第4話:鍛冶師ジルンディール

 ざばあっ!


 半地下室のドアを潜り抜けようとすると、水をぶちまけるような音が聞こえてきた。


 リトリィが開けてくれているドアを抜けると、早朝といった様子の、グラデーションが美しい空が目に飛び込んできた。


 どうやら、俺の背後の方が東らしく、目の前には山頂に雪を頂いた、三角に切り立った山々が峰を連ねており、それぞれが朝日を浴びてオレンジに染まっている。ここはかなりの山の中らしい。


 また、水をぶちまける音が聞こえてきた。どうも、この家の壁の向こう──家の角を曲がった向こうから聞こえてくるようだ。


「ん~~~~っ!」


 思いきり伸びをするリトリィ。尻尾がふわっと膨らみ持ち上がっている。


 ──ああ、獣人だ。間違いなく。

 顔を見れば一目瞭然なのに、変なところで納得する。


 なんとなしにその後姿を見ていて──

 服の裾がそのまま持ち上がり、そのふわふわの毛におおわれた──その、むっちりとした尻が! ほぼTバックの尻が!!


 慌てて目をそらす。水の音が聞こえてきた方に目を向ける。


 すると、家の壁の向こうから、べしゃ、べしゃ、という音が聞こえてきたと思ったら、筋骨隆々のおっさん──というか、爺さんが姿を現した。


 全身ずぶぬれ、下半身にはバスタオル状の布をまとっているだけの、歩くセクハラ案件状態で。


「あ、おとう──親方様! ムラタさまが、お目覚めになりました」

「んぁ? ああ、こいつ、ムラタっていうのか」


 爺さんは、髪や髭から水を滴らせながら、こちらにやってきた。

 歳は、顔だけ見たら70とも80とも言えそうな深いしわが刻まれている。


 だが、その両腕は俺の太ももよりも太そうだ。盛り上がった筋肉は、とてもそのしわだらけの顔にふさわしいものではない。


「リトリィ、お疲れさん。この二日、マネさせて悪かったな」

 そう言って、リトリィの尻をひっぱたく。「それとも、立派にか?」

「親方様!」


 叩かれた尻を押さえながら、リトリィが抗議の声を上げる。


「がははは、そうそう、その調子だ。じゃあ注文の剣、あとで磨いとけよ」

 そう言ってリトリィをいなす。


 リトリィはほほを膨らませ、「剣は任せて下さい! でも、お尻のことについては後でお仕置きですからね!」と言ってその親方様とやらの熱い胸板をポンと叩くと、なにやら尻尾を元気よく振りながら、右手奥の小屋に入っていった。

 その様子を見届けたあと、男はこちらに向き直る。


「で、ええと、ムラ?」

「──ムラタです」

「ああそうそう、ムラタ。ほれ、こいつをつけろ」


 そう言って男は、自分の首に着けていた革ひもを外す。翻訳首輪らしい。リトリィが付けていたものとそっくりの。


「Rae.Ruts e kune na kate」


 途端に、男が何を言っているかが分からなくなるが、男は革ひもを押し付けてきた。身振り手振りを交え、首にかけろということらしい。リトリィがしていたように首にかけると、


「俺の言葉が分かるか?」


 ほどなくして、ひげもじゃ爺さんの言葉が分かるようになった。

 ――これは便利だ。これさえあれば、外国語を勉強せずに済む。

 言っている言葉は、実は何語なのかさっぱりわからないのだが、かぶせるように聞こえる日本語のおかげで意味が分かってしまう、この不思議。


「じゃあ、さっそく質問だ。その前に俺はジルンディール。ジルアンでいい。おめぇは、ムラタでいいのか?」


 名前で行くとセイサクだが、まあ、ムラタでいいか。リトリィにもそう名乗ったし、それでいいとうなずく。


「ではよう、ムラタ。おめぇ、どこのモンだ」

「ニホンから来ました」


 定番だが、東の果ての国だと付け加える。


「聞いたことありませんか? 日本」

「ニホン……ニホン、ねえ……?」


 親方は、胡散臭そうに俺をじろじろと見る。


「──知らん、と言ったら、どうする?」

 ……やっぱりか。予想していたとはいえ、がっかりする。


「それから東の果てってお前、馬鹿言うんじゃねえ。この山脈越えたら、あとしばらく東に行ったら海に出ちまうじゃねえか、すぐばれる嘘をつくんじゃねえよ」


 ハンマーのような拳が頭に振り下ろされる。これは痛い!


