第51話:祝い

「じゃあ、水を入れるぞ」


 アイネが水を汲み、沈殿槽に満たしてゆく。


 沈殿槽はかなり大きい。大きいが、深くすれば酸素と触れる機会も減るため、底はそれほど深くはなく、広さによって容量を稼いでいる。

 まんべんなく酸素をいきわたらせることができるように、羽根車のある位置には通路のように仕切り板を設けた。羽根車が回り続ける限り、この通路は一方通行となり、そのため水槽の水は大きな弧を描いて巡るようになるはずだ。


 アイネの献身によって満水となったところで、こんどは羽根車につながる軸を、風車のシャフトに接続する。


「……あれ?」


 動かない――とおもったら、噛み合わせたあと、ロックが不十分で弾かれて外れてしまったようだ。もう一度接続し、今度はちゃんとロックする。


 ――よし、動き始めた!

 羽根車が回り出し、水をかき回し始める。


「よっしゃぁぁぁあああああっっ!!!」


 爆発する歓声。

 親方は俺の首を剛腕にてロックし、フラフィーは親方と俺を両脇に抱えるようにし、アイネは親方と肩を組んで俺の背中を平手で殴り続ける。


 やっと、やっとここまでたどり着いた。

 羽根車の調子も悪くない。風車の動力が確実に伝わってくる。水をかき混ぜ、波立たせることもできている。こうして溶け込んだ酸素は、井戸水に溶け込んでいる鉄分と反応して錆となり、大きなものは沈殿してゆくだろう。


 まずは二、三日様子見だ。

 だが、今日は。


「おい! おめぇらよくやった! 今日は祝杯だ! リトリィ、蔵を開けてこい!」




「しかしこのひと月、よくやったぜ。鎌なんか、間に合うかどうかって思ってたしな。まあ、俺ら兄弟にかかれば、ざっとこんなもんてことだな! なあアイネ!」

「兄貴はいいさ、鎌に専念してたんだからよ。沈殿槽はともかく、濾過槽なんか大変だったんだぜ? ムラタの野郎、どんどん形の変更を要求するしよ。今だから言うが、最初から言えってんだ」


 ぐ……

 やってみると、いろいろ改良案が思い浮かんだんだよ! 沈殿槽だって最初は一槽だけを考えてたけど、やっぱり一度じゃ鉄臭さが取れなくて、急遽第二沈殿槽を考えたんだからな。


「改良はいいけどよ、せめてもう少し、回数を減らしてほしかったぜ。継ぎはぎ継ぎはぎで、結局新しく作り直す羽目になった濾過槽の恨み、忘れんなよ?」

「アイネもいい経験になったろ? オレぁ、あの風車が首を振る機構、よくやったと思うぜ」

「兄貴、ありゃ結局強度が達成できなくて、親方に頼んじまったんだよ。オレの作品じゃねぇ」

「機構を考えたのはお前だろ、大したものだと思う」

「……ムラタに褒められるのは気持ちわりぃな。

 ……言っとくが、もう二度とリトリィを泣かせんなよ」


 ビールのようでビールとは違う、まるで濃い麦茶にアルコールを足して炭酸を加えたような、しかし濃厚な酒を皆で飲む。

 ビールとの一番の違いは、苦みがほとんどないところだろうか。純粋に、焦がし麦の香りを楽しむようだ。この世界には、ホップがないのかもしれない。


 リトリィだけは口にしていないが、彼女はアルコールが苦手なのだろう。ただ、一緒に、木製のジョッキのようなもので乾杯はした。

 乾杯だけして、またすぐに給仕に立つところが、本当に彼女らしい。こんなときぐらい、一緒に楽しめばいいのにと思うが、彼女に言わせると「わたしがしたいって思ってるんです」だそうである。


 そういえば、乾杯の仕方は、手に持った器を軽く持ち上げるだけだった。あの、日本の飲み会の、ジョッキやグラスをぶつけるアレをやろうとして、みんなから顰蹙ひんしゅくを買った。

 リトリィにさえ、「あの、そういう不作法は、どうかとおもいます……」と、控えめながらきちんと不作法と言われた。よほどの禁じ手なのかもしれない。


 とはいえ、基本は俺の隣がリトリィの定位置。不作法とは注意しても、「でも、二人で納得してするなら、不作法じゃないですよね?」と、日本的乾杯流儀に合わせて、改めてジョッキをぶつけてくれた。本当に、なんとできた娘なのだろう!

 給仕も最低限以外は、俺のために行ってくれる。アイネはいろいろとうるさいものの、他の二人はリトリィがしたいようにすることを、黙認しているようだ。


 お代わりなどだけでなく、こっそり、俺だけのための一品を用意してくれたりするあたり、彼女も楽しんでいるようなので、俺も、彼女から給仕されることを楽しむことにしている。


 このひと月、仲が進展したかと問われたら巨大な疑問符が付くものの、こうしたささやかな時間を俺は彼女と楽しむことができていた。ゆっくりとはぐくむ時間というのが、こんなにたのしいものだったとは。




