第24話:かけ違い(3/6)
「……あの……どうして、わたしを避けるんですか……?」
胸元で両手を組むようにして、ややうつむきがちに、ためらいながら聞いた彼女に、俺はあえてぶっきらぼうに「別に」と答えた。
――我ながら、大人げない対応だと思う。
だが、大人げないと分かっていても、……それでも、せざるを得なかった。
「兄ですか? 兄が、また何か――」
「アイネは関係ないよ。アイネはね」
クソ兄貴はクソ野郎だが、リトリィを大切に思っているのは間違いない。アイネが原因という誤解は解いておこう。
だが、リトリィは何を思ったか、ひどく取り乱した様子を見せた。胸元をぎゅっと握って、なぜか辛そうにうつむいている。アイネに対する誤解は今解いたのだ、なぜそんな顔をする。
「あの、じゃあ、わたしのこと、やっぱり……」
「どうしてそこでリトリィ? リトリィも関係ないよ? 俺のことなんか気にしないでいいから」
いい子だからこそ、リトリィは誰とでも仲良くしたいのだろうし、このこじれをなんとかしたいのだろう。
だが、これ以上惨めな思いをしたくない。期待をして、それが破れることを恐れているなど。八歳も年下の女の子に聞かせたい内容じゃない。
彼女いない歴=年齢の俺の薄っぺらいプライドだけど、彼女に対する自分の醜い思いを晒せるほど薄いわけではないのだ。
「そんな……どうして? どうして急に……」
だんだんイライラが募ってくる。
彼女は何がしたいのだ。
俺だって二十七の男だ。その心根が魅力的な異性を前に、ただの仲良しこよしではっきりしない関係を、いつまでも続けていたいとは思わない。
急にと言うなら、そもそも出会いからして急で突然で、不自然で、作られたものだった。だいたい、体温の確保というなら、同じベッドに居るのは最初の日だけでよかったはずだ。彼女は何が狙いなのだろう?
「あー、なにか用があるのか? あるなら言ってくれ。できそうなことならやっとくから。リトリィが俺に時間を使うなんてもったいない、はやく工房に帰りなよ」
彼女はしばらくそこに突っ立っていた。
ときおり鼻をすする音が聞こえたが、しばらくそこに突っ立っていた挙句、何もせずに立ち去った。
本当に、何がしたかったのだろう。
畑はいい。先日、リトリィと一緒に収穫した「カブ」は、そのまま生でも食べられるようだ。労働の報酬として、一本や二本くらい、いいだろう。
濾過した水で洗ってかじる。
辛みはない。むしろ、甘い――というほどではないはずなんだが、野菜の不思議な甘みを感じる。我ながらワイルドだ。
そんな昼過ぎに、またリトリィが来た。
いい加減、しつこいと感じてしまう。
「……ムラタさんが、わたしを避けるからじゃないですか!」
そんな声が、背中越しの頭上から降ってくる。
お、今朝と違って元気なようだ。よかった、やはり工房での作業が楽しいのだろう。
俺も、まだまだ完成には遠いがこうやってフィルターをいろいろ工夫している時間は楽しい。エジソンが、睡眠時間を削って発明に勤しんでいた気持ちが分かる気がする。
ただ、だからこそというか、こうして人の相手をするのが面倒くさい。
――リトリィであっても、だ。
「避けてるよ」
思い切って振り返ると、リトリィの目を見ながらはっきりと言った。
「避けてるよ。だから何だ? 俺は一宿一飯の恩義があるから、それを、井戸水の改善で返そうと思っている。めどが立ったら、この家を出ていくつもりだ」
なぜか、息をのむようにしてたじろぐリトリィ。ちくりと胸が痛むが、悪意を込めて――そう、悪意を込めて続けた。
「……だからもう、構わないでくれ。ほっといてくれ。俺はもう、いないものと思っていい。ここのカブを食うことだけ許してくれりゃ、それでいいからさ」
言いたいことを言いきって、俺は桶に向き直った。
「……どう、して? ムラタさん、わたし、どうして、そんなにムラタさんに、嫌われてるの……?」
だいぶ経ってからの、リトリィの、かすれた声。
「嫌ってなんかないさ。リトリィはいいひとだ。俺が人生で出会った中で、一番素敵で、一番魅力的な女性だと思うよ。正直、さらっちゃいたいくらいだ。俺が言っても説得力ゼロだろうけどさ」
「だったら……」
「――だから、なんだけどさ。そっちが俺にまとわりつく理由が、俺には分からない。俺が異世界人だから、なにか役に立つものを隠してるとでも思ってるのか?」
違う。
彼女はそんなことなんかきっと考えていない。
「あいにくだけどな、俺は家の設計をすることしか知らないし、でも自分の力だけじゃ実際に家を建てることなんてできない。くれてやれるものなんか、なんにも持っていない」
「わたし、そんなこと、考えてなんて……」
ああ、わかってる。
そんなことぐらい、俺だってわかってる。
優しい子だから、おそらく純粋に、急に態度を変えた俺のことを心配しているのだろう。
