ゾンビと公爵令嬢様 2
熾烈を極めたかつての魔族との大戦において、その武功や知略で名だたる活躍を果たした者がいた。彼らの名は歴史書や英雄譚、或いは広場の人形劇だかで今でも高々に称賛される。
その中でも、大戦の勝利に多大な貢献をした八人の英雄は『八戦雄』と呼ばれ、誰もが最高の英雄だと賛美の言葉で褒め称える。
記憶足らずの私ですら、『八戦雄』の英名は飽くほど耳にする。
アルテミア統一王国の初代騎士団長にして最高の騎士と名高い、『誠心』のバスティーユ。
空中戦で無類の強さを誇った武術も魔術も万能に極めし竜騎士、『覇天』のバルバロ。
あらゆる闘いに勝利し人類最強と
複数の亜人の混血でありどんな敵をも一射にて仕留める天才弓手、『必中』のガルダ。
人類の魔法を五百年は先に進めたと評される史上最高の魔法使い、『百識』のカナン。
治癒魔法の第一人者であり女神の生まれ変わりとまで讃えられた聖者、『明光』のラーナ。
どんな死地からも必ず生きて帰りし始まりの冒険者とも呼ばれる、『宝眼』のリッケ。
そして、当時のアルテミア統一王国国王にして伝説の神剣の担い手、『王剣』のアルテミス。
この八人は今を生きる人々にとっても英雄そのものであり、老若男女誰もが知る象徴と化している。
実際、多大な功績を残した冒険者に国から二つ名が与えられるのは、彼ら『八戦雄』の影響らしい。そして、その冠名こそが『冠付き《クラウン》』の名の由来でもある。
彼らの如くなりたいと、そう誰もが思うほどの英名。冒険者を志す者にも、そんな功名心に溢れた初々しい若者は未だにいる。
こんな平和な世でも英雄の影を追い求め、英雄の如く成り上がりを夢見る功名思想の強い野心家。そんな憧憬の徒にとって、この国にたった十数人しかいない『冠付き《クラウン》』の私はどう映るだろう?
自分を引き上げる為の利用価値ある強者? 或いは自分の目指す先にいる先人? どちらにせよ、ふふっ! 私を求める理由にはなりそうだ。
残る問題は、現状そんなヤツに心当たりがないこと。こればかりは首を伸ばしてただ待つより他ない。
海路の日和を待つ船頭のように、来るべき時を心待ちにしながら。
今日も今日とて、茹だるような熱気と酒気に覆われた『灰兎亭』の店内。私の腐った身体がよりいっそう腐敗しまうのではと危惧したくなる環境だ。
陽光照りつく真っ昼間、暑いのも当然だ。日も落ちかける夕暮れだろうと、街路静まる夜間だろうと、何時だってここは妙な暑さに包まれてるんだけどね。
辟易するような、心地好いような、そんな背反する思いに暮れていると、接客対応に勤しんでいたアリアが、不意に私の隣で立ち止まる。
「……ゾンビさん。あんまり元気がないみたいですけど、やっぱりこの間の件が原因なんですか? 申し訳ないです、力になれなかったみたいで」
首が外れないように、小さくゆっくり首を横に振る。アリアに落ち度は全くない。むしろお膳立て自体は完璧だったと思う。
「気晴らしに何か料理でも注文してはいかがです? 私の腕なら、味覚のないゾンビさんの舌でも唸らせられるかも、ですよ。それで気分が晴れるなら、私としても冥利に尽きるってものですし」
「……ぐぁぎぃぐぉえ」
ふふ、舌を少しだけだしておどけるアリアの仕草がちょっと可笑しい。多少毒のある冗談だけど、まるで嫌味を感じない。いや、実際ないのだろう。
相手に与える印象が恐ろしく良い、まさに接客や受付に適した一挙手一投足。彼女と会話したいが為に来店する一般客が沢山いるのも道理ってものだ。曰く、話してるだけで心が活気付くらしい。
ただ、アリアの観察眼は誤っている。私は気落ちなんてしていない。今はただ、機を待っているだけだ。
雑多な声々に耳を傾け、なるべく情報を聞き漏らさない。来客の流れを注視して、それっぽい相手を見逃さない。
……天命の訪れを正しく待つんだ。
