第6話 襲来



 その知らせがアイガーに知れ渡ったのは、アイザックがアレンの屋敷に厄介になるようになった五日目の昼だった。

 その日、彼はアレンに連れられ、鍛錬場に来ていた。

 

 

 鍛錬場には、いつものように若いアスガルドたちが集まって来ていたが、彼らを前に何ごとか教えている老人がいた。


 アレンは彼に近づき、礼儀正しく挨拶した。

「おはようございます。先生」

 


 老人は、およそアスガルドとは思えない、小柄な人物だった。

 白くなった長髪を結び、白髭で背は低い。アイザックよりも低いかもしれない。身体も、筋骨たくましいアスガルドたちと違い、ほっそりとして鶴のように痩せている。顔立ちも周りの男たちとは全く違い、目鼻立ちは低い。だが、その漆黒の瞳は炯炯と光り、老人ながら、気力では周囲の頑健なアスガルドたちを圧倒していた。



「おお、遅かったな、アレン」


 老人は、片手に持った木剣を軽く素振りし挨拶に応えた。

 アレンは丁寧に腰を屈め、返事した。


「先生。遅れてもうしわけありません」


「うむ。知っておるよ。ハイムダルにも困ったものだ。臍を曲げて民会の呼び出しにも応じぬとは。子供ではあるまいに」


「先生、今日は一手御指南いただきたく」


 アレンは彼の話しを遮るように、老人の言葉の途中で口を挟んだ。老人はニヤッと笑い、

「いいとも。かかってこい」 




 老人は木剣を構えた。

 片手を腰に添え、もう片手で、ただ木剣を振り上げただけ、なんの殺気もない上段構えだった。


 アレンも木剣を構えたが、すでに額に汗がにじみ出ていた。彼はじりじりと歩を進め、木剣を振り上げようとした瞬間。


 老人は、霞のように捉えどころのない動きでアレンの懐に入ると、先に木剣を眼前に突き立てていた。


「死んだな」

「くっ!」


 アレンは、後ろに飛びさがると、また剣を構えた。

「もう一度お願いします!」


 老剣士はニヤっと笑い、一転して厳粛な表情になった。

「いいぞ。だが、アレンよ。猛気がありすぎじゃ。打ち込む気配が見えてしまえば、それより早く入ればいいだけのこと。胸に鏡をかけて対手を写すのじゃ」


「はい……、先生」




 二人が数十合も稽古していると、息せき切った男が鍛錬場へと走り込んできた。彼は老剣士に呼びかけた。

「師範! 民会においで下さい! 斥候隊から、タイタンの集団が東渓谷へと接近してきたと連絡が!」

「!」


 



