第53話:頑迷(1/2)

 ……リトリィは確かにすごく魅力的な女性だ。

 共に暮らしてきて「お付き合いしたい女性」の度数は人生においてナンバーワンという人なのは間違いない。ていうか、お付き合いしたい。

 間違いないが、結婚て、一足跳び過ぎないか?


 まだ知り合ってひと月とちょっとしか経っていない相手と、結婚?

 リトリィ、君はどんだけ焦ってるんだ? まだ十九だろう、アラフォーのお姐さま方と違うんだぞ?


 いや、確かに交際したいです。

 ものすごく。切実に。渇望しています。

 風貌は確かに人間とは違うけれど、あんなに素敵な心根の女性と一緒になれたら、間違いなく幸せになれるだろう。


 だが、俺はいずれ日本に帰るつもりなのだ。そして、彼女は優秀な鍛冶師見習い。この地で鍛冶師をやっていくはずだ。

 どう考えても、俺と彼女の人生は、交差する。今はまさに、その点上にあると言っていい。


 共に生きていきたい、その願望はあっても、リアルに考えたら共に生きる未来なんて想像もつかない。


 彼女を日本に連れて行く? ないない、あり得ない。

 全身もふもふ、犬の顔をして尻尾の生えたヒトがあっちの世界に現れたら、どうなるか。


 ご近所様は大騒ぎ、マスコミが大挙して押しかけ、とんちんかんなやり取りにお茶の間は沸き、無慈悲な好奇心にさらされ、そしてSNSの発達した日本中で監視され続ける。


 子供でもできようものならどっかの研究機関が飛びついてくるに決まっているし、死んだら標本にされ日本のどこかに展示される――そんな悲惨な未来さえ見える。


 なぜなら、「厳密には」ホモ・サピエンスではない彼女に、「厳密には」人権が適用されない恐れがあるからだ。


 じゃあ、俺がここに残る? それもあり得ない、俺は日本に帰りたいのだ。俺は偶然この世界に落ちてきただけだ。やり残したこともある。それを見届けずにここに来てしまったのだ。


 せめてその結果を知りたいし、現代文明の恩恵に頭の先までどっぷりつかってきた俺が、おそらく満足な医療もないこの世界で長生きできるなんて思えない。

 体型的には標準のはずの俺が「ヒョロガリ」と呼ばれる時点で、いろいろと劣っているのは間違いないからだ。


 もともとあの浄水設備は、彼女がこの地で少しでも楽に生活していけるようにしてやりたい、ということを願って、置き土産として考案したのだ。彼女を連れて出て行くなんて最初から前提にないし、もちろん俺がここに骨を埋めるなんて発想自体もない。


 だが親方は、俺が人間的な成長(だと思う)を果たした暁には、リトリィを俺に任せたい、というようなことを言った。

 彼女自身が俺のそばを望んでいるからと。


 仮にそれが事実として、では俺が日本に帰る話はどうなるのだろう。

 やがてその道が見つかるとして、じゃあ、その後は?


 どこぞの明治の文豪が書いた外道作品のごとく、俺を慕ってくれているリトリィを置いて、自分だけ日本に帰るのか?

 獣人と人間との間に子供ができるのかどうかは知らないが、万が一できてしまおうものなら、愛したはずの女性と子供を置いてひとりで帰国する外道――まさにあの作品そのままの展開になることになる。

 彼女を、あの作品のヒロインと同様の扱いになど、できるものか。


 リトリィが、遺伝子情報はともかく外見だけでもいわゆる一般的な「人間」であれば、日本に連れて行くこともできただろう。耳が犬、とかでも、ごまかしようはあった。せめて、顔かたちが人間風であったなら。


 しかし彼女は、そうではない。連れていけないのだ。


 ならば、俺が選ぶことができる道は一つしかない。

 彼女との交際が決定的なものになる前に、できるだけ早く出て行くことだ。


 そのためには、彼女とはこのまま一定の距離を置いて、決して深い関係に踏み込まないようにしなければならない。

 そして、やるべきことを可能な限り速やかに行い、この家を出る。


 ただし、この世界のことをまだ全く分かっていない自分が一人でふらふらと出歩いても、生き永らえること自体が難しいだろう。

 気に食わないが、例の軍人のところに手がかりを得に行くよりほかに、道はない。


 結局、彼女いない歴を更新するしかないということかと、自嘲する。

 まあ、それが結局は、俺の運命なのだろう。

 リトリィが思い描いた「二人で歩む未来」の運命なんて、所詮俺には無理だったのだ。


 彼女と交わした口づけの感触が、妙にリアルによみがえってくる。

 あの、長い舌に占領される俺の口内。


 負けじと差し込み、その舌の裏をくすぐるように愛撫する。

 荒く切なげな吐息が漏れ、絡みついてくる肢体を抱きすくめる。


 あれを、あの悦びを、

 ――捨てる。


 深い深い、とてつもなく深いため息をつき、俺は自分の運命を呪い続けた。



 ▼ ▽ ▼ ▽ ▼



 あれから、何度彼女を泣かせたのだろうか。

両手両足を使っても足りないという自覚だけはある。


 リトリィが人前で泣くと、アイネが暴れて、そして俺が死ぬ思いをする、ということは学習したようだ。少なくとも、俺以外の人前で泣く事はなくなった。


 俺は、とにかく意図して彼女との接点を減らすことを心がけた。彼女が自分を欲している、その事実を知ってしまった今、こちらから避ける以外にどんな手があると言うのだろう。


