気がついた時、僕は見知らぬ場所に倒れていた。もぞもぞと上体を起こした僕は眼前の景色に、はっと息を飲んだ。

 夜空を背景にした満開のソメイヨシノの大木。僕はその大木の下に居たのだ。ソメイヨシノの花弁は、月明かりを反射しているのか淡く美しく、しかし怪しく輝いている。時々ひらりひらりと輝く花弁が降ってくるのだった。

 そんな景色に魅了されながら僕は、


「ここに、酒がないことが残念でならないな……」


 そう独りごちる。

 しばらく眼前の大木に魅了されていた僕だったが、自身の両足で立ち上がる。服についた土を払ってから後ろを振り向くと、見たこともない絶景に再び息を飲むことになった。

 それは満開のソメイヨシノが桜並木となって道の両脇をいろどっている様子だった。先程の大木同様、そのソメイヨシノたちの花弁はやはり淡く輝いている。

 頭上を見上げると、上弦の月がぽっかりと浮かんでいた。


(このような自然の美しさが見られるとは。死にくことも悪いことではないな)


 僕はそう思うとゆっくりとこの桜並木を歩き始めた。

 どこまで続いているのか、どこへ続いているのか、全く分からないその道は、しかし着実に僕を死へといざなっているようだった。自らの足で、僕は死へと歩いて行く。


 そうして歩みを進めていると、遠くにこの美しい景色には異色の白い人影らしきものが立っているのが見えてくる。

 その人影らしきものは、一本のソメイヨシノの下に立っていた。僕はその様子を不審に思いながらも、少しずつ距離を詰めていく。


 距離を縮めたことで、僕は一つのことに気付いた。

 この人影は白の角袖外套かくそでがいとうを身につけていたのだ。しかしその顔はどれだけ近づいてもはっきりとはしない。まるで自分の目に、写真機で使われているフィルターがかかっているかのようだった。


 僕はそのことを不思議に思いながらも、その人物の傍を通り過ぎようとした。その間、白い外套を身につけた人物はじっと僕を見ているようだった。


 その視線は、少々痛い。


 僕はさっさとこの人影の前を通り過ぎようと歩みを早める。そしてその真横に来た時だった。目の端に映るその人物の口端が、にやりと上がったように感じた。


(何なのだ?)


 僕は少々不気味に思いながらも、その横を通り過ぎようとする。その瞬間だった。




 シャラン……!




 大量の鈴の音が響いた。

 僕が音のした方を確認しようと首を巡らせた時だった。


(え?)


 にんまりと笑っているような白い影の気配を感じながら、僕は意識を手放していた。




 そうして再び意識を取り戻した時、僕は見知らぬ天井を見上げていた。


(ここは……?)


 先程までの桜の絶景に比べると、簡素で殺風景なこの場所は、僕を少しずつ現実へと引き戻していくようだった。


「あら? 目が覚めたのですね。すぐに先生を呼んで参ります」


 高い声が僕の頭上から降ってきた。そこへ目をやると、白衣を着た女性が僕へと声をかけてきたようだ。


(もしかして、ここは、病院……?)


 ぼんやりと僕がそう思っている間に、女性は席を外した。

 僕は身体を起こそうと試してみたのだが、


(痛い……)


 全身に痛みが走って思うように動かせない。僕は仕方なく視線だけで周囲を見回す。

 両隣には寝台が置かれており、その上には患者らしき人物が眠っている。

 僕は右側の患者を見た。そしてその患者の肩の辺りにある、白黒の髑髏されこうべの姿に目を丸くする。


(何なのだ? あれは)


 僕が疑問に思って、その白黒の髑髏を凝視している時だった。


「目が覚めたようだね。自分の名前は分かるかい?」


 白衣に身を包んだ医者らしき人物が僕へと問いかけてきた。僕は隣から白衣の人物へと視線を移して答える。


島崎しまざき直哉なおやです……」

「意識はしっかりしているようだね」


 医者は診察簿に僕の様子を書き込んでいく。それから再び僕の方を見ると、


「君は、列車が来る線路へと飛び込み、ここに運ばれたわけだが、その辺りのことは覚えているかい?」

「……。じゃあ、僕はまだ、生きているんですか?」

「そう言うことになるね」


 僕の問いかけに、医者はしっかりとした声音で答えてきた。

 どういうわけか、僕は現世へと戻ってきたようだった。戻ってきて一つ気になることと言えば隣の患者だった。その肩の上に陣取っている白黒の髑髏の存在だけが不思議でならなかった。

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