二章 ゾンビな私を信じれますか?

プロローグ

 今日も今日とて、王都の雑踏を独り占めしたかのような汚い喧騒に包まれる酒場『灰兎亭』。

 そんな雑音の吹き溜まりにまた一人、若い女が入って来た。


 スラリと細い長身、綺麗に手入れされたブロンズの髪。威風堂々たる輝きに満ちた瞳は、元々優れた美貌をより一層引き立たせている。


 ──なんというか、生き生きしてるな。


 動き易さを重視した装備に身を包んだ女は、恥じるものなど何もないといった面持ちで一直線にカウンターまで向かい、姿勢良く椅子に座る。その一挙手一投足から強い自信を感じる。

 女はカウンターの向かい側にいる大男に、流麗な口調で語りかける。


「こんにちは。貴方があの高名な『導き』のダリオルですね? いや、『灰兎の窖』のギルドマスター…と呼んだ方が良いかしら」

「──んが? ああ、そう…だ。ん、あれ。そうだっけ? ……いや、その通りだ! オレこそが元『冠付き《クラウン》』で現ギルドマスターのダリオルだ。いやぁ、現役を退いてから余りにも時間が経ちすぎて、記憶が薄らいちまってるな。ガッハッハッ!!」

「ふふっ。冗談がお上手ですね」


 女は唇に手を当て、上品に笑う。


 いや、そいつの話は冗談でも誇張でもないと思うよ。ついさっきまで空の酒樽を抱えて高イビキをかいていたその男は、酒の浴びすぎで頭の中がふやけちゃってるからね。

 基本的には蒙昧極まってる男に、こんな美女が話しかける理由は一つしかない。その理由から推理すれば、彼女がここに訪れた理由も自ずと分かる。


 つまり、彼女も──


「王都が誇る冒険者ギルド、『灰兎の窖』。そして、その長であるダリオル。貴方に問います。私が灰兎の一員となるには、何を示せば良いかしら? 実力、実績、或いは知識? 何を求められても、応える自信はあるわ」


 やっぱり、冒険者志望だったか。

 挑戦的にはにかみながら、溢れんばかりの自信に胸を張らせる。


 ──この自信と、それに裏打ちされた尊大さ。ふふっ、誰かさんに少し似てる。


 見た目は、然程似てはいない。だって、あの子の方が美人だしね。それに自信も尊大さも、あの子の方が上だ。目の前の女の自信家っぷりは常識の範囲内だけど、あの子のそれは常軌を逸しているもの。

 だから、あの子の方が凄い。うふっ、うふふふふ!!


「んあ? 別に何も示す必要はないさ。ウチのギルドは、入りの扉は何時だって大解放さ。まして、アンタみたいな美人なら尚のこと大歓迎だ。ただ……強いていうなら、珍しい酒でもくれりゃオレは大歓喜だがな」

「あら、そう。残念ね。関門があった方が張り合いがあったのに」


 ダリオルの言葉に肩透かしを喰らったのか、女は肩を竦める。


 ──やっぱり、破天荒さでもあの子の方が上だ。あの子なら、ダリオルの言葉なんか無視して自分の力量を見せ付けていただろうし。

 そう、あの子──フィルティなら。くふ、くふふふふっ!!


