第6話



 翌朝、慣れない寝床に加え、コナーに随分と飲まされたため、尿意に促されたアイザックは、朝早く眼を覚ました。


 音を立てないように部屋を出て、早くも忙しく立ち働いていた従僕に、手洗いと顔を洗う場所の有りかを聞く。従僕は面倒くさがらずに手を止め、わざわざ裏庭にあるトイレへと案内してくれた。そのうえタオルまで出してくれたのだ。


 礼をいって、ありがたく使わせてもらう。トイレをした後、水道の流しで酔い覚ましにバシャバシャと顔を洗って、歯を濯いだ。



 そこへ何やらブゥーンブゥーンと風を斬るような音が聞こえてきた。

 

 不思議に思って、音の出処を探すと、裏庭の奥にある厩屋前で、アレンが剣を振っている姿に出くわした。




「おお、早いな。アイザックさん」


 アレンは彼の姿を目にすると、剣を収め、顔の汗を拭った。

 上半身は諸肌脱ぎになり、贅肉の欠片もない筋肉質の身体を露わにしていた。


「おはようございます。アレンさんこそ、こんな早くから鍛錬ですか?」


 アレンは置いてあった水筒からぐっと水を飲むと、頭から水筒の水を被った。

「そうだな、毎日このくらいだ。うだうだと寝ているのは好かんのでな」


 そういって彼はニヤッと笑った。





 大広間での朝食の席で、昨日行けなかった交易所に赴くことろなった。


 コナーは昨晩あれだけ飲んだにも関わらず、けろっとした顔でパンをスープに浸し、ビールと一緒にモリモリと食べていた。


「今日は民会に行ってくるぞ。ハラルド議長に談判してエリックの処分を有利にしてくる」



「ハラルド議長は事なかれ主義よ。エリックの処分は民会の議決になると思うけど」

 ナンナがコナーにお替りのスープの鉢を渡しながら、首を振る。


 コナーは彼女の腰に手を回して抱き寄せ、

「だから、グンナルとこちら側の数人で、先に議決を誘導できるように腹を合わせておくのさ。他の奴らは大抵が日和見さ」


 彼女は抱きしめようとするコナーの頭に拳骨を食らわす。

「それなら、とっとと出ていきな。あたしは戦乙女ワルキューレの集会に行かなきゃならないんだから」


 仏頂面になったアレンは手早く、朝食を終えると、アイザックを促して立ち上がった。


「なら、おれはハルトマンさんの店へ行ってくる。はやく毛皮を卸したいからな」

「痛てて。そうしろ。ついでにアイザック殿にアイガーを案内するといい」





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





 アイガーの街は台地の上にあるため、吹きつける風が強く、その風を利用した石塔の風車が、荷揚げ降しや揚水に使われていた。

 街のあちこちに建てられた風車が、風雨に変色した石積み塔の上で、ギィギィと音を立てて帆布作り羽根を回している。


 風車の下をくぐるように道はクネクネと曲がり、アレンが案内してくれていなけば、すぐに迷ってしまっていただろう。


 家はすべて石積みで、窓は高い位置に合って、道路際から内部を伺うことはできない。各家には衛士らしき武装した男たちが立って戸口を警護している。しかし、アレンはそんな衛士たちと知り合いで気安く声を掛け合い、時には冗談を言い合って、通りを行くのだった。


 そして、街の中心、異様な物体が大きくその姿を現した。



「これは何ですか、アレンさん」


 アレンは通り過ぎようとしたそれを見上げ、アイザックに煙るような青い瞳を向けた。


「あれは、強襲揚陸艦、セティスベイだ」




 斜めに地面へ突き刺った三角形は一見、残骸のように朽ち果ていた。


 鋼鉄とも合金とも正体の分からない金属で作られた巨体は、場違いな街中に聳えていた。陽を浴びて煌めく外殻は金属のようでもあり石のようなでもある質感で、白い艶のある表面はあたりの風景を写しこんでいて、風化の跡もない。


 だが船体の途中は大きく裂けて、亀裂が内部を露わにしている。隠すように、周りには石積みの建物が建てられているが、全ては覆えず、内部の縦横に走る錆びた配管の束が見えた。


 艦首は地面にめり込んでいたが、艦尾の噴射口は天に向かって口を開き、破損していなければ今でも轟然と噴射しそうだった。

 



