ゾンビと冠付き 5

 このフィラム大陸には魔族と亜人、二つの近しい存在がある。この二つに、生物としての違いはない。どちらも人に比肩する知能を持った人ではない複数種の総称である。

 ──では、この二つを隔てるモノは何か。私はそれを、心の底から深く理解している。それはきっと、ヴェルデや他の亜人も同様だろう。


 それは、人の敵か味方か。それだけだ。

 魔に族すると書いて魔族。人にぐと書いて亜人。双方の定義は、人の存在によって形成されている。

 敵相手には「魔」呼ばわり。味方相手は一応の同胞扱い。どちらもが人を主軸に置いた呼び方だ。


 かつての大戦の真っ只中、『八戦雄』の一人である『必中』のガルダが中立寄りだった亜人の同胞を率いて人に与してから今日までの間、この定義が揺らぐことはなかった。

 ゾンビという亜人がこうして人との関われるのも、かの英雄のお陰ってこと。当然会ったことなんてないし、顔も肖像画くらいでしか知らない遠い遠い存在だけど、感謝してもしきれない。


 ガルダは冷静に見極めていたのだろう。大戦の結末と自分達の身の振り方を。勝馬に乗り、その勝利の一助となって、『亜人』の未来を確保する為に。

 大戦後、自らを含めた亜人の権利を確約させ、今日こんにちまで守らせ続けた、私達亜人にとっての英雄中の英雄。彼の『必中』の名冠は卓越した弓の腕ではなく、戦後を含めた大局を見据える視野の広さと読みの鋭さを讃えたモノなのかもしれないね。


 そう……きっとガルダは知っていたんだ。負けた側が辿る悲惨な末路を。それを回避するには、自らも勝者に回る他ないことを。

 奪い合いの戦争に正義も何もないけれど、『必中』と謳われる彼の判断は私にとって確かに正しかった。


 だって私が今、こうして仲間と共にあり、仲間の一言一挙に感動出来るのも、ガルダが築いたモノのお陰なんだからね。たとえ、異なる存在への差別が人の世の摂理なんだとしても…私は人の間で生きるのが好きだ。


 亜人が人に与して生きる。そんなガルダの描いた世の中を満喫するちっぽけなゾンビの存在が、もしも英雄の誉れの一つになれているなら……ちょっとだけ嬉しいな。




 旧魔王領とアルテミア領を断崖絶壁で分かつ山岳地帯『逢魔のとばり』。

 この高く長く連なる山脈から眺望する景色は、まるでこのフィラム大陸を象徴するようだ。


 南方を向けば、遠目からでも活気の伝わる街並みが広がっている。対して北側は、瘴気に覆われた険しい自然が広がっている。もちろん、生活感なんてモノは微塵も見て取れない。フィラム北部の旧魔王領が如何に人に適さないか、フィラムの南部が如何に豊穣と安寧に恵まれているか。その現実がまじまじと描かれている。


 人はかつての大戦を、魔王軍率いる魔族が一方的に攻めこんできたの伝えてるらしいけど……この差を直視しちゃうと、そりゃ攻めこみたくもなるよねって思っちゃうな。

 このあいだガルテア辺境伯領に現れた小鬼ゴブリンの群れも、きっと南方の豊かさに誘われたのだろう。


 ただまあ……こうして遠方から眺望する分には、どちらにも違った美しさがある。

 お貴族様や冒険者が未開の旧魔王領に魅入られるのも、魔族が人の地を奪う為に戦争の火蓋を切ったのも、この美しさを少しでも自分のモノにしたい独占欲からなんだろうね。


 素晴らしいと知るからこそ自らの手に収めたい。パーティ仲間を心から望む私の貪欲な想いにも、これに通ずるモノがあるかもしれない。

 目の前に見ているだけじゃあ──いや、見えてるからこそ切望する、得難いモノ。


 ──コツン。


「ぐぅ?」

「さっきから景色ばかり眺めてるように見えますけど、ちゃんと黒鎧鳥ガーゴイルを探してますの?」

「ぐぁー、ぐぉうがっぐぁ」

「そうだったって……まったくっ。強いからって手を抜いちゃ、それ以上に成れませんわよ。わたくしは歴史に名を残すような冒険者になるのですから…ゾンビもそんなわたくしの仲間らしく振る舞って欲しいですわ。たとえつまんない依頼クエストでも、しっかりしなさい」