「んじゃ一応、簡単な手続きをするから待っててくれ。それが終われば正式に『灰兎の窖』のメンバーだ」

「ええ、勿論──」


「ぐぅうぅううううっ!!」


 私の頭の中で渦巻いていた腐った笑い声が、腐った喉から込み上げ、腐った口から漏れ出る。


「ひぇっ! な、な、なに?」

「……ぐぁ」


 ちょうど柱が遮蔽して見え辛い私の指定席に、遂に女が目を向ける。そして、その目が驚愕と困惑と、そして恐怖に塗り変わる。

 それは、先ほどまでの強い自信に満ちた輝きさえも塗り潰してしまう、未知との邂逅。異端との出会いだ。


 ……やってしまった。


「きゃああぁぁ!! な、な、なんなの。この……腐敗物は」


 ……腐敗物って、傷付くなぁ。ここまで汚く罵られたのは流石に久しぶりだ

 ふふんっ。でも、良いもんね! だってだって、フィルティは腐った肉体を、ゾンビの身体を、個性的で素敵って言ってくれたもんねー。


「あー……その腐敗物は、ウチの冒険者だ。一応結構な名うてではあるんだが、知らないか?」

「し、知らないわ! こんな…こんな魔物。魔物なんかを冒険者にしてるなんて…あ、あり得ないっ!!」

「いや、ソイツは魔物じゃなくて、ゾンビって亜人であってだな……」

「あ、亜人? 嘘よ!! こんな亜人見たことないわ。エルフやドワーフとは全然違うじゃない。このグロテスクな見た目! それに……うっ! こ、この臭い! あり得ない、あり得ないわ!!」


 つい数秒前の堂々とした態度は何処へやら。端正な顔を原型を失うほどに歪めた女は、うわ言のようにゾンビを否定しながら踵を返して去っていった。

 こんな『灰兎亭』恒例のやり取りを見て、これまた恒例のように野次馬が囃し立てる。


「あっはっは! まーたゾンビのヤツが営業妨害してやがる」

「折角の美人の加入を棒に振らせやがって、この逆看板娘がぁ!!」

「なんか癪に触る女だったからな。よくやった! 流石、害獣避けとしても一流だぜ!」


 ほんっと、口さがないろくでなし共だ。よくもまあ、こんな悪口に舌が回るものだ。……たとえ事実とはいえさ。


 以前だったら、こんな阿呆共の罵倒がゾンビの身に刺さっただろう。でも、今なら痛くも痒くもない。今の私は身体だけじゃなく、心も『不死』だ。

 なにせ、今の私にはパーティの仲間がいるんだから!! こんな連中にどうからかわれようが、耳を素通りしちゃうってもんだ。


 だから、私の見た目で怖がられても前みたいに心痛めることもない。極めて冷静に、客観的に、一事象として捉えられる。

 うん。フィルティと似た雰囲気を持つ女の冒険者志望だったけど、器の大きさでもやっぱり彼女の方が上だね。

 やっぱりフィルティは凄くて素敵。そして、そんなフィルティと──私はパーティを組んでいる。ぐふふ、ぐふふふふっ!!


「ぐうう、ぐううううぅっ!!」

「おい、バカゾンビ。なーに笑ってやがる。お前のせいで、また有力そうな新人が逃げてったじゃねえか。どう落とし前を──」


 パーティを組む約束をしてから、フィルティとはまだ会っていない。そりゃ大貴族の娘だもの。ここのろくでなしと違って、そう毎日こんな酒場に来れないのは当然だ。


 ──早く会いたいなぁ。早く、一緒に冒険したいなぁ!

 心が浮わついて、いても立ってもいられない。ゾンビの無音の心臓が、今にも爆音と共に跳ね上がりそうな心境だ。


「ぐぁう! ぐぁんがうぐぉう!!」

「ちっ、聞いちゃいねぇ。浮かれすぎで鼓膜まで腐り落ちちまったか」


 何を言っても無駄と判断したのか、軽く舌打ちをし、ダリオルは酒を求めて奥へ引っ込んで行った。


 優秀そうな新人を追い返してしまったことは悪いと思っているが、私だって本意ではなかったし、仕方のないことだ。

 それに、そのことへの反省も後悔も、今の私の頭には浮かびようもない発想だもん。


 今の私の頭にあるのは、腐った身体を溶かしてしまいかねないほどの、晴れやかな未来への希望だけ。


 初めての固定パーティ。信頼され、信頼出来る比類ない仲間。まるで比翼の鳥のような、或いは連理の枝のような。

 ──よぅし! 皆が羨む最高のパーティを目指して、頑張るぞ。おー!!

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