第3話
四人が野営した岩塊の外。
夜の闇に紛れて、再びあの巨大な赤い
金色の瞳孔は見開かれ、焚火の匂いとヒトの匂いを嗅いだ鼻がヒクヒクと動く。
だが、やはり襲う気はないようだ。昨晩と同じく、すぐ近くで横たわると眼を瞑り、動かなくなった。
二頭のもっと小さい狼が近寄ってきた。灰色と黒色の体毛で、小さいといっても人の背丈と同じくらいの大きさだ。眠っていた
二頭の狼は、また闇の中に消えていった。しばらくすると、遠くの方で、甲高い悲鳴のような声が小さく響き、静寂が戻った。
眠りこけた四人は決して静かではない暗闇に怯えつつも、すでにぐっすりと眠りこんでいた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
草原が白々と薄明りになり、早起きの鳥たちが盛んに
サトシは寒さに思わず目覚めた。
焚火は少し弱っているものの、火が燃え上がり、狭い岩場の中を温めてくれていた。寝入る前にありったけ、薪を積み上げておいたのだが、どうにか持ってくれたようだ。
サトシはうーんっと伸びをして、岩場の外に出た。
やはり、危惧していた通り、大きな獣の足跡と草叢を倒して寝ころんでいたらしい跡があった。
――やっぱり、こんな近くにまで来ていたんだ……。でも、なんで二日続けて?
彼は、女子たちが気づいてパニックにならないように、獣の足跡に土を掛けて隠した。
「おはようございます」
岩塊の外に出てきたハルが朝の挨拶をした。
「あ、おはよう。起きるの早いね」
「うん、あたし、毎朝走っていたから」
「へ、へぇー、そうなんだ。やるね」
二人は岩塊の上に登り、今日も向かう雪の山並みを眺めた。
「まだ遠いわね――」
「ああ。まぁ、焦らずゆっくりと行こうよ」
「はいっ!」
みんなは水を飲んだだけで歩き始めた。ペットボトルの水も残り少ない。サトシは消えかけた焚火に足で土をかけて火を消す。
朝靄が薄明の草原をつつみ、夜露に濡れた草の間を、四人は黙って歩いた。
遠くで何かの鳥の囀りが聴こえてくる。
ギュルルギュルルルゥ――
しきりに鳴る
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
四人はやや低くなった窪地を俯き気味に横切り、緩い傾斜を登りかけた。
「あ!」
先頭に立つサトシが立ち止まり硬直した。
次に歩いていたハルはぶつかりそうになり慌てて立ち止まる。ただ事でない感じのサトシに気が付いたハルは訊ねた。
「ちょっ、どうしたんですか?」
「あ、あれ!」
サトシは震えながら前を指さすと、ハルはその方を見て、
「んっ? きゃぁーっ!!」
小さく悲鳴を上げた姉にミカとユウも連られてそちらを見た。
「「きゃーーー!!」」
傾斜を上がったところで、お尻を地面に下した巨大な赤い
深紅の体毛が風に靡き、堂々たる体躯が目の前いっぱいに立ちふさがっていた。
野性の威厳に四人は声もなく、ただ震えて立ち
「どどど、どうす、るの……」
ハルが震える声で聞く。サトシもさすがになんとも答えようがなく、
「え、えっと、どうしたら……」
「お姉ちゃん! 後ろ!」
振り返ったミカが、大声を上げた。いつの間にか背後にも、大きな二頭の灰色と黒色の狼が、逃げ道を塞ぐように立っていた。
サトシは、背後にハルたちを庇いながら窪地の片隅へと後退さった。
赤い
――……? あれ、もしかして?
サトシはふと思った。
「あれって?」
ハルはサトシを突っつく。
しばらく様子を伺っていたが、サトシは勇気を出して、ようやく恐る恐るガタガタと震える手を伸ばして、
「え、えっと。これ?」
「サトシさんっ! すごいっ!」
「これ、お手、してる?」
「すごいじゃん、お兄ちゃん」
「すごぉい」
サトシが慌てていると、突如、脳内に声が伝わってきた。
――よく来たな、異界の者よ。
「え! なんか声が聞こえるんだけど!」
サトシは焦って、キョロキョロした。
「なに言ってるんですか。声なんてしないですよ」
ハルが不思議そうに伝えたが、サトシは焦って周りを見た。
「いやいや、確かに声がしたよ!」
――そなたに声をかけたのは、われだ。
「まさか、この狼か?」
――そうだ。一度触れあえば、われの魔力で念話できるのだ。
「ええ――!」
サトシは驚き叫んだ。
「な、何?」
ハルがたじろいで、サトシの袖を引っ張った。
「あ、いや、なんだかこの狼から話しかけられてるみたいなんだ」
「うそ!」
――落ち着け。お前たちを食ったりはせん。ヒトがつけた名はハヤテ。この
「マジか……」
ハヤテと名乗った
――マジカ? マジカとはなんだ?