俺は、彼女に対して
実に大人げない――ガキそのものの行動をとっているだけなのだ。
「俺は、そっちが望んでるものなんて、たぶん何一つ持ってない。
――アイネの野郎の言うとおりだ。俺はどうせ半端者だよ。なんでも自分で作り出す職人集団のあんたらに言わせりゃ、俺なんて頭しかなくて手がつながってないようなもんだ」
「わ、わたし、そんなこと――」
首を振る彼女の言葉を遮るように続ける。
「――ただ、俺にだって一応、技術者の端くれっていうプライドはあるつもりなんでな。だから、拾われた恩は俺の持つ知識と技術できっちり返す。だからもう、ほっといてくれ。俺に構わないでくれ。
――特にリトリィ、お前だよ」
言った。
言ってやった。
――言ってしまった。
もうこれで、彼女が俺の元に来ることはないだろう。
胸が痛くてしょうがない。
目の端が熱くてたまらない。
うつむいてなきゃ、頬に流れそうだ。
君はいい人だ、いい人過ぎる。
アイネの話全部が本当なら、どうしてそこまで優しいのか、擦れていないのかというくらいに。
経験のない男が、こうやって、今も全力で
リトリィは何も言わなかった。
しばらく、そこに立ち尽くしていたが、結局、何も言わずに立ち去った。
心底、ほっとした。
こんなぐしゃぐしゃになった顔を、あんな年下の子に見られなどしたら、それこそプライドどころの話じゃない。
誰もいない畑で、しばらく吠えてすっきりしてから、フィルターづくりを再開した。あのいい子が、この先の暮らしで、少しでも楽ができて、豊かに生活することができるように。
濾過装置の改善は、なかなかうまく進まなかった。
何とか二段構えくらいで濾過できる程度にはしないと、手間がかかるだけで、崖下から水汲みのほうが手っ取り早いとか、そんな話になってしまう。
どうしたら、なるべく手間をかけずに濾過できるのだろう。
多分、日本でなら、何かの薬剤が詰められたカートリッジを毎月交換して、とか、そういう話になるに違いない。
だが俺は、化学はさっぱりだ。何をどうしたら、この錆水を簡単に飲めるようにできるのか。
そう、今の俺は、この井戸を「飲み水に化けさせる」ことを考えていた。畑に来るほうが、崖下に行くよりもずっといい。アイネは死ぬまで崖下の川と家を往復してろ、と思うが。
水に溶けている鉄が酸化して錆となり、濁りになれば、粒子としても大きくなり、フィルターで濾過できるようになるのだろう。
だが、その前の状態ではいくら濾過しても、溶けている鉄分を十分に除去することはできない。
すると結局、濾過→汲み置き→濾過→汲み置き……という工程を繰り返すことになる。
できることはできるのだ。
だが、楽にできなければ意味がない。
この、褐色の水を、一発で濾過出来たら。
この何日か、そればかり考えていた。
棚を作って縦に二つのフィルターを設置し、連続で濾過する方法は、大して効果がなかった。やはり、ある程度酸化させないと濾過しきれない。
井戸のそばに、地下室に転がっていた大きなたらいをもってきて、沈殿槽を作ってみたりもした。ここに水をためておくことで、あらかじめ鉄分を酸化させ、あわよくば沈殿させることで、濾過の回数を減らせないか、と考えて。
この試みは比較的うまく行ったように思ったが、それでも十分ではなかった。やはり複数回の濾過が必要になる。
畑の世話もしなければならないから、濾過装置ばかりに時間をかけてもいられない。ある程度はうまく行くのだが、あくまでも「ある程度」。専門家ではない、聞きかじりの現代知識の限界を感じる。
そういえば、最近はリトリィと顔も合わせていない。
まあ、畑と地下室とを直接行き来しているから、顔を合わせなくても当然と言えば当然なのかもしれないが。俺の「構わないでくれ」をせいせいした、と思っているのか、約束として律儀に守ろうとしてくれているのか。
地下室には必ず夕飯が置かれているから、間違いなくあの部屋に通って来てくれているはずなのだが。
こう、うまく行かないことが続くと、リトリィのあの柔らかな笑顔、鈴の鳴るような清らかな声が恋しくなる。同時に、彼女のためだと自分に言い聞かせて追い払っておいてと、自分の身勝手さが呪わしくもなる。
俺が蒔いた種だ。寂しさなど、何をいまさら。
使いやすい濾過装置の完成が、俺の出ていく日。
それは同時に、リトリィが、崖下の川からの重い水運びから解放される日を意味する。その素晴らしい日のために、今、俺は努力しているのだ。
そう思って水面をのぞく。
いつもなら、鉄分が浮き、油のような虹色の膜が見られるが、暗くて分からない。
暗くて分からなくなるほど、暗くなっていたことに気づく。すでに月が顔を出していた。
彼女は来ない。きっとこれからも、ずっと。
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