第52話:もう一人の日本人
【本作を読むにあたって留意していただきたいこと】
この回における主人公の主張、特に戦争や旧日本軍に対する考え方については、賛否両論があると思われます。
本作品は娯楽のための創作であり、また主人公をはじめとした登場人物が、様々な劇中人物と関わり合うことによる【精神的な成長】を意図した物語でもあります。
ですから、「その時点での主人公の言動・描写」が、作者の思想と常に一致するわけではありません。
あくまでも創作であり、「主人公の言動」がそのまま「作者の思想」というわけではない、ということを踏まえて楽しんでいただけますと幸いです。
――――――――――
「俺がこの工房を立ち上げるきっかけになった奴も、“ニホン”人だったんだ」
一瞬、その言葉の意味が、入ってこなかった。
「オレぁな。ここで昔――いまからもう、何年……まあ、五十年以上も前のことだが、“ニホン”人を名乗る、ある男を拾ったんだ。実は錆止めも折り返し鍛錬法も、そいつから聞いたものだ」
かつて、ここに、俺と同じ、日本からやってきた人間がいる――!?
親方は言っていた。ここから東に国などないと。海の向こうはモンスターの住処で、とても渡ることはできないと。ならば、その日本人は、どこから、といえば――
「そいつは、おめぇみたいに東から来た、なんて言わなかったがな。夜、いくさ場を走り回っていたら、気が付いたら――と言っていた」
……すみません。神秘の国ジパングは、極東にあるものですから。つい。
それにしてもいくさ場ときたもんだ。戦国時代の人間だろうか。
頭の中で鎧兜を身に着けた武士が、たった一人、唐突にこの世界に現れた場面を想像してみる。
うん、シュールだ。
「そいつも、不思議なことをいろいろ知っていた。まだ若い兵士だったみたいだ。戦争がなければ、大学でもう少し学んでいたかったとか言っていたな」
「……大学?」
「ああ、なんつってたか忘れたが、大きないくさだったそうだ。ほれ、そいつが使っていた
槍? 槍などない――そう思って部屋を見まわし、
……見つけた。
「――銃?」
たしか、旧日本軍が使っていた銃だっけ? サンパチとかいう、へっぽこ銃を使っていたと聞いたことがある。なるほど。銃剣をつけていれば、たしかに槍に見えないこともない……か。
「ああ、そう。“じゅう”とかいったか。“九九式”というんだそうだ」
そんな銃もあったのか、知らなかった。でも所詮、負けた軍の装備だ。大したことはないのだろう。
アメリカ軍が機関銃を撃っているところに、一発ずつ弾を込める時代遅れの銃で、奇声を上げながら馬鹿みたいに突撃して犬死にしていったと、中学時代に社会の先生が言っていた。授業が脱線ばかりする先生だった、脱線の時の話しか覚えていない。
しかし、五十年前だったらもう、戦争はとっくに終わっている。親方の記憶が間違っているのか、それとも戦争が終わっても終戦を知らず、隠れていた兵士なのか。あるいは、日本からこちらに来るときに時間がずれたということなのか。
それにしても、よりにもよって旧日本軍の兵士だとは。相当な悪印象だっただろう。なんせ、アジアを中心にいろいろと問題を起こした日本軍だ。親方にも、ひどく迷惑をかけたに違いない。
「大変立派な若者だった。オレも、なんでこんな若者がいくさに出なきゃならんのだと、“ニホン”の置かれた状況に同情したもんだった……。
ムラタ。おめぇよりも、はるかに立派な人間だったぞ。己に厳しく、他者に寛容で、世の中の平和を望みつつ国の行く末を憂い、父母への崇敬厚く――。本当に、立派な若者だった」
立派……?
立派だって? 馬鹿な。旧日本軍の兵士が?
「……悪かったですね。どうせ俺は女の態度一つで拗ねていた、童貞をこじらせた年齢=いない歴の馬鹿ですよ。
そう言ったら、親方にぶん殴られた。思いきり道具類を巻き込んで転倒する。
「お国を背負って戦うものを貶める、そういう腐った野郎だきゃあ、オレは許さん。
オレの作った剣を
「……兵隊なんてろくなもんじゃない、それくらい、俺は勉強してきましたよ。学校の歴史の授業でね」
人を殺して勲章をもらい、
女を犯して金が稼げたからいいだろうと賠償金を払うことも拒否し、
相手の国の人々の生活を破壊し、
しまいには自分の国の一般人すら巻き添えにして、
それで戦争で負けたら今度は自分たちは悪くなかった、旧日本軍は立派な軍だった?
その事実を知らないのに思い込みで美化をするなど、――反吐が出る!
吐き捨てるように言うと、親方はため息をついた。
「……おめぇの国、歪んでんな。学校で、自国の悪事ばかり教えられたってのか?
いくさはどうしても勝った負けたがあるし、人死にもわんさか出る。何千人も兵士がいりゃあ、一割としても何百人もの外道もいるだろう。
だが、だから兵隊さんは、全部が全部、外道なのか」
「逆に聞きますがね。他国を侵略する兵士の九割は、聖人君子だと言えるんですか?
