エピローグ 

 真っ昼間から霞みがかるほどの酒気と野太い声に溢れ返った酒場『灰兎亭』で、一際野太く大きな怒声が響く。


「ぐ、うおおぉぉー、お嬢様あぁぁっ!! 此度の軽率な行い、このギルバートも流石にただのお転婆と看過することは出来ませんぞぉおおお!!!」


 喉が裂けんばかりに怒鳴る声の主の顔には、厳つい顔に不似合いな涙の跡がくっきりと刻まれている。

 さっきまで、フィルティの無事を確認してワンワン泣いてたから当たり前か。いやぁ、大の男が人目も憚らず泣く姿は、圧巻というか…正直ちょっと引いちゃった。


 ただ、それだけ心配していたって意味でもあるから、半分くらいは微笑ましくもあるけどね。


「お、大袈裟ですわね。ギル! このくらい、今まで何度も……」

「そもそもっ!! 何度も行うのがおかしいのですっ。しかも今回は書き置きすら残さず──旦那様や私がどれ程心乱したことか!!」

「むぅ…。まあ、そう…ですわね。ギルの言い分も一理ありますけど」

「一理ではありませんっ! リヴィア家公女として、淑女たる自覚を持ってですね──」


 それからも、長々と続く大音声の説教をフィルティは右耳から左耳へ通り抜けるようにして聞き流している。

 この喧しい説教も、彼女にとっては耳にタコ。その凌ぎ方もお手の物らしい。


 ただ、周りの者にとってはこの大声の小言は騒音以外の何物でもない。

 あんまりにも煩いから、客が何人か逃げ帰ってしまってるが、説教に夢中で視野狭窄の本人はそんなことすら気付いていない。


 頭に血が昇る気持ちは分からないではないし、見世物として楽しんでる奇特な客もそこそこいるけど、流石にそろそろ営業妨害だな。


「それに、エダ君。キミもだっ!! いくらお嬢様に頼まれたからといって、メイドが家出の手助けなど言語道断だぞ!」


 矛先を向けられ、肩をすぼめる若きメイド。ただ、覚悟は出来ていたのだろう。声量と迫力に気圧されている様子はない。

 まあ、積極性と行動力は折り紙付きだからなぁ。肝ぐらい座ってるか。


「ギルバートさんの仰る通りだと思いますぅ。けど、私はフィルティス様のメイドですからぁ。つまらなそうに箱入り娘をしているフィルティス様よりも、笑いながら駆け回ってる姿の方が好きなんです。雇って頂いた日から、ずっと──」

「むぅ…そこに共感を抱かない訳じゃないが、それとこれとは話が別だ。旦那様はもちろん、彼ら冒険者にもどれだけ迷惑をかけたかっ!」


 これまで周囲を一切介していなかったギルバートが、ようやく私たちの方を向く。まるで同意を求めるような視線だけど、残念ながら私を含め、冒険者組の総意は違う。


「……いや、別に迷惑だなんて思ってないケド」

「同じギルドの冒険者なんて、そもそも助け合ってなんぼのものっ!! むしろ普段のギルド依頼クエストと比べて楽で拍子抜けだったくらいだ」 

「ま、報酬もゾンビの懐で腐ってる金から払われる訳だし、オレらは欠片も文句ねぇな」


 グレンたちベテラン冒険者の、ベテランらしい余裕綽々な対応。

 長いこと冒険者をやってると、イレギュラーなんてしょっちゅうだもんね。私も含め、こんなトラブル程度で迷惑がるほど、対応力に乏しくないさ。


「で、ですが……そうっ! ゾンビさんはどうです!? 面倒事に首を突っ込まされた挙げ句それが徒労に終わり、尚且つ報酬の支払いもさせられるのですから、さぞ迷惑なのでは?」

「ぎぃあ、ぐぇぐぅい」


 首を突っ込ました張本人がそれを言うのかと引っ掛かりはしたが、言う口を持たない私はただ首を横に振る。

 グレンの言う通り私はお金に頓着はないし、フィルティの為の徒労なら、それこそお金を出してでも買ってやるさ。


「ガッハッハッ! ま、依頼の一環だからな。文句垂れるヤツなんざいねぇさ。それより、現在進行形で迷惑かけてるヤツの存在こそ、ウチにとっちゃ死活問題だな。本人は熱くなって気付いてないみたいだが、このさっむいすきま風をどうしてくれるんだか」


