ゾンビと聖職者 4

 嫌な予感ってのは、大概的中するってのが世の常だ。

 今回だって、もしかしたらと予防線を張ってはいたものの頭の中じゃほとんど断定していた。そのくらい、私は自分の勘に信を置いている。



 農牧地帯である『グレース平原』の一角にある小さな牧場の一つ。そこは、遠目から覗いただけで分かるほどに不自然の塊だった。

 放牧用の囲いの中には牛も羊も山羊も一匹たりともいない。目を凝らすと、原っぱの緑色がどこか赤黒く染まっているようにも見える。何より、小さな屋内には不釣り合いなほど滲み出る、不自然な量の気配。


 やっぱり……か。

 魔物の襲撃に対する備えが明らかに不足していて、かつ孤立した場所にあるから騒ぎになりにくい。中央の大牧場を狙うよりか遥かに効率がいい。

 この襲撃条件の良さを計算に入れて収奪を目論んだのなら、私の中での小鬼ゴブリン評を改めなくちゃいけないな。


 ──って、いやいや、こんな他人事みたく相手の手腕を褒めてる場合じゃない。


「わぁ! これ、間違いなく黒ね。さっすがゾンビちゃんっ。その生臭い口にチューしたくなっちゃう。ふふふっ」


 だから、笑い事じゃないっての。尤も、クーリアにとっちゃ笑い事なのかもしれないけどさ。けど、一応釘くらいは刺しとこう。不謹慎だし、笑ってる暇もない。


「ぐぁあいごぐぉぎゃぐぁいご」

「うん! 分かってる分かってるっ。チューは冒険の後のご褒美に取っておくわ。う~んと…さてさてこの状況、ホントなら一先ずは観察に務めて敵の全体像を把握し、確実な一網打尽の機会を作りたいとこだけど……そんな暇はなさそうかなっ」


 話を聞いてるのか聞いてないのか。兎も角、現状の把握は怠っていないようで安心した。

 クーリアの頭は狂ってはいるが、回らない訳じゃない。むしろ思考能力は冒険者の中でもかなりの上澄みと評していいだろう。

 じゃなきゃ、いくらグレンが博打下手といえど、あそこまで徹底してカモにすることは出来ないもの。

 

 ──あれ、そういやクーリアって普通にギャンブルで遊んでるけど、あれって宗教的にいいんだろうか?

 ……いや、それも含めての「破戒」か。彼女にはそんな道理を説く気にもならない。こんなでも教会じゃ清廉で博愛な修道女シスターで通ってるらしいってのが不思議でならない。あっちじゃ猫被ってるのかな?


 まあ、そんなこと今はどうでもいいか。


 狂えども一応は上澄みの知性を持ち合わせているだけあって、経験だけなら断然に勝る私と同じ答えを導いてる。

 確かに、掃討依頼の目的は害敵の完全な淘汰。つまり、討ち洩らしを限りなくゼロに近付けるのが理想だ。そのためにまず必須なのは、数や配置など敵の全体像を明瞭にすること。そうして着々と準備を重ね、時間をかけて全滅の機を窺うのが基本。


 ……でも今回は、そんな悠長に外堀を埋めてる場合じゃない。

 人の命が懸かっている以上、やるべきは電光石火の電撃戦。求められるは速攻。それは例え、懸かってる命が既に失われていたとしても変わらない。その可能性の方がずっと高かろうとも、だ。


 クーリアも私とおんなじ考えのようだ。狂ってる以外の思考パターンがイマイチ読みづらい彼女だけど、「人」の命を尊重するという最低限の倫理は残ってる。

 このギリギリの社会性のおかげで、クーリアは修道女シスターと冒険者の狭間を巧く漂っていられるのだから。


「ぐぉっごう、ぎぐぅう、ぐぁえっ!」

「速攻、奇襲、ね。うんうん。ゾンビちゃんがまず先行して、私が敵を逃がさないように後から攻め立てていく──って感じで良いかしらっ。う~ん、愛しい人との共同作業っ。楽しいなぁ!」

「……ぎゃあ、ぐぉええ」


 同意と呆れを混ぜた思いを持ってこうべを下げる。そして、その下げた首を──


 ザクッ!


