ゾンビと公爵令嬢様 5

 ゾンビの短所は何かと問われれば、枚挙の暇がないほどには挙げられる。


 人を敬遠させる腐った容姿。器用な動作のままならない腐った関節。魔法の素養が一欠片もない腐った体質。少し激しく動くとすぐさま崩れる脆く腐った肉体。視覚と聴覚以外マトモに働いていない腐った感覚。そして、マトモに言葉を発せない腐った声帯。

 フィルティの魔力切れについても、そうだ。私がキチンと言葉で伝えてさえいれば、こんな不本意な目にあわすことはなかったはず。情けないったらない。


 なら逆に、ゾンビの長所は何かと問われたら、こっちもそれなりに挙げられる。


 何されたって死なないし、バラバラになってもすぐくっつくし、身体が欠けてもすぐ再生するし、あと体力不足に陥ったことだって一度たりともない。それにそれに、寝る必要も食事の必要もない。まあこれについては、良し悪しあるけどね。

 誇れる長所はそれなりにある。私は必要以上に自分を卑下したりなんかしない。こう見えて、結構な前向きゾンビなんだ。


 前を向いていれば、いつだって何処かしらに突破口は開いていた。

 私に英雄のごとき力は、どう贔屓目に見てもない。それでもゾンビらしく、しつこく不屈に前へ前へと見据えて…いつしか『冠付き《クラウン》』と呼ばれるまでの冒険者になれてしまったわけだ。


 フィルティを庇いつつ毒鱗竜ヒドラを討伐し、おまけにフィルティに活躍してもらい彼女の幼き憧憬を成就させる。


 ──私になら、きっと出来る。アルテミア統一王国最高の冒険者の一人、『不死』たるゾンビにだったらね。




「ふっ、ひっっぐ! うう…。リヴィア家公女のあたしが…、こんな醜態を晒すなんて……ぐすっ」


 フィルティは魔力切れによる倦怠感と無駄な重装備が相まって、這いずることでしか動くことが出来ない様子だ。徹底した高貴なる貴族の皮が剥がれ、年相応に泣きじゃくるだけの幼い少女。彼女の大いなる自信と自尊を支えていた魔法が役に立たない現状じゃ、無理もない。

