第62話:街へ(1/2)

「……で? 何を聞きてぇんだ?」


 陽気が続き、道の雪もだいぶ解けたある日、俺は親方に、例の麓の日本人についての話を聞くことにした。

「例の、日本人兵士のことですよ。先日お話を伺った」

「おめぇ、あんときはずいぶんと嫌っていたようだったが」

「実際に会いもせずに、有益な情報を放置しておくのも、どうかと思いまして」

「ふん……まあいい」


 実際はリトリィの熱意に負けたと言った方がいい。




 先日、リトリィと一緒に朝食の後片付けをしている時だった。

 食器を集め、キッチンに持って行き、残ったパンやおかずを、二人で分け合って食べていた時に、彼女が聞いてきたのだ。このところ雪も降っておらず、雪もだいぶ解けた道を見ながら。


「……ムラタさんがいなくなるかもしれないというのは、こわいし、もしそうなってしまったら、きっとつらいと思います。

 でも、ムラタさんがこの先、ずっと後悔し続けるのをおそばで見ているより、よっぽどいいですから」


 街に住んでいるという、例の軍人の家に行く気はないのかと。

 ……そんなことより、すでに、俺に終生、添い遂げる気でいるところがおそろしく可愛らしいのだが。




「――ただ、わたしはこのあたりの土地のことを全く知りません。先日、フラフィーが街に買い物に行きましたよね? 彼に案内を頼みたいのですが」

「フラフィーか。まあ、順当だな。順当だが……」


 親方は鼻をほじりながら、頭をかく。


「なんでフラフィーだ? ウチのモンなら、だれでも案内はできるぞ?」

「どなたでも結構ですが、フラフィーなら腕っぷしもあり、万が一の時に頼れると思うからです」

「狼か何かでも恐れてんのか?」

「ああ、それもありますね。……危険な動物や野盗などに出くわしたら、私ではどうにもなりませんから」


 実際には、リトリィの推薦だ。理由も、狼などの獣ではなく、俺自身の問題だ。

 アイネは知恵は回るが気が短いので、旧日本軍の軍人を嫌っている俺が冷静に話ができなくなった場合、仲裁に入るつもりでかえってぶち壊しにしてしまう恐れがある、とはリトリィの言葉だ。


 長兄であるフラフィーならば、おそらく一歩引いて冷静に話を見極めることができるだろうから、ということらしい。アイネと同じくらいいかつい男だが、リトリィの信は厚いようだ。


「馬鹿野郎。ここらで危険な獣っていうと、まあたしかに狼かもしれねぇが、よ。はな」


 何やら含みのある言い方をする。

 おいたをした人間――悪さをした人間以外を襲わない、とは、どういう意味だろうか。

 まさか、狼が犯罪者のみを狙い、善良な人間は襲わない、などということがあるのだろうか。


「狼はいるんですね? 人を襲わないというのは、本当にそう言い切れるんですか?」

「ああ。断言できる」

「……野生の獣ですよね? 特に今は冬ですから獲物も少ないでしょうし……どうして、そんなことを言いきれるんですか?」

「しつけぇやつだな。そんなもん、


 すごい自信だ。しかし、親方があまりにも昔、狼を退治しまくったものだから、狼が親方を恐れて近づかない、ということはないだろうか。


「ここらの狼はよ、裁かれる人間以外は襲わねぇ。それは、狼と交わした約定による。昔、いたんだよ。魔狼まろうと情を交わした男がよ」

「……魔狼?」

「ああ、眉間に青白く光る一本の角を持っていてよ、青白く光るたてがみが、頭から尻尾の先まで流れる、でけぇ狼だ。まあ、お前くらいの人間なら、ひと噛みで真っ二つになるくらいにはな」


 ……ちょっと待てーい! ひと噛みで真っ二つだって!? ちょっと誇張が過ぎやしないか? それじゃまるで、人間より大きいみたいじゃないか!


「……はぁ? 何言ってんだおめぇ。人間よりもはるかに大きいから魔狼っつってんだろうが。でだ、その狼支配していたのが、ここら一帯の狼だ。それで、ここらの狼は、人を襲わねぇ。こっちから手を出さなきゃな」


 青白く光る角とたてがみを持った狼と交わした約定――ますますファンタジーというか、魔法がかった話だ。しかし、狼と約束を交わす? この翻訳首輪、そこまで高性能だったのか?


「その首輪には、そこまでの力はねぇよ。だがその男は、話したい相手に触れることで、いろんな生き物と会話できたみてぇだな。おめぇもここに来るまでに一度は聞いただろ? 『騎士と狼を連れた賢者』の話」


 ……無論、初耳だ。

 首を振ってみせると、親方は目を点にし、そして破顔した。


「……そういやおめぇ、この山に、“ニホン”から直接落っこちて来たんだっけな。だったら道中で知る機会はねえな、すまねぇ。この辺りじゃ誰もが知ってるおとぎ話で、そして歴史だからよ」


 なるほど、動物語を解するイギリスの獣医師先生とか、動物と話せる少女、みたいな人がいたということか。賢者という称号はまたすごい、おそらく人徳厚い、優れた人物だったのだろう。


 実直な青年騎士と、人より大きい狼――某国民的アニメスタジオが手掛けた『お前に――救えるか!』と叫ぶ、あの巨大な狼くらいだろうか――をお供にした、曲がりくねった木の杖をつき、真っ白な顎髭あごひげを胸まで垂らした、三角帽子の老人の姿が目に浮かぶ。


「ま、そんなわけで、ここら一帯で人間を襲う獣なんていねぇし、野盗が潜伏でもしようものなら、狼が片付けちまうのさ。賢者さまさまってわけだ」

「狼が野盗を片付ける、というのは、どうしてわかるんですか?」

「知らねぇよ。ただ、噂では、賢者と魔狼の子孫が、この山一帯を守ってるって話だ。

 姿を見たって言うやつはほとんどいねぇ。だが、たまたま会った旅人が魔狼らしき影をみた、みたいな話はごくまれに聞く。ホラかもしれねぇけどな」


 なるほど。こうして話を聞くと、やはり地球とは似て非なる環境なのだと気づかされる。賢者と魔狼の子孫――ということは、賢者の子孫と魔狼とやらの子孫が、未だにご先祖様由来のコンビを組んで、この山をパトロールしている、ということなのだろうか。


 ないない、さすがにそれはない。

 そのような伝説、実際には、ただの誤解と錯覚と誇張と、そして偉人に対する願望が入り混じった話なのだろう。日本だと送り狼――里まで山犬の伝説が、日本のあちこちにある。


 あれなど、当時の日本人が、人間を襲う機会を慎重に見定めようとしていたニホンオオカミの習性を、いいように解釈した話だと、大学の民俗学の講義で聞いたことがある。


 まあ、たとえおなじような伝説だったのだとしても、あれほど親方が安全だと力説するのだ。少なくとも、このあたりの道中は安全なのだろう。


「ま、そんなわけだから腕っぷしとかは関係ねぇ。そこは安心しろ」

「なるほど、ありがとうございます」

「でだ。おめぇ、本当に冷静に、タキイ――その、元“ニホン”の軍人と、話ができるのか?」


 そうきたか。確かに、それは懸念されて当然だな。親方にとって浅からぬ縁を持つ男に、俺という人間を紹介してもいいのかどうか、それが心配ということか。農学者を目指していた人物だそうだから、もしかしたらここの畑で育てている作物の一部は、その男が品種改良したものなのかもしれない。


 俺を紹介することで、その縁をぶち壊すようなことがあってはならない、そう考えているのだろう。


「ですからフラフィーです。万が一、私が冷静さを欠いた発言等をした場合、フラフィーなら冷静に止めてくれるでしょうから」

「そうか? 込み入った話になると、あいつは付いてこれずに対応が遅れるかもしれねぇぜ?」


 ぐ……

 そういえば、技のフラフィー、知恵のアイネだったか。


「だ、大丈夫でしょう。私も務めて冷静に対応できるよう、努力しますので」

「第三者のオレと話していただけであれだけカッカしたやつが言っても、説得力なんざカケラもねぇな」

「では、アイネにお願いを――」

「馬鹿、そうなったらおめぇとけんかを始めるだけだ。相手の家を壊す気か」

「では、どうしろと――」


 親方が俺に紹介しておきながら、やっぱり行くなということか?

 目の前に人参をぶら下げておきながら、本人がその気になったら人参を取り上げる。意地の悪い話だ。

 そう思って親方をにらみつけると、親方はニッと笑って言った。


「リトリィを連れてけ。おめぇも、リトリィ相手にけんかをする気はねぇだろ?」

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