第22話:かけ違い(1/6)

「そろそろお茶にしませんか?」


 リトリィに促されて、もうそんな時刻になったのかと驚く。

 今日はまだ、ほとんど畑のことをしていない。濾過装置をいろいろ試行錯誤しているだけで、お茶までの二時間が終わってしまった。


 それにしても、なかなかうまくいかないようだ。この井戸はかなり深そうに見えるから、うまくいくかも、という目論見は、甘かった。もう少し深く掘るのはどうだろうか。


「リトリィ、この井戸って、深さ何メートル?」

「……めえとる、ですか?」


 キョトンとするリトリィを見て、俺は間抜けにも、もう一度聞こうとし――そして気づいた。


「ええと、メートルって、分かる?」


 不安げに首を傾げる彼女に、自分の質問の馬鹿さ加減を知る。

 ……ちょっと試してみるか。


「メートルって、聞いたことない?」

「……ごめんなさい、分かりません」

「じゃあ、一尺いっしゃくは?」

「え? 一尺なら……えっと、これくらいです」


 肘から手首よりちょっと上までの長さを指し示す。


「じゃあ、一寸いっすんは?」

「一寸、ですか? えっと、これくらい――です」


 自分の親指の、第一関節から指先くらいまでを指す。

「あ、私、手が人より小さいから、本当はもう少しあると思います」

「いいよ、大丈夫。分かったから」


 ――そうか。そういうことか。もう一つ聞いてみよう。


「じゃあ、一リットルは?」

「あの……これは何かの試験ですか? 私、大事なことが分かってないんでしょうか」


 暗い顔になるリトリィに、慌ててそうではないことを伝える。


「いや、えっと、その……。俺は“日本”出身だろ? こっちといろいろ違っててさ。むこうとこっちで、分かりやすいすり合わせができないかって思ったんだ」

「え? でも、翻訳の首輪があるのですから――」

「うん、それなんだ」


 翻訳の首輪は、相手の言葉だけでなく、その意図も伝えてくれるらしい。だから口の中一杯にものを詰め込んでもごもごしゃべっても、ちゃんとその言いたい内容が伝わってくる。


 だが、受け取る側がは、翻訳できないようだ。

 現に、この前も、何時、という概念は伝わるには伝わったが、俺の意図する意味――地球でいう二十四時間制という意味の時間――では伝わらなかった。まあ、当然だけど。


「……だから、お互いに知っていることの中で、近いことについては翻訳されるけど、知識が噛み合ってないと、翻訳されずに言葉だけが届いてしまうみたいなんだ。だから、ちょっと知りたかったんだよ」


 つまり、知っていることに近い概念に変換されて伝わるか、そうでなければそのままの語で、つまり外来語として翻訳されずに言葉が届く。


 たとえば一尺は、およそ三〇・三センチメートル。これはおおよそ肘から手首までの長さに当たる。

 つまり、人体を基準にした単位。昔の基準は基本的に足の大きさとか手の長さとか、そう言ったものが分かりやすい基準として定められたようだから、この世界でも通じるのだろう。


 逆にメートル法は、地球の一周を四分割し、その分割したものをさらに一万分の一にしたものをキロメートルと定めたところが起源になる。こんな人工的な概念、測量の技術が発達しないと決して生まれない。というか、地球の四分の一周の一万分の一を基準とする、なんて、いったい、何をどうしたらそんな発想が出てきたんだ?


 ちなみにリットルは、一デシ(=十センチ)メートルの縦×横×高さの立方体の容積だから、これもメートルが理解できないと通じないということになる。容積や重さは……これはもう、人体とは関係ないところで決められてることが多いからな、分からん。この世界のますの大きさを知るしかないだろう。


 ――まあいいや、長さが尺貫法しゃっかんほうで通じるということを知ることができたのは大きい。建築業界じゃメートル法よりも尺貫法だったからな。


 ……そうやっていろいろと考えていたら、そばにいたはずのリトリィがいないことに気づいた。

 と思ったら、だいぶ前を歩いている。

 またやっちまった! 昔から考え事に夢中になると、周りが見えなくなる。悪い癖だ。

 慌てて追いつくと、一応、謝罪しておく。


「……知りません」


 ――ああ、やはり怒っているようだった。


「知りません。怒ってなんかいません」


 ――いや、怒ってるだろ、どう考えても。




 テーブルに、手際よくマグカップと皿が並べられ、そこに焼き菓子のようなものが置かれ、そして茶が注がれていく。


 リトリィは、あれからずいぶん機嫌が悪かった。話しかけても基本的にはつんとそっぽを向く。そして、「知りません」だ。


 たしかに、お茶の時間の誘いを受けたあと、それとは関係のない質問を色々したりしたが、それだって、今後の作業や生活で関わってくるかもしれない、単位の問題だ。職人を目指すリトリィなら、それくらい分かってくれると思うのだが。


