第4話




 戦場から離れた砂丘の陰。砂地に隠れるようにたくさんの天幕が建てられていた。


 その一つに、サラは縛られて押し込められていた。

 他には誰もいない。


 彼女を捕らえて連れてきた男たちは、手荒な真似はしなかったが、彼女が泣き喚こうが暴れようが意にも介さなかった。

 手首を縛った縄を馬の鞍に結んでに荒々しく歩かせ、歩かないと手に持った鞭でひっぱたいて、ここまで彼女を引き摺ってきたのだった。







 長い時間が過ぎ、天幕を照らす陽の光が赤くなり始めた頃。


 泣き疲れてもう声も出なくなって、ボーっとしていると、突然、天幕の帳を開けて、男がひとり入って来た。

 サラの前に膝をつくと、革の包みを差し出した。

「ほれ、咽喉が乾いたじゃろう。飲め」


 差し出されたのは革造りの水筒だった。サラは縛られた両手でひったくり、栓を抜くと、一気に飲み干した。



 男は満足そうに頷くと、対面に胡坐を組んで座った。


 喉の渇きが癒え、口を拭ったサラがよく見ると、白い髭を生やし肩まである髪も真っ白の老人だった。白い寛衣の下に銀の鎧を着込み、腰に剣を佩いていた。


「さても、毒と疑いもせず、飲み干すとは。間諜ではなさそうだな。ワシはジャヒード・シェイク・アブドルアジス。エルラー神教の護教僧侶、エレドの法典学者ウラマーじゃ。そなた、名は?」


 サラは一瞬ためらったが、

「あたしは、サラ、サラ・ミンデルです」


「ほう、サラか……。ミンデル。ふむ、家名を持っているのか」




 ジャヒードと名乗った老人は顎髭を撫で、じっくりとサラの顔を覗き込んでいる。そしていきなり彼女の顎を掴んで、首筋を左右に振った。


「ひっ!」

「逃げ出した奴隷でもなさそうじゃな。いったい、そなた、どこから来た?」


「なにすんのよ! ど、奴隷って! ここ何処なの! あたし、なんにもしてないのに、いきなりこんな恐ろしいところにいたんだから!」


 捲し立てたサラに、ちょっと驚いたようだったが、ジャヒードはかっかと笑った。

「ぜんぜん元気じゃないか。よしよし。隷属紋もないところからみるとどうやら自由民らしいのう。良かったな、わがカッシーナ軍に保護されて。アルゴスに捕まっていたら、奴隷市場に流されておったぞ」


 ずいっと顔を寄せ、

「なんせ、やつらは背教徒じゃ。悪神ケリドウェンを崇め、偉大なエルラー様の法を守りもせず、人身売買しておるからな。とくにそなたのような見目麗しい金髪の女子なら、金貨二百枚になろう」


 サラはその言葉を聞いて、恐怖の顔に変わり、縛られている縄が許す、ぎりぎりまで後退った。


「あ、あたしを、あたしを売るって! そんな!」




 老人はまた大笑いした。

「ハハハッ。大丈夫じゃ。ワシらはそんなことはせん。捕虜は身代金を払えば帰還させるし、債務で奴隷となるものも、人権は保障されておる。すべてエルラー様の法にのっとっておるからのう。そなたのような自由民であれば、保護する責務があるのじゃ」


「あたしは奴隷なんかじゃないわ! いきなり、こんな場所に……」

 サラはハッと口を噤んだ。相手が警察でもないのに、自身のことを話すのはまずい気がしたのだ。



「どうした?」

 ジャヒードは突如押し黙ったサラに訊ねた。

「……いえ。それがあたし、あんまり覚えていないの」

「ふーむ。記憶喪失とかなのか。名前は覚えておるのにな」

「……」

「なにか覚えていることはないか? 仕事とか家族とか、住んでいた場所の断片とか」


 サラはあまり知らぬ存ぜぬと言い張ると、怪しまれそうだと思い、

「えっと、実は歌手をしていたみたいでした。歌を唄う仕事です」


「ほう、それは素晴らしい。歌舞音曲はエルラー様に捧げる大切なものだ。すこし聞かせてもらうことはできるかね」


「え。じゃあ、この縄を解いてもらってもいいですか」

 

 サラが手首をきつく縛る縄を見せると、ジャヒード老人は、あっけなく短剣で切ってくれた。



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