第17話 特異点


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「……彼女自身が、特異点なのか……?」

 視線を上げた先で、セルシオ・シュタイナー教授が意味のわからない言葉をつぶやいている。

 眼前の光景が理解できない。

 美嘉に、なにかが起きた……らしい。

 美嘉がいるのは崩壊した一号館の端とグラウンドの間だったのだが、さっきの衝撃波でさらにメチャクチャになっていて、もはや一号館など跡形もない。周囲はまるで大気が帯電しているみたいで、パチパチと紫電が舞っている。そして……彼女はあろうことか少し浮いていて、さらには瞳が……紅く輝いていた。

 それが、なにを指すのか。

 五条や教授の言葉がぐるぐると脳内を回る。

 天使。

 覚醒。

 暴走。

 まさか……これ、が?

 これが、そうだってのか?

 彼らの言う天使が、俺ではなく美嘉だったってことなのか……?

 やっぱり、俺じゃなかったじゃねーか。

 ……。

 ……。

 ……。

 俺じゃなかったけれど……でも、じゃあなんで、美嘉なんだよ……。

 あいつがなにしたっていうんだ。

 俺のすぐとなりで、五条が立ち上がる。鬼気迫る表情で美嘉に手をかざして、なにかをしようとしている。

「おい、五条!」

 とっさに手を伸ばし、五条の足をつかむ。

 ……なにかはわからない。けどこいつは、きっとろくでもないことを考えてやがる。

「なにをするつもりだ」

「……斎藤を止める」

 返答は簡潔だった。

 こいつはまさか、美嘉を――。

「どうやって止めるつもりだって聞いてんだよ!」

 異常極まりない状況にがくがく震える足をなんとか抑えつけて、やっとのことで立ち上がる。

 にらみつけるが、当の五条は俺の言葉なんか気にもしていない。

 その態度は、俺の想像を肯定しているに等しい。

 こいつは、こいつは……。

 美嘉を殺そうとしている。

 それは疑惑ではなく、すぐに確信へと変わる。

 こいつは、それでこの事態を収拾しようなんて、クソくだらないことを考えてやがる。

 美嘉は守る。たとえ彼女が何者だろうと、仮になにをしたとしても。……だけど、美嘉を守るために、俺になにができる――?

「あの力は重要なリソースだ、みすみすなくさせはしないよ」

「くっ」

 どこからともなく現れた突然の声に、五条はためらうことなく接近。攻撃しようとするが、相手は白衣の男。重力を駆使するバケモノだ。

 俺の目の前で、急に水平に落ちていきながらも、五条は白衣の男に肉薄。二人は俺の目の前で、普通ならできるはずのない戦いを始める。

「くそ。くそ……。どうしろってんだよ」

 あいつらのことなんかどうでもいい。

 正面で悲鳴をあげる美嘉を見る。

「美嘉……」

 彼女を助けなければ、と思うが、いったいなにをどうしたらいいかわからない。

 手を伸ばす。

 ただ、彼女へと向けて。無我夢中に、がむしゃらに。

 一歩一歩、近づこうと歩みを進める。

 だけど、目の前では紫電や火花が散っていて、そう簡単に近づけるわけがない。

「熱ッ……」

 眼前で紫電が爆ぜる。火花が腕の表面を軽くなで、俺は声をあげてばたばたと腕を振った。

 それがトリガーだったのかどうかはわからない。けれど、美嘉は急にハッとして顔をあげ、あと二、三メートルほどで触れそうなところまでやって来ていた俺と目があった。

「やめてぇ!」

「なに……うわっ!」

 美嘉から紅い光が吹き出したかと思うと、再度の衝撃波。虚を突かれたし、そもそも掴まるところもなかった俺は、またもなすすべなく吹き飛ばされる。

「……おっと。大丈夫かね、ヤマサキ君」

 そんな俺を何者かが受け止めて、そう声をかけてきた。

「……。教、授……?」

「ああ」

 シュタイナー教授だ。彼は俺をグラウンドに立たせると、肩を叩いてくる。

「まさか、君ではなくサイトウ君が天使だったとはな。……まったく、想定外とは重なるものだ」

「俺、俺は……」

 教授が、俺の肩を力強くつかんでくる。痛みさえともなうそれは、俺を少しは落ち着かせるだけの効果があった。

 ……少しだけ落ち着いてみたからこそ、今の俺は気が動転しているのだとようやく認識できる。

「落着きたまえ。サイトウ君は天使として覚醒した。しかし、彼女はその力のありようが理解できず、混乱している」

「……?」

 つまり、どういうことなんだよ。

 ……そう言おうとしたが、声が出なかった。

「以前にも言ったが、天使は通常よりも多い次元を知覚している。三次元しか知らなかった者が初めての四次元空間を見ているんだ。ならば、どう見ればいいかもわからず混乱するというものだ」

「……から……」

 だから、なんなんだよ。

 あいかわらず回りくどい説明に、そう言おうとしたが、音になったのはそれくらいでしかなかった。だが、それでも俺の態度を察したのか、教授はいったん口をつぐみ、そして端的に告げる。

「つまるところ、サイトウ君は認識したものを理解できず、天使の力がコントロールできていないということだ。暴走している、とも言える」

「暴……走……」

 改めて美嘉を見る。

 瞳が紅く輝き、宙に浮いて身体もいうことがきかないように見える。周囲の空気は帯電していて、紫電と共に火花が散っている。そのせいでさっきみたいになって、ろくに近づけやしない。

「覚醒はともかく、この暴走を無視するわけにはいかん。このまま彼女が無作為に力を解放してしまえば、大学構内に留まらず、近隣一帯に壊滅的な被害が発生してしまうだろう」

「……」

 なんとなく、そんなことを言われるのは想像がついていた。

 そりゃ、わけが分からないのはわけが分からないままだけど、美嘉の身になにかが起きていて、それが被害をもたらしかねないから……だから、五条は美嘉を殺すなんて手段を取ろうとした。

 もちろん、想像にすぎない。けれど、あいつの態度からはそうしようとしているとしか思えなかった。そして、その理由となると、その程度なら簡単に思いつく。

「……それを止めるために、美嘉が死ななきゃならないなんて、おかしいだろ」

「確かに、ゴジョウ君の態度はそうすることも辞さない雰囲気ではあったな」

 美嘉を……殺して、止めようとしているなんて、そんなふざけたことさせるわけにはいかない。

 ちらりと教授の顔をうかがう。だが、その至極真剣な表情から教授の考えは読めない。

 けど、あいつと同じことを考えているなら、教授も……俺の敵ってことになる。

 敵うとはとても思えねーけど。

 そう思ったが、教授はやれやれ、と首を振る。

「ゴジョウ君は自分では対処ができないからそうするしかないと思いつめただけだ。サイトウ君の正気を取り戻しさえすればなんとかなるというのにな」

「……」

「彼女が、この視界へとちゃんと意識を向ければ私にもサポートができる。君はサイトウ君に声をかけろ。返答できるほどになればこっちのものさ」

 肩をつかんでいた手を離し、改めてポンポンと叩いてくる。

 落ち着いた様子の教授に、少しだけ安心させられる。心配するな、と言うように笑みを浮かべてウインクする教授。こんな人知を越えた事態だっていうのに、教授は経験したことがあるって感じでやけに落ち着いて見える。そんな教授が隣にいると、なんとかなるのかもしれない、と思えてくるから不思議なものだ。

「美嘉!」

 ……だが。

 教授に言われてそう声を張り上げてみても、当の美嘉は悲鳴を上げ続けたままなんの変化もない。

 彼女はあいかわらず宙に浮いて、両手で顔をおおっている。指の隙間からは紅い光が漏れ出ていて、彼女の瞳が未だ輝いているという事実を告げていた。髪の毛も重力など存在しないかのように宙にただよっているが、美嘉の周囲にある瓦礫や砂塵もまた舞い上がり、彼女を中心として渦を巻き始めている。

 帯電して火花の散る大気ってだけでも十分ヤバかったのに、これじゃ近づくなんて余計に無理な話だ。

「美嘉! 俺だ、徹だ!」

 力の限りに叫んでみても、反応はない。

 不安になって、これでいいのか分からず舌打ちする。

「やめるな。声をかけ続けろ」

 早速くじけそうになっていた内心が見透かされたようなタイミングで、背後から教授の声がする。

「私ができることにも、限界があるのだからな」

「……ンなこと言ったって――」

「――証明して見せろ」

 その言葉に、思わず後ろを振り返って教授の顔をのぞきこむ。

「私にではなく、サイトウ君に。君の思いがどれ程のものかをな」

「あ……あんたが俺と美嘉のなにを知ってんだよ」

 まるで、俺の気持ちを見透かしているみたいな言葉に、俺はうろたえてしまう。けれど、教授の顔はいたって真剣そのもので、茶化そうとしている雰囲気などなかった。

「多少は知っているさ。君たちのことを教えてくれた友人がいてね。それに、見ていればそれくらいはわかる」

「ええと……」

「ヤマサキ君。君は私の運命を左右する存在だ。しかし……これは、その始まりに過ぎん。君はもっと大きなことを為し遂げねばならん」

「は?」

「……いや、すまない。気にするな。今は目の前のことに集中してくれ」

 怪訝な顔をしてしまうが、教授は軽く手を振ってなんでもないと示す。

 追求してる暇なんてない。

 そう思って美嘉に向き直ろうとした。その瞬間、右手から轟音が響く。

 俺から見て美嘉の右側には、一号館の残骸が広がっている。その奥には、まだかろうじて崩れずに残っている五号館があった。見えるのは、封鎖された自動ドアがある、ガラス張りのエントランスホール正面だ。その五号館の屋上で土ぼこりが舞っている。

「……」

「……あの二人か」

 なにも言えない俺と違って、教授は冷静だった。あの二人、といったら、五条と白衣の男しかいない。

 そんなことを考えていたら、今度は五号館のガラスがぶち抜かれて砕け散る。あれは、三階の渡り廊下のある位置だ。人ひとりなら余裕で通り抜けられるサイズの穴が空いたにもかかわらず、ガラスの破片はほとんど落ちてこなかった。

「まったく、出来もしないことを一人でやろうとするからこんなことになる。……とはいえ、殺さずに戦闘不能にさせるというのは、なかなか骨が折れるな」

 穴の向こうから声。

 よく見れば、ガラスの向こうの渡り廊下に白衣の男が立っている。渡り廊下の外にはバルコニーがあったはずだが、いまじゃそれも周囲の瓦礫の一部へと姿を変えていた。

 白衣の男はなにかをつかんでいる。

 かなり大きくて、重力を操る白衣の男でなければ片手で持つのは難儀しただろう。

 白衣の男はそれを持ったまま、ふわりとこちらへ飛び降りてくる。文字通り重力を無視したやわらかな軌道で、一号館の残骸の上へと降り立つと、白衣の男は手にしたそれを俺と教授の目の前に放った。

「ご、五条……」

 グラウンドの端に転がされたのは、脚を失った五条沃太郎だった。

 太もものあたりで瓦礫かなにかに押し潰されたのだろう。右足はまだかろうじて繋がっているが……いや、ほとんど千切れていると言った方が正しい。

 五条はぐったりしている。失血で気を失ったのか。

「止血してやれ。重力だけでは失血を確実には止められん。彼にも死なれるわけには行かんのだよ」

「……」

「……」

 白衣の男はそう言うが、相手が相手だ。俺が動けるわけもなかったが、教授も同様だった。

「まったく。そこまで私が信用に値しな――」

 白衣の男の言葉などお構いなしに、俺たちの視線の先で、とうとう五号館が倒壊する。

 五号館が屋上から崩れ落ち、三階の渡り廊下も破砕した。エントランスホールの壁面ガラスも全面が粉々に砕け散る。そのガラスの破片が、キラキラと輝きながら降り注いでくるのが見えた。

 ガラス片のシャワーの向こうから、コンクリート塊が雪崩みたいに落下してくる。

 それだけだと思った。

 俺たちから二十メートルは離れたところで、建物が倒壊してしまっただけなのだと。

 美嘉の力を考慮できている者などいなかった。

 倒壊した五号館の瓦礫のほとんどが美嘉の力に巻き込まれ、美嘉の周囲を浮遊して旋回する瓦礫の流れに乗り、まるで滑空するみたいにこっちへと殺到してきた。

 白衣の男は全く気づいていない。教授も一瞬のことで呆気にとられていたのか、微動だにしない。気を失っている五条はもちろんだし、俺だってそうだ。

 目の前に迫る死。

 化物みたいな力を持ってるはずの教授や白衣の男も、反応しきれていない。

 ……嘘だろ。

 この一瞬にそう考えられただけで精一杯だった。

「だめえええぇぇぇぇぇええええッ!」

 そこに、背後から耳をつんざく美嘉の絶叫。

 そして、紅い光が周辺を包み込むと同時に、地面が激しく振動し、俺たちをさらなる混乱のただ中に突き落とした。


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