第3話 家に来て
二
翌日の昼休み、食堂や購買に向かってごった返す生徒たちの波をかいくぐりながら、甲斐は探していた。
――いない。どこにも姿がない。
彼女の纏う雰囲気や虐められている状況からして、食堂で誰かと、とは考えにくい。だとするとどこか静かなところで、ひとり食事をとっているのか。
この高校では節度を守れば基本的にどこで昼食をとってもいい。甲斐は普段、佐藤たちに捕まらなければ校庭の木陰にひとりで座って食べるのを好んでいた。おそらく誰も甲斐がひとりで食べているなどと思っていないだろう。姿がなければ他の誰かと一緒だと思い込んでいる。
この学校の敷地内で彼女ひとりの姿を闇雲に探すのは、さすがに骨が折れる。甲斐は廊下の片隅で考え込んだ。
しばらくして、おもむろに歩き出す。食堂のある第一校舎の一番端にある狭い階段。それを三回分上った先に、屋上へ続く扉がある。その手前の踊り場に、女子生徒が一人、両足を投げ出して座っていた。
「――いた」
思わず、声に出てしまう。彼女ははっとこちらを見上げ、瞬時に警戒の表情をとった。
「……何の用?」
「ごめん。ちょっと、話があるんだ」
言いながら、ちらりと目をやる。彼女のそばには茶色い紙袋が口を開けており、膝の上に透明な袋がいくつも散らばっていた。
「――それ、駅前の『プシャール』のパン?」
緊張した空気を少しでも和らげようと思い言ったのだが、彼女はますます身を固くする。
「話はそれだけ?」
「……いや」
どうやら下手な誤魔化しはきかなさそうだ。甲斐は彼女の目の前に静かにしゃがみこんだ。
「提案があるんだけど」
真剣味を帯びた甲斐の表情を、彼女はじっと見返している。屋上へ続く扉のガラス窓から光が差し込み、その黒い瞳に柔らかな赤をまぶしていた。
ビー玉みたいに不思議な、綺麗な眼だ。
「俺も君も、お互い同じ方法で死にたいし、互いの死が邪魔だ。でも俺は君のために死ぬのをやめるつもりはないし、それは君も同じだ。それじゃどちらも救われない」
眉間に皺を寄せたまま、彼女がうなずく。
「それならいっそ、ふたり同時に飛び降りるのはどうかと思って」
「はあ?」
ばかばかしい、と言わんばかりの声が跳ね返ってくる。だが甲斐はめげずに続けた。
「これは、妥協案なんかじゃないんだ。ちゃんとメリットもある」
「何があるっていうの」
「まず二人同時の飛び降り自殺なんて、そんなにあるもんじゃない。一人が飛び降りるだけでも現場は悲惨なのに、二人ならもっとえぐいことになる。それだけで周囲には相当なショックを与えられると思う。しかも、つきあってるとか親友とかでもない、特に接点のないはずの二人が、全く別々の遺書を残して同時に飛び降りるんだ。これ、かなりインパクトあると思うんだけど」
女子生徒はしばらく口を噤み、深く考え込むようにじっと一点を見つめた。
「……単純に、飛び散る血の量も二倍になる」
「ん? ……ああ、そうだな」
「はみ出る内臓も」
急に物騒な言葉が飛び出してきて、甲斐は眉をひそめる。彼女の口元にはよく見なければわからないほどの薄い笑みが浮かんでいて、少しぞっとした。
「確かに、ひどい光景になるかもね。見たら一生、目に焼きついて離れないくらいに。……マスコミとか、騒いでくれるかな」
「さあ……でも、少なくともネット上では原因究明やら犯人捜しやらで盛り上がるだろうし、心当たりのある奴らは勝手に怯えてくれる。能天気な教師たちも。周囲の連中をかき乱せて俺も君も救われる……今のところメリットしか思い浮かばない方法だと思うけどな」
甲斐の言葉に、そうかも、と彼女が呟く。何度か目をしばたたかせて、それからおもむろに紙袋に手を突っ込んだ。
「いいよ」
一口ちょうだいと言われて了承するくらいの軽い返事だった。
「いいのか?」
「うん」
彼女はうなずき、砂糖をたっぷりまぶしたパンに齧りついてもぐもぐと咀嚼する。膝の上にはすでに透明な袋がいくつも散乱している。
「君は、カミシマさん? 一応、名前を聞いときたいんだけど」
「上島陽奈」
「そう。俺は――」
「武田甲斐でしょ。知ってる」
彼女は目も上げずに続けた。
「女子がきゃあきゃあ騒ぐの、もう飽きるほど聞いてる」
「……なるほどな」
これには苦笑せざるを得なかった。ごめん、と謝るのもおかしい気がして、そのことには触れずにおく。
「電話番号か、ID、交換してもいいか?」
