第8話



 アスガルドの民会は、代々、アイガーの外れに建つ石造りの屋根の低い建物で行われる。

 屋根は低いが、その内部は大きく掘り返され、円形状の擂鉢のようになっている。勾配には石造りのベンチ席が設えられて、アイガーの有力者たちが顔を揃えていた。彼らはその派閥ごとに集まって喧々諤々と口論していた。


「静かにしろ!」

 濃い茶色の巻き毛髭を生やした中年の男性が、一喝し、手元にあったハンマーで傍らの銅鑼を叩いた。

「貴様ら、民会は神聖な集まりだぞ! 好き勝手に喚きおって! 伝統ある兵士たちの名誉を汚す気か!」

 そういって男性は、満座を睨み渡した。その場は徐々に静かになっていく。だが、一人の男が挙手して立ち上がり、

「議長。ワシは発言したい」

 議長、ハラルドはギロッとその男を見た。

「ハイムダルか。よろしい。だが時間は短く、敬意を持って話すのだ」


「発言を許してくれて感謝する」

 男たちの中でも抜きんでて巨大なハイムダルは一礼する。

「アスガルドの兄弟たちよ。われらの先祖が遠い昔、この地に到来して以来、どれだけの苦難を越えてきたかは知っているだろう。

 幸運にも戦乱を逃れ、この極寒の北極圏で温暖で肥沃な土地、実りを期待できるこのアスガルドを見つけ出した。先祖たちの生業は戦闘であったが、この地に移り住んでからは生まれ変わった。武器を捨て農具を持って、ここまで開拓するのは辛酸の限りだったことは知っていると思う。

 戦争の犬であった先祖たちは、その首輪を自ら捨て去り、平和を第一として生きてきたのだ。もちろん、諍いも殺人もあったが、すべて法に従い、血涙を飲んで受け入れてきたのだ。

 それを」


 そこで言葉を切って、ハイムダルは一隅でどっかと胡坐を組んで座っている巨漢を睨みつける。

 コナーだ。

「今世は、白昼堂々、殺人が行われたのにも関わらず、犯人を隠匿する輩がいるのだ。ワシはこの無法に異議を申し立て、すぐに犯人を引き渡し、厳正な処罰を下すことを望む!」


 コナーは立ち上がり、ハイムダルを無視してどよめく有力者たちに手を広げた。

「さてさて、おかしなことを聞く。我らの稼業はなんだろうか? もちろん、皆も知っているだろう。戦だ!」

「おおーーー!!」

 血の気の多いアスガルドの戦士たちが皆、喚声を上げた。コナーはしばし、彼らに騒がせた後、手を上げて鎮めた。


「たしかに高貴なるハイムダル殿の申す通り、家畜の世話に土いじりもする。だが、われらの本職はやはり戦士。ワシも戦さでどれだけの敵を殺してきたことか。つらつらと考えることがある。他人を殺すの良くて、身内を殺すのはいかん。よくよく考えてみればおかしなことだが、われらには常識の範囲内のことだ。そうやって千年以上やってきたのだからな。では名誉はどうだ?」

「そうだ!! 名誉だ!!」


 声を大にして同調する連中をまたしても制すると、

「そうだ。平和を求めた先祖たちも名誉は守った。すなわち慣習法にある。名誉を守る殺人は考慮に値すると!」

「おおーーー!!」

 ハイムダルと彼の一派は苦々しげな顔つきで、コナーを殺したいといった眼つきで睨んでいる。


「皆は調書を呼んだろう。すなわち被害者エリックは、加害者ランゴバルドの過剰なる暴力と罵詈雑言に耐え、闘争となることを避けようとしたが、ランゴバルドが剣を抜いたため、片目を失った。やむなく応戦し、加害者を殺してしまった。正当防衛としてな。非はいずれにあるか、明々であろう。ハイムダル殿の言う通り、白昼堂々、多くの目撃者がいて証言しているのだからな!」


ドォーンッ


 ハイムダルが拳でベンチ席を叩いた。彼の拳の形がくっきりとベンチに残り、亀裂が走って割れた。

「いい加減にしろ! 殺人だぞ! ランゴバルドの母の悲しみはどれだけ深いか、貴様らには分からんのか!」

「母親の悲しみには気の毒に感じるが、そうなる前に、ランゴバルドを教導できたのではないか。奴の悪評はアイガーすべての者たちが知っておるわ!」

「なんだと!」

 

 コナーの挑発に、ハイムダルの怒りが爆発した。

 ハイムダルが飛び出し、コナーに殴りかかった。コナーは軽くその拳を躱すと、ハイムダルに反撃した。ハイムダルは正面からその拳を掴み、ハイムダルはコナーの拳を握りしめた。

「この糞野郎が!」

「死ね! ボケナス!」


 コナーとハイムダルの争いに周りの者たちがワッとしがみ付き引き離した。ハラルド議長は怒りの表情で銅鑼を叩きまくっていた。

「両者とも控えろ!! いい加減にしろ! 民会は閉廷する。両者とも追って沙汰するから、首を洗って待っていろ!」

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