二①

 翌日から僕は、社会復帰のための訓練を受けることとなった。まずは寝台の上に身体を起こす訓練だ。全身がバキバキと痛み、とても満足に動かすことが出来ない。


(こんなことなら、僕は死んでいた方がましだったよ)


 そんなことを何回、何十回と思っただろうか。数日をかけてようやく僕は、逃げ出したくなる全身の痛みに耐えて、自身の半身を起こすことが出来るようになったのだった。

 この数日間、僕は僕自身のことで精一杯だった。そのため、右隣の患者の肩にいる白黒の髑髏されこうべの存在を失念していた。

 半身を起こして視野が広くなった僕は、ふと白黒の髑髏のことを思い出していた。痛む首を回して右隣を見る。そこに寝ていたのは、僕とそこまで変わらない年齢の青年だった。


(病かな? 可哀想に)


 そう思いつつも、やはり嫌でも目に入ってくるのはその青年のかたわらにある、髑髏の存在だった。


(一体、あれは何なのだ?)


 僕はしばらく、その髑髏を凝視していたのだが、見れば見るほどあれが何であるのか、さっぱり分からなくなる。試しにと、正面と左隣の患者を見てみるが、それらしいものは見当たらない。


(ますます意味が分からなくなってきたぞ)


 僕はそう思うと、難儀して身体を寝台へと横たえるのだった。そしてそのままうつらうつらと浅い眠りに入っていた時だった。

 病室内が急に慌ただしくなり、僕は目が覚める。


(何の騒ぎだ?)


 僕は眠たい目のまま、薄目を開けて様子を窺った。病室の中でも、一際右側が騒がしいことに気付く。

 僕は痛む身体を叱咤しったして右を向いた。沸き起こる好奇心にはあらがえなかったのだ。

 そうして見た光景は、


「ご臨終です」

「……、そう、ですか」


 白黒の髑髏が大きなあぎとを開け、今まで取り憑いていた青年の頭を丸呑みしている様子だった。僕は思わず、悲鳴を上げそうになるのをすんでの所で止めた。


(何だ……? あれ……)


 混乱する頭の中をどうにか鎮める。右隣の青年はつい先程亡くなったことを、僕はようやく理解した。


(まさか、あの髑髏が魂を喰った、とか……?)


 そんな非現実的なことを考えてしまうほど、目の前の死者の様子は壮絶だったのだ。

 この日僕は、初めて人間の死を生者として目の当たりにしたのだった。 

 それからしばらくの間、人に取り憑く髑髏の姿はどこにも見当たらなかった。

 僕は身体を自由に起こすことが出来るようになり、更にその起こした身体のまま再び筆を執って書き物が出来るようになるまでに至った。


 里見さとみはと言うと、僕が入院している間一切顔を見せることはなく、僕自身もそのことに関しては全く関心が抱けなかった。僕はただただ夢中で、僕の小説に没頭していく。


 今回の主人公は僕自身だ。

 親友と喧嘩をし、線路に身投げするも五体満足で助かってしまう。しかし助かった主人公は〈末期のまなこ〉を得てしまうのだ。この〈末期の眼〉は他人の死後が見えてしまうと言うものだ。主人公はこの〈末期の眼〉と共に社会復帰を果たし、そして、物書きとしても順調に成功していく。

 そこまで書き終えた僕は、一息つこうと正面を見て伸びをする。


(ん? 何だ? あれ)


 正面を向いた僕の視線は、寝台の上で半身を起こしている人物の肩に釘付けとなった。

 そこにはいつか見た、あの白黒の髑髏が鎮座していたのだ。


(あれは、昨日までにはなかったはずだが?)


 疑問に思うと同時に、僕にはあの、白黒の髑髏が不吉な出来事の前兆のように思えてならなかった。

 それからと言うもの、僕はその、白黒の髑髏のことが気になり、執筆の合間にチラチラと観察を続ける。心なしか、その髑髏の大きさは日に日に大きくなっているように感じられた。

 僕の小説が佳境を迎える。それは主人公が、病に倒れる場面を書き終えた頃だった。


 カタカタカタカタ……。


 突如、あごを打ち鳴らすような音が、僕の耳に響いた。僕は驚いて筆を置き、音がしたであろう正面に視線を投げる。


 そこには、友人と思われる人物と談笑をしていた患者の姿があった。

 半身を起こし、自身の回復振りを笑顔で訴えている様子のその患者の肩には、白黒の髑髏が先程からその歯を打ち鳴らしている。

 僕は、そんな髑髏から目が離せなくなっていた。

 しばらくカタカタと歯を鳴らしていた髑髏は、次の瞬間、その大きなあぎとを開いて自身が乗っている人物の頭を丸呑みする。


 あまりに突然の出来事で、僕は言葉が出なかった。ただ目の前で繰り広げられる光景を眺めるしか出来ない。

 髑髏に頭を丸呑みされた彼は、突如自らの左胸を押さえた。白黒の髑髏越しに見える表情は、苦痛にゆがんでいる。

 彼の友人は彼の急変に驚いて、慌てて病室を出て行った。大方医者を呼びに行ったに違いない。


 僕はと言うと、急変した彼の様子から目が離せないでいた。白黒の髑髏は、そのあぎとを彼の頭から外そうとはしなかった。彼は苦悶の表情を色濃くし、自らの布団と胸を強く握りしめている。その敷布に寄った皺が、彼の苦痛を体現しているかのようだった。


 そんなことを思っている間に、病室内が騒がしくなってくる。先程出て行った友人が医者をつれて戻ってきたのだ。

 友人が戻ってきた時にはもう、彼はその半身を折り、布団に突っ伏したまま動かなくなっていた。医者はその様子に顔色一つ変えず、彼の身体を起こす。そして瞳を確認すると、小さく左右に首を振った。


「ご臨終です」


 その口から発せられたのは、無情なる死の宣告だった。

 友人は先程まで談笑していた彼の、突然すぎる死に、声を上げて泣きわめいていた。


 僕は、それらの様子をただただ呆然と見つめるしかなかった。

 人の死の、あまりにもあっけなさ過ぎる様子を一部始終見ていた僕は、亡くなった彼の表情でその死の壮絶さを想像する。

 なんだか、その顔を見ているだけで僕の中に眠っている記憶のふたが、そっと開く感覚に陥るのだった。


 それは、僕ではない、僕の記憶だ。

 その記憶のことは『前世の記憶』とでも呼ぼうか。とにかく、僕であって僕ではない人物の記憶なのだ。

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