 私の奢りで自分の店の酒をしこたま浴びてるダリオルも、怒ってる様子はないが真っ赤な顔で加勢してきた。


「ギルバートさんの壊した扉、一応私の方で応急処置はしましたけど……所詮は「応急」ですからね。暫くは我慢を強いられることになりそうですね~」

「いーや、アリアは悪くない。最善を尽くしてくれたさ。悪いのは壊したヤツだ。全く、とんだ迷惑者だな」

「ふふっ、ですねぇ」


 ──ああ、そういえば壊してたなぁ。

 数日前、猪突猛進のギルバートが無惨に壊した『灰兎亭』の入り口の扉は、素人が直したとは思えないほど一応の体を成していた。寒気なんか感じない私では、入った時に気付けなかったほどに。

 茹で上がった頭に冷や水をぶっかけるかのようなダリオルとアリアからの的確すぎる口撃に、直情短気な頑固者も流石にバツが悪そうに顔をひきつらせる。


 そうだそうだっ。言ってやれー。いくら頭に血が昇って周りが見えなくなってるからって、扉をぶっ壊して侵入するなんて知性の欠片もない蛮行だってさ。

 ………うん。私の口からは、とてもじゃないけど主張できないことだからね。


 ぐうの音も出なくなったギルバートを尻目に、ダリオルが話の主導権を奪い取る、


「ま、アンタの気持ちも分からない訳ではないさ。大切なご令嬢を危険から完全に遠ざけたい、その過保護な老婆心は正しいさ。だが同時に、本人の思いも蔑ろにしちゃいけない。閉じ込め守るだけが愛か? 無論そうじゃない。批難に値する点は確かにあるが、そう思いお嬢様自身の願いを叶えようとした彼女もまた、アンタと同様に正しいと思うがな」

「そうですわっ。エダはわたくしの意思に従ってくれたまでです。従者として間違ったことはしていません。──責任は全て、あたしにあるわ。だから………今度からは、わたくしの独力で家出を企むとしますわ! おーほっほっほっ!!」


 一瞬見えた反省の色を即座に吹き飛ばす高笑い。

 ふふふっ! まあ、こんな説教で考えを改めるような娘じゃないよね。ほら、ギルバートも眉間を押さえて困ってはいるけど、驚いてはいない。いくら説教を重ねても無駄骨ってのを、骨身に染みて思い知っているのだろう。


 うんうん、この強固な自信と自省のなさ。このフィルティらしさが、私は好きだなぁ。困り果ててるギルバートには悪いけど。


「うーぷっ! グッハッハー!! どうやらアンタの正しさでは、お嬢様の冒険心を抑えるのは無理そうだな。このままじゃ、一人で旧魔王領内にまで殴り込みしそうな勢いだぜ」

「な、なななななっ! なりませんぞ、そんな危険なこと!! このギルバート、心臓が口から飛び出てポックリ逝ってしまいます」

「いや、いくらわたくしでも流石にそこまでは──」

「そうっ。そんな無謀な行為は未然に防がなきゃな! そこで、だ。オレに良い折衷案がある」


 ギルバートを手玉に取り、フィルティさえも置いてけぼりにしながら、ダリオルは強引に話を進める。

 『導き』の名に違わず、相手を口車に乗せるのがめっぽう上手い男だ。完全にペースを握っている。


「単純明快な理屈さ。お嬢様は冒険者になって自由な冒険を謳歌したい。アンタやリヴィア公は大切な公女様を危険な目に合わせたくない。なら、お嬢様のパーティに信頼出来る超強い仲間がいればいいんだ。それこそ、あらゆる危険から守れるくらいに強い仲間がな。そして都合の良いことに、オレには丁度その心当たりがある」