 浄水設備は一応の完成を見たが、これからまた、工夫が必要だ。

 そもそも、あれでもまだ実験段階なのだ。野ざらし状態のあの各槽は、あのままでは天候によってダメージを受ける恐れがある。

 とりあえず雨除けの屋根をつけなければならないし、ゆくゆくは壁で囲って小屋にすることで、全天候型の設備にしなければならない。


 そしてもう一つの野望は、手動ポンプの設置だ。要はストローで水を吸いあげるような機構を考えればいい。実物の構造はうろ覚えだが、要は何とかして真空、もしくは減圧状態を作る構造さえ思い出すことができれば、あとは何とかなるはずだ。


 あとは、風車のシャフトの回転をピン歯車で取り出し、手動ポンプの取っ手にクランクを取り付けてポンプのハンドルを上下に動かすことができるようにすればいい。そうすれば水を自動的に汲み上げることができるようになる。


 そこまでできれば、もう後は浄水設備の拡充だ。いずれは畑への水やりも自動化できるかもしれない。

 いや、家まで水道を引くことだってできるかも! ああ、夢が広がりんぐ!


 まてよ、水道を設置できるということは、いつでも水が使えるようになるということだ。

 そうすれば、リトリィは畑まで水汲みに行かなくても済み、工房の火力を利用して温水配管を造れば温かい風呂にも入れる!

 そしたらリトリィと一緒に毎日――


「……おい、ムラタ。鼻の下がのびてんぞ。ヨダレ拭けや」

「うるさい、俺は毎日温かい風呂に、リトリィと一緒に入るためにだな――!」


 言いかけて、ハッとする。


「ほぉ……誰が、誰と風呂に入るんだって?」


 アイネが、傷だらけの顔面をひくひくと痙攣させながら、にこやかに俺の肩を、がっしりと掴む。


「なあ、ここんところ、ちーっとばかり話が早く進み過ぎだと思わねぇか? もうちっと、その家族と親睦を深めてぇって思うよな?」


 みしみしと肩が鳴る。


「おい、今親睦って言ってたばかりじゃねぇか! 話聞けよ筋肉ダルマ!」

「筋肉“ダルマ”が何を意味するかは知らねぇが、俺に対する愛も好意もない言葉だってことだけは理解できたぜ――?」

「待て、これは誤解だ、話せば分かる――!」

「問答……無用!」


 そんな俺たちに、冷や水をぶっかけるかの如く、リトリィの声。


「アイネ兄さま? ムラタさんのことは、――そうではなかったのですか?」

「あ……いや、その、ほら、アレだ! ちーっとばかり話が進み過ぎてるようだからな、もう少し落ち着いて――」

「アイネ兄さま。わたしは言ったはずです。いい加減、妹離れをしてください」

「いや、だから! 俺はお前の兄貴としてだな、もう少しその――」

「お兄さま?」

「……はい」

「ムラタさん。本当に、ありがとうございました。おかげで、水汲みには苦労しなくなりそうです。

 ――これは、わたしからの、ほんのお礼です」


 そう言って、アイネの目の前で、俺の頬に、キスをする。

 ――人前で、キス!?

 俺……ひょっとして今、リア充……ってやつ!?


「ムラタぁぁぁああああああっ!!!!」

「お兄さま」

「ぅぐぅ……ッ!!」


 ――こわい。

 今日、リトリィのことを初めて、ちょっとばかり怖いと思った。

 いつも微笑んでいる彼女を怒らせると、ここまで怖いのか。

 キッチンの支配者とかそういうレベルじゃない。

 改めてこの家の階級的構造ヒエラルキーを確認する思いだった。


 


「おいムラタ、ちょっと顔かせや」

 テラスの床材のうち、大きく傷んだ部分を見つけた俺は、その補修のために何ができるかを考えていた。親方からの呼び出しは、そんな時だった。


「ムラタ。アイネから聞いたぞ。おめぇ、ウチの工房の防錆塗料の材料、知ってたんだってな?」


 様々なものが乱雑に積み上がっている、親方の部屋。足の踏み場もないほど、様々な道具類が、床に、壁にと、所狭しと並べ、掛けられ、積み上がっている。そのすき間に置かれるようにした椅子に、俺と親方は相対して座っていた。


「ああ、茶葉を使ってるって話ですか?」

「……正直、聞かせてくれ。どこで知った?」

「茶葉の渋みが、防錆効果を持つ、ということくらいです。知っているのは」

「……渋み?」

「はい。タンニンというのですが」

「……タンニン」


 親方が身を乗り出してくる。この年で、新しい知識を貪欲に取り入れようというのか。さすがは工房主、勤勉なことだ。


「――それが鉄と結びついて黒錆になることで、赤錆を防ぐという仕組みです。

 お茶でなくてもいいのですが。……たとえば、わたしの国では、“渋柿”の実を使ったりもしますね」

「ああ……。ウチの防錆塗料には、茶っ葉も使っているが、主にペシュモの実をつかっているな。えぐみと渋みの強い実だ。そのままじゃとても食えたもんじゃねえが、ドライフルーツにすると抜けるもんで、それで食えるようになるってやつだ」

「えぐみと渋み――なるほど、タンニンの特徴っぽいですね」


 ペシュモの実。確かアイネも、そんなようなことを言っていたか。


「――なるほどな。おめぇが確かに“ニホン”人ってことが、よくわかったよ」

「……どういう、意味ですか?」

「俺がこの工房を立ち上げるきっかけになった奴も、“ニホン”人だったんだ」

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