ゾンビと聖職者 5

 自分を正確に理解することは、何をするにおいても重要なことだ。

 自分以外の相手を正確に理解することは不可能に近いけれど、他ならぬ自分のことならばその限りではない。

 特に、ゾンビのような類のない性質を持った存在ならなおのこと。自己把握は手段を広げる大切な生命線なんだ。


 例えば欠損した私の身体が再生する条件。これは、欠損した部位に意識を集中すれば、欠損の度合いに応じて時間を消費して再生する。

 つまり、意図的に再生しないことも出来るし、欠損部位が無事で断面が綺麗なら、殆ど一瞬でくっつけるなんて芸当も出来る。


 例えば私の身体が真っ二つに別れた時、果たしてどちらから「私」が再生するか。これも沢山実験して明確にした。

 グレンに細切れにしてもらって、「私」が何処から再生するのか、別れた身体はいつまで「私」の身体として操れるのかを徹底的に調べあげた。


 私は、ゾンビという亜人を誰よりも深く理解している。


 ……では、それ以外についてはどうか。

 私は私自身が──何に怯え、何を嫌い、何を愛して、何を求めているのか、本当にちゃんと理解してる?


 そんなこと疑ったこともなかったけれど、改めて考えると結構おぼろげかもしれない。

 ゾンビであることばかりを意識し、肝心の私自身の心の把握を疎かにしてしまっているのかも。


 私は冒険を共にする仲間を欲している。これは私の心の本懐だ。けれど、その本懐が本当はどういう風に構築されてるのか……ゾンビの性質を調べた時と違い、徹底して明らかにはしてはいない。


 ヴェルデは仲間がいた方が自分の欠点を補えると考えたから、向いてもないのに仲間を求めた。まあ、結局はその考えも改めた訳だけど、自己理解から行動したことは事実だ。


 じゃあ、私はどうだ?

 仲間がいなくとも『冠付き《クラウン》』にまでなれた私は、なんで仲間を求めるの?


 一人じゃ寂しいから? ──別に、パーティじゃないだけで、私に優しくしてくれる人は沢山いるのに?

 冒険で得た感動を分かち合いたいから? ──そんなの一緒にじゃなくても、後から共有したんじゃダメなの?

 独力での冒険に実は力不足を感じてるから? ──だとしたら、私は一体仲間にどんな力を求めてるの?

 或いは、これら全ての思いが心中で混ざり合ってるのかな?


 何にせよ、私自身が「私」という絵図の色彩や構図を正確に測れていないってのは、紛れもない事実だ。


 だからこそ、あれだけ積極的に行動しても仲間の一人も出来なかったし──だからこそ今、私は判断を誤ってしまったのだろう。




 振りかぶった手斧が、振り下ろす先を見失って硬直する。


 盾にされた人間。比較的細身の中年男性だ。……この農場の主だろうか? 生きているのか死んでるのか。生きていれば、どう助ける? 死んでいたとして、無視して断ち切るの? でも──


 頭を満たす思考は集中力を奪い、集中してないから足の回復が遅れる。足が動かないから、小鬼ゴブリンはそれを好機とみて、肉盾を引きずって離れていく。

 不味い…。再生を急がないと逃げられる。平原だから見失うことはないかもしれないが、素早い小鬼ゴブリンとの平原での追いかけっこなんてゾンビの身体じゃ敗北必至だ。


 戦闘において、一瞬の判断の遅れは致命傷となり得る。間抜けにも、さっきの奇襲の意趣返しをされてしまった。

 身体がノロマだからこそ、こういう時は頭の回転で勝ってないといけないのに……どうしたものか──



「うふっ、うふふっ。やっぱり逃げる魔物畜生の背中って、いつ見ても滑稽ねっ! 醜いというか、生き汚いというか。でも、そんな醜い肉塊だって、私はすっごく愛せるわ。だって──」


 いつの間にやら私の視界の端でたなびく、返り血だらけの修道服。しかし血塗れの拳には、傷らしい傷はただの一つも付いてはいない。自ら最前線で拳を振るい、傷付く自分自身を回復しては闘い続ける。そんな彼女の戦闘スタイルがハッキリと反映された姿。