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 




 老剣士は、アレンと鍛錬場にいた全員を連れて民会に駆けつけた。アイザックもなぜか一緒だった。すでに、アイガー中の有力な家の者たちが集まり、騒然としている。


 屋籠りしていたハイムダル、コナーとグンナルも顔を揃えていた。

 アレンたちは建物の中に入れない。


 老剣士のみが、彼らをおいて議場内に入り、ハラルド議長に問いかけた。

「報告があったときいたが」


「おお、師範、来てくれたか。鷹の眼ホークアイの斥候隊が発見したのだ。タイタンが数十体、大禁壁グレートウォールに迫っているらしい」


「うーむ。近年にない規模だな」

 老剣士は呻いた。


「すぐに討伐隊を編成し、東渓谷に送らねばならん」


 コナーが猛気全開で叫んだ。

「わしとグンナルは戦士を招集し出動しよう。触れを出す!」


「わがアイスハウンド家も一族郎党で出陣するぞ!」


 ハイムダルが叫ぶと、われもわれもと主だった各家の当主たちが拳を突き上げた。





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 




 民会の屋外では、知らせを聞いたアスガルドたちが続々と集まって来た。

 男も女も興奮して、腕を振り回し、唾を飛ばして大騒ぎして喧噪の限りだった。


 わあわあとうるさい喧噪に負けないよう、アイザックはアレンに大声で訊ねた。


「アレンさん! 戦争ですか?」


 アレンは知り合いの戦士たちと強い口調で話していたが、

「ああ。化け物どもがやって来たんだ」


「化け物?」


「おれたちの仇敵だ。それより、アイザックさんは家に帰ったほうがいい。うーん、誰かいないか」


 周囲を見回したアレン。

「お、ワーリャがいた。おおーい!」




 剣を携えた美少女たちと固まって話していたワレンチナが、アレンの声に気がついて、群衆を掻き分け近づいてきた。


「アレン、やっぱ来てたのね」


「お、おう」


「兄貴の斥候隊がやつらを見つけて知らせてきたのよ!」


「ラグナルたちか。あいつらは?」


 ワレンチナは金髪を掻き上げ、紅潮した頬を緩めた。


「兄貴たちは、議員連中に説明する鷹の眼ホークアイに従って中にいるわ。あたし、姉妹たちと兄貴たちが出てくるの待ってんの」


 彼女が振り返った先には美少女たち、戦乙女ワルキューレたちが興奮した面持ちで、大騒ぎしていた。



「そうか。……せっかく待ってるところをすまんが、この人を俺の家まで送ってくれないか。ラグナルと一緒に家へ帰ったら、お前へ説明してもらうから」


「えぇー!」


「悪い、この通りだ」


 アレンが彼女の肩に手を置き、くっつかんばかりに顔を寄せて頼む。ワレンチナはもっと赤面して、

「し、しかたないわね! 婚約者がそういうんだから、送ってってあげる」


 アレンは破願して、ワレンチナの唇にキスをした。


「すまんな。ワーリャ」


「いいわよ」


「ついでに家に行ったら、母さんが大人しく家にいるように見張っててくれ」


「わかった。で、この人ね」 

 ワレンチナは、彼女より背の低いアイザックを見下ろし、ニコっと笑った。アイザックは、

「すいません」


「じゃ、しょうがない、行きましょうか。アレン、もう一回キスして」





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 




 日が暮れて、アレンはコナーと郎党たちとともに帰って来た。ラグナルとシグルーン、グンナル、それに彼の家来たちも一緒だ。


 屋敷は晩餐の準備で大騒ぎになった。


 ナンナは予定にない人数を見ても、平然として支度を命じ、ワレンチナもニコニコしながら手伝う。アイザックの商品、宝飾品を見せてもらって、ナンナの許可のもと、注文できたからだ。


 従僕たちが、どっかりと座ったコナーやグンナルに酌をしてまわり、女性奴隷たちが料理をどんどん運んできた。



「先陣はハイムダルと決まった」

 コナーが苦々しげに吐き出す。グンナルも頷く。


「エリックの件は代わりに不問になったんだろ。それでいいじゃねえか」

 ラグナルが旅装のまま、鹿肉の丸焼きを盛んに千切って口に運ぶ。



 シグルーンとワレンチナは、アイザックに注文した品物の話しに夢中だ。


 ナンナはそれには加わらず、エールを飲みながら、男たちの話しに口を挟んだ。

「それで、わが家は? 出陣の日は?」


 コナーはエールを呷ると、髭を拭い、

「われらはグンナルのフレイムガーン家と陣を組み、二番右翼陣だ。出立は明後日、大禁壁グレートウォールを越えて陣を張るぞ」


「そう。ならすぐに兵糧の手配をしなけりゃね。ボルグ!」


 ナンナの呼び声に従僕の老人はすぐに側に現れ、手配を言いつけられると、一礼して姿を消した。


「それに郎党たちの戦支度ね。アレン、十五歳以上のものの装備を用意しなさい」


「わかった、母さん」


「で、コナー、あなたは?」


「オレは一足先に東渓谷に様子を見に行く」


 ナンナはジト目になった。

「抜け駆けするの?」


「するか! 様子を見に行くだけだ!」


 ナンナは怪しそうな眼つきでコナーとグンナルを見比べた。

「どうだかねー。たぶん、そう思っている当主たちだらけじゃないかねぇ?」


 コナーは渋い顔に変わった。

「とにかく、タイタンどもの様子が分からぬままじゃ、準備のしようがないからな」


「ふーん。でもやっぱり駄目よ。あなた、明後日に軍勢を率いていきなさい。でないと、ハイムダルがまた難癖付けるんだからね」


「ぐっ」


「ラグナルからあいつらの様子を聞いて、準備しなさい。たぶん、縄や網の絡み物がいるわ。あいつらはちょっとやそっとで足を止めないからね」


「分かった。用意しよう」


 コナーは不満そうだったが、ナンナに口答えできるはずもなく、不承不承頷いていた。

 


 アレンがこっそりアイザックに耳打ちする。

「母さんは戦乙女ワルキューレの長姉だった時、ストーシリカ族やベルシッカ族と闘って負けたことがないんだ。不落の乙女って仇名されてたくらいさ。親父じゃ頭が上がらねぇ」



「軍略が優れ過ぎて、民会で意見を言い出すと親父どもも耳をかたむけるんだぜ」

 ラグナルも横から教えてくれた。


「そうなんですか。やっぱり奥方様って凄い方だったんですね。それで、来襲したタイタンって、どんなモンスターなんですか?」


 アイザックはずっと持っていた疑問を訊ねた。すると、ラグナルが答えた。


「やつらは、大禁壁グレートウォールを越えた東に広がる大氷原から時々やって来る巨人どもだ。おそらく腐蝕魔境が住処だろうな。

 おれたちでも、数人掛かりでないと殺せない頑丈さと、一撃で吹っ飛ばされる馬鹿力の持ち主でな、しかも悍ましいことにヒトを喰うんだ」


「ひぃー、そんな化け物……、なんですか。食屍鬼グールみたいな魔物かな?」


 アレンは重しく頷いた。

「いつもなら数体がフラフラと現れるくらいなんだが、今回は違うようだ。大戦さになるな」





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 




 二日後、急ピッチで軍装を整えたアスガルドの戦士たちは、甲冑を鳴らし、担いだ武器を煌めかせて出立した。従者たちは、大型兵器を軍馬に挽かせ、輜重の車列を続々と作っている。


 軍勢の先頭は、大きな槍を担いでいるハイムダルだった。その後方には、アレンたちがいた。そして何故か騾馬に乗ったアイザックが従っている。


 彼は無理を言って、従軍を願い出た。アスガルドの戦士たちの戦い振りを見てみたかったのだ。アレンは必ず後方にいて危なくなったらすぐに逃げろと言い含めた。



 彼らは出陣を見送る歓声の中、アイガーの街を降りて、アスガルドの野原を行進し、東のクレーター壁を越えた。

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