第10話




 その知らせがアイガーに知れ渡ったのは、アイザックがアレンの屋敷に厄介になるようになった五日目の昼だった。その日、彼はアレンに連れられ鍛錬場に来ていた。

 鍛錬場には、いつものように若いアスガルドたちが集まって来ていたが、彼らを前に何ごとか教えている老人がいた。

 アレンは彼に近づき、礼儀正しく挨拶した。

「おはようございます。円四朗先生」

 

 老人は、およそアスガルドとは思えない、小柄な人物だった。

 白くなった長髪を結び、白髭で背は低い。アイザックよりも低いかもしれない。身体は筋骨たくましいアスガルドたちと違い、ほっそりとして鶴のように痩せている。顔立ちも周りの男たちとは全く違い、目鼻立ちは低い。だが、その漆黒の瞳は炯炯と光り、老人ながら、気力では周囲の頑健なアスガルドたちを圧倒していた。


「おお、遅かったな、アレン」

 円四朗老人は、片手に持った木剣を軽く素振りし挨拶に応えた。アレンは丁寧に腰を屈め、返事した。

「先生。もうしわけありません」

「うむ。知っておるよ。ハイムダルにも困ったものだ。臍を曲げて民会の呼び出しにも応じぬとは。子供ではあるまいに」

「先生、今日は一手御指南いただきたく」

 アレンは彼の話しを遮るように、円四朗の言葉の途中で口を挟んだ。円四朗はニヤッと笑い、

「いいとも。かかってこい」 


 円四朗は木剣を構えた。片手を腰に添え、もう片手でただ木剣を振り上げただけの、なんの殺気もない上段構えだった。

 アレンも木剣を構えたが、すでに額に汗がにじみ出ていた。彼はじりじりと歩を進め、木剣を振り上げようとした瞬間。

 円四朗老人は霞のように捉えどころのない動きで懐に入ると、先に木剣をアレンの眼前に突き立てていた。

「死んだな」


 二人が数十合も稽古していると、息せき切った男が鍛錬場へと走り込んできた。彼は円四朗に呼びかけた。

「師範! 民会においで下さい! 斥候隊から、タイタンの集団が東渓谷へと接近してきたと連絡が!」

「!」




 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 


 円四朗は、アレンと鍛錬場にいた全員を連れて民会に駆けつけた。アイザックもなぜか一緒だった。

 すでに、アイガー中の有力な家の者たちが集まり、騒然としている。屋籠りしていたハイムダルも、コナーとグンナルも顔を揃えていた。

 

「報告があったときいたが」

 アレンたちは建物の中に入れない。円四朗のみが、彼らをおいて議場内に入り、ハラルド議長に問いかけた。

「おお、師範、来てくれたか。鷹の眼ホークアイの斥候隊が発見したのだ。タイタンが数十体、大禁壁グレートウォールに迫っているらしい」

「近年にない規模だな」

 円四朗は呻いた。

「すぐに討伐隊を編成し、東渓谷に送らねばならん」

 コナーが猛気全開で叫んだ。

「アームストロング家とブラグストン家は戦士を招集し出動しよう。触れを出す!」

「わがアイスハウンド家も一族郎党で出陣するぞ!」

 ハイムダルが叫ぶと、われもわれもと主だった各家の当主たちが拳を突き上げた。





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 


 民会の屋外では、知らせを聞いたアスガルドたちが続々と集まって来た。男も女も興奮して、腕を振り回し、唾を飛ばして大騒ぎして喧噪の限りだった。

 わあわあとうるさい喧噪に負けないよう、アイザックはアレンに大声で訊ねた。

「アレンさん! 戦争ですか?」

 アレンは知り合いの戦士たちと強い口調で話していたが、

「ああ。化け物どもがやって来たんだ」

「化け物?」

「おれたちの仇敵だ。それより、アイザックさんは家に帰ったほうがいい。うーん、誰か」

 そういって周囲を見回したアレン。

「お、ワーリャがいた。おおーい!」


 剣を携えた女性たちと固まって話していたワレンチナが、アレンの声に気がついて、群衆を掻き分け近づいてきた。

「アレン、やっぱ来てたのね」

「お、おう」

「兄貴の斥候隊がやつらを見つけて知らせてきたのよ!」

「ラグナルたちか。あいつらは?」

 ワレンチナは金髪を掻き上げ、紅潮した頬を緩めた。

「兄貴たちは、議員連中に説明する鷹の眼ホークアイに従って中にいるわ。あたし、姉妹たちと兄貴たちが出てくるの待ってんの」

 彼女が振り返った先には武装した女性たちが集まり、興奮した面持ちで、大騒ぎしていた。


「そうか。……せっかく待ってるところをすまんが、この人を俺の家まで送ってくれないか。ラグナルと一緒に家へ帰ったら、お前へ説明してもらうから」

「ええ!」

「悪い、この通りだ」

 アレンが彼女の肩に手を置き、くっつかんばかりに顔を寄せて頼む。ワレンチナはもっと赤面して、

「し、しかたないわね! 婚約者がそういうんだから、送ってってあげる」

 アレンは破願して、ワレンチナの唇にキスをした。

「すまんな。ワーリャ」

「いいわよ」

「ついでに家に行ったら、母さんが大人しく家にいるように見張っててくれ」

「わかった。で、この人ね」 

 ワレンチナは、彼女より背の低いアイザックを見下ろし、ニコっと笑った。アイザックは、

「すいません」

「じゃ、しょうがない、行きましょうか。アレン、もう一回キスして」

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