 それでも私に助けを求めたり、私に向けて弱音も悪態も吐かないのはフィルティの内に僅かに残る高慢なプライド故か。


 この種の高慢さは好きだけど、今はそんな場合じゃない。助けくらいは求めてほしいかな。


 毒鱗竜ヒドラは再び頬を膨らませ、毒液を噴射する構えをとる。

 魔物の中でも、竜種は突出して賢い。軟体獣スライムみたく本能だけで行動したりしないし、巨岩兵ゴーレムみたいに命じられるがままの操り人形でもない。

 こいつはもう、私に毒液が効かないことには気付いてる。だからとっくに舌や体躯を叩き付ける攻撃へ切り換えていた。そんな賢いヤツが、無意味な攻撃を繰り返すはずがない。

 ……標的を変えたんだ。目の前のしぶといけど火力のない天敵から、勝手に弱って倒れたけど明らかに危険な魔法を放とうとしていたフィルティへ。

 懸命な判断。でも、それは──


「ひっ! い、いや……ゾンビィ! た、た…助けてっ!」

「ぐぁう!」


 助けて、か。うん、なんて耳溶けの良い台詞だろう。まさに、仲間! って感じ。この一言だけで、心に染み渡って酔ってしまいそう。

 酒に酔うのがこんな気持ちだってんなら、ダリオルたちが酒にあれだけ溺れるのも少しは共感できるかも。

 とはいえ、陶酔してる暇なんかない。


 敵はまさに攻撃の直前。攻撃の瞬間ってのは、ピンチと同時にチャンスでもある。生き物は敵を狩る瞬間がもっとも隙ができるもの。それは魔物だって例外じゃない。

 そんな隙、私に見せていいのかな? 火力に乏しいと侮ったんだろうけど、賢い知能が仇になったね。


 私の手には、斧以外にも武器がある。

 暗い洞窟内を明るく照らす、頼れるランタンの火種という武器が。


 風避けのガラスを外し、武器として使うには不十分過ぎる灯心を──、頬張る。そして、毒鱗竜ヒドラの巨躯にガッシリ包容する。

 奇しくも毒鱗竜ヒドラと同じ頬を膨らました顔になってしまった。けれどこいつは気付けない。私が自分より、ずっと危険な攻撃をしようとしていることを。


 この距離なら……うん、フィルティを巻き添えにすることはないな。口を閉じて少し経った。もうすぐ、だろう。


 筋力、武力に乏しい私の、数少ない超強力な攻撃手段の一つ。

 腐った私の身体からは、引火性の腐敗ガスが発生している…らしい。当然私の体内には、それが充満している。密閉空間に充満した引火性ガスが引火したら、はたしてどうなるか? 専門家ではないけれど、私はそれを文字通り「身を持って」知っている。

 これも一つのゾンビの長所。私はこの「奥の手」をこう呼んでいる。


 自爆、と。


 ボッ────



 ゾンビの機能する五感の内の二つ、視覚と聴覚が同時にプツンと切れる。

 暗転する直前の視界が捉えたのは、飛び散る私と毒鱗竜ヒドラの肉。弾け飛ぶ前の鼓膜が捉えたのは、毒鱗竜ヒドラの短い断末魔。


 多分私の身体は木っ端微塵にぶっ飛んだ。爆発して全壊してしまったんなら、再生するまで多分三分はかかるな。

 はぁ……だからあんまりやりたくないんだよなあ。それまでこの「何もない」感覚が続く訳だ。


 ただまあ、私はこの爆発の威力を熟知している。私に抱き付かれてた毒鱗竜ヒドラは確実に巻き込まれて絶命しただろう。あれくらいの距離なら、フィルティには怪我はないはずだ。洞窟が崩れる心配も、この程度の爆発ならないと断言できる。フィルティが壁に魔法を放ったこと、一応無駄にはならなかったな。


 憂慮の隙は一点もない。よし、再生するまでの間、楽しく妄想でもするとしよう。


『凄い! ありがとう、助かったわゾンビ。貴女はわたくしの最高の相棒ですわ! これからもよろしくお願いしますわぁ』


 いやいや、それほどでもないかな。


『とっても格好よかったですわ。まるで物語の英雄のよう! はぁ、わたくしなんて活躍どころか足を引っ張ってしまいましたわ……』


 そんなことないよ。フィルティには、これから活躍してもらわなきゃ困るもの。だってランタンが壊れたからさ、フィルティの魔法がないと暗くて洞窟を出られない。

 少し休んで回復したら、私を助けてね。


 ──なんちゃって。ふふっ、ふふふ!



      ◇◇◇◇◇◇◇◇



 討伐依頼は討伐対象から剥ぎ取った一部をギルドに納品することで完了となる。討伐対象が複数だととんでもない大荷物になることだってあるが、今回は毒鱗竜ヒドラの内臓の一部だけだからそれほどじゃない。

 体内で毒を調合する器官らしい、まさに毒鱗竜ヒドラを討伐した証拠に相応しい毒々しい色合いの臓器だ。あの爆発でも綺麗に残ってたのは幸運だったな。


 『エルフの里』からの帰り道、馬車に揺られる最中も夜営地で夜明けを待つ間も妄想内みたいな心踊る会話はさっぱりなく、それどころかフィルティは気恥ずかしそうに押し黙ったままずっと俯いていた。

 うう、やっぱりランタン代わり程度の活躍じゃあ不満は拭えないか。私の妄想ほど、現実が上手くいった試しはない。


 夜闇が街路を包む中、私とフィルティは『灰兎亭』へと戻ってきた。

 日も暮れて、昼間以上に人で賑わう店内。奥のカウンターには相変わらずあくせく働くアリアとそんなアリアにちょっかいをかけるグレンの姿があった。


「お、ようゾンビ、ようやっとご帰宅かい。精が出るねぇ。…って、くはっ! お前、ひょっとして、久しぶりに奥の手使ったのか!? はっはっはっ! いやあ、オレも見たかったなあ。文字通り、身体を張った派手な芸!」

「ぐぅがいぐぁあっ!」


 ちょっかいの対象が私に移った。くっ、これだから自爆は使いたくないんだよ。防具含め装備一式丸々全部が完全に使い物にならなくなるから。一応着るものだけは『エルフの里』ですぐ調達したけど、見るからに冒険者の装いではない。手荷物も異臭放つ剥ぎ取った肝だけだ。

 だから、私のいくつかある「身体を張った」奥の手を使ったことは、勘の良い冒険者にはすぐばれる。そして、毎度こうやってからかわれる。そりゃ見た目派手で可笑しいのかもしれないけれど、こんな風に面白がられるのは癪だ。芸でやってるつもりはないぞ。


「ふふっ。ゾンビさんも、博打に負けて裸踊りの芸をさせられてた人には言われたくないとおもいますよ?」

「うっ、ぐぬぬ…。これは、一本取られた。ちぇっ、金ならとっくに色付けて返したろ? そこは恨みっこなしだぜ。アリアちゃんも、あんなの忘れてくれって。な?」

「ダメですよ~。久しぶりのグレンさんの裸踊り、私も随分笑わせてもらいましたから」


 アリアが私の反論を丸っきり代弁してくれた。アリアの歯にもの着せぬ物言いも、こんな時には頼りになる。

 そうだそうだ! 自爆して丸裸になるよりも、博打で有り金すって身ぐるみ剥がされ踊らされる方がよっぽど笑いの種だろうさ。


「それで、毒鱗竜ヒドラの討伐はどうです? 愚問かもしれませんが、しっかり狩ってきましたか?」

「いやいや~、アリアちゃん。そりゃまさに愚問だって。ゾンビが自爆まで使ったんだから、相手が竜だろうが何だろうが紛れなく仕留めただろうさ。その意気であん時の巨岩兵ゴーレムも吹き飛ばしてくれてれば、賭けの資金が尽きることも──」


 そんな逆恨み、知ったこっちゃない。そもそもあの時は調査依頼だったんだから、遺跡を傷付けかねない乱暴な手段を取れる訳がない。そもそも言葉とは裏腹に、私のことなんか戦力の勘定に入れてなかったじゃないっ!


 グレンの適当な恨み節なんかには返事せず、しっかり保存しておいた毒鱗竜ヒドラの毒袋をアリアに納品する。後は、依頼主である『エルフの里』の区長にこいつが届いたら、これにて一件落着だ。


「ありがとうございますっ、二人とも! この依頼、報酬と難易度の絡みで受注する人がいなかったから、ほんと助かりました。『エルフの里』の方達も、これで安心出来ると思います」

「ぐぉーぐぃがぐぅぃぐぁぎぐぇ」


 ああ、どうりで。今回の依頼クエスト、難易度の割に報酬が少なめだなと不思議に思ってたんだけど、依頼主が貴族ではなかったからか。私もフィルティも報奨に無頓着だったから気にしなかったが、これほど相場より低ければ、受け手がいなかったのも道理ってもの。


 まあそんなこと、私にとってはどうでもいい。どうでもよくないのは、むしろここからだ。


「……リヴィア嬢はどうですか、初めての冒険のご感想のほどは?」


 なかなかにギョッとする、アリアの無用心ともとれる質問。明らかに不機嫌そうに押し黙ったままの貴族のご令嬢に、よくもまあこんな逆鱗に触れかねないことを訊けるな。グレンですら驚いて目を見開いている。


「…………ふ、ふふふ。どう? どうですって?」


 肩を小さく震わし笑うフィルティ。きっと理想ほど自分が巧くやれなかったことが悔しかったのだろう。その笑い声には明らかに悔しさが滲んでいる。


 理想と現実との解離。これは貴族であるフィルティには耐え難いことかもしれない。

 ……どうしよう。もしも「やーめた!」の一言で、フィルティが冒険者を投げ出してしまったら。なんとか引き留めないと──


「──どうも何もっ、ぜんっぜんダメでしたわ! このわたくしが、あそこまで醜態を晒すことになるとは……リヴィア家公女として、一生の不覚ですわ!!」


 言葉の割には、堂々たる輝きを取り戻したフィルティの瞳。悔し涙に濡らした顔は何処へやら、その表情には既に心を支える貴族の誇りが甦っている。


「いくらわたくしが天才といえど、竜を軽く捻るほどの実力はまだないということですわね。……己の非力を自覚し邁進してこそ、真の貴族、ですわ!! ゾンビ、またすぐ冒険に行きますわよ!」