 ……ああ、なるほどね。基本ふざけてるダリオルがなんでこんな真面目に語ってるのか不思議だったけど、その真意にようやく合点がいった。


「ソイツは強いくせに寂しがりで、賢いくせに妙な所で抜けている。それ以外にも欠点は文字通り『腐るほど』あるが、それでも冒険者としての腕は最上級だし、何より仲間を絶対に裏切らない」

「………」


 誉め言葉の方が少しだけ多い。ダリオルがこんなに誉めるなんて、珍しいな。ちょっと言葉を失ってしまうくらい、面食らっちゃった。

 こうも素直に誉められると、ちょっと…照れる。


「さあ、どうだ。アンタだって本音では、彼女を自由にさせてやりたいんだろ? 何より、アンタに負けず劣らずの頑固なお嬢様は、このくらい譲歩してやらなきゃ折れないぜ」

「ぐうぅぅうぅ………。確かに、ダリオル殿の言い分は……尤も、ですな。──はぁ、仕方ありません。旦那様がどう言うかは分かりませんが、その案でなら私は許可しましょう。旦那様への説得にも、協力します」

「ほんとっ!? やったぁ!! ……じゃない、やりましたわっ。おーほっほっほ!! 粘り勝ち、ですわね!」


 ギルバートは大きく広い肩を落としながら、小さく頷く。その声はこれまで耳にしたこの男の声の中で、最も冷静で理知的だった。熱しやすく冷めにくい頑固頭が、ようやくもって冷めたってことかな。


 強引で頑固者同士な貴族と使用人頭の意見対立は、ギルバートが折れる形でようやく決着が付いた。両手を上げて喜ぶフィルティのはにかむ顔が眩しい。

 これでやっと、私も口を挟めるね。とはいえ、私がキチンと口を挟むには彼女の協力が不可欠だけど。


「ぐぅーぎぃあ、ぐぉえがい」


 テーブル席に肩肘付いて座り、いつも通りの笑顔を浮かべてこちらを眺めるクーリアに声をかける。

 言葉自体は通じてないだろうけど、私が何を言いたいのかは一部始終を眺めていたクーリアになら明白なはずだ。


「ふぅー。気は進まないけど、他ならぬゾンビちゃんの頼みじゃ断れないわ。その代わり、今度お礼に頭蓋骨を握り潰させてねっ。どんな音で砕けるのか、興味があるのっ!」


 まーた物騒なセリフを……。

 戒律や倫理で抑圧されたクーリアの暴力性は、私や魔物みたいな『殴ってもいい相手』の前では清々しいほど解放される。

 クーリアが私を『好き』なのは、その『殴ってもいい相手』の中でも別格に頑丈だからってだけの理由。修道女シスターらしからぬ、差別まみれの『好き』だ。


 ま、別にいいんだけどね。クーリアがよく私を助けてくれるのは事実だし。

 それに何より抑圧から解き放たれて笑ってるクーリアの方が、民から敬愛される修道女シスタークーリアよりずっと生き生きしてる。私の頭蓋骨くらいなら、いくらでも粉砕させてあげるさ。減るものでもないしね。


「あ、あーあー……。フィ、フィルティ…ス、様? ───フィルティ!!」


 クーリアが回復魔法をかけてくれたおかげで私の身体の腐敗は『治り』、まともな発声が出来るようになった。

 今なら、きっと伝えられる。クーリアの魔力が切れない内に、さっさと言わなきゃ。


「わっ!? ──ビックリさせないでくださいまし。貴女……何方どなたですの?」

「え、あ、いや……。私、ゾンビだよ。今、回復魔法で腐敗を『治して』もらってるから、こんな見た目なだけ。そ、そりゃ分かんないよね。あは、あはははは……」

「そうですの? ……腐ってないというだけで、全然違って見えますわね。流石は希少な亜人、興味深いですわ」


 うう、こんな雑談がしたいんじゃないのに。頭では思考がまとまってるのに、慣れないせいか巧く言葉に出来ない。

 ダリオルやラミールのようにペラペラ回る口が、今だけは心底羨ましい。


「服装を除けば、社交界に来賓した貴族の娘と言い張っても通りそうな容姿ですわね」

「ど、どういたしまして」

「──ですがっ、こんな平凡な容姿は貴女に似合いませんわね!! このフィルティス・リヴィアの目標の一人なのだから、特別で異端でいてほしいもの。姿も言葉も何もかも、人並み外れてることも貴女の魅力だし………私も好きですわっ!!」


