った事情から、このように従者のように振舞うのは、あくまで自衛、余計なトラブルを減らすためだと、リトリィは当たり前のことを説明するように言った。


「これからムラタさんは、大事なお話をされに行くのでしょう? その前にわたしのことでなにか面倒ごとがあったら、申し訳ないですから」

「……じゃあ、話が終わった帰り道は、並んで歩かないか?」

「それは――」

「だって、用事の前の面倒ごとを避ける意味で、今の歩き方をしているんだろう? だったら、用事が済んだらもう、そんなことをする必要はないじゃないか。それに――」


 そして、ぐるりと広場を見まわしてみせる。


「それにほら、こうやって街を見ていると、ほら、夫婦とか恋人同士とか、それっぽい人たちはみんな並んで歩いてる」

 途端にリトリィの目が丸くなり、頬が膨らむ――驚き、恥じらっている顔だ。


「せっかく街に来たんだ。市場では、並んで歩く。決定だからな?」

 リトリィはうつむいて答えない。だが耳が収められている帽子は揺れているし、おしりのあたりがばっさばっさ膨らんでいるのを見ると、思わず吹き出しそうになった。




 例の軍人の家は、広場からほど近い、裏通りを抜けた先の古い集合住宅が軒を連ねる一角にあった。偉そうな門構えの家を想像していた俺は、そのみすぼらしいドアに拍子抜けした。


 親方の紹介状を手にノッカーを叩いたが、誰も出ない。しばらく待ったが、やはり誰も出ない。仕方なく、出直すことにする。

「――どうする? 俺、市場に行ってみたいんだけど。手土産の一つもあったほうが、印象もよくなるかもしれないし」

「市、ですか?」


 リトリィの帽子が、せわしなく揺れる。

 先ほどの、並んで歩かないか、という例の提案が、頭に浮かんでいるのかもしれない。


「あの、手土産って、どんなものにされますか?」

「そうだなあ、果物とか、そういうものがあれば」

「……今の季節に、果物は難しいですね……」


 そう言えばそうだ。この、寒ければ雪さえ降る時期に、果物なんてあるわけがなかった。ハウス栽培も冷蔵倉庫もないのだ。当然、青果物を扱う店は、季節のものしか扱っていないだろう。我ながら間抜けなことを聞いてしまった。


「まあ、食べ物なら大抵は問題ないだろう。気に入らなきゃ、ご近所におすそ分けでもしてもらえばいいんだ。どうかな?」

「食べ物を扱っている市なら、ここから逆の方向ですね。先ほどの広場を抜けていくと近いです。新鮮なものはないかもしれませんが、乾燥果実ならあると思います」


 乾燥果実――ドライフルーツか。それならいいかもしれない。保存食として、貴重な甘味として、喜ばれるかもしれない。


「よし、決定だ。そこにしよう。あと――」


 彼女の手を握る。


「ふえっ!?」

「約束だ。並んで歩いてもらうぞ?」

「そ、それは、お話が終わってから――!」

「市に行くときは並んで歩く。さっき、そう言ったよな?」

「で、でも――!?」


 さっきの広場から、この軍人宅と逆方向に伸びる大通りに向かえばいいのだから簡単だ。慌てるリトリィに隙など与えず、さっさと引っ張っていく。

 ただ、どうしても手を繋ぐのはダメだと言われた。それは恋人同士だからだと。

 面白い。だったらと、日本にいた頃にあこがれていた、互いの手のひらを合わせる繋ぎ方――奥義「恋人繋ぎ」につなぎ直す。


「――本当に、ほんとうにだめなんですってば! 獣人族のわたしと手を繋いでなんていたら、周りの人がきっとムラタさんのことを非常識な人だって――」

 ますます面白い。どうせこの街に住むわけでもないし、見せつけてやろうじゃないか。


 裏路地から表通りに出るときには、改めてしっかりと手を握り直す。

 ちゃんと、そばを歩くことをもう一度言い含める。

 リトリィは、もう顔を真っ赤にしてうつむきながら、それでも小さくうなずいた。


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