第69話:湯浴み(1/2)
そんなこんなで、やっと街についたころには、赤く焼けた空が美しい時間帯となっていた。かがり火が所々であかあかと燃えている。
真っ直ぐな大通りの先には、高い城壁と、立派な城門がずっと見えていた。最初から都市計画を立てておかないと、こんな真っ直ぐな石畳の道をこしらえるのは不可能だろう。
この街を滝の上から眺めたときは、城壁の拡張が間に合わぬままに街が広がっていったのかと思ったが、どうも違うようだ。少なくとも、街の区画はおそらく、最初から都市計画にのっとってできていったに違いない。優秀な設計者がいたのだろう。
長い大通りを抜け、城門前の大広場に着くころには、ずいぶんと暗くなっていた。
……かなり広い。いくつかの屋台が店じまいをしているが、おそらく今の時間だから、この数しか残っていないのだろう。明日の朝に来れば、きっとにぎやかな朝市が見られるのではないだろうか。おそらく、祭りをするにも最適な場所に違いない。
城門をくぐろうとすると、兵士が身分証明を求めてきた。
一瞬、緊張が走る。しかし、リトリィの顔を見て一言。
「ジルンディール工房のリトラエイティル様ですね。そちらは付き人ですか。どうぞ」
……一発クリアだった。よほど信用があるらしい。ただし、俺は「付き人の分をわきまえて
城門をくぐると、城門の外とはまた少し違った、石造りの家が立ち並ぶ、古めかしい、だが立派な街が広がっていた。ただ、ほとんどの場所はすっかり夕闇に沈み、日本という国が、いかに無駄に明るく照らし出されていたかを感じる。
「リトリィ、宿の当てはあるのか?」
月に数回、街に来るのだから、行きつけの宿があるのかもしれない。そう思って聞いてみるが、返事の歯切れが悪い。
「……今日は、いつもと違うお宿に泊まりたいんです」
「いつもの宿の方が、気心が知れていいんじゃないのか?」
「いつもと違うお宿の方がいいんです」
「……まあ、いいんだけどな。当てはあるのか?」
「ないですけど、いつものお宿じゃ嫌なんです!」
なぜそこまで「いつものお宿」が嫌なのかがさっぱり分からない。
あれか? いつもの宿というのは安さ重視で見てくれが悪かったりサービスが悪かったりするから、俺に気を遣っている、とかそういうのだろうか。
あるいはその逆で、いつもなら一部屋で済むところを、自分がいて二部屋にせざるを得ないから、安い宿を選ばざるを得ないとか?
「リトリィ、俺のことなら気にしなくていいからな? なんなら、俺は床ででも寝るから」
「どうしてそうなるんですか。だったらわたしも床で寝ます」
意味が分からない。
結局、リトリィはいくつかの宿を巡ったうえで、古びてはいるが小ざっぱりとした印象の店を選んだ。うん、要するにボロくはないが極力シンプル。
ただし壁の厚そうな、頑丈そうな宿。柱の太さがそのまま壁の厚み。
この世界の耐震基準は分からないが、壁をノックするとドン、ではなく、カッという音からも、しっかりレンガなりなんなりが詰まった、丈夫そうな感じが伝わってくる。
「ここにしましょう!」
よほど宿の作りが気に入ったのかもしれない。何が気に入ったのかは分からないが。
指定された部屋に入ると、リトリィは旅装用の、体をすっぽりと覆うフード付きの外套を脱いで思い切り伸びをした。外套の下はいつもの貫頭衣。
「もう、尻尾が出せるって最高です!」
ああ、やっぱり嫌だったのか。例の民族衣装のときも、スカートに穴をあけて尻尾を出していたしな。
「ムラタさん、このお宿、湯浴みができるんですって。お使いになられますか?」
湯浴み。……風呂のことか?
「うーんと、そこまでではないと思うんですけど、たぶんたらいに、桶一杯分くらいのお湯を使わせてもらえるくらいだと思います。お部屋に持ってきてもらえるので、お願いしてしまいました!」
あ、湯浴みのルームサービスを利用するかどうかではなく、
……ん?
「あ、しまった。一緒に部屋に入ってきちゃったけど、俺の部屋はどこだっけ?」
「ここですよ?」
……ここ?
「……あー、――ここ!?」
「はい。……お気に召しませんでしたか?」
言われて、改めて部屋を見まわす。
シンプル極まりない部屋だ。それほど広くない部屋の中には、一本足の小さなテーブルに小さな椅子が二脚。
この文明圏では多分標準……ではなさそうな、鏡付きのドレッサー。
小さなクローゼット。
そして、部屋の中で圧倒的な存在感をアピールする、ダブルサイズのベッド。
……
ベッドで、リトリィの本気度を見た思いがする。
……ああ、
昨日も一昨日も、泣かせちゃったしな。
湯浴みも、そういう意図があるのかもしれない。
……待って、リトリィが湯を使っている間、俺はどこにいればいいんだ?
