ゾンビと聖職者 3

 腐った肉体がドロリと溶けてしまいかねないほどの爽やかな陽光照り尽く平原を、ゾンビと修道女シスターという異質な組み合わせの二人が闊歩する。


 私たちがこの度受注した依頼クエストは、アルテミア統一王国北東部の平原に異常繁殖した魔物の掃討依頼だ。

 旧魔王領と面した王国北部では、頻繁に紛れ込んだ魔物の存在が確認されている。国も魔物の生息区域を旧魔王領内で留めるよう、この境に多くの兵力を割いてはいるが、残念ながら塞き止め洩らしばかりってのが現状だ。

 まあ、現代いまにおける兵士なんてのは、魔物との戦いを想定している訳じゃないし、仕方のない話なのかもな。そもそも対魔物を意識した訓練も、対魔物の実戦経験も然程積んでない集団だし、むべなるかなってやつだ。


 だからこの尻拭いも、自然と冒険者にお鉢が回ってくる。大体は北方諸侯の領主様が依頼主だから、いわゆる金回りのいい仕事ではあるのだけれど、掃討依頼はあまり冒険者受けの良い仕事ではない。

 なにせ、兎にも角にもハイリスクなのだ。対魔物の専門家である冒険者にとって最も恐れることは、敵に徒党を組まれること。数の不利こそ、勝てるものも勝てなくし逃げ筋さえも閉ざしてく、知識からなる計算を狂わす最大の要因なのは冒険者の共通認識だからね。


 無理を押し通すのは冒険者のベターではない。たとえ実入りの良い依頼クエストでも、血の臭いがあまりにも濃いなら大半の者は後退りする。

 こんな死臭を意にも介さず近寄るのは、金に目が眩んでリスクを見落とす半端者か、リスクを限りなくゼロに近付けられる本物の強者ぐらいのものだ。


 んで、今回この依頼クエストを迷わず選んだクーリアという女がこのどちらかというと……ハッキリ言ってどちらでもない。

 リスクだのリターンだのの正常な価値基準は、あくまで正常な者のための理屈だ。邪の道を謳歌する異常者は、こんな通常の枠内では測れっこない。


 暴力を手段ではなく目的として愛するクーリアにとって、血の香りは警戒心ではなく愛欲を想起させる蜜でしかない。

 掃討依頼なんかを喜んで受けるのなんか、何処のギルドを探してもクーリアくらいだろう。


 掲示板に貼られた中で一番危険な依頼書を本能のままに選び取った時のクーリアは、まさしく本能の赴くまま蜜に群がる虫のようだった。

 幸福そうに吟味し、それでいて迷いはない。リスクリターンの天秤を持ち合わせていては、あんな顔は出来っこない。


 ──あんな、暴力こそ冒険の全て、なんて主義主張を煮詰めた顔は。




「ふふふっ! なんて気持ちの良い陽気の日和なのかしら。まるで女神様が二人の冒険を祝福してるみたいね。ね、ゾンビもそう思わない?」

「……ぐぉーがぐぁあ?」

「うんっ! 修道女シスターの私が言うのだから間違いないわっ。女神様の天恵を感じてか、自然と浮き足立っちゃうもの!」


 洒落た服にめかし込んだ女児みたいな面持ちで、降り注ぐ陽光も顔負けに笑うクーリア。そこには、高難度の依頼クエストに挑む緊張感は微塵も見受けられない。

 もちろん彼女がそれなり以上の実力を持つ肝の据わった冒険者だからってのもあるのだろうけど、それよりも彼女の根幹にある悪癖が由来となってる所が大きいはずだ。


 女神様への信仰心なんかホントはお構い無しの、暴力の信奉者。


「天は澄んだ青色で、地は息吹く緑色。清廉な彩りに満ちた自然。うーん! ここで血みどろに争えば、さぞ気持ちいいでしょうね。魔物がここまで生息区域を伸ばしたがった理由も頷けるわっ」


 いやいや、そんな理由で頷かれても、魔物の方も迷惑だろう。こんな倒錯した動機で納得できるヤツなんて、種の垣根を越えて探してもクーリア以外にはいないって。


 でも、魔物がこの環境を求めて住み着いたってのは確かだろう。ガルテア辺境伯が治める王国北部にある太い河川からの豊かな水源に恵まれた、ここ『グレース平原』。大戦当時は戦略的な重要地として人魔共に多くの血を流したらしいけど、今では洪水でもなければ平穏そのものの静かな地。大地と水の恵みから、農牧地帯として広く使われている。


