第12話 告白
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結局この日、俺と美嘉はそれ以上五条と話すことはできなかった。
人混みでどこに行ったのかわからなくなってしまったのもあるし、美嘉が人混みに酔って体調を崩したので、五条のことなど気にしてられなくなったのもある。
それから、美嘉が落ち着いてから研究室にも戻ってみたものの、シュタイナー教授も講義の他に大学への事務手続きやら理事会からの出席要請だかで忙しかったらしく、話の続きは聞けなかった。
俺たちはあきらめて家に帰るしかなかった。
昨日あたりから、俺と美嘉の間には重苦しい雰囲気がのしかかっている。昨日の夕方、コンビニスイーツで一息ついた雰囲気なんて、とっくに吹き飛んでしまっていた。
……あんなことがあったんだ。しかも、その事態は解決していない。重苦しくなって当たり前か。
狭い六畳間の自宅で一人、ベッドに寝転がる。
もう深夜で電気も消している。なのに、目がさえて眠れなかった。
虚空に手を伸ばしてみる。
瞳を閉じて、手のひらの先の空間に、意識を集中。
あの、蒼い光と魔法陣をイメージする。
そして、空間に穴を――。
「……」
目を開ける。
あの、背筋を電気がはい回るみたいな感覚もなくて、見るまでもなく答えははっきりしていた。
そこに広がるのは、暗い部屋の中で天井に向かって手を伸ばしているだけの間抜けな光景だ。
……ほらな。
俺にそんな力なんか無いっつうの。
マジになってそんなことしてる自分が馬鹿馬鹿しくなって、枕元にある携帯端末を手に取る。
寝れねーし、なんかゲームでもやるかな。
画面をつけてそんなことを考えていたら、手にした携帯端末から急に軽快なメロディーが鳴り出した。
画面に表示された名前は『斎藤美嘉』。
「美嘉?」
『と、徹……』
電話に出ると、美嘉は怯えたような、沈んだ声をしていた。
「どうしたんだよ、こんな時間に」
『それは……。その、えっと……』
「……?」
電話越しの美嘉は、様子がいつもと違う。
『――声』
「ん?」
『こ、声、聞きたいなって……』
「ああ、そーゆーこと」
『うん。ごめん、こんな時間に。もう大丈夫だから』
「いや、俺も寝れなかったから別に平気だよ」
『でも、悪いから……』
そう言って、美嘉は自分で電話をかけてきた癖に、すぐ通話を切ろうとする。
これ……昨日と同じだ。全然大丈夫じゃないやつ。
「美嘉、家か?」
『え? そう……だけど』
「いまからそっち行くわ。ちょっと待ってろ」
『え、ええっ? い、いいよそんな。大丈夫だから』
「……なんだよ。駄目なのか?」
『だって……部屋汚いし、化粧落としてるし……』
なんか、全力で拒否されてるな。
本当に嫌なのかもしれない。
「部屋、昨日だって綺麗だったろ。なんでたった一日で汚くなるんだよ」
『それは……』
「それに、今さら化粧とか気にすることでもないだろ。化粧落としてるところなんて、さんざん見てるし」
『でも……わざわざ、悪いよ。申し訳ないし』
わざわざってなんだよ。
悪いって……なんだよ。
その言葉にカチンときた。
今は会いたくないとか、もう寝るからとか、なにか美嘉自身の都合があるんだったらやめておこうと思っていたのに。
なのにまだこいつは、俺に「悪い」とか「申し訳ない」みたいなこと考えてんのかって思うと、我慢できなかった。
「美嘉。十分……いや、五分待ってろ。すぐ行く」
『え? いや、だから――』
「いいから」
それでも遠慮しようとする美嘉にそう告げて通話を切る。
適当な上着をひっつかんで羽織ると、さっさと家を出て美嘉の家に向かう。
気づけば、小走りになっていた。
美嘉のやつ……。
なんでいっつもいっつも、無理してまで「大丈夫」なんて言うんだよ。
そんなんだから「大丈夫」って言われる度に不安になるんだよ。
……大丈夫じゃないなら、「大丈夫じゃない」って言って欲しいんだよ。
俺と美嘉の家は歩いて五分くらい。ちょっと走ればすぐだ。
俺の家と大差ない安普請のアパートに着くと、昨日も来た二階の一番端の部屋の呼び鈴を押す。
ぴーんぽーん、と昔ながらの音が鳴るが、扉の向こうに反応はない。
……起きてるはずだろ。
もう一回鳴らすが、やはり動きはない。
「……」
試しにドアノブをひねって――うわ、開いてやがった。
勝手に入るのもどうかと思いはしたが、暗い玄関を抜け、廊下と一体のキッチンを通り、ワンルームの部屋へ入る。
俺の家よりほんの少しだけ広いその部屋もまた、薄暗かった。実はかわいい物好きな美嘉は、部屋の家具もパステルカラーの丸みを帯びたものばかりだし、ぬいぐるみも多い。だけど、薄暗い中じゃそんな雰囲気なんて全然なかった。
「……美嘉」
「……」
彼女は、ベッドの真ん中で膝を抱えて小さくなっていた。
少し離れたところには携帯端末が転がっている。恐らく、通話が切れてから放り投げたのだろう。
俺はなるべく刺激しないように、ギリギリ触れることのない位置で隣に座る。
「……」
「……」
「……誰が、大丈夫だって?」
「……ごめん」
「謝るなよ」
「でも」
こんな様子の美嘉を見たのはいつぶりだろう。
……実際のところ、初めて会ったとき以来じゃないだろうか。
小学校の花壇で、いじめられて泣いていたあの頃みたいな……。
「俺、美嘉のことで迷惑だなんて思ったことねーよ。……不安になったことはあるけどさ」
「嘘」
「嘘じゃねーよ」
「私、こんななのに――」
「だからじゃねーか」
「え?」
告げた瞬間、心臓が跳ねる。
もう十年近く前から思い続けて、言うつもりがなかった……言うことをためらっていた言葉を、不意に言わざるをえない状況になっていたってことに、この状況になるまでまったく気付いていなかったのだ。
――覚悟を決めろ、俺。
ここまで言ったら、もう言うしかねーだろ。
「――好きな人のことくらい、心配して……当然だろ」
「……ッ!」
美嘉が驚いてこっちを見てくるのがわかった。
だから、顔をそむけた。
恥ずかしくて、美嘉の顔を見返すことなんてできやしなかった。
「……嘘」
「嘘じゃ、ねーよ」
じゃなきゃ、こんな時間に美嘉の部屋にこねぇよ。
なのに、なんで信じてくれねーんだ。
「嘘。私こんな、めんどくさいのに」
「そんなこと――」
背筋がぞわっとして、その得体の知れない悪寒に思わず宙を見上げる。
――なんだ?
見上げても、薄暗い部屋の天井があるだけだ。あとは、カーテンが開いているせいで外の街灯やコンビニの明かりが入り込んできているくらい。
「私、徹に迷惑しかかけてない」
「迷惑じゃねーって」
「嘘」
「嘘じゃない」
「嘘よ!」
そらしたままでいられず、叫んだ美嘉の顔をのぞき込もうとする。
けど、美嘉はうつむいて、膝をしっかりと抱えていた。暗くてわからないが、膝を抱えたその指先は震えていて、青白くなっているんだろう。
俺は手を伸ばして、その指先に触れる。
悪寒に加わり、身体中をちりちりと静電気がはい回る感覚さえする。
そのせいか、触れた瞬間、美嘉はびくりと体を震わせた。けど、俺の手を避けようとまではしなかった。
美嘉の指先は、ひどく冷たい。
「俺、そんなに嘘つきだったか?」
「それは……でも」
「でも?」
「私に気を遣って、そう言ってるもん」
「なことねーよ」
「あるよ」
「……少しは俺の言葉も信用してくれよな」
ここまで頑固になっちまった美嘉を納得させられる気が、しなくなってきた。
「だって……だって。私、こんななんだよ」
美嘉は、俺がどうとかよりもなによりも、自分に自信がない。それは昔からだけど、ここまでかたくなになっているのは、これまであまりなかった。
「美嘉がダメなときは俺がそばにいてやる」
「それじゃ、私が徹をダメにしちゃうんだよ――」
また否定される前に、俺は続けた。
「――美嘉のせいでそうはならないけど、俺がダメになることだって……あるよ。そんなときにさ、美嘉がそばにいて助けてほしいって思うのはダメか……? そうやって、お互いに助け合うもんだろ?」
「……」
うつむいたままの美嘉がどんな表情をしているのかわからない。
彼女の指先も、細かく震えたままだ。
……やっぱ、俺じゃダメなのかな。
「俺のこと、嫌いか?」
美嘉はうつむいたまま、首を横に振る。
「じゃ、ただの友達?」
「それ、は……」
意を決して、美嘉の頭をなでてみた。
できるだけ優しく、その綺麗な黒髪をすいて、美嘉のかたくなさを和らげる。
「俺は美嘉が好きだ」
「……」
「美嘉は、俺のことどう思ってる?」
「でも……ダメだよ」
その言葉は、ある意味で答えを白状したようなものだ。
そろそろ俺の羞恥心が限界なんだが、もう一押ししなきゃならんらしい。
「ダメなだけか? 嫌いじゃなくて?」
「……う」
黒髪をすいていた手を、彼女のうつむいたままのほほに添える。
顔を上げさせても、拒否されなかった。
美嘉の目元は真っ赤に腫れていた。もしかしたら、俺が部屋にやって来る前から泣いていたのかもしれない。
「……まだ、答える気はねーか?」
「……」
美嘉の瞳をのぞき込む。
窓の外の明かりが反射しているのか、その瞳にはかすかに紅い光が混ざっている。
「答えないなら、こうだぞ」
そう言いながら、俺は顔を近づける。
俺がそこまでしてくるなんて思ってなかったんだろう。なにも言えないまま、抵抗もできず、恥ずかしさに耐えられなくなった美嘉は瞳を閉じる。
周囲が帯電してるみたいな、チリチリとした感覚が増す。
恥ずかしいのは俺の方だっての。
もう後には引けねーけども……。
俺はそのまま、美嘉の――ほほにキスをした。
……。
……。
……。
顔を離すと美嘉はもう目を開けていて、どこか拍子抜けしたみたいな、キョトンとした顔で俺を見ていた。
「……」
「……そんな顔するな」
「あ……うん。ごめん」
美嘉はさっきの感触を思い出そうとするかのように、自分のほほをなでる。
「その……くちびる、だと思ったから」
「……わ、悪かったな」
「いや、そのぉ……」
なんとなく微妙な空気が流れる。さっきとはまた違う気まずさだ。
わかってるから。
俺がヘタレだってのは、自分自身が一番。
「……美嘉?」
「……」
なんか……リアクションがおかしい。
「まさか、して欲しかったのか?」
「そ、そそそ、そぉーゆーわけ、じゃ……」
うつむいて顔をそらすが、暗くても朱に染まってるのがわかった。さっきまでとは雰囲気が違いすぎる。
美嘉、わかりやすくうろたえすぎ。
「じゃ、美嘉もちゃんと言えよ」
「え?」
「俺のこと、どう思ってる?」
「それ、は……」
「ちゃんと言えよ。俺だけ恥ずかしいのはずるいだろ」
「あうう……ひゃっ!」
思いきって、膝を抱えたままの美嘉を抱きしめる。
「俺は、美嘉が好きだ」
「う……」
美嘉の耳元でそうささやくと、美嘉がまたびくりとして動きを止める。
何回も言ったせいか、だんだん恥ずかしくなくなってきた。今なら調子にのっていろいろ伝えられる気がする。……後から思い出して死にそうな気持ちになるような未来が見えたけど、気づかないことにした。
「美嘉と一緒にいたいって思うし、美嘉もそう思ってくれたらいいなって思う」
「……でも私、徹に迷惑しかかけてないんだよ。これからだって、きっとそう。束縛して、困らせて、わがまま言って……。徹にはたぶん、もっといい人が――」
「そんなの、迷惑にもならねーよ」
「でも」
「そういう言い訳はさっきからたくさん聞いてる。聞きたいのは、美嘉の気持ちだ」
美嘉を抱きしめる力を少しだけ強くする。
「……私も、徹が好き」
「本当だろうな?」
「徹じゃなきゃ、やだ」
ようやくの言葉に、俺は思わず力が抜けた。
「よかった……」
「え?」
「死ぬほど恥ずかしーのになかなか言わねーもんだから、実は嫌われてんじゃねーのかと思い始めたとこだ」
「う」
そこで、美嘉がまた「ほら、迷惑かけてる」って言いたいんだろうなって気づいたから、言葉を重ねる。
「俺だって美嘉じゃなきゃいけねーんだよ。他のやつなんか願い下げだ」
「……でも」
「俺はしつこいんだよ。美嘉にはな。……あきらめろ」
「……」
美嘉はようやく観念したのか、小さくうなずく。
顔を寄せて、今度こそ唇を重ねる。俺からの一方的なキスじゃなくて、お互いに求めあった愛がおこには確かにあるような気がした。
唇に涙のしょっぱさを感じながら、不意に気づく。
悪寒も帯電していた気配も、嘘みたいに綺麗に消え去っていたことに。
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