「いえいえ! 疑っているわけではありませんよ!」
サトシはお急ぎで手を振って打ち消した。
――ヒト族とは相変わらず奇妙な生き物だ。
フンっと鼻を鳴らした
――おまえたちを案内しに来たのだ。ついて来い。
ハヤテと名乗った獣は、語りかけると、歩き出した。
二頭の狼たちも従うように続き、残されたサトシはハルと顔を見合わせた。
「なんか、食べられる感じじゃなさそうだな。ついて来いって言ってるし」
「そうか……。怖いけど、逃げ出しても絶対追いつかれるから、ついて行くしかなさそうね」
頷きあうと、呆気に取られているミカとユウの手を引き、狼たちに続いて傾斜を上り、歩き出した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
うららかに陽が照る草原を、赤い
狼たちはサトシたちよりも遥かに進む速さが早かったが、必ず立ち止まって
サトシはハヤテと名乗った
「あのぉ」
ハヤテはチラッと彼を見た。
「なんで、助けていただけるんですか?」
動物相手に敬語をつかうのも変だが、サトシは相手を怒らせないように気を遣った。ハヤテは前に向き直った。
――ヴェガとコマチに異界から来た者を守護すると約束したからな。
「ヴェガ? コマチ? なんですか、それ?」
――われの盟友たちだ。
ハルが袖を引っ張って聞いてきた。
「ねえ、なんて言ってるんですか?」
「なんだか、この狼は友達みたいなヒトと、異世界からきた人間を守る約束をしたらしいんだ」
「へぇ。それで助けてくれるのかな?」
「みたいかな」
ミカが黒い狼の背に手を置いたまま歩きながら、嬉しそうに話した。
「ねぇ、この狼さん、とってもあったかいよ。もっとモフりたいなぁ」
ユウは灰色の狼の撫でながら、ニマニマしていた。
大股で歩くハヤテは、説明してくれた。
――光りの柱を見て、誰かがこの世界に落とされてきたことは分かった。急いでその場所に行ったのだが、一足遅く、すでに立ち去った後だった。
ハヤテは振り向きもしない。
サトシは彼?を見て質問した。
「なんで、夜、側にいてくれたんですか?」
――腹を空かせた
途中で獲物を探していたらしい普通サイズの狼の群れに出くわしたが、
慣れてくると、灰色と黒色の二頭の狼(名はないらしい)は、四人を護るかのようにすぐ
サトシたちは一生懸命ついて行く。
いつしか太陽は高く上がっていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
奇妙な一行が丘陵地帯を抜け、肩まで伸びた草叢を掻き分けると、突然、踏み固められた広い道に出た。
「道……?」
サトシはちょっと茫然とした。
その道はしっかりと固められた土の感触で、クルマ二台くらいが行き違える幅だった。車輪の
ミカたちと手をつないでいたハルが横に並んだ。
「道があるじゃん……」
サトシはハルと顔を見合わせた。
「ここに連れてきてくれたんだな……」
「びっくりだわ」
ミカとユウは、もう遠慮もなく彼らの毛並みをワシャワシャと撫でていた。
「ありがとう」
サトシは礼を言い、
「「「ありがとー!」」」
ハル、ミカとユウは両手を口に当て、大声で叫んだ。
とんでもない状況に投げ出され迷っていた彼らは、文字通りの送り狼によって、街道らしきところまで案内してもらえた。
しかし、置いてけぼりにされたサトシたちは途方に暮れた。
「えぇっと……、この道って、なんか目指してた方向に続いているみたいだけど……」
四人は、どちらへ進むか迷った。
サトシが意を決した。
「と、とにかく、やっぱり山へ向かってこの道を進もう。用心して何かあったら、すぐに草原に逃げ込むんだよ」
「もし、襲われたら、どうします?」
ハルが最大の心配を口にした。
もう守ってくれる狼たちはいない。
「……とにかく、草原の中を走って逃げるしかないよ。絶対に子供たちと離れないようにしよう。ミカちゃんはお姉ちゃんと手を繋いで、ユウちゃんは俺と手を繋いで逃げる。二手に別れれば、逃げ切れるチャンスがあるかもしれない」
とりあえずの方針を決めると、四人は新しく見つけた道を歩き出した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
一時間ほど歩くと、前方に何かあるのを見つけた。
いつでも、草原に逃げ込めるように用心しながら、四人が近づいて行くと、人が集まっているのが遠目に見えた。
サトシたちは、ようやく人に会えたと一瞬喜んだが、悪者の可能性があると思い返して相談した。
いったんハルと子供たちは草原に隠れてもらい、サトシが彼らに近づいて大丈夫なのかどうか、確かめることなった。なにかあった時には、草原に走り込んで逃げるよう言い残してサトシは、彼ら正体不明の人たちと接触する。
「気をつけてね」
三人から応援を受けて、
「じゃ、行くか」
サトシはバックを背負い直し、ゆっくりと歩き出した。
「なにしてんだ、あれ?」
戸惑ったサトシは呟いた。
様子が見える距離まで来ると、ずっと先の方にいる者たちが、奇妙な動作を繰り返しているのが分かった。
直立して合掌してから、跪いて地面に両手を広げ、うつ伏せになる動作を繰り返していた。中には、野球のスライディングのようにずるずるっと前に突っ込んでいる者もいる。
訳が分からず、しばらくじっと見ていると、どうも彼らはその動作の繰り返しで進んでいるらしい。
そこから離れた荷車の周りには、三人ほどが集まっていた。小さな人影から子供もいるみたいだ。彼らは座り込んでおしゃべりしながら、お茶を飲んでいるようだった。
サトシはその三人に狙いを定めた。いつでも逃げられるよう、用心をしつつ、おっかなびっくりで近づく。ゆっくりできるだけ穏やかな声で話しかけた。
「あのー、ちょっと、すいません……」
彼らは身振り手振りを交え、盛んに話しをしていたが、サトシの声を開くなり、さっと黙り振り向いた。
それを見るなり、サトシは仰天した。
彼らは人間ではなかった。
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