「……すみません、島国なんです」

「ますますばれる嘘つくんじゃねえよ」


 再び振り下ろされる鉄槌。

 頭も痛いが、このまま殴られ続けたら首の骨が折れそうだ。


「トーランの港から東って、大海獣以外なんにもない海じゃねえか。船なんかあっという間に飲まれちまう東の果てに、航路なんかねぇよ。おめぇ、どこの国のモンだ」


 これは困った。ファンタジーにお約束の「東の果て」のジパング、が通じない。このままでは怪しいどっかのスパイか何かだと勘違いされそうだ。正直に言うしかない。


「正直申しますと、私は自分が、どこから来たのか見当がつかないんです」

「──はぁ?」


 理解してもらえるかどうかはともかく、仕事帰りだったこと、職場のドアを開けたらなぜか真っ暗な空間に落ちてしまったこと、気が付いたらここにいたこと。

 とにかく、ゆっくりと、言葉一つ一つを選びながら話す。


「……私自身、いったいどのようにして、この地にやってきたのか、まるで分らないんです。ゆえに、これ以上の説明ができません。お分かりいただけたでしょうか?」

「まったく分からん」

「──でしょうねえ……」


 地下室の前、二十メートルほど先は、向こう側まで五、六メートルはあろうかという崖になっていた。その崖っぷちで、俺達はしばらく黙ったまま風に吹かれていた。


 なかなか風が強く感じられる。谷川特有のざわざわとした水音が、崖の下から聞こえてくる。

 その向こうにはうっそうとした森が広がっているようだが、こんな幅を飛び越える勇気はない。


 西の森の奥には、先程オレンジに染まっていた山々が見えるが、今はもう銀色に輝いている。森に近づいたせいで山々はあまり見えないが、それでも山頂のあたりの銀色と、青く澄み切った空のコントラストが、今はとても美しい。


 この谷川は南北に伸びていて、北の方は森の中に消え、これまたでかい山並みに続いている。南の方も森に消えているが、明らかに南は下り坂だ。森に阻まれて道の先は見えないが、おそらくふもとには街でもあるんだろう。


 なんとなく崖の下に興味を持ってのぞき込んでみると、恐ろしく透明度の高い水が流れていた。そのままでも飲めそうなくらいに。水面までは四、五メートルといったところだろうか。崖には川までの道もあって、魚獲りや水汲みなんかをしているのかもしれない。


 なんにせよ、俺はこの川のどこかに打ち上げられていたのだろう。谷川なんて、気づかれなかったらもう、ずっとそのままだっただろうに。本当に幸運だった。




「ムラタといったか」


 爺さんが立ち上がって、腰に手を当ててひねりながら口を開いた。


「お前さんが誰なのか、どこの人間なのか分からんが、それでもお前さんに行く当てがないということだけは分かった。人間、困ったときは助け合いだ」


 お? これは今夜の宿の確保ができるということか?

 正直ここを叩きだされると、どこに行けばよいか全くわからないのだ。人情に縋れるならすがっておきたい。


「おーい、フラフィー! アイネ! この宿なしに水汲みでもやらせとけ!」


 ん? いかにもファンタジー少女っぽい名前!

 リトリィといい、ここはひょっとして女の園なのか!?

 そう胸をときめかせた俺の前に、


「うーっす、親父。おいアイネ、水汲み、あの行き倒れ男にやらせろってさ」

「やった! 今日は水汲みしなくていいんスか!?」

「アイネ、お前が水汲みをやる必要はねぇが、あの行き倒れ男に水を汲む場所だけ教えてこい」

「分かったっス兄貴!」


 真っ黒に日焼けした見事なスキンヘッドのフラフィーと思しき男と、顔面傷だらけの凶相の持ち主であるアイネと呼ばれた男が、小屋から顔を出してきたのだった。



――――――――――

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