 ある種、戦後の平和を象徴する場所といえるかもしれないな。

 かつては人魔の国境最前線を武力で守っていたガルデア家も、今じゃその武勇には見る影もない。当代のガルデア辺境伯もすっかり牙の抜けた穏健な人物で、確か「腰抜け伯」とか揶揄されてたっけ。

 戦争の功績で得た辺境伯の地位も錆び付いて、アルテミア五大貴族の座すら退いている。


 ただ、ガルデア辺境伯の領主としての手腕は優れているらしく、領内の統治は堅固そのものだ。周囲の野心家貴族に領地を奪われるなんて愚も犯さず、領民の生活も豊かで領内の評判も上々。

 「腰抜け」ではあるが、愚者ではない。というか単に武力と野心を削り、平和の維持に舵を切ったってだけの話だろう。


 領主の功名なんか、民にはどうだっていい話。昔取った杵柄を別の形で保守するこの在り方も、今の世では有りかもね。

 まあ、こんな風に魔物に領地を侵された時は、外部頼みにならざるを得ないって難点もあるけどさ。


「なあに考え事してるのぉゾンビちゃん! あ、ひょっとして、私がなんで小鬼ゴブリンの掃討依頼を選んだのか、気になってるのかなっ。ふふ、もちろん何の考えなしで決めた訳じゃないのよ」


 訊いてない、訊いてないって。だって訊かずとも分かるもん。


小鬼ゴブリンって、二足歩行じゃない? それに背格好も、ゾンビちゃんほどじゃないけど人に近い。魔物の中じゃ、ぐちゃぐちゃにした時良い感じに高揚出来る身体をしてるのよねっ!」

「ぐぁいぐぁい……」

「ふっふふー!! 人間を殺すなんて非道いことだから出来ないけど、こうやって近しいことを慈善活動に昇華して、誰かの役に立てるなんて……もう最高!! 私、根っこのとこから聖職者なのよねっ」


 ……これを、正真正銘本音で言ってるんだから始末が悪い。根っこのとこから病んでいる。

 単体の強さは軟体獣スライムの足元にも及ばないながら、群れを形成して小狡く立ち回る厄介な小鬼ゴブリンという魔物。この嫌らしい相手を、こんなイカれた基準で積極的に迎え入れる変人はクーリアだけだ。


 やれやれ…この戦闘狂にも、時流を見定め矛を納めて自ら「腰抜け」となったガルデア辺境伯の爪先ほどの穏やかさがあればなぁ。


 冒険者としての彼女に求められていることは、こんな狂いっぷりではない。この際私の都合は置いといても、クーリアの本領を最大限に活かすには血に狂ってない方が絶対良いのにね。

 悲しいかな、才能と嗜好は必ずしも沿わないってことか。



 見晴らしの良い『グレース平原』、もしも小鬼ゴブリンの集団がいれば遠くからでもすぐに見付かるはずなのに、見渡してもそれらしき影は見当たらない。

 まあ、平原のど真ん中に小鬼ゴブリンの群れがデンと構えていたら、そっちの方が驚くけどね。


「う~ん、見付からないね。もどかしいっ。ねっ、『冠付き《クラウン》』の経験を持ってすれば、何処に小鬼ゴブリンが居そうか分かったりしない?」

「ぐぉーがげぇえ……」


 探すアテ、かぁ。ま、無い訳じゃないかな。賢しいとはいえ所詮は低級の魔物。経験の網から逃れるほどの知恵はない。


 人と体格の近い生き物が集団で生息域を伸ばして来たんだ。当たり前ながら、群れが丸ごと原っぱのど真ん中で寝食を繰り返してるなんてあり得ない。何処かしらに居住地を決めているはずだ。

 でも、その住みかを一から築く時間はない。なら、どうするか。


 ──決まってる。既に有る住みかを奪うんだ。洞穴や廃墟となった場所か、或いは……。


 うん。嫌な想像から目を逸らさず、最悪の場合を想定して動こうかな。


「ぐぁおう、ぐぁげぐぇ」


 クーリアの修道服の裾を引っ張り、視線と声で合図する。彼女なら、これだけで私が何をして欲しいのか伝わるはずだ。このために事前に合図を決めてたもんね。


「え~、私、ゾンビちゃんをバラバラに裂いたりぐちゃぐちゃに潰したりするのは好きだけど、回復するのは好みじゃないなぁ。折角キュートな容姿なのに、それを『治す』だなんて……」