 その顔は、やっぱり笑ってる。


「ぐぅーぎあっ!」

「だって私ったら、聖職者だものっ!!」


 私のボロボロに腐った身体と違い、完成した冒険者の肉体を持つクーリアの動きは機敏そのものだ。見るからに動きにくそうな修道服を着ているのに、疾風のような速さで小鬼ゴブリンを追いかけ、追い付き、そして殺意満点な手甲付きの拳を振り上げる。


「ブギャ、ブギャギャー!」


 私の時と同じように、抱えた肉盾を前にして迫り来る脅威に備える小鬼ゴブリン。人質という脅しの圧力を理解した小賢しさに、私は巧く丸め込まれてしまったけど──


「ブギャ、ギャ!!?」


 残念ながら、今度ばかりは相手が悪い。振り下ろした拳は、迷いなく人質ごと小鬼ゴブリンを叩き潰した。


「あら~? やっぱり小鬼ゴブリンって、知能の低い魔物ねっ。死体なんて盾にしたところで、重くて脆いだけじゃない。……あ、ひょっとして、死体の尊厳を脅しに利用したのかしら? だとしたら、私の中での小鬼ゴブリン評が少し下がっちゃうわ。そう思わない、ゾンビちゃん?」

「……ぐぉーがぐぇ」


 死体の観賞目的で教会に身をやつすクーリアが、死者と生者を見誤るはずもない。そして死者であれば、クーリアにとって拳を阻む盾にはならない。

 「生きている」「人間」は尊重する。そう、それだけがクーリアの内にある倫理。彼女をギリギリの所で正常足らしめている、数少ないマトモな価値観ってやつだ。


 それは逆に言うと、死んでる人間も魔物も、あとついでにゾンビも、クーリアにとっては自身の欲望を満たすための玩具でしかないってこと。

 ホント、相手が悪いったらないね。


「死体は「人」ではないわ。そんなの大事にしても、弔いになんかならない。──ねえねえっ! ちょっと前に、私がなんで剣とか槍とかの武具を使わないのかって話、したよねっ!?」

「ぐぅう」

「あの時は、直接殴った感触が好きだからって言ったけど、実はもう一つあるの」


 はあ……なんだろう。聞かずとも、どうせろくでもないことだってのは分かるけど。


「魔物って頑丈だから、私が一発殴った程度じゃ絶対死なないの。でも刃物で首をちょん切っちゃったら、流石にすぐ死んじゃうでしょ? だからなのっ。殴って殴って殴って殴ってっ! なるべく苦しんで死んでほしいじゃない? そうすれば、殺されたこの方の魂も笑顔で恙無く女神様の元へ迎えるし、何より私が楽しいわっ!!」


 ……ほらね。微塵も同意できない歪みきった理屈。けれど、この確固たる価値観に助けられてしまったのも事実だ。

 例えこんな歪な理でも、徹底すればそれは一つの信念となる。そういう意味じゃ、尊敬できなくもない…かも…。


「それじゃあ、哀れにも半死半生で生き残っちゃったこの小鬼ゴブリンを、完膚なきまでに殺してあげましょっ! 亡くなった方の供養のため、この方よりもずっとずっと苦しい死に方でっ!!」


 ……うん、やっぱり無理。

 痙攣する小鬼ゴブリンの首根っこを掴み上げるその血塗れの姿が、ゾンビだって裸足で逃げ出すほどの猟奇性に溢れちゃってるもん。




      ◇◇◇◇◇◇◇◇




 掃討依頼の達成条件は、あくまで敵の掃討。依頼主から大まかに伝えられた敵の数と討った敵の数を照らし合わせて確認しなければならない。

 一匹二匹の討ち漏らしなら兎も角、何匹も見逃してしまったらギルドの信用に関わる大問題だ。


 クーリアが鎮魂だとか祈りだとかの言い訳じみた理由を掲げ、嬉々として生き残った小鬼ゴブリンをなぶっている間、私はその事後確認に努めた。

 伝えられていた小鬼ゴブリンの数より、死体の数が大分少ない。


 こんな見通しの良い平野で気付かずに逃がすはずもないし、もしも数に大きなズレがあるなら、もともといなかったって可能性が高い。つまり、待機組から離れて行動してた別動隊がいたってこと。極自然な帰結だ。