「強襲、揚陸、艦? それってなんですか?」


 アレンは困ったように頭を掻き、怪訝な面持ちのアイザックに応えた。

「古代におれたちの先祖が乗って来た乗り物さ。まあ。夜にでもその話はしてやるよ。今は急ぐからな」


「はい」

 素直に返事すると満足したらしく、広場を突っ切り、一軒の店の前に立った。




 広場に面して建つ、他の店と同じ造りの3ルーデ(※3m75cm)を越える扉を開け、店内へ入った。

「おはよう、ハルトマン殿! 買い取りをしてくれ」

 

 大樽や木箱が乱雑に並び、壁に沿った棚にも、巻いた反物やよく分からない商品を置いた店内。鼻につく匂いに満ちた中、奥の戸から、痩せた姿勢の良い老人が現れた。


「アレンさんか。おはよう、こっちへ置いてくれ」




 この老人がハルトマンらしい。


 カウンターに両手をついて、アレンが持ってきた毛皮を見た。

鹿ディアーだね。傷もこれだけか。相変わらずの腕前だ」


 老人は、細かいところまで見逃さない鋭い目つきで、毛皮を次々と調べた。ふと、アレンの横に立つアイザックに気がついた。

「おや、その人は?」

 


 アレンの巨躯に隠れ、わからなかったようだ。アイザックは一歩進み出て挨拶した。


「はじめまして。ハンスターのアイザックともうします。参りました」


「なんと北方三公国からと。珍しいな。来たのかね。わしはハルトマン、よろしくな」


 ハルトマンは、またアレンに向き直り、毛皮の値段を告げた。

「全部で銀貨65枚だな」

(※アスガルドの通貨は隣国エルメルナスから輸入するディナリエ銀貨が流通しています。1ディナリエ大銀貨はだいたい8000円くらいの設定です)


 アレンが困った顔になった。

「もう少し上がらないかな、ハルトマン殿。甲冑師のところに預けてある鎧の修理代がかかるんだ」

  

 ハルトマンは上目遣いにアレンを見て、頷いた。


「仕方ない。アスガルドが武具なしじゃ、形無しじゃからな。銀貨70枚にしてやろう」


「助かる。ハルトマン殿」


 ハルトマンは金庫から大銀貨を取りだして数え、小銀貨と合わせて、アレンに渡した。アレンはすこし嬉しそうに隠しにしまった。

(※ハルトマン老人が支払ったディナリエ大銀貨は、銀貨10枚分の設定です。なので、1ディナリエ小銀貨は800円くらいの設定です)


「よし、用件は終わった。アイザックさん、行こうか」


 アイザックは、

「あの、申しわけないですが、ハルトマンさんと少し話しをしてもよろしいですか」


 アレンはちょっと驚き、ハルトマンの顔を見た。


「商売の邪魔をしなければ、構わんぞ」


 そう答えたハルトマンにアレンは頷き、

「なら、おれは甲冑師のところにいく。昼の6点鐘が鳴ったら迎えに来るからな」

(※アイガーの街では、時間の経過は民会が管理する大時計が鳴らす鐘の音で知ることができます)



 アレンの大きな姿が店内から消えると、老人は奥へと着いてくるよう合図した。アイザックは足をひきずる老人の背中について、店の奥、ハルトマンの事務室のソファに腰掛けた。


「茶でも飲むかね。それとも酒かね」

「お茶をいただきます」


 二人は黙って座ってお茶を飲んだ。



 しばらく、窓の外を吹く風の音しか聞こえなかった。やがて、ハルトマンが口を開いた。

「それでは、マハ騎士団長からの伝言を聞こう」


「はい。ゲルムド国師ルーカス・バンドン卿はやはり、エルメルナスに奇襲攻撃を3ヶ月以内に仕掛けるおつもりのようです。輜重の集合と兵站の活動度が活発になっており、ゲルムド内部の情報からも、国師の意図は明白なようです」


「やはり、そうか。ティベリウス皇帝陛下は疑っていた。かの国がナラミヤへの圧力を強めているのは、陽動ではないかとな」


「わがマルドゥック大公様には、エルメルナスへの二心は毛頭なく、われらもゲルムドの侵攻があればご助勢仕ると、ラブレド・マハ様は申しております」


「うむ。わしがこの辺境にいるのは、アスガルドから脅威となるゲルムドの長い手を振り払うためじゃ。陛下の御慧眼により、この地の驚異の人々が敵とならぬようにな」


「わたしがこの地に参りましたのも、ゲルムドの悪辣な計略に巻き込まれぬようにするため。偉大な皇帝陛下の先見の明には感服いたします」


 二人の密談は続いた。





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