 煌めく服装よりも…蒼く輝く瞳よりも…目映く光る屈託なき笑顔。眩しく暖かいその笑顔に、まるで溶けてしまいそう。


 無人の広野を孤独に歩む、一人のゾンビの情景が頭を過る。その姿からは何も読み取れないが、ゾンビが何を思っていたか……私だけは知っている。


 ──あなたはさ迷い求めることで、欲しいものを得られたよ。


「──パ、パ、パッ! パーティに、ゾンビは、要りませんかっ!!?」


 頭の中で築いていた洒落た勧誘台詞は全てぶっ飛び、頭からではなく心から言葉が吐いて出た。

 でもこれじゃ流石に雑すぎる。鈍い舌を駆使して続きを繋げなきゃ。


「そうすぐぇあ、ぐぁあいおがぁあぐぁぐぉ、ぎぃあぁげい──」


 継ぐ間もなく、喉が腐り崩れちゃった。クーリアの魔力の時間切れにしては少し早い。クーリアの方を一瞥すると、彼女は口の前で人差し指を立てている。

 ……余計な台詞で繕うな、かな。手厳しいなぁ、もう。


 フィルティは唐突に腐った私の身体を見て、幼い笑顔で吹き出す。


「──ぷっ、あははははっ! やっぱり貴女は腐ってる方が素敵だわっ。それに、その勧誘は今更ではなくて? そういうものとして話が進んでいるとばかり思っていたのだけど。……ぷくく、ああ可笑しい」


 そ、そうなんだけどさ。けど、私にとっては大切な儀式なんだもん。信仰なんかとは縁遠い私だけど、形式は大事にしたいんだよ。


「まっ、改めてってことですわね。おーほっほっ! もちろん、望むところですわ!! ギルみたいな堅物と違って、お父様を説得するのは容易いもの。誰からも認められて、貴女とパーティを組み、貴女と一緒に冒険して差し上げますわっ!!!」


 古い『灰兎亭』壁や床が軋まんばかりに、野次馬たちの歓声が響く。私の勧誘が派手に失敗した時よりも沸いている。

 所詮は騒ぎたいだけの野次馬根性だけど、悪い気はしない。


「ちぇっ、遂に連敗脱出って訳だな。オレとお前の賭けも、初めての黒星かぁ。悔しいね」


 ダリオルはおおざっぱに頭をかきながら、斜に構えた言葉を吐き捨てる。


「ぐぇがぐぅげぎぃえぐえあぐぅげいー」

「あん? 別にお前のためにお膳立てした訳じゃねぇよ。いくらゾンビでも流石にそろそろ仲間の一人くらい作れそうだから、ちょっとばっか協力しとくことで賭けをうやむやにしようとしただけだ」


 ほんっと、素直じゃない。いいオジサンの跳ねっ返りなんて、誰にも流行んないっての。

 今度、礼をしなきゃなぁ。どうせこのひねくれ者はお酒しか求めないだろうけど。



 今の私を取り巻く周囲は、心底騒がしい。最早私は孤独じゃない。そして孤独から逃れて一つ、確信出来たことがある。

 もしも一人で凡てを成せたとしても、私は自分以外を求めただろう。


 孤独だと、きっと誰もが腐ってしまう。それは強さで防げるモノじゃない。

 居場所があって、友がいて、共に歩む仲間も出来た。ふふ、うふふふふっ!




 これは、ゾンビがパーティを求める物語。魔王を倒す英雄譚でもなければ、世界を変える冒険譚でもない。私にとって、これで全てが満ち足りる。これからの展望に、明るい未来に、何より胸が踊る。


 だからこの話は、これで一旦おしまいなんだ。


 ゾンビは一人、誰も気付かないほど小さく──それでいて腐った顔で作れる最高の笑顔をもって、冒険の景色以上に鮮やかな未来を想い描く。


 これからは、そう。ゾンビがパーティにいて良かったって──そう思ってもらえるよう、頑張らなきゃねっ!!

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