 でも、そいつらは結局ここで待ってれば戻って来る。それが集団の宿命、数の弱みってやつだ。


 死体を土に埋めて隠し、少数の別動部隊が帰って来たら、死体を増やす。そのサイクルを何度か繰り返す内に一夜が明け、ようやく本当の意味で依頼クエストが完了した。


 いくら私が死体と大差ないからといって、魔物の死体があった場所で過ごすってのは中々にしんどいものだ。心労が堆積し、自ずと心も荒んでくる。

 まぁ極稀に、そんな凄惨な状況に快楽を覚えるヤツもいるけれど、そんなの特例も特例だ。



 そんなこんなで──心労募らせ心ばっかり摩耗させたゾンビと、身体は疲労が溜まってるだろうにはっきり恍惚とした様子の修道女シスターという対極の二人組は『灰兎亭』に戻り帰って来たのだった。


「おっ!? 帰ったか、ゾンビくんにクーリアくん。うむ、依頼内容のわりに凱旋が早いな。あ、いや! キミ達のことだから、依頼クエストの成否を疑ってはいないさ。これは素直に賛辞のつもりだ」

「あ、お二人とも、お帰りなさい~……」


 『灰兎亭』のカウンターに座る明朗快活ここに際まれりってな態度のバルストイが、大手を振ってその立派な体躯を誇示してる。

 向かいには、ウンザリという言葉が顔に書いてあるかのような表情のアリアもいた。


「はっはっはっ! すまないが、アリアくんへの依頼クエスト報告、少しばかり待っていてくれ。私のギルドへの再登録手続きに手間取っていてね。女性を待たせるなんて忍びないが、許してほしい」

「普通なら、手間取るような手続きでもないんですけどね~……」


 余程辟易しているのか、珍しく恨めしげに呟くアリア。

 多分、私の想像の何倍も手間取っているのだろう。この手の細々した手続きが苦手なくせに大雑把に済ますことは出来ないのが、このバルストイという男。

 話を聞かない悪癖と悪い意味での几帳面さが合わさって、面倒臭さも倍増だ。


「それで、肝心の冒険はどうだったのだね!? ゾンビくんも、クーリアくんとなら上手くコミュニケーションを取れたのではないか? 言語の壁も解決できるし、何よりクーリアくんは敬虔な『ラーナ教』の修道女シスター、人格面は申し分なしだ。多少野蛮な所はあるが、冒険者として評価するならこの点もむしろ長所。結論、非の打ち所なしだ!」

「ふふっ、それは褒め過ぎよっ。けど、自分のことをそんな風に評して貰えるのは素直に嬉しいわね」


 ……一体クーリアのどこが「多少」野蛮なのか、あまりの節穴っぷりに耳を疑いたくなる。

 それとも、彼女の暴力の対象外である人間にとっては、魔物やゾンビの破壊を楽しむ程度なら「多少」野蛮で済むってこと? だとしたら……なんと言うか、疎外感で心が痛むな。身体の方が痛まないのは、まだ救いだけども。


「うむ! 流石は聖職者、謙虚だな。ところで、だ。クーリアくんの方はどうだね? 前々からゾンビくんとパーティを組みたがっていたが、念願叶った感想は?」

「ふふっ! もちろん、楽しかったわっ。ゾンビちゃんの腐った身体を締め潰させてもらったり、首を投げたりもしちゃったっ! ゾンビちゃんが小鬼ゴブリンの死体を埋めてる時の光景なんて、今思い返しても愉快過ぎてうっとりしちゃうもの」

「そうかそうか! ならキミ達二人、めでたくパーティ成立ってことで──」


 ちょ、ちょっとぉ! これ以上、勝手に話を進めないでほしいな。

 確かにクーリアは優れた冒険者で、人望も私よりかは遥かに厚いのだろう。パーティを組んで時間が経てば、今みたく私のことを玩具扱いすることも……もしかすると、なくなるかもしれない。


 でも、もう決めたんだ。やっぱり妥協はしないって。

 私にとって、パーティってのは──


「ぎぃあ、ぐぁがぎぐぁ……」

「ううん。ゾンビちゃんのことは好きだけど、パーティを組むのは、違うかな」


 ──はぇ?