紳士的に虐殺を繰り返していったと?」
一瞬腰を浮かせた親方だが、首を振りつつ座り直す。
「オレはそいつ……タキイとかいったか。
タキイからいろんな話を聞いたが、そいつは“ニホン”の良さも、問題点も、すべていろいろ語ってくれたぜ。平和を望みながらも叶わない、自分の国を取り巻く状況もな」
「どうせ旧日本軍の軍人ですからね。
自分から卑怯な不意打ちを仕掛けたくせに、大東亜共栄圏とかいう、後付けの、日本優位の考え方をぺらぺらしゃべっただけなんでしょう? 耳当たりだけはいいですからね」
「……本当に、歴史の継承に失敗したみてぇだな、おめぇの国はよ。おめぇに同情するよ」
平和も何も、すぐに暴力を振るう親方に、ご立派な文句をつけられるいわれはないと思う。
今の日本が近隣諸国三国とうまくいっていないのは、すべて旧日本軍の悪事のせいだろう。
歴史の継承もクソもない。日本の歴史を、よりによって旧日本軍兵士から学んだ鍛冶屋と、歴史論争をしてもしょうがない。
「……で、一体何の用だったんですか、親方」
「ん……ああ、そうだったな。おめぇ、その“ニホン”人に会いたくねえか?」
「断固拒否しますね。軍人になんて会いたくない」
「まあ、そう言うな。タキイはな、農学者になりたかったそうだ。作物の品種改良について、大学で学んでいたそうだぞ」
「……親方は、よく五十年以上もの昔の話を覚えていますね?」
「これでも、オレの趣味は日記だ」
――絶対に似合わない。
心の中で、全力で突っ込む。
「日記はいいぞ。そのまま自分史になる。いつの自分が何を考え、何を成し遂げようとし、その結果どうなったか。忘れてしまうことも、日記を見れば鮮明によみがえる」
……ひょっとして、後ろにずらりと並んでいる膨大な本みたいなものは……
俺が絶句して見まわしていると、親方はにやりと笑った。
「ああ、すべて日記だ。オレという人間がいなくなっても、オレがどんな人間だったか、この日記が証明してくれる」
……俺にはとてもできそうにないな。三日も持たずに飽きそうだ。
「ちっとばかり話がずれちまったけどよ。おめぇが“ニホン”人だってことを確認したかっただけだ。だから、もしおめぇに思い当たることがあるなら、知ってるやつを紹介したかったんだ」
「申し訳ありません。やはり軍人とは会いたくないですね。おそらく、現代の日本人――私とは考え方も合わないでしょうし」
「そうか……」
正直、気にはなる。
旧日本軍の軍人ということで、反射的に「会いたくない」などと言ってしまったが。
ただ――もし生きているなら、七〇歳くらいか。この世界から脱出する手がかり――は、持っていないだろう。あれば絶対に帰ってしまっているはずだからだ。
だが、ある程度の情報はあるかもしれない。
ほとぼりが冷めた頃に、親方ともう一度交渉してみるか。
部屋を出る前に、親方に呼び止められた。
「ムラタ。オレぁ、おめぇには感謝してんだよ。飲めねぇ水を飲めるように考えてくれた、その一点だけでもな」
そこは感謝されるいわれはない。
あれは、リトリィのために考えたのだ。彼女の献身に応えるために。
「原理も、仕組みも、みんな教えてくれたのは、おめぇがいずれこの家を出て行っても、オレらだけでなんとかできるようにするためだろう? その心根には頭が下がる思いだ。
売り方も、面白かった。フラフィー達にとっても、いい勉強になったはずだ。
――ただ、リトリィは……あいつはダメだ」
リトリィが、ダメ扱い?
「あんなにいい娘が? ……彼女は優秀でしょう!? 親代わりのあなたが認めず、誰が彼女を認めるというんですか!!」
思わず食って掛かった俺を、親方はふんと小さく笑う。
「
「――! 試したというんですか、なんと底意地の悪い……!」
「あいつの優秀さなんてな、おめぇが認めてやるだけで、あいつは満足するんだよ。世界の全てより、おめぇ一人の評価を望むだろうよ。
……だがな」
「オレが言いたいのは、リトリィは
もっと寛容に、柔軟になれ。自分にも、相手にも。
――頭でっかちに考えすぎるな、ありのままを受け止めろ」
リトリィが、望んでいる?
親方から見れば「くれてやる」、つまり、俺と一緒になることを?
その言葉の意味に、俺は一晩中、悩むことになってしまった。
『
たしか、だいぶ前、リトリィが俺の寝室に来た時に、やはり同じく寝室にやってきたアイネに向けて言っていたか。
祝言――祝言て、結婚の古い言い方だよな?
「……結婚!?」
俺は自分が思い浮かべた言葉に驚いて飛び起きる。
「結婚て、誰と誰……?」
って、あの時の文脈から判断すれば、どう考えても、俺と、リトリィだよな?
俺と、リトリィが、……結婚!?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます