第21話 エピローグ
21
あれから三週間がたった。
今回の“災害”は、マスメディアが神稜地区局部地震、という名で呼び始め、その後の政府発表によりそれはそのまま正式名称となった。
死者三百十七名。
負傷者八千六百十名。
行方不明者二名。
大学を中心として半径二十キロメートルに及ぶ範囲の建物は、そのほとんど全てが全壊した。
神稜地区の人口が十万を越え、全壊したエリアのほとんどが学校と住宅街であったことを考慮すると、建物の損害と比較すると人的被害は驚くほど少なかったのだという。
とある番組で「被害が少なくて幸運だった」とのたまった識者はネット上で猛バッシングを受け、翌日にはあらゆるメディアから締め出しをくらっていたが。
地震。
あれは、地震だということになったらしい。
報道でも、瓦礫が浮き上がり浮遊する光景や、高校の屋上から放たれた熱線など、あのときの異様な光景についても取り上げられた。だが、動画にしろ写真にしろ、映像があったのは長くて数分くらいしかなかった。始めは興味本意で撮影していた者たちも、被害の拡大にともない逃げだしたし、それでも撮影を続けようとした者たちも、内閣府多次元時空保全委員会の封鎖により追い出されたのだ。結果として、映像の多くは手ぶれが激しかったりピントが合っていなかったりと、判別の難しいものしか世に出なかった。そしてそれもすぐ、委員会の規制により映像が流れることはなくなった。
これについて政府発表も沈黙を守り、マスメディアも未だにあれこれと予測をたてているが……最終的には、大学内の研究施設崩壊に伴う光学系の装置の故障か、なんらかの集団幻覚だという話で落ち着きそうだった。不謹慎な誰かが作ったコンピューターグラフィックだという話さえ出て、原因として天使という超能力者について触れられることはなかった。
シュタイナー教授は「おそらく、天使について知っているのは、我々の他はゴジョウ君の所属する多次元時空保全委員会くらいなのだろう。理解できないものを説明できる者などいないさ」と言っていた。
二名の行方不明者のうち、片方が斎藤美嘉だ。もう一人は高校生という話だ。
ワームホールが閉じる寸前の光景が頭から離れない。
白衣の男に引きずられてワームホールに取り込まれ、美嘉は状況を理解できずにぽかんとしていた。
たぶん、その光景を見ていた俺もまた、同じような表情をしていたんだろう。俺も、状況なんてまったく理解できていなかった。
……いや、今でもそうだ。
理解できない。理解したくない。
なのに、俺のとなりには美嘉がいない。
瓦礫の撤去が始まった、大学跡地。
と言っても、ここまでの道路もほとんど通行できないため、車や重機はまだ一台もない。瓦礫をどかして人の通れる道を作っているのは、有志で集まった学生や大学関係者のボランティアによる人力だ。
「……」
俺はあれから、毎日ここにやって来ている。
一号館の跡地とグラウンドの間。ワームホールが開いた場所。そして……美嘉がいなくなってしまった場所。
その場所はちょっとしたクレーターみたいになっている。そこにしゃがみこんで、クレーターに散らばる瓦礫の破片の一つをつかんで握りしめる。
破片は角が鋭利になっていて、握りしめると痛い。
けれどそんな痛みも、美嘉の不在を実感するにはほど遠かった。
「……山崎」
背後から声をかけられるが、振り返る気にもならない。
声の主は、あれ以来会うこともなかった五条だ。
「すまない。……私の力が足りなかった」
……なに言ってんだ、こいつは?
たったその一言だけで、こいつには怒りがこみ上げてくるのを抑えられなかった。
「てめーに十分な力があれば、ちゃんと美嘉を殺せたのにってか?」
美嘉が覚醒して暴走したとき、五条は真っ先に美嘉を殺そうとした。こいつは、それを忘れたとでも思ってるのか?
