第3話

 演者達には一人一部屋与えられた。与えられたのは部屋と稽古場。食事は食材等は自分達で準備し、調理場と大きめな食事場も借りられる様になった。


 皆で食事を終えた後、ソリシアは皆に今後の公演日までの流れ等を説明した。エマは、どこかソリシアの表情が曇っているのを見逃さなかった。


 さっそくエマは、話し合いの後ツェンの部屋へ行き、ソリシアの表情が曇っていた事を話した。「そんな事はない。」と、ツェンは言っていたが、エマは真剣に「いつものソリシアさんじゃなかった」と、ツェンに話した。「……エマがそこまで言うならわかった。」と、ツェンは答えた。


ーーーーー


 その夜、エマは眠れなかった。


 以前はツェンが、眠れない時は同じ寝床で布団でエマの身体をくるみ抱きしめて一緒に眠ってくれていた。しかし、いつからかいつも側にいてくれて過保護すぎるツェンがエマと距離を取るようになっていた。


 それもまたエマにとっては切なく、さみしい事だった。


 どうしても胸騒ぎとさみしさが抑えられず、エマはツェンの部屋へ向かう事にした、


 部屋の扉を静かに開け、薄暗い廊下をゆっくりと歩いた。オペラ座だからか大きめな廊下のステンドグラスから月明かりが入り不気味さと美しさで廊下が照らされていた。


 エマが歩いていると微かにタップを踏む音がした。そしてその音から微かに美しい声が聴こえた。


 エマはその声に引かれるように廊下を歩いた。


 気がつけばエマはオペラ座の舞台にたどり着いていた。そして、薄暗いオペラ座の舞台の上からその音達は聴こえた。


 エマは舞台の上のライト等が吊るされている所にかけが動いたのを見つけた。


 その影の方に行くとそこには、エマと同じくらい小柄の男性がいた。エマと同じ茶色の髪。しかし、顔の半分が爛れ緑色の瞳と目の下には茶色のクマのような模様の醜い容姿であった。


 エマはあまりの醜さに一瞬息を呑んだが、すぐに彼の歌と踊りに見惚れてしまった。


 切なく繊細過ぎる程の歌声と踊り。


 エマは確信した。


 彼が、このオペラ座の怪物であり怪人なのだと。


 彼が踊り終わると、エマは思わず小さく拍手をして怪人に近付いた。


 すると、怪人は顔を服で隠して逃げようとした。


「お願い!逃げないで!」


 怪人は、躓きその場に倒れ込み顔を隠したままうずくまった。エマは、怪人に近寄った。よく見ると怪人の手と足は枠極していた。


「あなた、もしかして足が不自由なの?」


 怪人は、顔を隠したまま話さなかった。


「さっきまで歌っていたじゃない。なぜ話さないの?」


 怪人は、無言だった。


「……話せないの?」


 怪人はより、顔を隠してさらにうずくまった。


「その、いきなりごめんなさい。私はエマ。今度このオペラ座で公演させてもらうの。貴方がもしかして噂の怪人さん?名前は?」


 怪人は、怯えながらもエマを見て、エマの美しさと、内側からでる優しさに気付いたのか少し目を見開いた。そして小さな声で「ロッソ。」と答えた。その声ですら歌声に感じてしまう程美しくもか細い声だった。


「ロッソ。本当に素適な歌声と踊りだったわ。」


 怯えるロッソの腕にエマは触れた。ロッソの身体がビクッと反応した。恐らくツェンと同い歳くらいかもしれない、とエマは思った。


「貴方は何故、表に出ないの?才能の塊じゃない。」

「ぼ……僕は醜い。カトリット様が……神様が僕の事を左で描いたと言っていた。」

「カトリット様が?」


 エマはあの紳士的なカトリットがそんな事を言う事に驚いた。


「ぼ……僕は醜い。だから誰かに観られてはいけない。生きていてもいけない。だから、いつもカトリット様は……僕を鞭で打って、“醜い。醜い。”って言いながら僕を裸にする。でもカトリット様の言う事きかないともっと鞭で打たれる。ご飯貰えなくなる。ご飯の前にカトリット様を食べなくちゃいけない。」


 エマは、ロッソの言っている事が理解出来なかった。


「ロッソ。私、お母さんがいないの。ジプシーって知ってる?」


 ロッソは首を横に振った。


「そう。」

「お……お母さん。ぼ……僕が醜いから……死んだって。僕を見て……僕が醜いから死んだって。カトリット様が言ってた。だから……ぼ、僕がお母さんを殺したんだって。」

「そんな事ない!」


 ロッソは身体をビクッとさせてまた服で顔を隠しうずくまった。


「ご……ごめんなさい。大きな声を出して。」

「……。」

「ロッソ。」


 エマは、ロッソの顔に触れて改めて顔を見た。確かに醜い。しかし怯えきった瞳はまるで何も知らない赤子のような美しさだった。


 エマは、ロッソの先程の歌と踊り、そしてツェンと同い年位であろうに自分と同じ位の小柄さと小さく怯えている姿に心を奪われていた。


 そしてエマは気がつけば無意識にロッソの頬にキスをしていた。


 ロッソは、目を見開いた。


 エマもハッとした。


「ご!ごめんなさい!」


 しかし、心の内から溢れるロッソへの愛おしさが抑えきれずおもわずそのままロッソを抱きしめていた。


 ロッソはエマの胸に顔をゆっくり埋めた。


 エマは、生まれて初めて胸を高鳴るのと同時に体の奥の何かが火照っていくのを感じた。


 そのままロッソの頭を撫でた。


 ロッソが少しずつ安心したのかエマの背中に手を回す。


 エマは背中がゾクッとしたが、何処か息が上がるのを感じた。


 そして今度はエマは、ロッソの頬に触れ、ロッソがゆっくりエマを見つめた瞬間に、エマからキスをした。


 最初は、唇が触れるだけのキス。


 ロッソは、生まれて初めて優しく触れられた事と、エマの美しさに頭がボーッとしていた。


 その表情に、エマの心と身体は火照りだし、エマは更にロッソと長く深いキスをしていた。


 怯えながらも微かに溢れるロッソの吐息は、それすらも歌声の様な繊細で美しい吐息だった。


 ロッソの何かが硬くなるのをエマは感じた。


“これが大人になるってこと?”


 エマは浸すたらロッソにキスをした。ロッソはされるがままだった。


 やがて二人の唇が離れた。


「ロッソ。貴方は醜くなんてない。美しいわ。」


 エマは、自分の中で何かが抑えられなくなるのを感じた。


「また……明日来るから。また……歌って踊って?」


 ロッソは、小さく頷いた。


 エマは、ロッソの髪を優しく撫でてまた自身の胸に抱き寄せた。


「ロッソ。私、貴方といたい。私だけのロッソにしたい。」

「……だ、駄目だ。」

「なぜ?」

「ぼ……僕は……カトリット様のものだから。」

「ロッソ。貴方はものじゃない。ロッソよ。」

「……ものじゃない?……ロッソ?」

「そう。貴方はロッソ。」

「ぼ……僕は……ロッソ。」

「私は、エマ。」

「……エマ。」

「……もう一回呼んで?」

「え……エマ。」

「もう一回。」

「え……エマ。」

「吃らないで。もう少しだけ大きな声で。」

「……エマ。」


 目を見つめ名前を呼ばれた瞬間。エマはロッソの美しい声と潤んだ瞳全てを自身だけのものにしたいと思った。

 

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