第11話 帰宅
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「ただいま」
「おかえりなさーい」
私が帰ってくると、錫姉さんが玄関に顔を出してにっこりと微笑む。
「こっちにきてから、バタバタしっぱなしね」
「……ああ。そうだね」
山崎徹への襲撃とセルシオ・シュタイナー教授の正体、それから葉巻和彦への襲撃と、昨日今日で立て続けにいろいろなことが起きている。
これまでの任務では一切なかったことだ。今回の任務は今までとは違う。
居間に入って、ソファに座る。
「姉さん、今日の件は……?」
「上には連絡したわ。附属高校の廊下崩落に関して、警察は介入しない。でも――」
紅茶のポットと茶器をのせたトレーを手に居間に戻ってきた錫姉さんに問うと、顔を曇らせてそう言いかけて口をつぐんだ。それだけで私は、姉さんがなんと続けようとしたのかを察していた。
「――山崎徹の件については、連絡がない」
私が言葉を引き継ぐと、錫姉さんはカップを二つテーブルに置いて、うんざりした顔を隠しもせずにうなずきながら私の隣に座った。
「警察とか行政への干渉は数分で済ませるクセに、行動指針を仰ぐと音沙汰なし。ほんと、委員会の考えてることは分からないわ。普通だったら行動指針の方が早く答えを出せるはずでしょうに」
「……」
確かに、普通なら警察への圧力や、転居や学校への編入などの行政手続きの方が時間がかかる事柄に思える。なのに、これまでそれに待たされたことなどない。逆に、どうしたらいいか、と尋ねたときは大抵返事がない。
「明日、本当に特異点が発生するとしたら、そしてそれが山崎徹だったとしたら、こうやって待っている余裕なんてないのよ。なのに……」
やれやれ、と首を振ると、錫姉さんはカップに紅茶をそそぎ、口をつける。
「山崎徹に、セルシオ・シュタイナー教授に、葉巻和彦。天使疑惑の三人ともに、実際にその力があっておかしくない状況で、さらになんらかの事態に巻き込まれつつある。単純に、私たちだけでは人員が足りない」
手に負えない、とも思ったが、口にはしなかった。
「その通りね。でもいつも通り、増員要求もしたけど返答なしね」
「……」
「……」
こちらがどんな状況であれ、委員会の対応はいつも通りだ。
忌々しいとさえ思えるほどに。
「……安物だけど、美味しいわね」
「……」
その言葉に、私も紅茶を口にする。
紅茶は詳しくないが、そのストレートティーのしっかりとした香りが鼻腔をくすぐってくる。
「……委員会は、意思決定ができる人がよくいなくなるわね」
「……」
しみじみと、しかしうんざりした声音の錫姉さんに反論できず、押し黙る。
実際のところ、姉さんの表現はなかなか言い得て妙だ。
警察への介入だとか、やることがはっきりしている内容についての行動が早く、どうすべきか、という行動指針を仰げば連絡がない、というのは、事務要員がいるのに意思決定者がいないといっているようなものだ。
その意思決定者――多次元時空保全委員会のトップ、ということになるのだろう――が何者か、私たちは知るよしもない。が……よくもまあ下っ端の私たちを振り回してくれるものだ。
「今日、教授が山崎徹の覚醒について言及しなかったのも、こちらの対応がわかっていたんでしょうね。特異点が彼なら、余計なことをしない方が教授には都合がいいのかもしれない」
「そうかな。違う気もする」
「そう?」
錫姉さんが私の方を向いて首をかしげる。
「ああ。……もしそうなら、そもそも私たちにそのことを告げなかったはずだ。教授にとっては、山崎徹の覚醒のタイミングが重要なわけではないのかもしれない」
「……そうかもしれないけど、それなら?」
「うまく言えないが……教授は、山崎にすごく好意的だった。単純に、彼の身を心配しているみたいに」
考えがうまくまとまらない。
「もしそれで、山崎徹を要因とした特異点が消滅することになっても?」
「仮に……山崎を事前に覚醒させたとしても、特異点は発生するとしたら、教授の態度もさほど不自然ではないと思えるんだ」
錫姉さんは、意味がわからない、という風に眉をひそめる。
「なにが要因となるかわからないなら、要因となりそうなものに手を出すのは愚策に思えるけど」
「……教授は、天使の力を『高次元に拡散した重力子を操る力』だと言っていた。だとすれば、その重力子の挙動から特異点予測を行っているのかもしれない」
姉さんは、続けて、と私に先をうながす。
「あくまで推測にすぎないが、もしそうだとすれば、山崎に関与するかしないかに関わらず……原因がなんであるにせよ、重力子の挙動により特異点は発生は確定している、と考えていてもおかしくはない」
「んー。なんだかアラばっかりな気もするけど、違ってもそれに近い理由なのかしらね。今はそれ以上考えても無駄かも」
「……」
確かに、これ以上は直接問いただした方が早い。
「なんにもないならいいけど……そんなこと、ないんでしょうね」
紅茶のカップを空にして、はぁー、と息をつく姉さん。
「こうしてるだけで、幸せでいられるはずなのにね」
姉さんが、頭を肩に預けてくる。
その重さが心地よく、同時に姉さんのためにこそ任務を果たさなければ、という思いを新たにする。
そうやって、ささやかな穏やかさを満喫してしばらく、玄関から声が届いた。
「たーだいまー」
三峯燐の兄である、三峯珪介が帰ってきたのだ。
燐の二つ年上の彼は、高校三年生だ。本来なら大学受験を前に勉学に勤しまなければならない年齢だが、多次元時空保全委員会第四項対策室所属という特殊な肩書きのおかげで、その労苦からは解放されている。各地への移動に合わせて、近くの学校に強制的に編入させられるのだから、受験勉強をしたところでさしたる意味がないのだ。私のときも、受験勉強などやる必要がなかった。
とはいえ、珪介の成績が悪いわけではないが。
「あらケイ。早かったわね」
「スズ姉ただいまー。そりゃま、あんなことがあった後だし、休校だってさ」
「あらあら」
「だっけど、専門教室側の校舎を閉鎖して、明日から授業は再開するってんだから、高校の理事会は神経図太いよな」
明るい色に染め直したばかりの髪をかき上げながらダイニングテーブルの椅子に座ると、珪介は苦笑する。
「しかし、委員会から建物の構造に問題はない、と連絡がいっているんだろう?」
「ええ。そのはずよ」
「そーは言ってもよ、にーさん。目の前で廊下が崩落してんだぜ。上からお達しがあったっつっても、せいぜい書面だけだろ。調査した方が安心、とか思わないもんかね、ってさ」
「なるほどな」
珪介の物言いに、肩をすくめる。
「それで、燐は?」
「葉巻和彦とか、天原つかさとか、その辺の奴らと遊んでくるみてーだよ。まーうちにゃ帰ってこねーけど」
「なに?」
葉巻和彦と、天原つかさか。他にも彼らの友人がいるのだろう。だが……帰ってこない?
「リンちゃん、葉巻君のお家に泊まってるのよ。言わなかった?」
錫姉さんは、平然とそんなことを言った。
「燐はまだ高校一年だろう。それはちょっと――」
「それに燐も、葉巻のことはかなり真剣みたいだし」
「やだーホント? あー。リンちゃんもそーゆー年頃なのねぇ」
「ちょっと待ってくれ。珪介、なにを言ってるんだ」
「にーさんって、ホントこーゆーのは鈍いよなぁ」
「ホントホント。あ、ケイも紅茶飲む?」
「そうじゃなくてだな――」
「――俺、紅茶ならレモンティーがいいなぁ」
「はーい。ちょっと待って」
「……」
珪介の返事に、錫姉さんがソファから立ちあがってキッチンへと向かう。二人は私の反論などお構いなしだ。
「それで燐のやつ、葉巻和彦に一目惚れだってさ。それからべったりなんだと」
「あー。いいわねぇ。私たちはいろいろ不自由も多いけど、少しくらいは浮いた話もないとねー」
「だから、二人とも!」
「ん?」
「にーさん、どしたの?」
私の声に、二人はようやくこちらを見る。
が、そのどちらもにやにやと笑みを浮かべていた。
「まだ高校一年なのに他人の家で寝泊まりするのも問題だし、なにより迷惑のはずだろう。一目惚れだとか言ってられる状況でもないんだぞ。……姉さんからもなにか言ってやってくれ」
「だってさ、スズ姉」
キッチンに立つ錫姉さんに一縷の望みをかけたが、そんな珪介の態度に無駄だと悟る。
「私も、リンちゃんに聞かれたから『いいわよ、向こうのご家庭に迷惑かけないようにね』って言っておいたわよ」
「……」
「それに、葉巻和彦のお母様も『こんな娘が来てくれるなら嬉しい』って」
「なんだ、親も公認なんじゃん」
……。
私たち四人で構成される第四項対策室において、姉さんは事務処理や根回しなんかをこなす裏方役だ。だが、そのスキルをこんなところで発揮しなくてもいいだろうに。……というか、なぜ全力で発揮しているんだ。
「にーさん、燐に言われたろ。こっちのことはこっちに任せて、大学の方に集中してくれよ。こっちは二人で葉巻和彦一人。にーさんは一人でセルシオ・シュタイナーと山崎徹の二人なんだぜ。それに……心配しなくても、燐はしっかりしてるよ」
「そうそう。葉巻家にいるなら対象の……和彦くんのすぐそばにいるわけだし、不測の事態にも対応しやすいでしょ」
「それは……しかし」
そうは言ったものの、二人を……そして、この場にいない燐本人を納得させられる理屈を思いつけなかった。
だから、私はただ、額を押さえて深いため息をついた。
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