第18話 地震



18

 様々なことが同時に起きた。

 美嘉から紅い光が溢れだし、その束が触手のように伸びる様は異様としか言いようがなかった。

 それは俺たちに迫りつつあったコンクリート塊をからめとり、瞬時に粉砕してしまう。

 五号館からの大量の瓦礫は、すべて粉砕されたようだ。

 だが、自らの命が助かったっていうその事実にも、気を払ってる余裕はなかった。

 大地が激しく振動し、とても立っていられなかったからだ。

 地震。

 それは実際、揺れ、というよりも、振動、と言った方が正しかった。

 しゃがんでその地震をやり過ごそうとする俺たちを、五号館の崩壊と、その瓦礫の粉砕によって発生した爆風みたいな凄まじい土ぼこりが襲う。

「……」

 ……なにも見えない。

 それは太陽光すら遮り、俺は薄暗い粉じんのただ中に取り残される。近くにいるはずの教授や五条の姿も見えなくなった。

 土ぼこりは五号館の瓦礫が粉砕された結果だけど……この地震、まさかこれも美嘉がやったのか……?

 地面にはいつくばって地震に耐えながら、そんな疑問を抱く。

 天使なんて力に覚醒しちまった美嘉は、事態の中心にいる。

 普通ならありえねーって笑い飛ばすところなのに、目の当たりにした今は冗談にもならない。いくら信じられなくたって、これは美嘉が引き起こした事態なのだ。

 ……止めないと。

 新たな突風が吹き荒れ、急速に土ぼこりが晴れて明るくなっていく。……いや、土ぼこりがなにかに吸い込まれているみたいだ。なにかに急速に吸い込まれていく大気が、突風となっているのか。

 その中心は、美嘉から離れたところにあった。空間さえも歪ませる極点を使う奴なんて、一人しか思いつかない。土ぼこりがどんどん吸い込まれていき、周囲が晴れていく。案の定、その極点に手をかざし、瞳を蒼く輝かせた白衣の男の姿が現れる。

「……こんなところか。それにしても……くく、素晴らしい力だ」

 辺りが見渡せるようになって、男は重力球を消しながらそうつぶやく。

 その言葉とまなざしは、こっちから見ていても美嘉に興味津々、という雰囲気が手に取るようにわかる。

 その言葉に背筋が凍った。

 こんな惨状を目の前にして「素晴らしい」なんて言える男の神経が信じられない。

 周囲を見回すと、俺からそう離れていないところに、教授の姿が見えた。

 五条が横たわっているすぐそばに教授はいた。教授は上着を脱いで躊躇なく引き裂くと、太ももを縛り、傷口をおおい、手際よく五条の止血をしている。

 こんなとんでもないことが立て続けて起きている間に、五条のことを気にかける精神力にただただ驚嘆する。

 ……だめだ。教授は頼れない。美嘉は俺がなんとかしないと。

「おい! ……美嘉ッ!」

「私が!」

「……?」

「私が、守るから!」

 美嘉の絶叫とともに、またも衝撃波。俺はなすすべなく吹き飛ばされてしまう。

 守るという言葉とは裏腹の事態に、美嘉は気づいてもいない。その上、特別な力もない俺には、なんの対抗手段もなかった。

「……くそっ」

 だからって、なにもしないままじゃいられない。

 悪態をついて立ち上がる。

 そして、美嘉の方へと――。

「近づかないでッ!」

 直後に再度の悲鳴と衝撃波。

 俺はまたも、あっけなく吹き飛ばされる。

「……」

 俺を拒絶しようってか、美嘉。

 どうにも歯が立たない状況なのに、恐怖だとか絶望感だとかの感情は抱かなかった。なぜか、ふつふつと怒りがこみ上がってくる。

 上体を起こして、美嘉をにらみつける。……が、当の美嘉は俺の方を見ていない。

 彼女の視線の先にいるのは――瓦礫に叩きつけられてなお、楽しそうに笑っている白衣の男だった。

 近づかないで、という言葉は、俺に向けたものじゃなく、あいつへ向けたものだったのか。

「この力……手に入れないわけにはいかんな」

 ……なんだ、あの男。

 身に迫った恐怖とは違う、ゾクッとする怖気が全身をはい回った。

 あいつはなにか、とんでもないことを考えてやがる。

 それがなんなのかはわからないが、とにかく、美嘉を利用するつもりだ。

 ……させるか。

 なにができるかわからないが、それでも俺が美嘉を守らないと――。

 焼ける音と共に、まばゆい熱線が駆け抜けていく。

「……ッ!」

 その動作が手遅れだと分かっていても、とっさに飛び退いてしまう。

 が、それはこの場の誰にも当たることなく、瓦礫の山に着弾。その熱量で瓦礫を溶かしながら、熱線はそのまま上へとなぎ払われる。

 瓦礫の山が縦に両断されたかと思いきや、五号館よりもさらに奥の建物にも縦に赤熱した跡が見える。

 白煙が立ち上ぼり、異臭が鼻をついた。

 今度はいったいなんなんだよ。

 振り返って熱線の元を探す。

 遠く……あれは、グラウンドの向こうの敷地からだ。附属高校の……屋上か?