 で、この対応に大喜びなのがアイネである。ただしリトリィはこの反応にさらに機嫌を悪くしたらしく、アイネのお代わり要求も無視した。


「なんでぇ、リトリィ。この前はあれほど喜んでたのに。ケンカでもしたのか」


 面白がる調子の親方に、「別にケンカなんかしてません」と、これまた不機嫌さを隠そうともしない。


「怒るリトリィはたまに見れるけど、不機嫌なリトリィってのは珍しいな」


 そう言って笑うのはフラフィーである。


「不機嫌とかじゃありません」

「なに言ってやがる。じゃあなんでムラタの皿には“麦焼き”が一つしかねぇんだ」


 リトリィは、途端に気まずそうにうつむいた。しばらく逡巡しゅんじゅんしていたが、やがて俺の皿にも、焼き菓子を数個、追加してくれた。

 だが、やはり茶を淹れようとしない。


 ――なるほど。自分で入れろ、ということか。


 ポットは、立ち上がって手を伸ばせば手が届くところに置いてあるのが、またなんというか。

 不機嫌であっても、いじわるになりきれないリトリィの心根が見て取れる。

 まあ、自分のことは自分でやろう、を提案したのは俺だ。仕方ない。その実践を今、強いられているのが俺一人、というのは、実に残念なのだが。


「ええと、リトリィ。一緒に食べないか……?」

「……知りません」

 

 少し迷った様子だったが、やはり相変わらずだった。今朝までだと、恥じらって即答しない彼女に何回か声をかけるのだが、今回ばかりは止めておこう。火に油を注ぎそうだ。

 ……まあ、即答ではなかったことに、希望を見出しておくことにしよう。



 「麦焼き」と呼ばれた焼き菓子を一つ、ほおばる。


 ――うん、見た目はクッキーのようだが、食感はビスケットだな。ただし、全く甘くない。あっという間に口の中の水分がなくなる。

 仕方なく空のマグを手に取り、立ち上がってポットを取ろうと手を伸ばすと、なぜかそばに控えていたリトリィが、ポットを取り上げてしまう。


 ――やっぱり不機嫌だった。それも、たぶん、とんでもなく。

 アイネの脳天に、容赦なく切り株を振り下ろした彼女の姿を思い出す。

 その顔を見るのもなんだか恐ろしくて、目を向けることもできず、あきらめて座り直す。


 行きどころのないマグを両手でいじりながら、もそもそと、とにかく口の中をなんとかして空けることにする。


 甘くないビスケットは、麦を焦がした香りこそ香ばしいものの、決してうまいものではない。なかなか飲み込めず、口の中でビスケットを持て余しながらマグをいじくる。


 マグは陶器製だ。この家で作ったのか、それともふもとにあるという街で購入したものなのか。シンプルで、装飾など一切ない。

 強いて言うなら、釉薬がかかっていない素焼き部分が残っているあたりが、独特の味わいを醸し出しているといった程度か。


『いい仕事、してますねぇ――』

 カップの底を見たりしながら、ふと、そんなフレーズが浮かんでくる。べつに、日用品の良しあしなど分からないのだが。


 なかなか飲み込めず、ガムのように粘りある塊になってきたビスケットにいい加減うんざりしながら、それでもリトリィが焼いてくれたものだと思えば無下にもできない。


 マグを両手で抱えるようにして、底の方の釉薬のひび状の編み目を見ながら辛抱強くもそもそと口を動かしていると、早々と皿の上のものを平らげた男たちが、「いつまで食ってんだ」と笑いながら、食堂を出ていった。


 ――さすが野郎連中だ、食うのが早い。

 というか、自分が遅いだけか。


 テーブルには、男たちの空になった皿とマグだけが残され、一人になったと実感する。リトリィは――キッチンの奥にでもいるのだろうか。姿が見えない。


 まだ一枚どころか、最初の数口だけでこのざまである。リトリィを怒らせたせいで、茶で流し込むこともできない。

 リトリィが誰か――主にアイネだったが――に怒る姿は何度か見たが、自分が怒らせてしまうなんて、この三日間、考えたこともなかった。

 こういうところが、女性という存在の難しさだと感じてしまう。


 そうこうしているうちに、今度は、ジャムのポットが、これまた手の届くギリギリの場所に置かれていたことに気づく。


 せめてジャムをつけることができていたら――少なくとも、気づきやすそうな場所に置いてあったら、もう少し味覚を楽しめたかもしれないのに。

 なかなか、今日のリトリィは扱いづらいようだと考え、そして、人のせいにする思考回路に自己嫌悪する。

 ――俺が怒らせたから悪いのだ。


 もそもそ。


 もそもそ。


 ……もそもそ。


 ようやく飲み込めそうになってきたとき、リトリィの声が頭の後ろから降ってきた。


「……あの、怒ってます、か?」


 ひどく悲しそうな声に驚いて振り返る。

 自分の後ろで、ポットを持ったまま、リトリィが、うつむき涙をこぼしていた。


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