 携えた短い杖で私の頭を軽く小突くフィルティ。眉を細め不満げに頬を膨らませた顔は、叱責の言葉とは釣り合わないほど幼く可愛らしい。

 そんな表情でしっかりしろと言われても、しっかりどころか微笑ましくって弛緩してしまう。


「きゃははっ! ゾンビにしっかりしろなんて言ったって、そんなの魚に滝を登れってゆーのと変わんないよぉ!? 全身余すとこなく腐ったゾンビが、いったいどーやってしっかりするのさぁ」

「う、ぐぅぅ~。そ、それはゾンビへの偏見ですわ。貴女……エイリカも『冠付き《クラウン》』なのですから、亜人差別紛いの発言は控えて下さい。そんなことでは、冒険者の品位が──」

「ぷっ! ぼーけんしゃのひんいぃ? そんなの何処にあんのさぁ!? あたしは儲かる上に好き勝手出来るから冒険者をやってるんだけどぉ。身過ぎ世過ぎは草の種、ってね~。楽に稼げる上に適性もあるんだから、そりゃそれを選ぶってぇ。あたしにはぁ、お貴族様のお眼鏡に敵う上等な思想なんて…これっぽっちもありませ~んっ!」


 エイリカは全てを嘲る飄々とした態度でフィルティの言葉を軽くあしらう。

 生意気な口振りにフィルティは顔を思いっきりしかめてわなわなと震えているが、私は特に何とも思わない。……というか、それも一つの思想だからなぁ。


 だってお金目当ては、冒険者を志望する最たる動機だもん。口に糊する必要のない私やお金に不自由のないフィルティには関係のない話だけど、実入りの良さを冒険者の最たる魅力と感じる者は多いんじゃないかな。

 『宝眼』のリッケが設立した冒険者とは、あくまでも利益を追及した「職業」だ。……でも、決してそれだけじゃない。利のみで冒険の荒波を渡る者なんて、絶対にいない。それだけじゃ命を賭す代償に見合ってないもの。

 クレバー気取ってこんな減らず口を叩くエイリカだって、その点は同じだ。そうでなきゃ『冠付き《クラウン》』になんてなれるはずがない。最年少で『冠付き《クラウン》』の称号を得た彼女らしい、幼くこまっしゃくれた嘘。


 まったく困った捻くれっぷりだけど…私は結構嫌いではなかったりして。



「くぅ、悔しいぃい………!! ゾンビだって『冠付き《クラウン》』なのに…むしろ、ゾンビの方が格上なのに……言われっぱなしが悔しいですわっ!」


 エイリカの飄々たる侮辱に怒りながらも二の句が継げなかったフィルティは、私の側で私だけに聴こえるよう声を絞り出す。


「何よりも、上手に反論を返すことの出来ない自分が歯痒かったですの……。もしもわたくしに彼女以上の経験があれば、ゾンビの凄さについての知識があればっ! もっと言い返せるのにぃっー!! 悔しい悔しい悔しいぃーっ!!!」


 最低限の体裁すら繕うことなく、地団駄を踏み言葉に怒りを滲ませる。


「ふ、ふふふ……見返してやりましょうっ! わたくし達二人で黒鎧鳥ガーゴイルをささっと見付けて、あの子の出番をなくしてしまえば、きっと鼻を明かすことが出来ますわ。草の根分けて探し出しましょ。えい、えい、おー!!」

「ぐぉ~」


 私達が先に標的を見付けたところで、エイリカの性格上、少しも悔しがったりはしないだろうけど……そんな本音はもちろんおくびにも出さない。

 依頼クエスト内容に不満を抱いてたフィルティが、どんな形であれやる気を出してくれたのだから、わざわざ梯子を外す道理はないのさ。


「ふふんっ! よぉし、わたくしの魔法とゾンビのゾンビっぷり。その二つが力を合わせれば、すぐにでも──」


 ひゅん──………ドスッ!


 鋭い風切り音と、肉を貫く鈍い音。

 気が付いた時には……私のこめかみを矢が貫通していた。──矢ぁ?