日も落ちかけ、外から入る陽光がその色を変えてきた頃、店内の空気がガラッと変化したのを感じ取れた。弛緩した糸の両端をキュッと引っ張ったような、もし注意してなかったとしても気付けたであろう大きな変化。
その緊張をもたらしたのが、今しがた『灰兎亭』に足を踏み入れた一人の少女である事は、どんな鈍感でも一目で理解できるはずだ。
粗野な酒場にはおよそ似つかわしくない雰囲気を纏う少女。あからさまに豪奢なドレス、どうやってセットしてるのか想像もつかない金髪縦巻きの髪、立ち振舞いの全てが堂に入った高貴さを備えている。
幼さを残す少女は周囲の緊張などどこ吹く風といった様子で、悠々と歩を進める。
「い、いらっしゃいませー」
「……全く、こんなのが王都最大の冒険者ギルドと名高い『灰兎の
緊張していた一般客や冒険者達が、緊張の糸を張ったまま一斉にそっぽを向く。きっと関わり合いになりたくないのだろう。酔ってる癖に危機察知能力の高い連中だ。
珍しく、萎縮した様子のアリア。無理もない。年齢に不釣り合いな上から目線の態度、似合わない気取った口調。彼女はおそらく、私が待ちに待ってた狙いの相手だ。
「ふふん! ま、構いません。リヴィア家公女たるもの、このような下賎な場所さえも許容する寛大さは持ち合わせておりますわ。おーほっほっほっ!! では貴女、ギルドマスターのダリオルを呼んで下さる?」
「は、はぁ……」
アリアは目を丸くしている。きっと「おーほっほっほっ」なんて奇異な高笑いを人の口から初めて聞いて、面を喰らっているのだろう。
私はアリアよりこの類いの相手との関わりがあるから、何とも思わないけれど……。
「マスター。起きてください、マスター! マスターにお客様が訪ねてこられましたよー」
「んあ、あ……。あー、今日はもうパスで。酒が回っていい気分なんだ。酒以外のモンは何一つ摂取したくない」
「リヴィア家の公女様とおっしゃってましたけど──」
「………っ!」
酔い潰れた客に混ざってテーブルに突っ伏し涎を垂らしていたダリオルは家名を聞いた瞬間、ゼンマイを巻いた機械細工の人形のように飛び起き、キョロキョロと慌てて辺りを見回す。
「あ、あは、あ~ははっ、これはこれは、リヴィア家のお嬢様ではありませんかっ! こんな小汚ない辺鄙な酒場に足をお運びになられるなんて……。用事があると報せを受ければ、飛んでリヴィア領へ向かいましたのに!!」
図体だけは立派な大男が、自分より遥かに小さな少女にへりくだって媚を売る。途方もなく情けない姿だが、相手が貴族では致し方ない。
それに、リヴィア公といえばアルテミア五大貴族にも数えられる貴族中の貴族。領内には多くの優れた魔法使いを輩出した魔法学院や『百識』のカナンの主導で築かれた大魔法図書館があるなど、魔法の発展に寄与した実績は他家の追随を許さないと言われる大名家だ。
アルテミア統一王国設立以前から大陸南下を治める大名家の公女様が相手となれば、さしものかつての『冠付き《クラウン》』冒険者といえどもこの通り。
いつものだらしなく弛緩した顔も粗雑な口振りは影を潜め、真っ赤な顔でもなんとか丁寧に応対しようと試みている。
「いいえ、気遣いは結構。今回は、わたくしが個人的に用件があって来ましたの。家の事は関係ありませんわ」
「なるほど、なるほど。いやあ、流石はリヴィア嬢。行動的で素晴らしいですなぁ。小さいのによく──」
「身体のことは言われたくありませんわ。そういうおべっかはなお結構!」
「も、申し訳ない……」
いい歳の男が子供といって差し支えないほどの少女に叱られ項垂れる。全くざまぁない。下手なゴマ擦りなんかするからだ。
あたふたと情けないダリオルに比べ、年齢不相応な泰然自若な佇まいのリヴィア嬢。幼いつり目には堂々たる意思の強さがこもっている。
──うん、いいね。
「ま、いいですわ。そんなことより、わたくしの用件を訊いてくださる?」
「は、はぁ。もちろん、なんなりと……」
