第15話 戦闘


15

「ふんふんふふーん」

「美嘉、くっつきすぎだって」

「えー。嫌?」

「嫌なわけじゃ」

「じゃあいいでしょ」

 よくねーよ。

 周囲の視線的に。

 チラチラと見てくる他のやつらを見てそう思ったけど、幸せそうな美嘉を見ていると、反論なんてできなかった。

 昼になってからやってきた大学は、どこかいつもと景色が違って見える。けど、それも気のせいだろうか。

 やっと美嘉と結ばれたっていう俺の気持ちが、いつもと違っているように感じさせているだけなのかもしれない。

 今日の美嘉は、紺のスラックスに柄物のシャツを着ていた。大学に来る前に俺の家にも寄ったので、俺は細身のジーンズと黒の襟つきシャツだ。もちろん、服を選んだのは美嘉だ。

 美嘉は俺と腕を組んで……というより、しがみついているとか、抱きついているとか言った方が正確か。

 とにかく、美嘉の家を出てからずっとこの調子だ。

 機嫌がよすぎて不安にもなるものの、昨日の深夜のとは比べるべくもない。

 ……できれば、この調子の反動が来なければいいんだけどな。

 進む先には、一号館と七号館の間にある小ぢんまりした中庭が見える。

 ……ここ、通るんじゃなかったかもな。

 無惨に切断された中庭の樹木を見たら、美嘉も一昨日のことを思い出してしまうかもしれない。

「――やあ、ヤマサキ君にサイトウ君。今日はご機嫌みたいだね」

「……シュタイナー教授」

 思考を遮ってきた声の方を見ると、五号館の入口からシュタイナー教授が出てきたところだった。あのとき破壊された自動ドアは封鎖されているから、脇にある片開きのガラス戸から出てきていた。そこで俺たちを見つけたようだ。

「そういう教授も、なんだかご機嫌みたいですけど」

 そう返すと、教授はにやりと笑って見せる。

「そう見えるかい?」

「ええ。……違いますか?」

「当たらずとも遠からず、かな」

 今どき、日本人でもなかなか使わない表現ですよ、とは言わなかった。

 とはいえ、言われてみれば確かに、ご機嫌と言うよりは……闘志に燃えているという感じか?

「なにか……あるんですか?」

 そういえば、五条と話していたときに、教授はなにかを言っていた気がする。

「こういうチャンスはなかなかなくてね。悲願を叶えるチャンスがあるとなれば、心踊るものだろう?」

「はあ」

 俺と美嘉は顔を見合わせる。

 俺たちはお互いに疑問符を浮かべている。

 こういうチャンス、と教授は言うが、それがなんなのかわからなかった。

「まぁ、なににおいても、チャンスというのは概して少ないものだ。だが、だからこそ命を懸ける価値がある」

 教授は、まるで自らの行いを振り返るみたいに、淡々とそう言ってうつむく。

「……」

 ……俺たちに向けて言っているのではなさそうだ。

 自らに言い聞かせることで、ブレッシャーに押し潰されないようにしているって感じか。

「……ふぅ」

 と、教授が深いため息をつく。

「……つくづく、タイミングの悪いときに会うね」

「……?」

 なにを言ってるんですか、と問い返す前に、俺たちの背後から声が響いた。

「狙うものは同じなんだ。当然でしょう」

 その声音にぞくっとする。

 聞き覚えがある。一昨日、この場所で聞いた声だ。

 あわてて振り返ると、そこには――あのときと同じ、白衣の男がたたずんでいた。

「君はいつも私の邪魔をするね」

「……私の側から言わせてもらえれば、貴方が毎度私の邪魔をしているのですがね」

 教授の言葉に、白衣の男は肩をすくめる。

「譲ってくれる気はないのかい?」

「……こちらの台詞です」

「お互いに協力する道は?」

「それがあれば、こんな苦労はしなかったでしょうね」

「ふむ」

 なんの話かわからないが、両者の会話が致命的なまでに平行線だということは分かる。ピリピリしたその会話に、俺たちは身を固くするしかない。

 逃げなければ。一刻も早く。

 そう思いはするものの、身体が動いてくれなかった。

「どうやら……私たちの間に、会話は無駄のようだな」

 やれやれとため息をつくシュタイナー教授に、白衣の男は静かにうなずく。

 つかの間の沈黙。

 俺たちを間に挟み、教授と男が対峙する。

 俺でも分かる、張りつめた緊張感。

 美嘉の肩が震えているのが、やけにハッキリと感じられた。

 動いたのは、同時だった。

 両者は瞳を蒼く煌めかせ、魔法陣を展開する。

 教授が飛びのくと、五号館の入口がかん高い音をたてながら破砕するのがほとんど同時だった。ガラス戸や、扉の周囲のレンガまでもが無理矢理引きはがされ、一点に引きずり込まれて消えていく。

「チィッ」

 教授が垂直に手を振りあげる。

 白衣の男はふわりと浮き上がり、教授の放つ“なにか”を避けた。

 直後に轟音。

 見れば、白衣の男の背後にあった七号館には縦に亀裂が入っていた。俺たちから見て亀裂から右側の部分が、さっそくバランスが保てずに崩れようとしている。

 周囲で悲鳴が上がり、蜘蛛の子を散らすように人々が二人の戦いから逃げ出していく。

 白衣の男は一メートルほど浮かび上がったままで、片手を持ち上げる。

 それに合わせ、男のそばに停まっていた車もまた、きしんだ音をたてながら浮かび上がった。

「……徹」

「……」

 なにも返事ができず、俺はただ美嘉の肩を強く抱き締める。

 ……俺たちももう少し離れていれば、逃げ出そうと思えたかもしれない。けれど、こんな目の前でやられたら、身がすくんでしまってどうしようもなかった。へたり込まずにいるだけで精一杯だ。

 教授が両腕を振り抜き、浮かび上がった車を十字に斬り伏せる。

 しかし、白衣の男は至極冷静な様子で、四分割された車をそのまま教授へと投げつけた。

「くっ」

 教授がアスファルトを駆け、そのあとを追うように車のフロントバンパーやボンネット、タイヤや座席がアスファルトや五号館へと突き刺さってゆく。

 教授があらゆるものをバターよりも簡単に斬り裂き、白衣の男がそこらじゅうの物を浮かび上がらせ、砲弾の雨を降らせた。

 人間対人間とはとても思えない超常現象じみた戦いに、現実味すら薄れる光景だった。

「……ヤマサキ君とサイトウ君。君たちも早くここから離れたまえ」

「……っ!」

 瓦礫の砲弾を避けながら、教授がこちらを見て叫ぶ。が、その輝く瞳に俺たちは怯えるしかない。

 ……言われなくても分かってるけど、身体が言うことを聞いてくれないんだよ。

 動けないでいるうちに、二人の戦いで辺りはあっという間に廃墟へと変貌していた。

 周囲の建物は抉りとられ、切断され、傾き、破砕されている。たった今も、五号館と七号館の外壁が崩れ落ちていってしまう。

 瓦礫で埋め尽くされたアスファルトもひび割れて波打っているし、小ぢんまりした中庭なんか、もはやそこに中庭があったとは思えない有り様だ。

 突如、巨大な魔法陣が現れたかと思うと、世界が傾く。

「え、うわっ!」

「きゃぁっ!」

 地面が壁になり、道路を水平に落ちる。

 重力の方向が変わったのだと気づいたのも一瞬のことで、それは数秒もない落下の最中にもとに戻った。美嘉を抱き締めたままで“横に落下した”俺は、アスファルトを転がり、瓦礫の山に強く背中を打ち付けてようやく止まる。

「……かはっ」

「あぐっ」

 俺の腕の中で美嘉が苦しそうにうめく。

「ぶ……じ、か?」

「う、うん……」

 美嘉の返事を聞きながら、顔をあげる。どうやら、俺たちは重力で吹っ飛ばされたらしい。しかもその“落下”距離は……たった数秒だったのに、十メートル近くにもなっていた。

 結果として五号館と七号館から離れ、目の前に見えるのは一号館の正面だった。

「山崎、無事か!」

 声に顔を上げると、そこには長身痩躯にフレームレスの眼鏡の男がいた。息が上がっていて、ここまであわてて駆けつけてきたようだ。

「五条」

「これは……教授か?」

 名前を呼ぶので精一杯で返事ができず、俺はただうなずいて教授と白衣の男を視線で追う。

 俺の視線に従い、五条は二人の戦いを目撃する。

「教授と……あの人物が山崎を襲撃したという男か」

 教授が白衣の男の重力球――としか言いようのないなにか――を避け、その力を利用してすぐそばの壁を駆け上がると、そのまま跳躍して白衣の男に肉薄する。

「……くっ」

「逃がさんよ」

 白衣の男は腕でガードしながら魔法陣を立て続けに放つ。重力の影響なのか、教授の突進が不自然に減速。

 とはいえそのスピードを完全には殺せず、教授の体当たりを食らっていた。

 白衣の男は空中から地面へと吹き跳ばされるが、叩きつけられる前に停止。ふわりとアスファルトに着地する。

 教授も反動から壁を蹴り、五号館の庇に足をかけて衝撃を殺し、地面に着地する。

「……ゴジョウ君か」

 教授はちらりとこちらを見てそう言うと、袖で口許をぬぐう。そこにはべっとりと血がついていた。

「……二人を遠くへ。他の者も近づけさせるな」

 教授は白衣の男へと鋭い視線を向けたまま告げる。

「委員会が大学からの退避と封鎖をすでに始めている。封鎖完了まであと十五分。あとは山崎たちだけだ」

「結構。なら遠慮はいらないな」

「大言壮語もその辺りにしておいたらどうですかね、ご老体」

「……!」

 想像以上に近くから聞こえてきた声に、俺たちはあわてて立ち上がると、男の姿を探して頭上を振りあおぐ。

 空中には、余裕のほほ笑みを浮かべた白衣の男が浮かんでいた。

「……確かに衰えたが、まだ三十半ばでね。とはいえ、やはり昔のようには……いかんなっ!」

 魔法陣と共に、不可視の斬撃を放つ教授。

 しかし、白衣の男は避けもせずに手をかざす。すると、白衣の男の目の前で淡い光を放つだけでそれ以上はなにも起こらなかった。……教授の攻撃を防いだのか。

「チッ。奴の周囲のグルーオンまではコントロールを奪えん」

「第三項の力は確かに脅威だが、それはあくまで対人間での話だ。第四項とは相性が悪いようですね」

「知っているさ、それくらいはね。昔、嫌というほど思い知らされた」

 にこりともせずに教授は言う。

「どこまでやれるか、見ものですね」

 巨大な瓦礫がいくつも浮かび上がり、白衣の男の周囲で旋回を始める。

「……これだから、重力使いは苦手だ」

 つくづくうんざりそうにつぶやいて、教授は走り出す。

 そのあとを瓦礫の群れが追撃した。

「山崎、こっちだ」

「え?」

「早く! 逃げるぞ」

 五条に言われて、そうだった、などと思い直す。

 なんとか瓦礫の山から身を起こして、美嘉に手を伸ばす。

「徹……」

「美嘉、逃げよう」

「う、うん」

 手を重ねてきた美嘉の手を強く握り返して、美嘉を立ち上がらせる。けれど、彼女は彼女で全身に力が入らないみたいだった。……俺も同じだ。

「こっちだ」

 二人で身を寄せあって、五条の背中を追う。

 遅い足取りだったものの、瓦礫の山と化した一号館を横切り、かろうじて残っている一号館の一番端の外壁の陰に隠れる。この向こうはグラウンドで、身を隠せるものがない。

「山崎。悪いが、ここから先は二人で逃げろ」

「逃げろって……」

「なるべく瓦礫に隠れて、あの二人からできるだけ遠くへ行け。私は彼らを止めなければ」

「んなこと、できるわけないだろ。見ただろ、あのでたらめな力」

 あんなののどこが、天使なんだよ。

 なにもかもぶった切ったり、重力で浮かせたり……人間業じゃない。

「だが、それが私の所属する多次元時空保全委員会第四項対策室の仕事だ。それに――」

 五条は少し悲しそうに笑うと、フレームレスの眼鏡を外す。

「その“でたらめな力”を持つ者としても、見過ごすわけにはいかない」

 言い終わるやいなや、五条の瞳もまた蒼く輝く。

「第一項の力は、戦闘に向いているわけではないが」

「……ひっ」

 五条の瞳に、美嘉が小さく悲鳴をあげる。

「あの二人にこれ以上暴れられたら、被害は大学だけでは済まな――」

 振り返って教授たちの方を向いて絶句する……が、五条が見ているのは目の前のコンクリート壁だ。まさか、その向こうが見えているのか?

「五条、なにが――」

「伏せろ!」

 切羽詰まった声に、俺たちはなにも分からないままその場に伏せる。

 顔をあげると、瞳を蒼く輝かせたままの五条が、コンクリート壁に手をかざしていた。

 そこに魔法陣が展開すると、コンクリートがみるみるうちに金属光沢をもった表面へと変化していく。

 手のひらを中心に直径二メートルほどがそうなったところで、轟音と共に壁が膨らむ。

「いったい……」

「瓦礫がこちらに飛んでくるのが“見えた”んだ。なんとか……間に合ったな」

 五条はほっと息をつく。

 ……向こう側から降ってきた瓦礫による衝撃で、壁のこちら側が膨らんだってことか。コンクリートのままだったら、完全に破砕して俺たちは助からなかった。

 けど、コンクリートを金属にしちまうなんて……どうやったらそんなことができる?

「第一項とは、弱い相互作用、つまりウイークボソンを操ってベータ崩壊を強制的に引き起こすことができる。昨日、教授が説明した通りにな」

 疑問が顔に出ていたのか、五条がそう解説する。

「……つまり?」

「コンクリート、つまりセメントは、ケイ酸カルシウムやアルミネート、フェライトからできている。元素で言えばケイ素にカルシウム、アルミニウムと酸素だ。ケイ素をベータ崩壊により原子番号が一つ若いアルミニウムに、カルシウムは二重ベータ崩壊により原子番号を二つ増やしチタンに。結果、コンクリートの塊がチタンとアルミニウムの合金になる。コンクリートよりも強度ははるかに上だ」

「……」

「ニュートリノはウイークボソンにしか感応しない素粒子だ。物質のほとんどもすり抜けてしまう。第一項の天使であれば、ニュートリノを通じて壁の向こうであろうと見通せるということだ」

 そこまで説明して、五条が俺を見てくる。

「……だから、俺はそんな力使えねーって」

「……」

 ただため息をつく五条は、まだ俺の言葉が信じられないらしい。

「くそ、あの男――私たちの方を見ている。私の次元光放射に気づいたのか」

 チタンアルミニウム合金の陰に隠れていたはずなのに、五条はその合金の壁を見ながら言う。口調からして教授のことではないだろう。白衣の男が、こちらを見ていると言うことか?

 それは――。

「うわっ!」

「きゃあっ!」

 また、上下の感覚が狂う。

 重力の方向が変わり、チタンアルミニウム合金だという壁が急に天井になる。

「……山崎!」

 チタンアルミニウム合金の縁になんとかぶら下がった五条が手を伸ばしてくる。

 なにかを考えてられる暇などなかった。

 美嘉を抱き締めたまま、なすすべなく落ちていこうとしていた俺は、その手を必死につかむ。

 地面と空が左右に広がり、下には……足をかけるところなどなく、近くにあった瓦礫ががらがらと落下していった。

 瓦礫はグラウンドを水平に落下していき、大学と高校の間の柵を紙みたいに呆気なくくしゃくしゃにしたところで重力が戻ったようだった。しかし、地面に転がったところで勢いが削がれることもなく、さらに向こうの高校の校舎の一階をぶち抜き、高校の中庭に到達してからようやく止まった。俺たちが十メートルも吹っ飛ばされたさっきの攻撃よりも強力だ。瓦礫が落ちているのは、二十……いや、三十メートルは下だ。瓦礫が地面に転がっている光景も、今の俺にはマグネットでくっついているみたいに、壁に吸い寄せられているような奇妙な光景にしか見えない。