 どうせ俺は彼女などできたことがない。いないのが当たり前だったのだ。女性は世の中に数限りなく存在しても、俺とは事務的な関係以外なんの関わりもない。今までずっとそうだったし、これからもだ。


 しかし、はじめのうち、彼女はそんな俺の行動の意味が理解できなかったようだった。

 俺が何も言わずに態度を変えたのが一番悪かったのだが、その時の俺は自分が出した結論こそがと信じていた。

 そのため、心を鬼にして、努めて平静を装いつつ、距離を置き続けた。

 よって、彼女は俺につきまとっては泣き、そのたびに俺がアイネに殴られるという日々が続いた。


 やがてリトリィは、自身がまた俺の機嫌を損ねたと思い込んだようで、必死に俺の機嫌を取ろうとするようになった。

 どれほど邪険にされても世話を焼こうとし、二人きりの時に肌をさらしたことも、二度三度どころではない。何とか俺の関心を引こうとしたのだろう、体の関係を結ぼうと、何度も迫ってきた。


 それがあまりにも哀れで、リトリィは何も悪くないこと、ただ今後は互いに関わらないようにしようと言うと、俺に見捨てられたと受け止めたらしい。

 泣き叫び、あんなに心を通わせることができたと思ったのに何がだめだったのか、どうか教えてほしい、なんでもすると訴えた。

 何もしなくていい旨を伝えたら、この世の終わりのような顔をして泣き崩れた。


 その日が、リトリィが俺以外を含む人前で泣いた最後だった。

 俺がアイネに半殺しにされて、しばらく虫の息だったからだろう。だれからの看病も俺が拒否したことも、理由になったかもしれないが。


 俺自身としては、彼女に辛い思いをさせている自覚があったから、甘んじてサンドバッグになったのだが。


 それから後は、互いに笑顔を貼り付けて、当たり障りなく過ごせるようになった。

 ときどき、誰もいないところでリトリィが泣いている姿を見ることはあった。だが、俺の気配を悟ると必死で泣いているのを隠し、たとえ目を真っ赤に泣きはらしていようとも、努めて笑顔をようになった。


 それでも、時にはどうしようもなくなるみたいで、例えば給仕中に、何の前触れもなく唐突に涙をこぼし始めたりするというようなことはあったが、どうにかこうにか誤魔化すようになった。


 食事は、隣に誘うのをやめた。

 彼女の食事の定位置は、いつのまにか俺の正面となった。

 食事後にそっと二人きりの時間を楽しむこともやめ、なるべく早く食べ、逃げるように部屋を出るようになった。

 俺たちは共に行動することもなくなり、彼女は工房にこもることが多くなった。


 ――そして、彼女は死んだ笑顔を浮かべるようになった。


 だが、これでいいのだ。

 俺は日本に帰るための方法を探し、いずれ日本に帰る。

 リトリィはりっぱな鍛冶師となり、工房を兄弟子たちとともに継ぐ。

 いずれくる別れのために、もう、関わりを最小限に留めるべきなのだ。


 俺はテラスの修繕、手動ポンプの設計、風が強すぎたときに自動的に風車の回転を落とすための変速機の設計、浄水設備の小屋の設計までを、野郎三人組と共に行った。


 さらに、将来的に手動ポンプと風車とを接続するクランク機構による汲み出しの自動化が行えるようになった時に、汲み出した水を自動的に濾過し、それを貯水するための機構も、メモ程度の図解ではあるが残すことができた。

うまくいけば、屋敷まで配管することで、いつでも屋敷にいながら水を手に入れることができるようになるだろう。

 もちろん、そのためにはさらに浄水設備を拡充する必要があるのだが、小屋はそれを前提とした広さを確保しておいた。


 自覚はある。

 忙しく働くふりをして、彼女を遠ざけていたということに。


 少なくとも、彼女は俺がなにかに打ち込んでいる時には、そばに寄ろうとしなかった。

 ただ、ふと何気ない時、気が付くと彼女はいつもそばにいた。

 感情のない、ぎこちない笑顔で、それでも俺のそばで、茶を淹れたり肩を揉もうとしたりコートを受け取ろうとしたり――つながりを持ち続けようと努力し続けているようだった。


 だから、彼女がそばにいることに気が付くと、俺はあえて用事を作ってその場を去った――逃げた。逃げ続けた。

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