ゾンビと新米冒険者 4

 魔物とは、旧魔王領内の特殊な環境で生息している、未だ人智の及ばぬ生態系の「人並みの知性を持たないとされる」生物の総称……らしい。

 私も魔物学に造詣が深いって訳じゃないからそう詳しくは語れないけど、他にも小難しい定義付けで色々と区別されていたのはぼんやり記憶の片隅に残っている。

 足りない知識と記憶を埋める為にシルフやアリアから色んな学術書や歴史書を借りて読み漁ったこともあるのだが、やっぱり私は机上よりも実地で学ぶのが向いている。腐った頭に叩き込むよりは腐った身体に刻み込む方が忘れないってのはゾンビという種の特性なのかも。比較対象がないから調べようもないけどさ。


 長きに渡る大戦が終結し、旧魔王領の調査が冒険者の手によってそれなりに進んだ今でも、一般庶民にとっての魔物は不明瞭で恐ろしい外敵でしかない。未だ魔族と一括りのイメージが頭に染み付いてるのだろう。

 ただ、庶民にとっては近寄りがたい存在でも、貴族にとっては別だ。知識があり、権力があり、金があり、そして何より無駄に尊大な自信を持つお貴族様にとっては。

 いつだって他者から抜きん出たいと画策しているお貴族様にとって、「魔物をペットにしたい」という我欲にまみれた発想が頭を過るのは、至極自然なことなのかもしれないな。


 大戦の英雄の一人にして始まりの冒険者とも呼ばれた『宝眼』のリッケによって冒険者ギルドという制度が作られてからこれまで、貴族からの魔物の捕獲依頼は常だって需要の中心だったと聞く。

 貴族はこぞって魔物を求め依頼クエストを発注し続けてるし、実際私も一番多くこなしてる依頼クエストが何かと問われれば、頭一つ抜けて捕獲依頼だと断言できる。


 そんなやたら需要のある魔物の中でも、今特に人気なのが軟体獣スライムだ。

 一目見ただけで分かる異形っぷりに類型の少ない特異な生態、臭いがなく見た目の不快感が少ない点も貴族の愛玩には丁度いいのかもしれたい。

 あと、軟体獣スライムの捕獲依頼は比較的安価なので、見栄張り目的の困窮貴族にも人気って裏事情もある。冒険者をやってると、こんな下世話な懐事情も窺い知れて、少し楽しい。


 そして、軟体獣スライムがペットとして人気な一番の理由。それは軟体獣スライムがとても危険度の低い魔物だから。

 この危険度合いってのは、強弱とか温厚か否かとは全く関係がない。軟体獣スライムが安全な理由、それは──




「ひぇ、ひえええっ! いた、いたいたいた。どうしよ、どうしましょ。クロちゃん、ゾ、ゾンビさんっ! ふへっ! ふへっ! ふへへへへへっ!」

「だ、大丈夫よ、リーゼ。落ち着いて! 軟体獣スライムなんて、弱いって評判の魔物じゃない! 想像よりちょっっとだけ大きいけど、あんなの捕まえるくらい、どうってことないって……うんっ」


 二人のひそひそ話を端耳に、軟体獣スライムの動きを観察する。大きな身体を揺らし、どこかソワソワしている。二人のひそひそ声に反応している訳ではなさそうだ。

 軟体獣スライムは空気の振動に敏感かつ警戒心の強い魔物だけど、この個体は悠然としている。多分、飼われていた期間が、野生の警戒心を殺したのだろうな。


 ──それにしても、軟体獣スライムは弱い魔物、か。こんな台詞を謳うのは、余程強い冒険者か中途半端な知識を詰め込んだ人ぐらいじゃないかな。

 私には軟体獣スライムを弱いだなんて口が裂けても言えない。いや、口が裂けたところでゾンビな私にはなんら痛手でもないけれど。

 食欲旺盛で人を喰らうこともあり、それなりに獰猛。意外と素早く、かつ不定形で動作が読み辛い。


 軟体獣スライムは、本来結構厄介なんだよ。捕らえ方はしっかりしないと、ね。


「おぐぃぐぅいぇ、おぐぃぐぅいぇ……」


 急に目標を捉えて浮わついている二人。眼が揺れ、身体は前のめり。興奮してしまってるな。落ち着いて、落ち着いて……。

 枯れ木よりも不安定な腐った腕で、二人の前を遮る。この所作と、呻き声で、伝わってくれればいいのだけれど。


「は、はい。はいぃぃぃ! さ、雷撃サンダー!!」


 ………ああ、伝わらなかったか。

 リーゼの振るった短剣から発した雷が、軟体獣スライムに向かって轟く。

 いきなりの攻撃魔法、私もクローディアも何の用意もしていない。更に困るのは、雷が土をえぐり激しい砂埃があがってしまったことだ。


 み、見えない…。軟体獣スライムに魔法が当たったのか、否か。逃げたのか、或いはこちらを待ち構えているのか。最悪の場合、死んでるまである。まさか初撃にこれほどの威力の魔法を放つとは……うう、想定外過ぎる。