 なにもかもぶったぎる教授に、向こう側を見通して元素を変換する五条もなかなかの化物ぶりだが、重力を操る白衣の男は、その二人と比べても異次元の力に思える。

 たった一人で災害を起こしているに等しい。

 そんな、まともとはほど遠い男との戦いに巻き込まれ、自身もぶら下がっているというのに、五条はさらに俺と美嘉の二人を支えていた。

「……くっ」

 うめく五条を見上げると、チタンアルミニウム合金にかかっている指が、ゆっくりと、だが確実に滑っているのが見えた。

「おい、嘘だろ……」

「山崎、揺らすな」

 その指先には、三人分の命がかかっている。

 ――なんて思いもつかの間、さらに上から落ちてきたシュタイナー教授がチタンアルミニウム合金の上に着地してきた。

 金属特有の重い反響音が鳴る。その衝撃と振動に、五条の指も持ちこたえられなかった。

「うわっ」

「きゃっ」

「クソッ」

 帰ってきた浮遊感に、三人が悲鳴をあげる。

 その悲鳴に教授が下に手を伸ばそうとするが、どう考えても間に合わない。

「おおおおおっ!」

 教授が叫び、教授の瞳の輝きが増す。

 ここまでくると、もはや蒼い光の洪水だ。

 教授がなにをどうやったのかはわからないが、とにかく、重力が戻った。

 壁だった地面は下になり、高校の方へと落下するところだった俺たち三人は、そのまま地面を転がる。

「教授……無茶苦茶だな」

「……不満かね。空間の支配を奪い、重力をもとに戻す。最善だったと思うがね」

 チタンアルミニウムの上にいた教授も、重力がもとに戻り、地面に膝をついている。口調に焦りはないものの、教授は疲労を隠しきれない険しい表情をしている。

「やれやれ。ここ数年は研究と論文ばかりだったからな。衰えも馬鹿にできん」

 教授はやけに身体が重そうに立ち上がると、振り向いてこっちを向く。

 さっきから色々ありすぎて、俺と美嘉は立ち上がることもままならない。

「ゴジョウ君にヤマサキ君。奴を止めるのを手伝ってくれないかね?」

 その言葉に、俺はぎょっとする。

「む……無理だ」

「そんなことはないさ。確かに、覚醒にはリスクが伴うがね」

「だから、俺にそんな化物みたいな力なんてない」

「山崎を覚醒させるのは反対だ、教授」

 俺と五条の反対も、教授は意に介する様子はない。

「そんなことを言っている余裕があるかね。手段を選んでいられるほど、奴はのんびりしてはおらんぞ。奴が引き起こした惨状を見たまえ」

 教授は、廃墟と化した大学構内を見渡す。

「……彼だけではない、教授。あなたもこの惨状を作り出した一人だ。私にとっては、あの男も教授も、止めなければならない対象に変わりない」

「私は巻き込まれただけなんだがね」

「あなたは第三項の力を過度に使っている。……破壊行為の言い訳にしかならない」

「おとなしく奴に殺されていれば、この被害も免れたはずだと? ……まぁ、現状では確かにそうかもしれん」

「それは……」

 そう吐き捨てて肩をすくめる教授に、五条も言葉につまる。

「――素直に負けを認めたらどうですかね、ご老体」

「……まったく。三十代で“ご老体”呼ばわりを二度も許すハメになるとはね。君もそう変わらんだろうに」

 どこからともなく聞こえてきた白衣の男の声に、シュタイナー教授も平然と答える。

 俺たちは困惑したまま辺りを見回し――二、三十メートルは上から落下してくる白衣の男をようやく視界に収める。

 俺、美嘉、五条、そして教授。その四人の目の前に、白衣の男は悠然と降り立つ。

 白衣のポケットに手を突っ込んだまま、男は余裕の態度を崩さない。

「さて――」

 白衣の男がなにか言う前に、五条が動いた。

 手を伸ばし、これまでにない大きさの魔法陣を展開する。

「く、おおおっ!」

 五条の瞳が、今までにないくらいに強く輝いた。

 魔法陣の消えた後の空間が歪み、中央の一点に集束する。

 そして、空間に穴が開いた。

 実際になんなのかはわからないが、印象として穴、としか言いようがなかった。

 真円の、そして深淵の黒。それはなにも映さないし、なにも反射しない。そのせいで、それが円なのか球なのかも判断がつかなかった。

「第一項だというのにワームホールすら開くか。流石だ、五条沃太郎」

 だがそれにも、白衣の男は動じずに微笑みを浮かべる。

「だが……君は、誰にそれを向けているのかわかっているのか? 私は、君の所属する組織のことをよく知っているぞ」

「なに?」

 五条は白衣の男の言葉にやや困惑した視線を向けるが、それも一瞬で振り払う。

「……知るものか。これにとり込まれれば、貴様も終わりだ」

 白衣の男の言うことになど耳を貸さず、五条はそのワームホールとかいうのを叩きつける。

「ふむ……まあいいがね。とはいえ、君のそれはまだ制御が粗いな」

 ――が、白衣の男の余裕の態度は一向に変わらない。男が襲いかかるワームホールに手をかざすと、なにが起きたのか、ワームホールは触れる寸前で動きを止めてしまう。

「馬鹿な……」

「まずい、みんな避けろ!」

 五条の驚愕と教授の叫びは同時だった。

 ワームホールのコントロールが奪われたのか、なんて思っている余裕すらなく、今度はそれがこっちに襲いかかってくる。

「……くっ」

 なんとかして美嘉だけでも。

 そう思って、抱いたままのの美嘉を突き飛ばそうとした瞬間。

「きゃああああああっ!」

 ――美嘉の瞳が、紅く輝いた。


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