「ふふんっ、よろしくて? わたくし、このギルドで冒険者になろうと思いますの! ええ、感謝の言葉も感涙の涙もいりませんわ。では、何か手続きはありますの? 面倒なのは嫌ですので、簡潔に済ませましょ」
反論など聞く耳持たぬと話を捲し立てるリヴィア嬢に、ダリオルは苦い顔で圧倒されるばかりだ。
若い貴族が冒険者を志す。これは割とよくあることだ。金に困ってこそないが暇に喘いでいる貴族にとって、実力がモノをいうロマン溢れる冒険者は好ましく映るのだろう。
強い自信を基本装備とする貴族には冒険の危険は足を阻む理由にはならない。武器術や魔法を教養として学ぶ貴族は、ある意味最も冒険者に向いた素養を備えている。
ただ、傍系なら兎も角、当主直系のご令嬢が冒険者になるって例は少し珍しいかも。
「おーっほっほっほ! リヴィアの血統を継ぐわたくしには、きっと、あの『百識』をも越えた才覚がありますことよ。すぐに『冠付き《クラウン》』に並び立つ最高の冒険者になりますわっ! うぉーっほっほぉ!! ごほっ、ごほ!」
興奮して気取った言葉使いが雑になっている。おまけにむせて咳き込んでしまってるし、いまいち締まらないな。
「冒険者登録ならもちろん出来ますが、どうして王都のギルドである『灰兎の
「そ、それは……うう、そ、そんなことどうでもいいのではなくて!? このわたくしがギルドメンバーになって差し上げるのですから、そのような些事など──」
「そ、そう、ですな。ふと気になっただけで、文句などではありませんとも。ではでは、すぐさま簡単な手続きを済ませましょう」
ダリオルは憤慨するリヴィア嬢の言葉を遮り宥める。突如として飛来した暴風雨から逃れようと必死だ。
「ふふふっ! わたくしとパーティを組む冒険者は、相応しい者でなくてはいけませんわね。出来れば『冠付き《クラウン》』がよいですが、流石に『冠付き《クラウン》』の冒険者が新入りと組んだりはしないかしら。いくら私が優秀とはいえ──」
「ぐぁい、ぐぁいぐあーい!」
ここだ、このタイミング。諸手を上げてリヴィア嬢達の前に現れるには、まさに最高の流れだ。
「ひゃ、ひゃあ!? な、な、なんですの。この怪物は? 魔物、いや……ひ、人?」
「はあ、そいつはゾンビという亜人ですので……一応、人ですな」
「──へ? あ、そ、そうよね! もちろん分かっているわ。冒険者ですものね! 亜人くらい、いるわよねっ!」
怯えてはいるが、貴族の矜持がその怯えを認めさせないのだろう。虚勢を張って誤魔化そうとしている。
うんうん、いい傾向だ。
「それでいて、リヴィア嬢お求めの『冠付き《クラウン》』です。多分、貴女とパーティを組みたいと誘っているのだと思いますよ」
「……へ、そ、そうなのぉ?」
私の意図を察したアリアの完璧な割り込みアシストに、大きく首肯を返す。
その通り。彼女のような存在を、私は待っていた。
貴族特有の根拠のない自信を備え、貴族特有の自尊心が
彼女のようなお貴族様こそ、私が心待ちにしていた相手。……これこそが、運命の出会いなんだ。
「ふ、ふぅん? ま、見た目に難はあるけれど、容姿による亜人差別なんて貴族らしからぬことはしないわ。リヴィア家の名は、『冠付き《クラウン》』とまで釣り合ってしまうのね。──ふふふ、いいですわ! このフィルティス・リヴィアの仲間となることを許可します!!」
「ぐぁっぐあ!!」
やった、やった、やった!! 言質を取った。彼女のような誇りで生きてる貴族は、そう易々と前言を撤回したりしない。
にひひっ、こんな荘厳華麗な仲間がいれば、ダリオルだってもう絶対、私を手余り者と揶揄したりはできないな。
いやぁ…何て呼ぼうかな。仲間だし、リヴィア嬢ではバツが悪いよね。出来れば愛称で呼びたいなぁ。フィルティ、とか呼んでいいのかな? うふ、うふふ。冒険に出る前に、名前くらいは呼べるよう、練習しておかなきゃね。
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