「………ぐ、ぐぁう!」


 凄い。これが真の貴族の精神か。あんな失敗程度では、自分を曲げる理由にはならないってことなのだろう。

 理想と現実の解離など、自らの手ですぐさま修正してやろうと言わんばかりの、絶対的な自信。折れるということを知らない本物の貴族。

 ……うふふ、杞憂だったね。


「ぅおーっほっほっほぉ!! わたくしはいずれ、『百識』も『覇天』も、無論『不死』をも越える英名を世に轟かせる無比の才人! 一度の失敗に囚われないのも貴族たる所以。ゾンビには、わたくしの邁進の一助となる栄誉を授けたいと思いますが………ど、どう、です? わたくしと、改めてパーティを組んで下さるかしら?」


 う、うぉおおおぉ! や、やった! 願ってもない言葉。よ、ようやく私にも、春が──



「おおおおお、お嬢様ぁあああっ!!!」



 『灰兎亭』の喧騒全てをかき消す、低く重く大きな叫び。そして、そんな叫びと共に店内に転がり込んだ恰幅の良い初老の男性。

 折角幸福の余韻を噛み締めてたところなのに、水を差された気分だ。一体誰だろう、このお爺さんは……。


「ギ、ギル? どうしてここに……」

「急にいなくなられて、このギルバード、どれ程心配したことか! 方々駆け回って探し、あらゆる場所で聞き込んで、ようやくこうして見つけたのですぞぉ!」


 どうやら、フィルティの知り合いの様だ。この様子だと、使用人ってところだろうか?


「奔放なのも結構ですが、旦那様に心配ばかりかけてはなりませぬ。ましてや冒険者ギルドに入り浸るなど……こんな淑女らしくない行い、旦那様が知れば悲しまれますぞ!」

「父様には家出をすると書き置きしていますわ! 心配される謂れはなくてよ。わたくし、これから冒険者として生きていきますの。冒険者の頂点となって名を刻み、リヴィア家の誉れとしてあげますので、父様にはそう伝えておいてくださいまし!!」

「な、な、何をおっしゃいます!? そんなこと、許しませんぞ!」


 凄まじい剣幕の嵐。言葉を挟むに挟めない。店内の誰もがこの嵐を遠巻きに眺めている。

 なんか…嫌な予感がする。


「リヴィア家の当主の座は兄様が継ぐのですから、わたくしがどう身を振ろうが構わないでしょう!? 放っておいて下さい!」

「いーや! なりませぬ。フィルティスお嬢様の御身に何かあっては、旦那様がどれ程悲しまれるやら。そんな華奢な身体に似合わぬ防具なんか身に付けて。……あ! け、怪我などしておられないでしょうね! もしお嬢様の肌に傷の一つでも付こうものなら…死んでも死にきれませんぞぉ!!」


 半狂乱の使用人は、不相応に重装備なフィルティを片手で抱えて担ぎ上げる。多少抵抗していたが、あまりにも体格差がありすぎる。軽々と捕まってしまった。


「兎に角、お屋敷に戻りますぞ! 言い訳は旦那様の前でなさってくださいな」


 そう言って、ギルバードという使用人は私達を一瞥し、フィルティを抱えたまま深く一礼すると、老いを感じさせない速さで駆けていってしまった。

 私の虚しく伸びる手は何も掴むことなく、虚しいままに弱々しく震えていた。


「ぐ、ああぅ、あ……」


 私に到来した春は、嵐によって瞬く間に消え去ってしまった。

 ああ、憐みと嘲りの視線を…感じる。


「ゾ、ゾンビさん……」

「いやぁ、急転直下だったなぁ。あ、そういやオレ、あのお嬢様がお前とマジでパーティになるかどうか賭けてたんだよな。配当の低い方だけど、久々に博打で勝てたぜ。ありがとな、ゾンビ」



 このっ…………グレンになんか、どんなに頼まれても、もう絶対、お金貸したりなんかしないんだからぁっ!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る