第23話:かけ違い(2/6)
リトリィが涙をこぼしている――
その事実に、ますます衝撃を受ける。
なんで泣いてるんだ!?
意味がわからない。
どう声をかけていいかわからず固まっていると、何ということか――
「おいリトリィ、前掛けが破れちまった、まだ予備があったよな、どこに――」
アイネが、食堂にやってきたのだった。
ぽろぽろと、うつむき涙をこぼすリトリィのどこまでを、アイネが確認したのかはわからない。
ただ、その瞬間、俺の体は左頬に凄まじい衝撃を受けて、宙を飛んでいた。
「ムラタ、このクソ野郎! リトリィに何しやがった!」
そこからはよく覚えていない。ただなんとなく、椅子から転げ落ちたあとは足蹴にされたのか、やたらと体が転がされたことと、リトリィの悲鳴だけが記憶にある。
気がついたら誰もいない食堂で、ひとり転がっていた。
アイネはもちろんいなかったが、なによりも
アイネにぶん殴られ、蹴られ小突き回され、全身、砂とほこりにまみれて、その上で介抱されたあともない。完全に床に放置状態だったし、あのとき泣いてたし、つまり俺は嫌われたってことなんだろう。
考えてみれば、さっきまでのあの関係こそが不自然だったのだ。なんとなく、好意を持たれていたように感じていたが、それは俺の勘違いだったのだ。モテたことのない俺が、異世界でわけもなく急にモテる――そんな漫画みたいな都合のいい展開なんて、あるわけがなかったんだ。
好意のように感じたそれは、あくまで、彼女が、
そう、
ま、そうだよな――妙に納得してしまう。
二十七年間、「彼女」というものに無縁だった人間に、数日の付き合いで「彼女」と呼べる存在ができるはずもない。
ならば、いっそ嫌われたほうがせいせいする。彼女の一挙手一投足に、変に期待することもなくなる。どうせいない歴=年齢、それが更新されるだけだ。
それでも、救われた恩義は返しておきたい。特に彼女は二日間も、
そのうえ、その
よくもまあ、今まで笑顔を絶やさなかったものだ。素晴らしいサービス精神。その優しさに、なんとか報いなければ。
濾過した水は、濁ってしまっているだろうか。それとも、綺麗なままだろうか。
飲めるレベルなら、これからは水を汲みに崖下に降りる必要がなくなる。仮に鉄分が多かったとしても、塩分が少なければ、水やりに使えていいのだが。
痛む足を引きずりながら、土に足を取られて何度も転びながら、それでも井戸にたどり着く。
水は――
「嘘だろ……」
また、濁っていた。
ただ、濁り自体は、一個目のフィルターでの濾過のときより格段に薄く、まずまず澄んでいる、と言ってよかった。リトリィが手伝ってくれたことは、決して無駄じゃなかったのだ。もう一回濾過すれば、飲めなくもないレベルになるかもしれない。
ただ、問題は。
「谷川で水汲みと、どっちが手間も時間もかからないか、だよなぁ……」
力なく座り込む。
「……そうだ、味は?」
予想通り、実にサビ臭い水だった。だが、塩味は感じない。これなら、サビさえなんとかできれば、飲用にも農業用にも、使えるかもしれない。
俺は立ち上がると、濾過を再開しつつ、その間に草むしりと水やりをすることにした。俺の本来の仕事は、畑の世話だ。一人になってしまったが、なに、もともとリトリィは一人でやっていたというのだから、その役を代わるだけだ。
小さな小さな芽が出てきている部分にじょうろで水を撒き、無くなれば井戸に戻る。ただただ無心に動き続ける。戻る頃には濾過が終わっている。飲まないのであれば、多少の鉄分は問題ない。また水を撒く。
水やりを終えて草むしりを始め、太陽がほぼ真ん中まで上ってきたころに、フィルターに使う素材について、一つ思い出す。
そういえば、濾過装置にシュロか何かを入れるといいんだったか。鉄を食うバクテリアが繁殖しやすくなるんだっけ? 森になら、代わりになりそうなものはあるだろうか。探してみよう。
シュロっぽい樹皮を見つけることもでき、満足した俺は、とりあえず本業――草むしりをすることにする。
太陽もだいぶ傾いてきた頃、リトリィが悲鳴を上げて駆け寄ってきた。どこにいたかと聞かれても、畑と森だ。それ以外のどこにいると思ったのだろう。
そういえば、結局昼飯も食っていない。道理で腹が減るわけだ。
