第65話:二人きりの夜に(2/2)
「ムラタさんは、どうして冗談だって思ったんですか?」
「何が?」
「そ……その、さっきの……」
「ああ、あの避妊――」
言いかけて、慌てて口を閉じる。
「――アレ、なんだけどさ」
「は、はい」
いや、いくらなんでも、アレはないだろう。だって、嫁入り前の女の子との二人旅でアレだぞ?
ホントに何かあったらどうするつもりだ、兄として。まあ、俺がそんなこともできないヘタレだということを見越した上での、アレなんだろうけどな。
「……俺が、アレを見て大慌てするのを狙ったんだろ。どうせ使うこともできないヘタレだって、分かっててのことに決まってる」
「……そう、でしょうか、フラフィー兄さまは、そんなことをする人じゃないと、思うんですが……」
不思議そうに首をかしげるリトリィだが、どう考えたっておかしいだろう。結婚どころか婚約だってしていない、それどころか恋人として公認されているわけでもない男女の二人旅に、避妊具?
しかも、あの
……もし、本当に使うような行為があったら、俺、絶対にシスコン兄貴に殺される。
「いやだって、嫁入り前の妹に同行する男に渡すものとして、ふさわしいものじゃないだろ」
「どうしてですか?」
「どうしてって、そりゃ――」
答えようとして、言葉に詰まる。
なぜなら、リトリィが、あまりにもごく自然な、疑問符を浮かべていたからだ。
「ほ、ほら、リトリィはまた、嫁入り前だろ? あ、あれだよ、間違いがあったらまずいじゃないか」
「間違いって、なんですか?」
……わざとか? わざと言ってるのか?
思わずそう聞きたくなる。リトリィは、王都とかいうところで春を売って生き延びた経験を持つ女性だ、分からないはずがないだろうに。
「そ、そりゃ、子供ができる、とか……」
「仔ができるって、素敵なことじゃないんですか?」
「い、いや、結婚する前にできちゃったらだめだろう?」
リトリィは、その透明な青紫の瞳をまっすぐこちらに向けて、すこし、ためらいがちにつぶやいた。
「……ムラタさんは、わたしに仔ができたらだめだっておっしゃるんですか?」
「――――!?」
二人で毛布を共有し、互いの息の温かさまで感じられるこの距離で、その言葉の破壊力は凄まじい。それがまた、沈んだ様子だと尚更である。
「あ、いや、そういう意味じゃない。それは素敵なことだと思う。ただ、リトリィも、
「いいえ?」
――即答!?
そうか、十九歳って、日本でも欧米でも、戦前あたりだと、もう子供がいてもおかしくない歳だよな。文明レベルが日本よりも少し低そうなこの世界だったら、リトリィはとっくに結婚していてもおかしくない歳――というわけか。
……あー、以前そういえばアイネと言い争ってたとき、そんなようなこと言ってたっけ。
『もう十九に
なるほど。そう考えれば、リトリィが「子供ができること」に対して異様にハードルが低いのも理解できる。
第一、『三夜の
とすると、条件が整ってもすぐに祝言を挙げることができる状態じゃないこともあるだろうし、そうなると大きなお腹を抱えて――場合によっては、子連れで式を挙げることも、もしかしたら珍しくないのかもしれない。
「……あの、ひょっとして、わたしは、
「ひょおい!?」
リトリィの爆弾発言に変な悲鳴を上げてしまう。
俺の赤ちゃんを産んでいいかどうか発言!?
ダイレクトアタックにもほどがある!!
村田誠作二十七歳独身、年齢=彼女いない歴=童貞歴!
彼女は欲しいが彼女が実際にできるなどこれっぽっちも期待してこなかった人生に、いきなり「彼女」をすっ飛ばして「子供」ができる云々の話が降りかかってきて、しかも相手のほうがなんだか積極的!?
パニクらないほうがどうかしているのではないか!?
「い、いや、だから違うって! いいと思う、いいと思うよ、とっても素敵なことだ!」
突然心拍数が増大――妙に早口になっている自分を自覚する。
「で、でもさ、まだ俺たちは結婚していなんだから、子供を産むっていうのはまだ、早くないか?
それに、俺はこの世界でまだ、仕事を見つけていない。収入もないうちに子供ができちゃったら、子育ても大変だろ?