「ぐぃいがぐぁ!!」

「むう……しょうがないなぁ」


 渋々といった面持ちで私の身体のど真ん中、動いてもない心臓がある所らへんに手を当てるクーリア。

 何だかんだ、理を唱えれば最低限言うことは訊いてくれる。狂人ではあるが、一応冒険者でもあるからね。


「天に召します我が主よ。この者に神聖なる祝福を。回復ヒール!」


 一端の聖職者のような口上の後、私の身体の芯が暖かくなる。本来何も感じないはずの腐った身体が。


 頬を打つ弱い風。肌を暖める強い日射し。鼻を撫でる自然の香り。

 ううん…久しぶりの感覚だ。肉体から得る情報量が増え整理が追い付かないこの感じ。腐敗のせいで乾いた緑色だった腕は、まるで人間の様にみずみずしい色に『治って』いる。


 クーリアの使った回復魔法が、私のゾンビな身体を大いに変容させる。これこそが『明光』のラーナによって編み出された柔く神々しい癒しの輝き。私以外の生き物に使うと外傷や疲労が回復し、私に使うと何故か姿形が人間っぽくなる魔法だ。ゾンビの腐敗は魔法的には外傷みたいなものってことだろうか?

 腕も脚も、自分じゃ分からないけど多分顔も、いつもの腐ったソレじゃなくなってる。もちろん喉や顎や舌も、だ。


「あ、あーあーっ! ごほんっ。え、えっとね……あくまで可能性の話だけど、多分小鬼ゴブリンは、牧場か農場を奪って根城にしてるんじゃないかな?」

「あ、あー……うん、あり得る、ねっ」

「でしょう? 食と住は魔物にだって必要なモノ。特に群れで行動する魔物にはね。その課題を一発で解決する手段が、これだと思う」

「群れが収まる広い根城と十分量の食料。おまけに人なんて殆どいないから荒事立てても騒ぎにならない。小鬼ゴブリンがどこまで絵図を描いて行動に移してるのかは知らないけれど、危惧すべきあり得る可能性ね。それに何より──」


 そう、この可能性を想定した際に真っ先に憂慮する事項がある。牧場や農場に少なからずいる人々の身の安全だ。

 もし私の嫌な予感が当たってるなら、危惧するまでもなく十中八九殺されているだろう。でも、万が一生きてる人がいて、私にその命を救える可能性があるなら、それを見捨てることほど目覚めの悪いことはない。


 別に聖職者みたく善を謳う訳じゃないけれど、助けられる命はなるべく助けたい。ゾンビの冷たい胸の内にも、そのくらいの心は標準装備してるつもりだ。


「……急ごう。とりあえずこの辺の農牧場を片っ端から探してみよっか。いくら『グレース平原』が広大でも、探す場所を限定すればそう時間はかからないはずぐぁがぐぁ──」


 流れる清流が豪雨を機に汚泥まみれの濁流に変貌を遂げた時のように、私の口から流暢に紡がれる声が腐った元通りの呻き声に戻ってしまった。

 身体を包んでいた柔い光もいつの間にか消えている。腕も脚もおそらく顔も、とてつもない速さで腐敗の限りを尽くしていって、私の肉体の全てがゾンビの姿に逆戻り。


「あー疲れた、終わりっ! やっぱり回復魔法は魔力消費が辛いなぁ。それに、ゾンビちゃんのキュートな見た目をわざわざ凡百のつまらない形に『治す』だなんて、とてもじゃないけどモチベーションが湧かないわっ」


 『治った』私の容姿が美醜的にどうなのかは私自身には判断付きかねるけど、随分な言い様だ。心底嫌そうに回復魔法を使ってた当たり、本当クーリアは私のゾンビという要素だけにしか興味がないんだな。

 まあ、いいさ。クーリアの物差しでどう測られようが、別にどうだっていいもんね。


「ぐぁがっが、ぐぉーぎいごぉ」

「うんうん! ゾンビちゃんの言う通り、急がなきゃねっ! その身体じゃあ走れないでしょう? 私が抱っこして走ってあげるっ。ふふふふふっ!!」


 そんなこと慎んでお断り願いたいものだが、そんな私の意思なんてお構い無しなのがこのクーリアって女だ。

 私を強引に抱き締め抱きかかえる。締めた際に腕が変な方向に曲がり、抱きかかえた際に首が逆方向に折れちゃったけど、そんな些事は気にも止めない。


 これは……そう、あれだ。人形遊びに興じる無垢で乱暴な子供そのもの。そして私は、そんな悪餓鬼に遊ばれる頑丈なお人形さんってね。

 現状、彼女の方が小鬼ゴブリンよりもよっぽど脅威かも。あはははは………うん、冗談になってないね。

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