 ひゅん! ひゅん! ひゅん!


「──ぐぁあっげぇっ!!!」

「へ?」


 フィルティを庇うように前に出て矢の雨を浴びる。二本、三本どころじゃない。十数本の矢に風穴を開けられて、蜂の巣みたいにされてしまった。

 もしもゾンビじゃなかったら、確実に死んでる程度の被害。あっぶないなぁ…的がゾンビだけで本当に良かった。なんだってんだ、いったい──


 矢群の飛来した方角を見ても、射手の影は一つも見えない。山頂近い見晴らしの良い場所ではあるにも関わらずだ。

 恐らく何処かに隠れたのだろう。草木にこそ乏しいが、隆起した山肌や巨岩は身を隠すのに丁度良い。何より、山岳故の強い傾斜が身を隠しやすくしている。

 ……意図的に身を隠しているなら、誤射ではない。誤射でないなら、この攻撃は──?


「み、濃霧ミスト!!」


 困惑と決意の混じったフィルティの声を合図に、周囲の霧が拡がる。視界を阻む、濃い霧。


「な、な、なんで矢が飛んで来るのよ!? 黒鎧鳥ガーゴイルって弓を操れるの? そんなバカなことってぇ──」

「ぎぃあう」


 違う。そんな訳がない。器用に人間の道具を操る魔物も、小鬼ゴブリンを始めいないことはない。けれど、黒鎧鳥ガーゴイルは違う。鎧のように強靭な翼を持ってはいるが、その分四肢は細く貧弱で武器を操る知性にも乏しい。……あり得ない。


「と、とと、兎に角……身を隠す魔法を覚えておいて良かったわ。以前の醜態を払拭するために、あたしだって猛勉強の猛特訓したんだから…! あたしもゾンビと冒険する日を、心待ちにしてたんだから……っ!!」


 うん、そうだね。それは、今の咄嗟とっさの判断からも伝わるよ。適切な魔法を使う対応力と判断速度。それに、味方に合図を出してから魔法を使ってた。これも大きな進歩だ。

 攻撃魔法一辺倒じゃなく、補助魔法まで多彩に使いこなせる多才さも合わせて……感服するよ。感動モノだ。


 高い自尊心を持ちながら、反省してそれを活かすことが出来る。冒険者としての優れた才覚。こんな不測の事態にありながら……むふふふふっ、にやつきが止まらないね。


「なになにぃ? なーにいつにもまして気色の悪ぅい顔してんのさぁ。それに、身体中に矢を突き刺して……それもお洒落のつもり? まあ、化粧を塗りたくるよりはゾンビに似合ってると思うけどぉ」

「ぎぃーがーうー」

「きゃははっ! 冗談だってばぁっ。そんな剣幕で怒んないでよぉ」


 いつの間にかエイリカが、身を寄せ合うぐらい近くでけたたましく笑っている

 事態の深刻さを理解してないはずはないだろうが、それでも呑気に喉を鳴らしている。いや……呑気というより、むしろ楽しげだ。


「──で、射手の姿は見えたのぉ?」

「ぐぅうん」

「でしょーねぇ。あたしも見えなかったもん。最初っから射って隠れることが前提の襲撃。敵意しか感じないや。ゾンビをその辺の魔物と見間違えたって訳じゃあなさそーねぇ。この霧がなけりゃ、今頃第二射の雨あられだったかも。おじょーさまの機転に救われちゃったねぇ」

「そ、そうでしょうともっ!! わたくしだって、『冠付き《クラウン》』の仲間なのですわ。見くびらないで下さいましっ!」

「きゃははっ、ごっめんなさーい!」


 少し照れ臭そうに胸を張るフィルティの威勢を受けて、やっぱり楽しげに笑うエイリカ。どうやら彼女も、気分が乗って来たようだ。


「んじゃ、あたし達も負けじと頑張らなくちゃ。ほら、ゾンビ。目ぇ貸して」

「ぐぇ?」


 手のひらを私に向けて差し出すエイリカに、私は一瞬虚を突かれ、意図が読めなかった。

 私が言葉の意味を察するよりも早く、エイリカは行動に移す。私の眼孔に手を伸ばし……腐った眼球を一つ、手早く抉り出した。


「ちょっ……何してますの!? 仲間割れなんて──」

「いいから。うっわぁ、気持ち悪ぅ。ま、いいや。矢が飛んで来た方向はコッチだったよね。……『転送テレポート』!!」


 あ! な、なるほど。ようやくエイリカの言葉が理解出来た。ぐぅ……ゾンビな私こそ、この行動を即座に発案すべきだったのに、鈍い頭が恨めしいや。身体の鈍いゾンビが頭までトロ臭かったらおしまいなのに。反省しないと。