だ、だから
「……ムラタさんにも都合があるから、
「そ、そうだね、やっぱり、ちゃんと手順を踏んで……」
よかった、自分でも何を言っているのか分からないままに口をついて出た言葉を並べていただけだったから、納得してもらえて――
「じゃあ、
リトリィはそう言って、嬉しそうに微笑んだ。
「――よかった。わたし、がんばります」
――ん!? ちょっとまて、いま恐ろしい論理の飛躍を見た気がするぞ?
「リトリィ、今の――」
「あの、でしたら、さっきのを使えば、赤ちゃんができないように、その……
ずいっと、彼女がさらに体を寄せてくる。
「ムラタさん、わたし、ムラタさんを温めてあげたいです。せっかく兄さまがくださったんですから――使って、みませんか?」
そう言って、手を伸ばしてくる。
「ほら、こちらもお元気になられてますよ……?」
――なぜこの子は、こんなに積極的なのか。
自問し、すぐに答えが見つかる。そして、ためらう自分が馬鹿らしくなる。
理由は自分で言っていた。
俺が、いずれいなくなるかもしれないということへの、恐れ。
生い立ちから、性的なことへの心理的ハードルはかなり低いというのは理解できる。
それに加えて、俺という人間を手放したくないという思いから、俺をつなぎとめようとして、彼女なりに必死なのかもしれない。
でも、子供まではさすがに急ぎ過ぎている気がする。なぜそこまで焦るのだろう。
「……わたし、焦っているように見えますか?」
「ああ、ものすごく」
「……そう、見えますか」
「そうにしか見えない」
「俺はさ」
自分自身を落ち着ける意味もあって、大きく深呼吸。彼女にきちんと伝えたい。
「今まで、自分で、リトリィの気持ちを、『こうだ』って思い込んで、それで何度も傷つけてきてしまった。だから、これからはきちんとリトリィの気持ちを聞いて判断したいと思っている。
だから聞くんだけど、どうしてそんなに焦っているんだ?」
俺の質問に、リトリィはしばらく、答えなかった。
ややあって、すこし、鼻をすする音がして、そして、リトリィは口を開いた。
「そんなに、焦ってるように見えますか?」
――妙に明るい声だった。
「えへへ……。や、やっぱり大好きな人と、二人っきりで過ごせるって思ったら、わ、わたし、はしゃいじゃってるんですね……!」
はしゃいでいる?
そうなのだろうか。
しかし……
『えへへ……』
――リトリィは、そんな笑い方をする子だったか?
「ごめん……なさい! その、わたし……すごくその、期待しちゃって! はじめは、わたし自身がフラフィー兄さまを推薦してましたし、まさかわたしがご一緒できるなんて、夢にも思ってなくて。だから、……舞い上がっちゃってました! やっと、
口の端が歪むような、奇妙な笑顔で、しかし、声は若干、震えている。
「む、ムラタさんには、ムラタさんのご都合があるっていうのに、そんなことも思いつかないなんて。こ――恋人、失格ですよね! ごめんなさい!」
「リト……」
「あ、明日もいっぱい、歩かなきゃいけないですし、ムラタさんもお疲れですし! もう……もう、寝ますね! おやすみなさい!」
口早にそう言うと、リトリィはこちらに背中を向けてしまった。
……また、傷つけてしまった。
そんなつもり、無かったはずなのに。
「リトリィ――聞いてくれ」
呼びかけてみたが、返事はない。
しばらく待ったが、返事は返ってこなかった。
「リトリィ、俺はさ、女の子と付き合ったことがない――そう言ったよな?」
反応を待つが、やはり返事はない。
「俺、リトリィに言われた通りなんだ。自分で考えすぎて、自分で勝手に結論を出すってこと、やりがちなんだ。だから、リトリィの言葉を、気持ちをしっかり聞いて、一緒にやっていきたいんだ。だから――」
「ムラタさん……」
俺の言葉を、リトリィの震え声が遮る。
「わたし――不安なんです」
「不安……?」
「わたし、
「……俺が、獣人族だからっていう理由で、リトリィを嫌っているかもしれない――そう言いたいのか?」
びくりと肩が震える。
「ご、ごめんなさい、お気に障ったら――」
「ああ、気に障った」
そんなことを気にしていたなんて。
……そんなことを。
「俺が、一度でも、リトリィに、そんなことを言ったか? 獣人族だってことを気にしているようなそぶり、一度でも見せたのか?」
リトリィの肩が大きく震えている。鼻をすする音、嗚咽も聞こえてくる。
「――ご、ごめ……」
「ごめん。
ごめん、リトリィ。不安にさせて。リトリィ。俺は、きみが、――好きだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます