第63話:街へ(2/2)

「わ、わたしですか!?」


 夕食後、皆が解散したあとにお茶を淹れに来たリトリィが、目を白黒させる。


「わたしが、ムラタさんのお供を!?」

「そうだよな、急だよな。今、親方に言われてなんか作ってるんだっけ?」

「あ、いえ、それはいいんですけど、でもそんな……わたしが、ですか?」


 あたふたとしているが、頬を赤らめ、尻尾がひどく大きく揺れている。


「いや、無理なら俺、フラフィーに話を通してくるから。街に出て羽を伸ばせるって言ったらフラフィーも――」

「準備します! いつ出発しますか、すぐ済ませますから!!」


 掴みかからんばかりの勢いで迫ってくるリトリィに、思わず後ずさる。


「あ、いや、すぐってわけじゃないんだが……」

「だいじょうぶです! ムラタさんをお待たせするようなこと、絶対にしませんから!」


 やたら鼻息荒く、何やら指折り数え始める。旅装に必要なものをピックアップしているのだろうか。


「リトリィはいま、親方から言われて作ってるものがあるんだろ? そっちを優先してくれれば――」

「大丈夫です!」


 即答される。

 この勢いだ、リトリィも街に行きたかったのかもしれない。

 そういえば、街に行くのは大抵フラフィーかアイネだったか。俺がこの家に来てからすでに三カ月が過ぎたが、出かけるのは決まってフラフィーかアイネで、リトリィが出かけるのは見たことがない。


  親方が同道することもあったが、基本は男兄弟二人のうち、どちらかだった。例の、リトリィの新しい衣装を購入してきたのも、フラフィーだったか。

 たまにはリトリィも、街で買い物をするとかして楽しみたいのかもしれない。


 ……ん? 待てよ?

 そう言えば、鎌のデモンストレーションをした時のことだ。リトリィを見る目は、みな決して良いものとは言えなかった気がする。


 特に、リトリィが最初のデモンストレーションで巻き込んだ、ずっとハンカチで鼻を覆っていた奴。おそらく、獣臭い奴ベスティアールとか思ったりしていたんだろう。あのハンカチは、その表れだったに違いない。


 あいつは別格としても、ほかの連中にしたって、最初は眉をひそめたり、視線を合わせようとしなかったりしていなかったか。

 ということは、彼女にとって、街は決して居心地がいい場所とは言えなさそうだ。じゃあ、なぜこんなに話に食いついてくるんだろう。


「リトリィは、何か街で買いたいものとかがあるのか?」

「いいえ?」

「友達とか知り合いとか、会いたい人がいるのか?」

「いいえ? どうしてですか?」


 実に不思議そうに俺を見返してくる。

 いや、そんな疑問を返されても。


「……じゃあ、どうして、俺と一緒に街に?」

「ムラタさんが行くからです」


 にっこりして答えるリトリィに、肩が落ちる思いがする。

 ……あれこれ考えるだけ無駄だった。

 俺は、そういう女性を選んだ、ということだ。


 ――シンプルに、ありのままを受け入れる。

 なるほど。親方の言いたかったことが、少し分かった気がする。




「この風向きの様子なら、この二日ばかり――街に着く頃までなら、雪も何も降らねぇだろう。気をつけて行ってこい」


 そう言って、フラフィーは、草皮紙で出来た小さな袋を押し付けてきた。


「道中冷えるからよ。特に一泊は確実に野宿だ。そん時はコイツを使って温まるんだな」


 中身は、さらに袋に収められている何かのようだ。かさかさと音がする。寒い夜を過ごすためのもの、ということは、カイロか何かだろうか。


 カイロにしては薄いし何も入っていないかのように軽いが、そこはそれ、魔法のある世界だ。魔法とまではいかなかったとしても、俺には分からない、特別な何かがあるんだろう。使い方は、リトリィに聞けば分かるに違いない。


