五章 個別ダンジョンでオンライン

第29話

「やったね! PKの奴ら、ざまーみろ」


 感極まって狂喜乱舞していたテフロンさんを置いて、早々にログアウトした。さすがにそれは冷たいんじゃないかと思われるかもだけど、僕には僕の理由がちゃんとある。


「ヤバイヤバイヤバイ、もう漏れる!」


 VRと言えども、現実の尿意には逆らえない。本当ならもう少し喜びを分かち合いたかったけど、そうすれば人間の尊厳を失う恐れがある。これがボッチ属性の運命だと諦めておこう。それにしてもテフロンさんをはじめ、他の人はどうやって抑えてるのかな。やっぱり我慢一択?


 前時代は、MMORPGをプレイするならオムツやペットボトルは基本! みたいなことを聞いたことがある。もしや、そんな感じなのか。まあどうでも良いけど。


 スッキリしたら腹が減ってきた。買いだめしたカップ麺たちの出番だぜ。冷蔵庫の中を確認したら……リンゴしか入ってない。カップ麺を食べながら水分補給にリンゴ。アリかナシかで言えば、ナシだ。麺汁で凌ぐ方法も頭に浮かんだけど、余計に喉が乾きそう。水道水? それは最終手段です。


 そんなこんなでスーパーに出動。まだ日も高いし、コンビニよりこっちの方が安く購入できるからね。夜はコンビニで昼はスーパー。多分、こんな感じで世間の人たちも使い分けてるんだと思う。



『いらっしゃいませー』と、扉をくぐった途端に響くいつもの音声。『サンマ、サンマ、今日はサンマの日!』とアナウンスも聞こえ、入ってすぐのところに氷を敷き詰めたサンマの特売コーナーが設けられていた。一尾五十円とか破格すぎる。安さの限界に挑戦してるのか! でも生魚には用がないので、飲料水コーナーへダッシュ。


「うーん」


 陳列棚を前に悩み込んでしまった。商品数が多すぎて決められない。コンビニだと炭酸水一択なんだけど、ここは価格が安いから味つき炭酸水も選べてしまう。でも食べるのはカップ麺だし、お茶系のほうが良いかも。


 どちらにしても安いけど、炭酸水とお茶の値段が一緒なのが悩みどころ。一円でもどちらかが安ければ即決なんだけどな。


「木下くんじゃない。よく会うわね」

「それって運命、みたいな~?」


 話しかけてきたのは沢田さんと桜田さん。このふたりは相変わらず仲が良さそうだ。それにしても沢田さんとの遭遇率が高すぎる。これは桜田さんが言うように、運命的な邂逅なのか。


「難しい顔してるけど、どうしたの?」

「価格がね。安いんだけど、もう少し値引きにならないかと思って」

「木下っちは、アプリ入れてないの~?」

「アプリ?」

「このスーパー専用のものがあるのよ。お会計のときに提示すると、全品二円引きになるわ」

「何だって……!」


 そのとき僕の頭に稲妻が落ちた。今まで何百個、いや、何千個とここでカップ麺を購入してる。千個として二千円、二千個購入してたとしたら四千円も損してた計算だ。四千円あれば余裕で一ヶ月生きられるじゃないか!


「そ、それってどこで登録するの?」

「入口に貼ってあるポスターから、QRコードを読み取ってダウンロード。それからURLを開いて登録~、みたいな」

「ありがとう、行ってくる!」


 僕は走った。店内は走るの禁止だけど、そうせずにはいられない。今までの損失を取り戻す勢いで、それはもう我武者羅に商品棚の間を駆け抜けた。マッハ出てたと思う。


「これか……」


 目当てのポスターには微妙な感じの芸能人が写っている。見たことはあるけど、ただそれだけの十把一絡げ的な女優さん。彼女が広告塔で大丈夫なのか、このスーパー。いやいや、そんなことを考えるのはいつでもできる。今はアプリの登録が優先だ。


 ポスターの右下にはアプリ登録用のQRコードが埋め込まれている。これを読み込めば僕も二円引きの恩恵に与れるのか。早鐘を打つ心臓を撫でながらスマホのスキャン機能を起動。


 ダウンロードを終了し、スーパーのURLに飛ぶ。そこで名前などの必要事項を記入すると、無事に登録が完了した。一仕事やり遂げたあとのように、大玉の汗が額を伝う。これで僕もみんなと一緒だ。


 沢田さんも桜田さんも、あのオバサンもそこのオジサンも、何食わぬ顔で今まで二円引きだったんだ。僕が知らなかっただけで、世界はアプリで回ってる。アプリ最高、アプリ万歳。もうアプリなしの生活なんて考えられない。


「うん……?」


 何かが心の中で引っかかる。よく分からないけど、とにかく何かが脳内でカチッとハマりそうな、そうでないような。


 アプリのURLか……違う。


 二円引きか……気になるけど、多分違う。


 ポスターの芸能人か……かすりもしない。


 じゃあ何が……。僕は晴れて二円引きの特権を得た。それはアプリをダウンロードしたからだ。じゃあそのアプリをダウンロードできたのは……!


 間違いない。

 そうか、なるほど。これだったんだ。


 こんなときでも、頭の片隅でゲームのことを考えてたなんて。自分の生真面目さが愚かしくて怖い。

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