 握る手斧をギロチン代わりにして、落とす。ゾンビなこの身体だからこそ出来る、今からやることに絶対必要なこの芸当。

 腐った不死の肉体じゃ出来ないことも多いけど、ゾンビだから講じれる策はそれ以上に多い。

 これから行うのは、文字通り「捨て身」で放つ、ゾンビを活かした疾風怒濤の特攻劇。ただし、私の筋力じゃ届かないから、クーリアの手助けは必要だけどね。


 落ちた私の首を拾い上げ、思いっきり振りかぶるクーリア。私の行動からその意図を即座に汲んで行動に移してくれる点は素直にありがたいと思えるね。

 グレン達にしてもヴェルデにしてもそうだったけど、並み以上の冒険者なら私の特異な行動を汲み取って、その戦術を共有できてしまう。これも、経験からくる応用力の賜物か。


 女性ながらに豪腕強肩なクーリアが放つ、恐らくは全力の投擲。

 それは、真っ直ぐ疾く、そして私の狙い通りの的──これまで遠巻きに眺めていた農場の家屋の窓に直撃し、投擲物──つまり、私の頭が侵入した。



 小さな木造の家屋。妙な気配と嫌な空気が充満する室内には、案の定十数匹の小鬼ゴブリンの姿があった。この部屋だけに集まってる訳じゃないだろうから、全体数はこの数倍はいると見積もっていい。


 いきなり生首……いや、腐った首が窓を割って侵入してくるという異常事態に、小鬼ゴブリン達は混迷の渦中に囚われている。その豚と人間の子供を7対3でブレンドしたような顔からも、困惑が簡単には読み取れる。


 なんだこれは? どうすべきか? そもそもこれはどういう事態か──。

 そんな瞬巡を頭に浮かべてしまった時点で、私たちの術中だ。


 籠城戦ってのは、誰がどう考えても籠ってる側に圧倒的なアドバンテージがあるものだけど、ある一条件を対等でなくするだけでその優位性が大きく傾き、イーブンどころか不利となる。

 ──そう、戦う準備が出来てるか否か。心体が戦闘態勢になっていなければ、籠城の優位性はひっくり返り、優位であることの余裕がそのまま自分達の首を締めることになる。

 だからこそ、この状況に適した戦術は奇襲。それも、小鬼ゴブリン程度の知能じゃ想像もつかないような、意表を突く奇襲。


 そして、こと奇襲に於いてゾンビの右に出るヤツなんか、そうはいない。



 小鬼ゴブリン達が混乱から醒めるよりも私の身体の再生の方がずっと速く、この状況から即行動に移せたのも私だけ。

 小鬼ゴブリンが装備していた木製の棍棒を奪い取り、そして──


「ぐぉーげっ!!」


 隙だらけの連中に攻撃を仕掛ける。

 脆い身体を慎重に扱って、素早く確実に、一匹一匹の頭に棍棒を叩き込んでいく。私が普段使ってる手斧と似た形状だからか、魔物の粗雑な武器のくせに案外手に馴染む。


 私は、決して突出して強い訳じゃない。

 私が『冠付き《クラウン》』となれたのは、あくまで冒険者としての能力を評価されてのこと。戦闘力だけで語れば、『灰兎の窖』内で比較しても上の下が良いとこだろう。

 これは卑下じゃない。私は私の特色をよぉく把握している。だからこそ断言できる。

 ……今この状況、この敵達が相手なら、上の下程度の実力でも一騎当千の立ち回りが出来るって。


 動物的な本能に基づく連携能力を活かした集団戦が強みの小鬼ゴブリンから、判断力と戦略を奪ったのだ。弱い駒が単独で並んでいるだけの盤面なら、経験値だけはやたら稼いでる貧弱で鈍重なゾンビでも何とかなるさ。


 ──バキッ! ゴキッ! ドゴッ!


 何匹かの頭を潰してやると流石に己が身の危険を察したのか、小鬼ゴブリン達は慌てふためき火中の栗が弾けたように動き出す。

 雑に私に向かってくる者。武器を取ろうとする者。部屋から逃げようと扉に向かう者。半端な知能を持った魔物らしい、パターンに乏しい単純な行動だ。よしよし、楽で良いね。


『ギ、ギャギャアー!』

『ブギャ、ブギャ!』


 奇襲による利は未だ消えてはいない。策もなく鳴きながら真っ直ぐかかってくるだけの小鬼ゴブリンを迎え撃つのなんか、全くもって容易も容易だ。

 武器を持って襲ってくるヤツだって、結局は脅威ではない。何せこっちは武器の殺傷力なんざ意にも介さぬゾンビの身。殴られた所で混乱させる材料が一つ増えるだけの話。


 そして、部屋から逃げ出した数匹。コイツらも所詮、私達の策の内から逃げ出すことは出来ない。むしろ策の礎となるだけの軽率な行動だ。

 逃げ出すことで混乱は家屋に潜む小鬼ゴブリン全体に波及し、皆が一斉に迎撃か逃亡の選択を迫られる。どちらにしても、意思統一して行動すれば突破の可能性もあるかもだけど、今の小鬼ゴブリン達にそんな余裕はない。


 それにしても……逃げを選択した小鬼ゴブリンは、可哀想だな。出口で待っているのは、私のように淡々と狩ってくれる温い狩人でも、ましてや安全でもない。


 ゾンビの腐った顔が天使にみえるほどの、血に飢え過ぎてる狂喜の女の……笑い声。



「うふふふっ! ふふふふふっ!! あっはっはっはっはーぁ!!!」


 ──ドゴォォン!!


 ……ほーら、聞こえた。

 先陣切って逃げ出した一番の臆病者が、待ち受けていた死神…クーリアの快楽の餌となった音。ゾンビと違い正常な痛覚を持つ生き物にとって、クーリアの拷問以上に苛烈な暴力は堪えるだろうなあ。魔物に対して難だけど、哀れみすら覚える。

 彼女の暴力の衝撃に、このボロッちい家屋も震えてる。頼むから、ここを倒壊させないでほしいな。敵が逃げやすくなって面倒だから。


 この音と振動は多分、クーリアの拳と家屋の壁とで小鬼ゴブリンの肉体をプレスしたのだろう。粉骨砕身の力で敵の骨を粉砕し、光悦に浸る修道女シスターの姿がありありと想像出来てしまう。

 ……なんて嫌な絵だ。


 本来クーリアのような魔法使いが持つ武器は、魔法の指向性を補助するための杖や非力でも扱いやすい短剣なんかが一般的なのだが、彼女の武器はそんな生易しいものじゃない。

 クーリアの武器は、暴意に満ちた形の手甲。もっと言うなら、自らの肉体そのものだ。


 魔法使い、特にクーリアのような補助用の魔法を得意とする者に求められる仕事は、あくまで後衛からのサポート。にも関わらず、彼女が拳で直接敵を攻撃するスタイルを貫く理由はたった一つ。

 自分自身の暴力で相手を痛め付け、殺したいから。本当に、それだけ…らしい。


 そのおかげと言っていいのやら、あくまで冒険者単体の能力を測るランクでもクーリアは『金級ゴールド』だ。回復役としてのサポート性能を加味せずこれなのだから、ハッキリ言って相当凄い。

 異常も突き詰めれば信念となり、実力に昇華される。その事実は私だって身を持って理解しているつもりだけど、クーリアの方が顕著な例かもね。

 そもそも、ただ死に近付きたいという一心で、聖職者と冒険者の二足のわらじを履く精神が意味不明だしなぁ。


 冒険者としてのクーリアを総評すると、有能すぎてその破綻したへきさえも許容されてしまう程、攻撃と補助と知能の三拍子に優れた疑う余地のない一流冒険者。

 彼女とパーティを組みたい冒険者は、ギルドメンバーにも沢山いるさ。そして、そんな人気者が、不人気のゾンビを好いて組みたいと言っている。


 ………けどなぁ。



 なんかクーリアのことばかり考えながら攻撃を続けていたら、何時の間にやら部屋内に立っている生き物はいなくなってしまった。

 あ、私自身を生き物と呼んでいいのなら、一応一人はいるか。


 死体の数はそこまで多くない。どうやら逃げの選択肢を取った小鬼ゴブリンの方が多数派だったらしいな。

 さて、小鬼ゴブリンに噛まれた顔も引きちぎられた腕も再生したし、クーリアの助力に行こうかな。

 ……いや、彼女のことだから手助けなんか必要としないか。それよりも、出口以外の場所からの逃亡を警戒する方が先決かな。


 先程割り入った窓から、身を乗り出して飛び出る。大した高さではないけれど、私の貧弱な身体では足の骨折は免れない程度の跳躍。

 案の定着地の瞬間、左右の足首と踵と右膝から小気味良い折骨音が聞こえたけれど、どうでもいいことだ。

 そんなことより──


 周囲を見渡す。小鬼ゴブリンの影が見当たらなければ、一旦クーリアの状況を確認しに行こう。正直あまり心配はしてないけど、万が一があっては困るしね。


 右翼遠方、敵影なし。左翼遠方、敵影なし。よし! 大丈──


「ぐぅ!?」


 遠方にばかり視線を集中してたからか、近場の影を見逃していた。

 私のすぐ傍に、別の窓から逃げ出したであろう小鬼ゴブリンの姿があった。


 ──っあっぶな。間抜けにも見逃す所だった。掃討依頼でこんなミスをやらかした日には、ダリオルに丸一日バカにされて過ごさなきゃならない。

 相手にとっては最悪の不運だろうけど。


「ブギャ、ブギャギャー!!」


 目の前の魔物の鳴き声。それは、まるで私の呻き声のように、解せないながら意味を内包した声に聞こえた。

 そう、攻撃するな!! という、恫喝。


 小鬼ゴブリンは、盾を持っていた。木の盾なんかよりずっと弱々しく、無駄に重たく勝手の悪い盾。

 ぐったりと動かない、文字通りの……肉盾。人という盾を。


 戦の盤上では、少しの瞬巡が…欠片程の迷いが、戦局を左右する。


 この瞬間、私は──

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