はらわたが煮えくり返るような思いで振り返る。
「お前……」
――が、車椅子に座した彼の姿に、俺は怒りの言葉を続けられなかった。
車椅子に座った五条の両脚は、膝から下が失われていた。五条の背後には女性が立っている。彼女が五条の車椅子を押してきたのだろう。
とはいえ、あれからたった三週間で外出許可など出るのだろうか。それとも、彼の所属する委員会のおかげか。
「この怪我のことは――気にするな。これは私の力不足が招いた代償だ。私に白衣の男を止める力があれば、受けることのなかった傷だ。そして、私に斎藤を止める力があれば、この被害を食い止めることもできた。私の……力不足だ」
「美嘉を止めるって――」
「……」
五条は答えなかった。
しかしその沈黙は、明確な答えを示している。
今、こんなことになって尚、こいつは「美嘉を殺すべきだった」なんて考えてやがる。
「……てめぇ」
その態度に、両脚の喪失を前に一度鎮火した怒りがすぐに再燃する。
五条に詰めより、胸ぐらをつかむ。五条の身体は簡単に車椅子から浮いた。
「沃太郎を離しなさい」
色めきだったのは、五条本人よりも、背後にいた女性だった。
「いいんだ。錫姉さん」
「よくないわ」
有無を言わせぬ掌打がわき腹に叩き込まれ、五条を車椅子に落とす。直後に腕を払われつかまれた、と思った時にはすでに右腕を背中に回されて極められていた。
「ぐ……ッテェ」
「姉さん!」
「……今度、沃太郎に手を出してみなさい。腕の骨を折るだけじゃ済まないわよ」
耳元で低くささやくと、五条の“姉さん”は俺の腕を解放する。
その声で、ようやく五条の姉にやられたのだ、と理解するくらいに、一瞬の出来事だった。
あの五条の姉だ。本人と同じく、なんとか言う委員会の所属なんだろう。柔道だか合気道だかを修めていてもおかしくはない。
「……」
五条に向き直ると、その手前で五条を守るように姉が立っていた。鋭い視線で俺をにらみつけている。また俺がなにかしようとしたら、一切の手加減をするつもりがないって態度で、絶対に五条を守るという強い意志が見てとれた。
その光景に、打ちのめされてしまう。
……そんな風に、俺も美嘉を守ってやりたかったんだ。なのに……なのに、俺は普通の人間にすぎなくて、そうやって彼女の前に立ってやることさえできなかった。
急にどうでもよくなってしまう。
「……やるならやれよ」
「なんですって?」
「俺を殴って、骨を折って、打ちのめせばいい」
「……」
五条の姉は、俺の態度に面食らったのか、黙りこんでしまう。
「あんたみたいに、そうやって守りたかった人は……もういないんだ。死んだ方が、マシだ」
「……」
「山崎……」
うつむく。
二人の視線に耐えられなかった。
「馬鹿を言ってはいけないな、ヤマサキ君。君にはまだやるべきことがあるだろう」
「……セルシオ・シュタイナー教授」
黙りこんだ俺たち三人に場違いなほど明るい声をかけてきた人物の名を、五条が呼ぶ。
俺は渋々顔を上げる。
声音のわりにはどこかやつれ、憔悴しているように見える。だが、その紫水晶の瞳には、俺とは違う強い意志が確かにあった。
教授のスーツの右袖は、だらりと垂れ下がっている。右腕は、二の腕から先がなくなったままだ。
「ヤマサキ君、探したよ」
「……?」
「時間は有限だ。私の研究を手伝ってくれたまえ」
「なに……言ってんだ。俺は――」
「サイトウ君と再会したいとは思わんのかね」
「それ、は……」
イエスかノーかで言われたら、もちろんイエスだ。だけど、俺には――。
「アンジェリカを見ただろう。私の目的は彼女と再会することにある。そのための天使の力の研究だ。そして……今、サイトウ君も彼女と同じところにいる」
「……」
確かに、その通りだ。だけど――。
「あそこがいったいどこなのか、正確にはわかっていない。私の予測では二世紀から八世紀頃の中東だが、如何せん時代の幅が広すぎる。この天使の力で時空を渡る術を、なんとしても確立せねばならん」
「教授。それは――」
「ゴジョウ君。天使の力の解明は、君たち委員会にとっても悪い話ではないはずだ。……違うかね?」
「……」
口を挟もうとした五条に、教授はそう先手を打つ。五条は反論できないのか、黙ったままだ。
「実験内容や検証方法は、こちらでも把握させていただきます。こちらが危険だと判断する場合は、実験を中止にさせていただくこともあるでしょう」
代わりにそう告げたのは、五条の姉だった。
「ふむ。まぁ好きにしたまえ」
「……? よろしいのですか?」
平然とした態度の教授に、五条の姉も意表を突かれたのかやや困惑する。
「この研究はね、一人でやって簡単にカタがつくようなものじゃない。私の研究とその実験は、公に認められ、学会で発表できるものでなければならない。そうやって、私だけでなく、全世界の物理学者を巻き込んで研究を進めなければ、とてもではないがやっていられない。隠れてコソコソやる研究など、それこそ単なる時間の浪費で、私に言わせればナンセンスだ」
「しかし、そうなると――」
反論しそうな五条の姉にも、教授は動じない。
