三②

 そうして去って行く少女たちを見送っている時だった。僕は教室の後ろから視線を感じた。振り返ると一人の女学生の姿がある。今少女たちの間で流行している大きな髪飾りを付けていないその少女は、僕が視線を投げるとさっとその姿を隠してしまった。


(今の生徒は……?)


 自身の記憶をたぐり寄せるも、はっきりと彼女の名前が出てこない。彼女のことが気になった僕は置いた筆のまま空き教室を出て、女学生の名簿を見るべく席を立つのだった。


(……、あった)


 そして僕は、女学生たちの名簿の中からくだんの少女を見付けた。


佐藤章子さとうあきこ、か……)


 彼女の名前だ。名簿と一緒に添付されていた写真の表情は少々硬いものではあったが、切れ長の涼やかな目元が大人びた印象を与えている。

 その日から僕はこの少女、章子さんのことが頭から離れなくなるのだった。




 それからの僕は学校という安息の場を手に入れたためか、執筆活動の調子も上がり、物書きとしての仕事が徐々に増えてきていた。まるで自分が入院中に書いていた主人公のように、僕の人生はトントン拍子に進んでいるようだった。

 学校から一歩外へ出ると、相変わらず肩に白黒の髑髏を乗せている人々とすれ違うのだが、僕はそのことには目をつむり足早に彼らの元から去って行く。


(僕は彼らに何もしてあげられないのだ。これで良い)


 白黒の髑髏に出会うたび、僕はそう自分に言い聞かせていたのだった。

 さて、そんな毎日を送っていた僕には一つ気になっていることがあった。それは佐藤章子さんの存在だった。

 彼女は放課後になると僕のいる二階の空き教室へと姿を見せた。


(また来ている……)


 僕は目の端で彼女の姿を認めると、執筆の手を止めてゆっくりと彼女へと顔を向ける。視線が合うと、彼女は人間に怯える小動物がごとく、ぱっと姿を消してしまうのだった。

 どうやら僕は、相当彼女に避けられているようだった。


(どうしたものかな……)


 避けられれば避けられるほど、僕の中の章子さんへの思いは募っていく。


 どんな声で話をするのだろうか。

 好きな食べ物や苦手な食べ物は何なのだろうか。

 そんな個人的なことをつい、つらつらと考えてしまうのだった。


 そうして過ごしていたある日。

 僕は休み時間に何の気なしに二階の窓から校舎裏を眺めた。するとそこには、


(章子さん……!)


 思ってもみなかった人影に、僕は慌てて階段を降り、人気ひとけのない校舎裏へと向かった。

 息を切らして校舎裏へとたどり着いた時、章子さんはまだそこに居た。

 彼女は長く艶やかな黒髪を風になびかせ、虚空を見つめている。僕はそんな彼女の神秘的な姿に息を飲む。急ぎ足でここまで来たことなど忘れさせるくらい、太陽の光を受けて佇む彼女の姿は美しかった。


 僕はぼーっと章子さんに見入ってしまう。完全に声をかける機会を失ってしまった。章子さんはそんな僕の視線に気付いたのか、ゆっくりと僕の方を振り返った。そうして僕と目が合うと、その顔を驚きの色に変え、この場から逃げ出してしまおうとする。


「待ってください!」


 僕は走り去ろうとする章子さんへ手を伸ばし、気付けば引き留める言葉を発していた。彼女は僕の言葉にピタリと立ち止まると、恐る恐ると言った風に僕の方へとその美しい顔を巡らせてくれる。


「何でしょうか、島崎先生」


 初めて聞いた彼女の声は、少女特有の高く澄んだものだった。僕はその声を聞いただけで胸の高鳴りを押さえられない。この機を逃したくなく、僕は咄嗟に思いついた言葉を口にする。


「良い、天気ですね」

「そう、ですね」


 僕の言葉に彼女は少し戸惑ったように返してくる。


(馬鹿! そうじゃないだろうっ?)


 僕は自身の会話力のなさを呪った。僕たちの間に初冬の冷たい一陣の風が吹いた。

 僕は頭の中を最大限に回転させる。そうして出た言葉は、


「僕は何か、貴女あなたへ失礼なことをしてしまったでしょうか?」


 それは普段から僕が彼女に対して思っていたことだった。口に出してからしまった、と思ったが、もう取り消すことは出来ない。

 僕たちの間に少しの沈黙が落ちた後、章子さんは俯いたまま小さくいいえ、と答えてくれた。

 それを聞いた僕は、現金にも心が躍るのを感じてしまう。


「もし何かありましたら、遠慮なく放課後、二階の空き教室へといらしてください。お待ちしています」

「あ、ありがとうございます……」


 どうしても弾んでしまう僕の声音に、章子さんは怖ず怖ずと返してくれる。

 そうしてぺこりと頭を下げると、


「では、先生。ごきげんよう」


 そう言って彼女はこの場を去って行くのだった。結局僕は彼女から避けられている理由を聞けずじまいになってしまうのだが、それでも今回言葉を交わせたことが嬉しく感じるのだった。


 その日の放課後。

 僕はいつものように二階の空き教室を借りて執筆活動を行っていた。


「先生、ごきげんよう」

「ごきげんよう、島崎先生」

「あぁ、皆さん、さようなら」


 いつものように僕へと帰りの挨拶をしてくれる女学生たちに、僕も笑顔で挨拶を返す。そうしてしばらくすると、いつものように教室内は静寂に包まれるのだった。夕暮れが迫ってくるまでのこの時間が、僕は好きだった。


 しばらく執筆に集中していると、目の端に人影が現れる。佐藤章子さんだ。

 僕は今日も逃げられることを覚悟しながら顔を上げる。僕と目が合った章子さんはびくっと一瞬身体を震わせる。しかし今日は逃げ出す素振りもなく、じっと僕の方を見ていた。僕はそんな彼女へ、笑顔で声をかける。


「おいで」


 短い僕の言葉に彼女はゆっくりと歩を進め、僕の方へと歩み寄ってくれる。その姿が僕にはとても愛らしく映るのだった。

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