 そんなことを考えていると、再度熱線が薙ぐのが見えた。高校の屋上から放たれたそれは、高校の校舎を切断し、崩壊させていた。

「……」

 五条を見る。

 ずいぶん前のことのような気がしてしまうが、五条が附属高校の生徒に声をかけていたのは昨日のことだ。

 彼らの方では、いったいなにが起きているのか。

「うあああああぁぁァァァアアアッ!」

 美嘉が悲鳴と共に顔を上げる。

 瞬間、今まで見た中で――教授や五条、そして白衣の男のものも含めて――最大のサイズの魔法陣が展開した。

 それは、直径二十メートルはあろうかという大きさだった。美嘉の頭上で波打つ紅い光の紋様が球状に描き出され、下の方は美嘉をも包み込み、最下部では地面にも重なりめり込んでいる。

 すぐに中心から紫電が走り、同時に空間がぐにゃりとゆがむ。

 空間のゆがみは、初めは握りこぶしほどもなかったが、どんどんと広がっていき、やがてその中心点が暗黒に染まる。なによりも暗いそれは、周囲の空間を侵食するように大きさを広げていく。

 さっきの熱線が、美嘉を刺激でもしたのかよ……?

「特異点は……天使の覚醒ではなく、これのことだったか」

 いつのまにか俺の隣にやってきた教授が、ぽつりとつぶやく。

「……」

 言葉を発することもできないまま、俺はただ教授の長身を見上げる。

「時空の特異点、またの名をワームホール。あれよりずっと小さなものを、ゴジョウ君も開いていたな。……あの穴の向こうは、違う時間の違う場所に通じている。だが、サイトウ君のコントロール次第では、あれがどうなるかわからない」

「……つまり?」

 教授は険しい表情のまま、紫水晶の瞳を蒼く輝かせる。

「……!」

「一種の爆弾に成りうるということさ。それも、核でさえ比較するのがおこがましいほどのね」

 その……ワームホールとかいうのに手をかざして、教授はごく当然のことのように言った。

「この一帯は消滅する。さっきの衝撃波など児戯に感じられるくらいの規模でな。あれが天使のコントロール下を離れれば、その被害は都市ひとつだけでは済まないだろう。関東全域が消滅するか……いや、日本列島がまるごと巻き込まれても不思議はない。それでワームホールが蒸発したとして、同時に大量の荷電粒子や放射線、そして電磁パルスが放たれるだろう。地球上の生物は放射能汚染を受け、電子機器も全滅。……地球の〈崩壊〉はもっと先の出来事だと思っていたんだがね」

 事態が立て続けに変化したし、その上、教授の話は規模が大きすぎた。現実味が無さすぎて……なんというか、理解したつもりにすらなれない。

 俺は、唖然とすることもできなかったが、そんな俺に、教授は大したこと無さそうに肩をすくめてみせる。

「もちろん、そんな事態にはさせんよ。そんなことになれば、私も死ぬしな」

 命がかかってるわりには、教授はどこかひょうひょうとしている。こんな事態に慣れているとしたら、いったいこれまでどんな人生を送ってきたというのか。

「状況が酷くなったところで、我々の対処方法は先ほどと変わらん。……君は、すべきことがわかっているな?」

「……あ、ああ」

 美嘉を見ながらうなずく。

 ――サイトウ君の正気を取り戻しさえすればなんとかなる――。

 教授の言葉を思い出す。

 俺は、それをやらなきゃならない。

 俺の顔を見て、教授はニヤリと笑うと肩に手を置いてきた。

「任せるぞ」

 すぐに上空のワームホールに視線を移す教授に、俺も美嘉に向き直る。

 辺りは破壊し尽くされ、瓦礫すら残っていない。その中心にいる美嘉は宙に浮いていて、その周囲を紫電が散り、砂れきが舞い上がって渦を巻いている。

 そして彼女の頭上には、空間さえぐにゃりとゆがめてしまうワームホール。

 状況がデタラメにもほどがある。

 美嘉も、シュタイナー教授も、白衣の男も、倒れた五条も天使なんていう超能力者で……高校の方にだって熱線を放つことのできるやつがいる。

 そんな中、俺一人だけがなんの特別な力も持たない普通の人間だ。ただの人間じゃ、ヒーローになんてなれない。

「……美嘉!」

「やめてぇっ!」

 美嘉から放たれる衝撃波に、腕を掲げて耐える。

「……くっ」

 ……。

 そんなんで俺は止まらねーぞ、美嘉。

 だが、一歩二歩足を進めるだけでも精一杯だ。

 彼女の周囲を舞う砂れきのカーテンが、目前に迫る。

「美嘉ァッ!」

 たかが砂やコンクリート、ガラスの破片だ、大きくてもせいぜい一、二センチメートルくらいしかない。そう思い、砂れきを無視して突っ込む。

「ぐっ……ッテェな!」

 少し当たっただけで肌が真っ赤に腫れ、ガラスの破片がひたいを切り裂いて血が飛ぶ。そのまま浮遊していった赤いしずくは、紫電に当たって蒸発した。

 それらの痛みを、歯を食いしばって耐える。

「うおッ……」

 が、太ももの辺りに砂れきの第二陣。そのすさまじい勢いは強烈な打撃のようだった。

 足をすくわれてバランスを崩すと、横向きに倒れる。そのまま頭を地面に打ち、衝撃で意識がもうろうとする。すぐに立ちあがろうと思いはするが、うまく行かなかった。力が入らず、ただ仰向けになる。

「徹ッ!」

 美嘉の声が聞こえたかと思うと、砂れきや砂塵を巻き上げていた力が消えたのか、音を立てながら地面に落下していくのが視界の端に映る。

「み、……か……」

 ひたいの傷に、後頭部もじくじくしている。砂れきの塊も、ずしりとくる痛みを残していった。これまで受けたことのない痛みの数々に、意識を保っていられない。

「いや、嫌嫌嫌。死なないで……!」

 地上に降りてきたのか、美嘉の声がすぐそばで聞こえる。

 死ぬほどの……怪我じゃねーよ。たぶん。

 そう思ったが、そうやって強がって見せる余裕なんかなかった。

「ちったあ……落ち着いたかよ」

 力なく手を上げると、すぐに美嘉が握りしめてきた。

 なんとか握り返し、それを支えに上体を起こす。

 眼前に、美嘉の泣き顔があった。その瞳はまだ紅く輝いていたが、そこには間違いなく彼女の意思があって、もう先ほどまでのような狂気は見てとれない。

 なんとか倒れないようにとこらえ、美嘉を抱きすくめる。彼女がすぐそこにいるってことを確かめたかった。どこか遠くに行ってしまったんじゃなくて、俺の腕の中にいることを。たったそれだけのことが、今の俺には重要だった。

「私……徹のそばにいたらダメだよ」

「なに……言って……」

「だって、私のせいで、こんな……」

 悲痛な、消え入りそうな声が耳もとで響く。

 彼女の身体はこわばっていて、俺がこうやって抱きしめてきていることさえ拒絶しなきゃいけないって思ってるみたいだった。

「私、徹に大怪我負わせたんだよ」

「それが、どうした」

「徹といたら、またどんな怪我させるかわからないんだよ! 怪我ですまないかも……」

「馬鹿……言うな」

「でも……!」

「怪我させたくなきゃ……コントロール、すりゃいいだろ」

「徹は、これがどんなものか知らないから……!」

「ああ。知らねーよ」

 声音に怒気が混じる美嘉に、俺はそう言い放った。

「……」

「だけど……な。俺は、お前を手離すつもりなんかねーよ」

「でも――」

「――いい加減、あきらめろ。俺は……しつこいって言ったろ」

 息をのむ気配が伝わる。

「たかだか超能力に目覚めた程度で、手離してくれるとでも思ったのか?」

「それは……でも、嫌われたって仕方ないし――」

「美嘉がいねーんなら、生きてる意味なんてねーんだ」

「そんなことないよ。私なんかいなくたって……」

「……あのなぁ。そんなに嫌われたきゃ、バケモノみたいな見た目になるか、世界を滅ぼすかしてから出直してこい。俺は、美嘉のことは絶対にあきらめない」

 まだ頭ががんがんしていて、力強く断言できたわけじゃなかった。けど、ちゃんと伝わってくれたんだろう。美嘉の身体から力が抜けていくのが感じられた。

「私――」

「いい雰囲気のところ悪いがね。あとはこれが片付いてからにしてくれるかね」

 背後から至極冷静な声。

「シュ……タイナー教授。あの、えっと……」

「とりあえずは、新たな世界への仲間入りを歓迎しようか。サイトウ君にとっては、あまり歓迎できないことなのだろうが」

 美嘉の助けを借りて立ち上がると、教授に向き直る。

 瞳から紅い光を放つ美嘉と、瞳から蒼い光を放つ教授の二人がすぐそこにいると、俺の普通さがなんだか場違いに思えてくる。

「サイトウ君。君にはあの……ワームホールを閉じてもらわなければな」

 頭上の空間のゆがみを指差す教授。

「でも、どうしたらいいか……」

「ヤマサキ君が命がけで取り戻した君の“正気”だ。無駄にするわけにはいかない。私もサポートをするから安心したまえ」

 余裕の態度を崩さない教授に、美嘉も反論する気にならなかったみたいだった。

「……はい。わか――」

「――いや、そんなことをさせるわけにはいかんな」

 やっと終わりかと思ったというのに、美嘉の言葉をさえぎって、白衣の男がそう宣告した。


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