「私の回復魔法とゾンビちゃんの再生能力は噛み合ってないから相性悪いし、そもそも私たちの戦闘スタイルって被ってるからパーティ的にアンバランスなのよ……残念ながら」


 クーリアはつらつらと正論を述べながら肩をすくめる。肯定するのは当たり前って思ってたからか、あまりに虚を突かれ、私の腐った目ですら点になる。

 ただ……冷静に考えると、そう意外ではないのかも。クーリアは狂っていることを度外視すれば聡明な女性。目の前のゾンビに目が眩んで当たり前を見逃すほどには狂人ではないってだけの話か。


「腐ったゾンビちゃんの身体を「治せる」ことだって、あまりメリットとは感じないわ。だって言葉なんて通じなくとも、ゾンビちゃんの思ってることくらい伝わるもの。それでなくとも、折角の腐って可愛い身体を「治す」なんてしたくないじゃないっ?」

「……ぐぉーがえ」


 いや、まあ、確かに……コンビネーションはそれなりに巧く取れてたけどさ。それと以心伝心だったかどうかは別じゃない?


 狂気と正気の天秤が絶妙なバランスで成り立っている、そんなクーリアの精神構造。狂気側に振り切ってないからこそ、冒険者としても聖職者としても、他人からの評価を得られているのだろう。

 狂ってるだけのヤツじゃ、冒険者も聖職者も続けていけるはずがない。


 まったく……『灰兎の窖』の冒険者達には変わり者が多いね。彼らを見てると、ゾンビなだけの私が如何に凡庸か自覚できる。このことは、私にとって救いといえば救いだ。

 ここにいれば、少なくとも異端を理由に排されることはないってことだもの。


「だから、ゾンビちゃん自身のためにも、ゾンビちゃんとパーティを組むことは出来ないわっ。私と組みたいと思ってくれたこと、それ自体は嬉しかったの……。けれど…冒険者として、パーティとして一緒にはいられないの……。ごめんなさいっ!」


 ……いやいや、なんか悲恋がらみの別れ話みたいな雰囲気を出してるけど、全然そんなことないからねっ!?



 アリアへの依頼クエスト報告を終えると、クーリアはさっさと『灰兎亭』を去っていった。

 どうやら小鬼ゴブリンに殺されていた農場の男性を正式に供養するために教会へ赴くとのことだ。わざわざ死体を教会まで運んだ辺り、聖職者っぽい弔いもそれなりに重視してるのだろうか?


「……残念だったな、ゾンビくん。まあ、仕方ないと諦める他ないだろう。クーリアくんの言ってたことは、全て正論だ。残念がるキミの心中は察するに余りあるが、彼女の思いを汲んであげてほしい」


 勝手に誤った心中を察するな。

 別に残念だなんて思ってないもん。そもそも私の方から断るつもりだったし……。あんなのと四六時中冒険を共にしてたら、ゾンビの身はともかく…心が持たない。だから拒否された事実に、今までみたいな悲壮感はない。ないけどさ……。


 それと、心中に渦巻くこのモヤモヤとは話が別だ。

 クーリアという激流に望んでもないのに巻き込まれ、一方的にフラれたという結果だけ叩き付けれた。悲しくはない。怒ってる訳でもない。けれど、ゾンビにだって自分でも説明付かない複雑な苛立ちが湧くことくらいあるのさ。

 そして、そんな負の感情のぶつけ先なら、今目の前にいる。この迷惑千万な激流に放り込んだ、余計なお世話の張本人が。


「──ぐぅっがい、ぐぁーがっ!!」


 うるっさい、ばーかっ!!

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