ポケットからスマホを取り出してみせると、陽奈はたちまち険しい表情を見せた。何かあるとすぐに警戒姿勢をとる様は、まるで小動物のようだ。
「どうして」
「変な意味じゃない。一緒に死ぬなら、計画を立てないとだろ」
陽奈は眉を寄せた顔のまま、しぶしぶといった調子で胸ポケットからスマホを取り出した。カバーのないむき出しの機体には、何度もぶつけたのか小さな傷がいくつもついている。
「IDなら、あるけど」
陽奈がチャットアプリを開いて見せる。甲斐はスマホを近づけた。紺色のカバーの角と、むき出しの機体の角がぶつかって、軽い小さな音をたてた。
たちまち、ピロンと涼やかな音が鳴る。IDが交換された合図だ。
新しく追加されたメンバー欄を確認する。そこにはアイコン写真もカバー写真も何もなく、ただ「上島陽奈」の文字だけが素っ気なく表示されていた。今時の女子高生にしては珍しい。甲斐でさえ、昔撮った海の写真をカバーにしているというのに。
「ありがとう」
礼を言ったが、返事はない。彼女はただもくもくとパンを頬張っている。
「じゃあ、これからよろしく。――上島さん」
それだけ言って立ち上がる。あと十五分ほどで予鈴が鳴る。それまでに教室へ戻らなければ。
「ねえ」
呼ばれて、振り返る。
「用事以外で何か送ってこられても、対応できないから。念のため」
なんだそんなことか。
甲斐は階段を下りながら手を振った。
「わかってるよ」
その夜、甲斐は自室で学校の課題を終えると、椅子に座ったまま身体を伸ばした。今日も帰宅するやいなや母の甘ったるい眼差しと弟への非難の声に耐えなければならなかった。――疲れた。首を動かし、机上に置いたスマホに目をやる。
時刻は午後十時。さすがに眠っていることはないだろうが、反応はあるだろうか。
チャットアプリを開き、上島陽奈の欄を開く。まだ何の履歴もない、真新しい画面に、文字を打ち込んだ。
〈今、いいか?〉
画面を開いたまましばらく待ってみる。今日の彼女の態度を見るに、そうすぐに反応はないか――と思いきや、まもなく既読がついた。
〈計画?〉
意外にも前向きだ。甲斐は安堵を覚えつつ〈そう〉と返す。
〈さっそくいろいろ打ち合わせたいんだけど〉
〈いつやるの〉
〈いや、とりあえず今ここで。日取りの目安とか時間とかさ〉
〈文字をうつの、めんどくさい〉
そうきたか。思わずため息がこぼれ出る。
〈通話がいいか?〉
しばらく、チャット画面に沈黙が降りた。
そうしてようやく返ってきた次の言葉に、甲斐は目をしばたたかせた。
〈わたしの家にきて〉
あまりに唐突な返しである。言葉を失い返答に惑っていると、また文字が送られてきた。
〈つうわは苦手〉
そういうことか、と胸を撫で下ろす。だがそれにしても、いきなり家だなんて。
〈喫茶店とかじゃだめなのか?〉
〈だれかに見られたくない〉
これには少し納得してしまった。ふたりでいるところを学校の誰かに見られるのは確かに面倒ではある。
〈わたしの家なら、だれもいない。安心して離せる〉
少ししてから、〈話せる〉と打ち直してきた。ちょっと長い文章だと誤字になるところからして、文字を打つのは本当に不慣れなのだろう。
だが、だれもいないとは。
〈だれもいないって……親は?〉
〈いない〉
画面の文字を見つめながら首を傾げる。まさか孤児ということもないだろうが、仕事で多忙な親なのだろうか。
〈わかった〉
なんだかよくわからないが、とりあえず了承するしかない。〈都合のいい日は?〉
〈はやいほうがいい。つぎの土よう〉
〈テスト期間だけど〉
〈そんなに時間のゆうよもないほど、勉強不測なの?〉
不足、と打ち直すこともしてこない。馬鹿にしやがって、と甲斐は画面を強めにタップする。
〈時間は?〉
〈いつでもいい〉
〈じゃあ二時。住所を送ってもらえると助かる〉
しばらく、沈黙が訪れた。画面越しには見えないが、漢字と数字と記号の入り混じった住所を打つのに四苦八苦しているのだろう。ようやく送られてきた住所に目を通して、甲斐は返答した。
〈誤字はないよな?〉
さっきの仕返しだ。
〈ない〉
シンプルな二文字の向こうに、むっと眉を寄せている陽奈の姿を想像して、いくらか愉快な心地になった。
〈じゃあ二時にそこに着くようにするから。おやすみ〉
既読がつく。返事はなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます