ゾンビと囚われの令嬢 1

 人と魔族との覇権争いが終結してすぐの頃、それまで魔族が支配していたフィラム大陸の北半分に、調査を目的とした沢山の人員が出兵された。

 王家から命を下された屈強な王国騎士団が、戦乱により鍛えられた有力貴族の私設軍が、弱小貴族に雇われた玉石混合の民兵が、我先にと未開の地へ雪崩込んでいった。


 だけど言わずもがな、その結果は悲惨の一言。大陸北部の厳しい環境や魔物、生き残りの魔族たちは等しく彼らに牙を剥いた。

 魔族との戦線の最先端にいた前線部隊の勇士ならいざ知らず、金でかき集めた数合わせの人員がそんな未知の危険を凌げるはずもない。

 身を守る術を持たない弱き者は死ぬ。……それだけだったら、果たしてどれだけマシだったか。


 牙を剥いたのは、何もそれらだけじゃなかった。

 自身の成果を守るために、或いは他人の成果を奪うために、人が人に牙を剥いたのだ。つまりは足の引っ張り合い、蹴落とし合い、血で血を洗う内輪揉め。

 統一国家としての歴史の浅さ、その脆弱性が如実に出た形だ。戦後の不安定な政治下、権力の分散した貴族主義のアルテミアでは、王家も、その他有力諸侯も、誰もこの混乱を止めることは出来なかった。それどころか、皆が出し抜かれ損することを恐れ、混乱は一層激化した。


 まあ、無理もないことだ。戦争で得る利は、それほど人を盲目にする。多くを失ったからこそ、それ以上の利益を求めるのは普遍の性。私には、この過去を愚かだと責めることなんか出来ないな。


 そんな混沌の中、その混乱を治めた者こそが『八戦雄』の一人にして始まりの冒険者、『宝眼』のリッケだった。


 リッケは自らを冒険者と称し、少数の腕利きの仲間と共に方々へ駆け回っては分け隔てなく冒険者としての手腕を売って回った。

 『八戦雄』であるリッケの名声と能力を持ってすれば、「彼らに任せるのが、最も被害が少なく確実である」と王族貴族が意思を固めるのにそう時間はかからなかった。

 何より、終戦直後の疲弊した民意が、これ以上の争いを拒んだってのも大きい。


 おそらくリッケの思惑通り、冒険者という職業は貴族にも民衆にも立場を問わず受け入れられた。

 貴族にとっては、金さえあれば使える最上級に有能な小間使いとして。民衆にとっては、実力さえあれば血統や立場を問わず名声と大金を得られる夢のある職として。


 かくしてアルテミア統一王国にとって、冒険者及び冒険者ギルドはなくてはならないものとなった。

 この一連の流れがリッケの目論見の内なのだとしたら、『宝眼』なんて大層な二つ名に違わぬ、大局を見透した目利きっぷりだ。


 こうして生まれた冒険者の系譜の中に、今は私も身を置いてるって訳だ。

 名声も大金も、もうそれなりに得てしまった訳だけど、そんな無用の長物なんなじゃない……他ならぬ私だけの宝物を追い求めて。


 果たして『宝眼』は、冒険者の開祖として望む宝物を得られたのだろうか? 果たして『不死』たるゾンビは、望む宝物を得られるのだろうか?

 どちらも、今の私には知る由もないこと──




 何かの予兆と言わんばかりに、外では激しい風が吹きすさび、『灰兎亭』をカタカタと鳴らす。そんな肌刺す突風から逃れるためか、『灰兎亭』にはいつも以上に客がひしめいていた。


 そういや酒には、多幸感を向上させるだけじゃなく防寒効果もあるってダリオルが昔言ってたな。

 なら、酒場でもありいつも得体の知れない熱気に包まれてる『灰兎亭』は、襲う寒風に対する避難所として最適かもしれないな。


 ま……ダリオルの話が酔っ払いの妄言でなければ、だけど。


「う~いっ! やっぱ今日みてぇな寒い日は酒に限るなあ。酒も嗜めないゾンビの身体を憐れむぜ。ガッハッハッ!!」

「げぐぅぃいーぐぉん」

「グァッハハー!! そう僻むなっての──げふっ! ああ、旨い旨いっ」


 流し込んでるだけでちっとも味わってるようには見えない呑みっぷりを披露し、得意気に笑い飛ばす。

 そもそも寒さを感じないゾンビの身体に対して、そんな差を自慢されたところで羨ましくもなんともないもんね。


「そんなズレた優越感で悦に入っても、何の自慢にもなりませんよ、マスター。私としては酔い潰れて介抱が必要な人なんかよりは、絶対酔わないゾンビさんの方が好きですけど」


 くだ巻くダリオルの横で、呆れたように笑うアリア。彼女の如何にも真面目で清楚な容姿も影響してか、それなりに棘のある言葉なのに相変わらず嫌味を感じない。

 最早天性とさえ思える人当たりの良さ。狙って真似できるものじゃないなぁ。


「あーん? 互いに酒を含んでないと腹割って話なんかできねぇだろぉ。そんなんじゃ築けないぜ~。濃密な信頼関係ってやつを」

「そんなとこまでお酒に依存してるの、マスターぐらいですって。普通はお酒に頼らずとも出来るんですよ」


 アリアのぐぅの音も出ない正論に、それでも首を傾げて納得してない様子のダリオル。

 度を越した酒に対する盲信っぷり。この男はお酒を魔法の万能水と勘違いしてるんじゃないか。

 それとも……ホントに、ダリオルにそんな信条を植え付けるくらいの効能が、お酒にはあるのかな? ダリオル程のうわばみはそういないけど、冒険者の中にもお酒好きは沢山いるもんなぁ。


 こうして何時ものようにダリオルやアリアと他愛のない雑談をしていると、背後から錯乱一歩手前ってな感じの聞き覚えのある声が響く。


「ゾ、ゾ、ゾゾッ、ゾンビさんっ!! あ、いや、その……ほ、本日も大変おひぇがらよく──」

「もうっ、リーゼったら! こんにちはって挨拶するだけでそんな怯えたら、むしろゾンビさんに失礼でしょ」

「あひぇっ! す、すいま……いや、こ、こんにちわでしっ!!」


 今日も今日とて全開フルスロットルで卑屈なリーゼとその舵取り役のクローディア。安心するくらいにいつも通りな二人だけど……ほんの少しだけ、いつもと比べて堂々としてる気がする。


「うひっ、うひひっ! あの、あのあのゾンビさんっ! わ、わたし達……遂に、初めて、二人っきりで依頼クエストを達成しましたぁ!!」

「ま、まあ、ゾンビさんからしたら凄く簡単な討伐依頼ですけどね。……ただ、あたし達にとっては初めて二人で遂げた依頼クエストなんで、大袈裟に喜ぶ気持ちはあたしも同じです」

 

 へえっ! 二人とも、あれから腐らず頑張ってたんだな。

 ふふふっ! ギルドの先輩として、一度っきりとはいえパーティの仲間として、誇らしいな。まあ二人の実力を考えれば、これまで失敗続きだったことの方がおかしな話なんだけどね。


 彼女達が超一流の冒険者となる過程の第二歩目がこの成功なんだ。そして、第一歩がこの前の私との冒険。そう考えると、少し鼻が高くなるってものだ。


「おうっ! 成した業績の大小ではなく、己に誇れるかどうかが大事ってのは、まさに真理だな。そして、成したのならば高い酒で祝杯を上げねばなるまい。無論、腐る程金を持ってる腐った先輩の奢りでな!! ガッハッハー」

「えふぇえっ!! い、いいんですか!? あ、あり、ありが……ごちそうさまですっ」

「やったあ!! 高価なお酒なんて、あたし達にとっては手の届かないモノなんで、嬉しいですっ」


 この場に腐った先輩なんて私しかいない。悩むまでもなく、私を指してるのだろう。祝いのお酒を振る舞うくらい率先してやりたいくらいだけど、それがダリオルの立案ってのは、なんか癪に触るな。

 いや、振る舞うけどさぁ……。



 リーゼとクローディア、そしてどさくさに紛れて便乗したダリオルが、見るからに高級そうな酒とアリアが持ってきた料理に舌鼓を打つ。

 普段から奢りで呑む酒が一番旨いと豪語するダリオルは勿論のこと、リーゼもクローディア心底幸せそうだ。

 う~ん…ダリオルは兎も角、この二人がこんな破顔の笑みを浮かべるほどには、お酒ってのは旨いモノなんだろうか。……ちょっとだけ、羨望の思いが生まれちゃうな。


 食えない飲めない手持ちぶさたな当の私は、辺りをぐるりと見回して暇を潰す。


 近くのテーブルでは、エルフの青年弓手ヴェルデの姿があった。早朝以外で姿を見ることなんて今までなかったのに、珍しいな。

 ひょっとして、彼なりに対人能力の向上に努めているつもりなのだろうか。……良い心掛けではあるけれど、結局一人でいるんじゃあんまり効果は望めないかもね。


 少し離れた角のテーブルには、無表情の一流魔法使いシルフが一人で読書に興じていた。

 流石に内容は遠くて読めないけれど、分厚くて古めかしい如何にも硬派で難しそうな本だ。きっと古典染みた魔導書か魔族の遺物の類いだろう。だとしたら、例え近かろうが読めたものじゃないけどね。それにしても、こんな喧騒の中で難読書を読むなんて、よく出来るな。

 凄い集中力だ。心底関心しちゃう。


 吹き抜けから見上げた二階の大テーブルでは、博打下手な一流剣士グレンと破戒の聖職者クーリアが他数人と共に博打に熱狂していた。

 と言っても、熱狂ってほど激しく騒いでいるのはグレンだけで、クーリアを含めた他の連中は割と冷めてる様に見える。多分今日も、一人で空回りして勝手に負けてるのだろう。彼の醜い負けっぷりに、クーリアも愉快痛快全開ってな顔で笑って……いや、嗤ってる。

 こりゃまた裸に剥かれるかもな。へんっ、良い気味だね。


 二階の掲示板の前では、堅物の元騎士隊長バルストイが依頼クエストの品定めをしていた。

 他にも数人いる冒険者と会話しているようだが、バルストイの快活な表情に比べ、周りの連中の表情は明るくない。多分また、余計なお世話を焼いているんだろうな。「君達はこの依頼クエストを選ぶべきだ!」とか、「この依頼クエストは民の為になるぞ!」とか。

 ……うん。聞こえてもないのに、絶対そうだと確信出来てしまうな。


 いつもの連中がいつも通りに過ごす、『灰兎亭』のいつもの光景。

 冒険に出掛けていて不在の冒険者も多いけれど、それも含めていつも通りだ。



 ただ、こういう平常の一日ってのは、何かしらの要因で破られるのが常でもある。それもまた、この『灰兎亭』の慣例…いつも通りのワンシーンってね。

 今日の場合、それを破るのは外からの来訪者だった。


「おおおおお! お嬢様あぁぁぁ!!!」


 入り口の扉が──壊れて吹き飛ばんばかりの……いや、実際に吹き飛ぶ程の力で開かれる。

 扉はカウンターの方に真っ直ぐ飛んで来た──ので、私が盾になって受けた。


 ……私が反応して対処出来る場所だったのは幸運だったけど、危ないなぁ!! 私が盾になれたから、ゾンビの骨が二、三十本折れる程度で済んだけれど、他の人なら怪我してたかも。


「うひぇあぁぁ!!? と、扉が、とびっ、とびっ! 飛びぃぃぃ!?」


 ほら、リーゼも錯乱しちゃってる。まあ、これはいつも通りの範疇だけど……許せない!!


「──ぐぁぎがっげんぐぉがっ!!」


 文句を付けてやろうと腐った声帯で思い切り叫ぶ。だが、リーゼ並みに錯乱してる来訪者の耳には全く届いてないみたい。

 ……というか、この大男。見覚えがあるな。それに、この叫び声も、覚えが──


「フィルティスお嬢様ぁぁぁ!! 何処に居られるのですかぁ! このギルバートにお顔を見せて下されぇぇぇ!!」


 ──あっ! 思い出した。確か前に、フィルティのことを担いで連れて帰ったリヴィア家の使用人だ。

 叫び散らす男の存在に、いつも通りを享受していた『灰兎亭』の客や『灰兎の窖』のギルドメンバー達も、一様に目を丸くして半狂乱な男を眺めている。


 ギルバートは叫び散らしながらも辺りを見回し私のことを目に留めると、怒りに満ちた形相で歩み寄って来ては首根っこを掴み上げてくる。


「貴様っ……確か、お嬢様のことをたぶらかし冒険者なんぞに誘った亜人の小娘だったな? 貴様かっ! 此度も貴様が拐かしたのだろう!? 言えっ!! お嬢様を──フィルティスお嬢様を何処に隠したぁぁ!?」


 怒られる覚えなんて微塵もないし、たぶらかした記憶も毛頭ないけれど、そんな理不尽な恫喝や狼藉に対する怒りが彷彿するよりも遥か先に、一つの言葉が耳に刺さって離れない。


 ──拐かした? かどわかす……って、拐うってことだよな。つまり、誘拐された…ってこと?


 ゾンビの腐った脳裏に過る、自信と誇りを固めて作った公女のしたり顔。


 余りにも陽に偏った人格。貴族として邁進する精神。未熟ながら天性の魔才。

 何より、たった一度とは言え私とパーティを組んだ冒険者。そんなフィルティが──

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る