何も考えずに草をむしり続けた結果、自分の周りには草がほとんどなくなっていた。リトリィは、これを毎日続けていたのか。頭が下がる思いだ。
リトリィが、ごめんなさいと泣いている。兄弟げんかでもしたのか。正直、今はあまり関わり合いたくない。草むしりとフィルターのこと以外、一切考え事をしたくない。押しのけて、草むしりを続ける。
リトリィが再度やってきた。どうしてもというので、ソーセージのようなものを挟んだパンを受け取った。じょうろに残っていた水で適当に手を洗い、その手でパンを掴んで食べる。
多少、歯や舌に砂を感じるが、だからといって吐き出すような気にもならない。無感動に飲み込む。
半分ほど食べたら、かじった拍子に肉が落ちた。拾おうとしたら、拾われた。
リトリィだった。まだいたのか。
新しいものを持ってきます、と言ったが、いらない、それより早く工房に行くといい、と答えた。
草むしりなど誰でもできる。それすらもできない人間だとは思われたくない。それに昨夜、工房に来なくていいと言われて、一瞬がっかりとした様子を見せていたから、彼女だって本当は工房で働きたいはずだ。
鍛冶師見習とはいえ彼女は優秀だそうだし、彼女にしかできないことがあるはずだ。
リトリィは二、三歩後ずさって、首を何度も横に振っていたが、それ以上関わりたくなかったので、放っておくことにした。
気がついたらいなくなっていた。
気を遣う対象がいなくなってホッとする。
彼女は誠実で気立てがよい、素敵な女性だ。できるなら、ずっとそばにいてほしいと思ってしまうくらいに。だが、そうやって俺が勘違いしてしまうから、俺が一人で勝手に辛くなる。
やっぱり、一人が気楽でいい。
夕食として、パンに芋を挟んでもらって受け取ると、食堂をあとにした。フラフィーが「一緒に食わねぇのか」と聞いてきたが、アイネとリトリィのいる部屋には居たくない。右手を上げて挨拶を送り、一人で部屋に戻る。
なぜかリトリィが付いてきたが、丁重に断って帰ってもらった。これまで砕けた言葉で話していた相手に敬語を使うのはなんだか嫌味な気もしてしまうが、まあ、礼儀は礼儀だ。
しばらくしてドアをノックされた。控えめなノックだったが、何度かしつこく続いた。
か細い声で名前を何度も呼ばれたが、掛け布を頭からかぶり、寝たふりをする。
一人でいい。――いや、一人がいい。
夜、蝶番が壊れていたと言って、アイネが扉を破壊して入って来た。クソ野郎め、今のすさまじい破壊音からして、お前がたった今壊したに決まっているだろ。
アイネはイライラを隠そうともしないまま、明日の朝食は顔を必ず出せと言った。断ったら、掴みかかってきて投げ飛ばされそうになった。
だが、すんでのところで何か思い出したのか、それ以上は何もしなかった。「とにかく来い」とだけ言って、部屋を出ていった。
めんどうくさいやつだ。
目覚ましなどなくとも、やろうと思えばできるものだ。
夜明けを畑で迎えた。
なんとすがすがしいことだろう。
それまで星が輝いていた空が、徐々に、白々と山向こうが明るくなっていっていたのが、太陽が姿を現してからは赤く、そして青く、目まぐるしく変容してゆく。
夜明けとは、こんなに美しいものだったのか。見る者の心がこんなにどろどろしていても、自然は変わらず美しいのか。いや、心が淀み腐りかけているからこそ、より美しく見えるのか。
そういう意味では、今日みたいに自然現象に感動する日があってもいいか、と思う。なにやら朝日から活力をもらった気がして、気持ちを新たにすることができた。
昨日は、なかなかに草むしりに精を出すことができた。無心に作業をするというのは――何も考えなくていい、というのは、悪くない。
何やら名前を呼ばれた気もしたが、まあ、あとでいい。
昨日、森で見つけた、繊維質の樹皮。ある程度たくさん採ってきたから、その樹皮をほぐして桶に敷き詰める。うん、いいフィルターになりそうだ。
そうやって試行錯誤をしていた時だった、彼女が再び現れたのは。
「……あの……どうして、わたしを避けるんですか……?」
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