あれか? 下の食堂で飯でも食っていればいいのか?
「わたしが湯浴みをしている時ですか? お背中を流してもらえると、うれしいですけど……」
お嫌でなければ、と、ややためらいがちに聞いてくるところがもう、だめだ。やらずにおけるか。
一階の食堂で、やや遅めの夕食を取る。日暮れで夕食、が当たり前になっていたので、日がすっかり暮れてからの食事というのは、この世界では初めてだった。
薄いスープにパン、野菜の雑多煮。うん、リトリィの料理のほうが美味しいかもしれない。
まあ、パンだけは、久々に食べた「種あり」パンだった。大きく膨らんで、でもやたら硬い。フランスパンみたいだ。
日本のパンがふわふわすぎるというのは聞いた事があるが、これが標準なのだとしたら、リトリィの焼いた種なしパンのほうがよほど美味い。
やはり日本人として、もちもち食感が恋しい。残念だ。
ゆっくりと食事をとっている間に、部屋にたらいと湯が運び込まれていた。利用するかどうか聞いておきながら、二人分――つまり、湯が桶二つ分、水が桶一つ分、運び込まれていた。
湯はもともと熱湯だったようで、食事を終えて戻ってきたときに触ってみても、まだ熱めだった。熱い分は、水を足すなり冷めるのを待つなりしろという意味らしい。
リトリィに先に利用してもらおうと思ったが、彼女は頑として俺が先にと聞かなかった。
仕方なく先に利用することにする。湯浴みと言っても石鹸も何もないので、本当に湯で汗を流す程度だ。だが、それもなければ適当に布を水に浸して拭くくらいしかないので、まあ本当にありがたい。
リトリィの前ですべてをさらすのはさすがに抵抗があったが、リトリィがてきぱきと俺の服を剥ぎ取ってゆくので、抵抗などまるで無駄だった。
大きなたらいの中央に座ると、リトリィが少しずつ、頭から湯をかけてくれる。
少々熱いが、寒い中を歩いてきた体には、ほんとうに心地よい。
たらいに溜まった湯をすくうように、手ぬぐいで背中をこすってくれる。
痛くはないか、かゆいところはないかと世話を焼いてくれるのが、なんだか恥ずかしくも、嬉しい。
さすがに前面は自分で洗うが、その間ずっと、湯をすくっては背中にかけてくれる。おそらく、湯冷めしないようにだろう。本当にできた子だ。
逆に言えば、俺もそのようにするべきだということなのだろう。
交代してリトリィの番になる。
彼女の場合、貫頭衣なので帯を解いて一枚脱いだらもう、あとは下着一枚。本当にシンプルだ。
いつもの彼女に、汗のにおい。この二日間、歩き続けたが故の。だが、不快ではない。彼女の匂いだからだろうか。
「やだ、ムラタさん、恥ずかしいです……」
いつもは俺の首筋ですんすんと匂いをかいでいるリトリィだが、いざ自分がされると恥ずかしがるというのも面白い話である。
俺がしてもらったように、徐々に徐々に、
金のふわふわの毛並みに湯がかけられ、一瞬、びくりとして総毛だつ。が、あとは掛け流される湯をうけて、全身が徐々に濡れてゆく。
ただ、やはりというか何というか。
どうしても、毛が湯をはじいてしまう。表面は濡れるのだが、どうしても奥まで濡れる気がしない。
「リトリィ、その、ブラシをかけていいか?」
「ブラシ、ですか?」
「いや、湯がその……」
「……ふふ、手でいいですよ?」
いや、手でと言われても、彼女の体に直接触れるのは、さすがにためらいがある。
服を着ている上からならともかく、直接触れるのは。
たかが布一枚、されど布一枚なのだ。
「……あ、あの……。その、もしお嫌でしたら、お湯を掛けていただけただけで十分ですから……」
――嫌なことなどあるものか。ためらうのは彼女が嫌なのではなく、畏れ多いから、ただそれだけである。
ここでやらねばリトリィのことが嫌だと言うようなものだ。断固としてやる!
……うまいこと誘導されたような気もするが、やるしかない。
意を決して、たらいに溜まった湯をすくってもう一度湯をかけながら、彼女の肩に手を置く。
一瞬肩がびくりと跳ね上がったものの、俺の手を受け入れてくれたようで、また肩が下がる。
指を立てて、ブラシでこするようにすると、リトリィがくすぐったがって可愛らしい悲鳴を上げたが、もうやり始めたことだ。最後までやらせてもらおう。
なに、くすぐる意図はない。
……偶然だ。
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