 兎に角、相手の次手を確かめなくては。ここは、私が迂闊に前に出る! これが──


 ブチッ


 私の左腕が、触手状に伸ばした柔らかい体躯に引き千切られる。

 ……よし、やっぱりこれが最善手。標的が生きていること、逃げる気がなく迎撃体勢で待ち構えていることが最速で把握できた。左腕が奪われたことくらい、なんの痛手もない。


「ゾ、ゾ、ゾンビさん! う、腕がぁああ! ふあ、あ、あ……」


 問題があるとすれば、平然としている本人を余所に、リーゼが気絶しかけていることくらいか。口から泡まで吹いちゃってる。

 事前に首でももいでみせるべきだったかな。いくら腐っているからって、腕が千切られる光景は初見じゃ刺激が強すぎたかも。


 砂埃が収まり、視界が戻る。

 軟体獣スライムは奪い取った私の左腕をその身体へと取り込み、悠然と喰らっている。腐った肉でも喰らう辺り、流石の食欲だな。


 本能任せの食欲、飼い慣らされたことで失った警戒心。通常より巨大な個体である点を差し引いても、楽な相手だ。


「そ、その、腕、大丈夫なんですか? あの、軟体獣スライムの中で、溶けてますけど……」

「がぁいぐぉうぐ」

「だ、大丈夫、なんですね。やっぱり凄いんですね、亜人って。リーゼなんて無傷なのに卒倒してますよ」


 立ったまま白目を剥いてるリーゼを横目に、鞘から抜剣して構えるクローディア。その構えは様になっている。冒険者としては兎も角、剣士としての技量は高そうだ。これなら軟体獣スライムの遠距離攻撃くらいは捌けそうかな。準備が済むまで、任せても平気そうだ。


「げぇんぐぇい、ぐぁぎぐぉえ」

「ええと…牽制と、足止め? 私にそれを任せるってことですか?」

「ぐう!」

「や、やってみます!」


 いやあ、やっぱり仲間っていいなぁ。意図が伝わって、役割を任せられる。それだけでとても嬉しいもん。リーゼだって、冷静ならば私の意図を汲む努力はしてくれただろう。

 ゾンビな私のダメな点を、未熟だろうともカバーしようとしてくれる。なんて美しいパーティ関係。これだよ、これ。パーティって、やっぱりこうでなきゃ!


 私が準備に勤しむ間、クローディアは短剣を投げて牽制しては、伸びてきた軟体獣スライムの身体を剣で受け流している。グレンほどではないが、綺麗な剣筋だ。日々の研鑽が窺える。

 ふふふ、剣士が前衛で食い止める間、ゾンビが策の準備をする。まさにコンビネーションって感じ。


 もう少しクローディアのカッコいい所を眺めて悦に浸りたかったけど、準備は済んだ。


 軟体獣スライムが危険度の低い魔物と評される最大の理由。それは、確立されているからだ。本能と習性に沿った、確実な対抗策が。

 だからこそ、準備さえ怠っていなければ強さも異常さも関係なしに捕獲できる。そして私は冒険者だ。その準備を怠るはずがない。


 私はどんな冒険でもいつも軽装だ。理由は単純、強い負荷が掛かるとすぐ身体が崩れるから。そんな私が今回持参してきた道具は、強い麻痺性をもつ薬液と、大きめの干し肉。

 そう、軟体獣スライムの最大の弱点は、毒に対して圧倒的に無力なことだ。味覚を持たない身体と本能任せの食欲、そして魔物故の知性の低さ。軟体獣スライムには毒への対抗手段がまるでない。特にこの個体は、警戒心も低いしね。


 一つの敵を知り、十全に備える。さすれば百戦危うからず。私の強みはゾンビなだけじゃないってアピールにはなりそうかな?


 後は私がこの毒入りの干し肉を喰わせるだけ。近付いて投げてやればすぐにでも食らいつくだろう。


「ぐぉうぐぇー!」

「──ふ、ふ、ふへ、ふっひっひゃはっ! ふへへへへへ!!」


 あまりにも甲高く、そして正気の沙汰とは思えない笑い声の後、私も、放物線を描いて舞う干し肉も、軟体獣スライムも、全てを巻き込む雷光が駆けた。


 首と身体が真っ二つの私と消し炭となった干し肉、そして軟体獣スライムの前に立つ、長い髪をなびかせたリーゼ。

 その手には、まるで雷を纏ったように光る短剣が、強く強く握られている。


「ふへ、へ、ふへ……。ご、ごめんなさい。あ、いや、へ、へへ。違う、違うの。怒らないでっ! ふひゃっへへ」


 支離滅裂な言動、焦点の定まらない瞳。発狂したリーゼの顔。暴走する雷の刃は、当然の如く目の前の「敵」に向く。


 ああ。この簡単な捕獲依頼に、まさかこんな失敗の可能性が隠されていようとは。この真っ二つの身で、はてさてどうするべきか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る