 なんにせよ、寒い夜を温かく過ごせるもののようだ。ありがたい。


「ああ、ありがとう。もし雪が降ったら、道中で使ってもいいんだよな?」

「馬鹿野郎、そいつは夜以外は使用禁止だ」


 ゲラゲラと笑う。そうか、夜のほうが当然冷える。肝心な時に使えないというのでは、話にならないということか。


「行きと帰り、それから街での一泊分だ。まあ、いらねぇなら使わなくていいからな」

「わかった、大切に使うよ」


 だが、俺の返事に地面を殴りながら笑い転げるフラフィー。一体何が面白いのだろう。

 逆に面白くなさそうなのがアイネである。


「おいムラタ。気に入らねぇなら絶対に使え。もし使わねぇっていうなら、凍死でもしてやがれ」


 気に入らないなら使えとは、一体どういう意味なのか、訳が分からない。謎かけの一種なのだろうか。

 だが、正解なんてどうでもいい。凍死はともかく、夜を暖かく過ごせるなら使うに決まっている。


 それよりも、彼の左の頬だ。先ほどまで、リトリィにあれは大丈夫か、これは持ったかなど、散々心配事を投げかけた上に、


「アイネ兄さま、もうリトリィは子供じゃないんです! 大丈夫ですから!!」


 小気味よい破裂音。

 ……うん、その左の頬に焼き付けられた紅葉の経緯には同情するよ。そのシスコンぶりは直したほうがいいと思うが。


 街に行ったついでに購入する物のリストは、リトリィが持っている。

 腰には、リトリィが丹精込めて打ってくれたナイフをき、背中には食料と防寒具、簡易テントの入ったリュック。リトリィのほうが荷物は少ないが、帰りにいろいろ購入したものを詰めて帰るために、俺よりも若干大きいリュックを背負っている。


「じゃあ、行ってきます」

 右手を上げて出発の挨拶をすると、三人も右手を上げて返す。


「おう、ムラタ! タキイによろしく言っといてくれよ」

「リトリィ、ムラタの言うことはよ~く聞けよ!」

「リトリィ、ムラタの言うことなんか聞かなくていいからな!」




 はい、なめてました。

 山道ってきつい!


 大学で山岳ワンダー・フォーゲル部だった友人が、「登山は上りもそうだが下りもきつい」と言っていた意味がよく分かった。

 つま先だ。

 体重がかかると、つま先に重みがのしかかる。

 好きで登山をする連中は、絶対にマゾに違いない。


 やたらとごつい靴底の、バスケットボールシューズ以上に足首まで覆う革靴を履かされた理由が、よくわかった。

 靴を足首で固定するから、靴の中で滑ってつま先に負担がかかり過ぎる、というようなことがない。足の甲の部分もしっかり革紐を絞めているのだが、この足首を固定するというのは、重量物を背負ってあるく足首を保護する役割もあるのだろう。借りておいて本当に良かった。

 もし固辞して、普段のサラリーマン的革靴を履いていたら、たぶんどうしようもなくなっていただろう。


 ……リトリィの靴のお古、というところが、またなんとも言えないところなのだが。

 アイネやフラフィーの靴では、残っていた古靴でもサイズが合わなかったのだ。

 一尺(約三〇センチメートル)を超えるぐらいの大きさの靴って、何なんだあいつら!


「お荷物、お持ちしましょうか?」


 涼しい顔で歩いているリトリィの荷物は、確かに俺より軽い。それは分かる。

 だが、男のプライドとして、女性に重いものを持たせるというのは、どうにも納得がいかないのだ!

 これは男の本分! 女性よりも重い負担に耐えて働くことこそが我が使命!




「じゃあ、天幕は私が持ちますね」


 ……ごめんリトリィ。俺やっぱヘタレでした。

 昼食の、いつもの種なしパンをかじりながら、俺はリトリィにテントを渡す。

 さすがに毛布までは渡さなかったが、これでだいぶ荷が軽くなる。


「では、さっき決めた通り、重くて大変になったら荷物を交換、それでいいですね?」


 リトリィがパンを咥えて、てきぱきと荷物を縛り上げていく。

 俺は右手を上げて同意する。


「ごめん……よろしく。交替するときは、また俺、がんばるから」

「おねがいしますね」


 彼女は結局、その日一日の行程が終わるまで、テントを持ったままだった。

 むしろ、鼻歌を歌い、あれこれ俺に話しかけ、道中、雪の間から顔をのぞかせる花を摘んで髪に挿したりしながら、実に楽し気に歩いていた。

 途中から沈黙し、ただ歩くことだけに精いっぱいだった俺と違って。

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