 視界が一転して、私の片目には霧の中とはまったく別の光景が映る。

 エイリカの魔法で転位した私の目が映す光景。私から離れても目が目の役割を果たしてくれる。そんなゾンビだからこそ可能な索敵手段、『千「離」眼』。


 そして、私の「目」の前には──


「何が見えたぁ? ま、敵の正体くらい、おーむね察しは付いてるけどねぇ」

「………」

「魔族、でしょ。それもきっと、数えきれないくらいにたーくさんの」

「ぐぅう」


 その通りだ。私の目に映ったのは、間違いなく魔族の集団。生き物としては亜人と区別つかないとはいえ、私の経験値を持ってすれば装備や格好の違いで判別出来る。

 それに、武装した亜人の集団が人気のない山岳で冒険者に攻撃を仕掛けるなんて、それこそ異常な話だ。色々と道理が成り立たない。でも、相手が魔族だと仮定すれば全てに納得がいく。大戦後から今まで、何度魔族の残党が攻め入って来たことか。


 首を縦に振る私を見て、エイリカは更にほくそ笑む。


「はは、きゃっはははは……!」


 やれやれとでもいわんばかりに頭を抱える姿には、恐れや困惑が一切見えない。手のひらの隙間から覗くのは、歪んだ口端と幼さの消えた鋭い目付き。

 ついさっきまで金の為だと嘯いていた人間の表情とは思えない、狂気すら孕んだ笑顔。


 『因果』のエイリカの本質が、そこにはあった。


「あららぁ困ったなぁ。依頼クエスト外とはいえ、敵意ある魔族と出会っちゃったら……倒さず逃げたりしたら冒険者風上にも置けないね。金にならない仕事なんてご遠慮願いたいんだけどぉ…善良な一人間として、フィラムの害悪は見つけ次第潰しておかないと! ねぇ、あなた達もそう思うでしょ?」

「そ、そうですわね! 魔族の残党は討伐すべき。エイリカ、あなたにもちゃんと『冠付き《クラウン》』らしい自負がありますのね。見直しましたわ!」


 まるで自分に言い訳するように、それっぽい理屈を並べるエイリカ。その陰にある意思は、明らかに理で語れるような代物じゃない。

 とはいえ間違ってもいないので、取り敢えず肯定はしておく。フィルティに至っては、彼女の歪みに気付けてすらいない。


「多勢に無勢。この世に数の利ほど絶対的なモノは存在しない。一騎当千なんて、所詮はお伽噺の夢物語だもの」


 エイリカの声にはもう、嘲りの色はない。


「それでも、寡兵で多勢を穿つ方法は存在するわ。多勢に利があるように寡兵にも利があり、少数の不利と同じように多数であることに不利もあるの。──そして、それを実現出来る存在が、『冠付き《クラウン》』と呼ばれるんだ」


 飄々とした口の悪い蔑むばかりの少女はもういない。ここにいるのは、本気のエイリカだ。


「ねぇ二人とも、誰でもいいから敵を『一匹』捕まえてきて。もちろん殺しちゃダメよ。そうしてくれたら見せてあげる。本物の、一騎当千というヤツを」


 偶然か必然か、いったい何の因果やら。エイリカを敵に回してしまった魔族達に、私は同情を禁じ得ない。

 エイリカの能力と功績は知っている。彼女が操る凶悪無比な魔法も、彼女が魔族殺しと謳われている由縁も。


 私はエイリカと違って人じゃない。もちろん魔族に恨みもない。だから少しだけ、可哀想だなって思ってしまう。

 ……人の側で生きる以上、決して口には出さない憐れみだけどね。

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