「――先に言っておこう。別に委員会が拒否したければ拒否してもらって構わん。私は別の国で実験するだけのことだ。……しかし、君たちの都合でいくなら、どこか他のところで実験を進められるよりも、監視の目が届くところで実験してくれた方がいいのではないかね? 最新のデータがいち早く手に入るのだからな」
「……データを偽ることなど、いくらでもできます」
五条の姉は、慎重にそう告げる。
「はっ。私が君たちを騙すと? そこまで疑うなら、ヨータロー・ゴジョウ君を私の研究室に入れたまえ。そうすれば、私が君たちを騙すことなどできまい。私が欲しいのは研究の成果ではない。研究の結果、アンジェリカと再会することだ。それが叶うなら、成果や名誉など必要ない。いくらでもくれてやるさ」
「……」
五条の姉の直視にも、教授は余裕の態度だった。
「わかりました。いいでしょう」
「姉さん? そんな、確認も取らず――」
「――取るわよ。でも、教授の言う通り、そばにいてくれた方が都合がいい。研究内容において、他国に先に行かれない方がね。上も同じ結論になるわよ」
「……それは」
五条も、反論できずに口をつぐむ。
普通なら、目の前で繰り広げられている会話はいろいろとぶっ飛んでいて、真面目に聞いてられる話じゃない。だけど、事実として見せつけられたあの天使の力は、それをひっくり返すのに十分すぎた。
「それにしても……シュタイナー教授はやる気に満ち溢れておいでのようですね。沃太郎から聞いた話では、その……アンジェリカさんとはほんの少ししか再会できなかったそうですけれど」
「そうだよ。ほんの少しだが再会できた。これまでで一番の成果だ」
五条の姉の“ほんの少し”という言葉はかなり後ろ向きに聞こえたが、シュタイナー教授の“ほんの少し”はずいぶん前向きに聞こえた。
それを不思議に思ったのは私だけではなかったらしい。
「成果……ですか?」
「ああ、成果だ。なにより、彼女の生存を確認できたのは大きい。彼女と離ればなれになって十年以上は経つが、その後の姿を見たのは今回が初めてだったのでね」
五条の姉が、教授の言葉に息をのむ。
「十年以上も……その方を探しているのですか」
「彼にとってのミカ・サイトウであり、君にとってならヨータロー・ゴジョウかな? それが私にとってのアンジェリカというだけのことさ。君もヨータローと離ればなれになったとして、十年やそこらであきらめはしないだろう?」
「そうですね。……ええ、その通りです」
噛み締めるように五条の姉つぶやく。
でも、あきらめはしないって言ったって、違う時代にいるんじゃ俺にはどうしようもないことじゃないか。
手段があれば、まだ努力のしようがある。けれど――。
「と――話がそれたな。……ともかく、私の目的と、ヤマサキ君のやりたいことは一致している。違うかね?」
五条姉弟から視線を外し、教授が俺をまっすぐに見つめてくる。
なぜかわからないが、教授は初めて会ったときからやけに俺を勧誘してきていた。
以前なら、まだ説明がつかなくもない。俺が天使だと思っていたからだ。
だけど、俺が天使じゃないってわかった今でさえそうなのは、何故なのだろう。
「俺は――教授とは違う。なんの力もない、ただの……人間なんだ」
うつむいて、ぽつりとそう言うのが精一杯だった。
あんな化け物みたいな力があるなら、その力を使って美嘉を探しに行くことができたかもしれない。けれどただの人間にすぎない俺には、なにもできることがない。
だから――。
「――だからあきらめる、と?」
「……ッ!」
まるで俺の思考が読まれたかのようだった。その言葉がまるで胸に突き刺さったみたいに感じられ、俺は二の句が告げられず唇を噛む。
あきらめる?
あきらめるだって?
そんな選択肢……あるわけないだろ。
そう思ったが、同時についさっきの自分の言葉が、先ほどまでの自分の態度が、あきらめ以外の何物でもなかったという事実を思い知らされる。
うつむいてしまう。
美嘉をあきらめるかどうかなんて、言うまでもなく、考えるまでもないことだったはずだ。……それなのに、俺は。
教授の言葉は、自分の意志がどれほど弱く、自らの言葉に対する無責任ささえも浮き彫りにさせていた。
……俺は恥じ入らなければならない。
こんな簡単にあきらめかけていた自分のことを。
……やってやる。絶対に、絶対に……美嘉を取り戻す。
そんな思いを新たに顔を上げると、シュタイナー教授と目が合う。やつれ、憔悴している様子の奥にかいま見える強い意志が――まるでワクワクしているとさえ言えるようなやる気なのだと、今になって気づく。
「そう。それでこそトオル・ヤマサキだ」
言わなくても、俺の意志は伝わったようだ。
「成し遂げるために、彼女らに再会するために……、やがてなにもかもを捨てなければならない時が来るだろう。その覚悟があるかね?」
教授がそう念を押してくる。
が、思いを新たにした今、その答えは決まりきっている。
「美嘉に会えるなら、他になにも……なにも、要らねーんだ」
俺は前を向く。
美嘉を取り戻すために。
美嘉、待ってろ。
……言ったよな。俺はしつこいって。
違う時代の違う場所にいたって、あきらめてやらない。
どれだけ時間がかかっても、美嘉を取り戻してやる。
……絶対に。
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